学位論文要旨



No 116592
著者(漢字) 林,勇一郎
著者(英字)
著者(カナ) ハヤシ,ユウイチロウ
標題(和) ニワトリ松果体の概日時計におけるERKおよびp38MAPKの役割
標題(洋)
報告番号 116592
報告番号 甲16592
学位授与日 2001.09.17
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第4057号
研究科 理学系研究科
専攻 生物化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 飯野,雄一
 東京大学 教授 深田,吉孝
 東京大学 教授 横山,茂之
 東京大学 教授 山本,雅
 東京大学 教授 岩倉,洋一郎
内容要旨 要旨を表示する

 地球上の環境には24時間周期の変動が存在する。多くの生物はこの変動に受動的に対応するだけではなく、体内に存在する概日時計により外界の環境変動を予知して能動的に適応している。概日時計は外界からの入力がなくても自律的に時を刻むことができるが、概日(約1日)という名前が示すように、その周期は正確な24時間から少しずれている。このずれを補正して概日時計の振動を外界の環境変動の周期と同調させるため、概日時計は外界の光情報を感知して時計の時刻(位相)を変化させる能力を持つ。これを概日時計の光位相シフトとよぶ。

 概日時計の発振の基本メカニズムは遺伝子の転写・翻訳に基づく負のフィードバックループであると考えられている。すなわち、哺乳類の場合には、正の制御因子であるCLOCKとBMALが負の制御因子であるPerやCryの転写を活性化する。転写・翻訳ののち核内に輸送されたPER・CRYは自分自身の遺伝子発現を抑制するという負のフィードバックループを形成する。外界の光情報はPerのmRNA量を上昇させることで光位相シフトを引き起こすと考えられているが、光シグナルがいかなるメカニズムによりPer遺伝子の発現を誘導するかは現在のところよくわかっていない。ニワトリ松果体は培養条件下でも時計発振機能と光受容能を保持するため、概日時計の光位相シフト機構の研究に広く用いられてきた。また、ニワトリ松果体からはピノプシンと呼ばれる三量体G蛋白質共役型の光受容体が単離されており、光位相シフトを担う光受容体の候補とされている。本研究では、「ニワトリ松果体の概日時計の光位相シフトにおいては、G蛋白質共役型受容体により受容された光シグナルがPer遺伝子群の転写を活性化する」と考え、MAPキナーゼ(MAPK)が光シグナルを伝達して概日時計の光位相シフトを担う可能性を検討した。MAPKは細胞外刺激に伴う遺伝子の転写調節に重要な役割を果たす蛋白質であり、しかもG蛋白質共役型受容体を介して活性化する例が知られているためである。そこでまず、古典的MAPKとも呼ばれるERKの概日時計における機能を調べた。

 明暗周期下で1週間飼育したヒヨコに対して夜間に光刺激を行ったところ、光刺激の開始から20分以内に松果体ERK2が脱リン酸化することが判明した。また、光刺激を行う前に暗期で既にERK2がリン酸化していたので、ERK2のリン酸化量が時計発振系からの時刻シグナルにより制御されている可能性が考えられた。そこで、恒暗条件下におけるERK2のリン酸化量の変動を調べたところ、夜間にリン酸化量が高く、昼に低いという概日リズムを示すことがわかった。ERK2はリン酸化により活性化することから、松果体ERK2は時刻シグナルによりその活性が制御されるとともに、光シグナルにより不活性化すると考えられた。一方、ERKキナーゼであるMEKの阻害剤PD98059を培養松果体に対して12時間投与すると概日時計の位相後退が起こることから、ERK2は時計発振系に情報を入力して位相変化を引き起こす分子であることがわかった。すなわち、時計発振系から出力される時刻情報がERK2に入力し、再び時計発振系に入力するフィードバックループが存在すると考えられた。このフィードバックループの構成分子を調べるため、時刻情報をERK2に伝達する分子を探索したところ、Ras-MAPK経路を構成するRas、Raf-1、MEKの活性化型分子の量が全てERK活性と同位相の日周変動を示したことから、Ras-Raf-1-MEK-ERK2という経路が時刻情報を伝達し、上記のフィードバックループの構成要素となることが強く示唆された。一方、光刺激によってERKは脱リン酸化されるが、このとき、MEKの活性は変動せず、ERKを脱リン酸化するフォスファターゼの活性が上昇することが判明した。この光刺激によるフォスファターゼ活性の上昇はオカダ酸では阻害されず、バナジン酸により阻害されたことから、光刺激により活性化されるフォスファターゼはチロシンフォスファターゼであるか、あるいはチロシン・セリン・スレオニンいずれのアミノ酸に対する脱リン酸化活性も持つdual-specificityフォスファターゼであると考えられた。

 以上の結果より、1)Ras-Raf-1-MEK-ERK2という経路(Ras-MAPK経路)は概日時計の出力と入力を結ぶフィードバックループを構成する。2)光シグナルはフォスファターゼを活性化することによりERK2を不活性化し、上記のフィードバックループに合流すると考えられた(図1)。このようなフィードバックループはPer, Cry, Clock, Bmalなどから構成される時計発振のフィードバックループ(図1ではCore Feedback Loopとして表示した)の、さらに外部に存在する二次的ループとなる。時計発振系にはこのような二次的ループが複数存在し、概日時計の振動周期の調節やリズム振幅の増大といった役割を果たすことが報告されており、Ras-MAPK経路もこうした役割を担う可能性が考えられる。あるいは、Ras-MAPK経路は多くの場合に細胞外因子により活性化されることから、Ras-MAPK経路は細胞外からの時刻情報により駆動される可能性も考えられる。実際、個々の時計細胞は細胞外因子を介して相互にリズムを同調させていることが知られており、Ras-MAPK経路は細胞間の情報伝達に寄与することで、時計細胞間のリズム同調を担う可能性も考えられる(図1)。

 MAPキナーゼファミリーにはERK以外に、p38およびJNKという2つのグループが知られている。これらは細胞に対するストレスに応答して活性化するキナーゼとして発見された。興味深いことに、浸透圧ショックや熱ショックといったストレス刺激がニワトリ松果体において概日時計の位相シフトをもたらし、その位相応答曲線は光位相シフトの場合と酷似していることが報告されている。このことから、ストレスシグナル伝達系を構成する分子が概日時計の光位相シフトを担う可能性が考えられた。p38の活性は特異的阻害剤SB203580によって可逆的に抑制されることが知られており、本研究では次に、SB203580(以下SBと略する)を用いてニワトリ松果体の概日時計機能におけるp38の役割を検討した。

 まず、p38の活性が光刺激によって変動するか否かを調べた。p38の活性は活性化型分子であるリン酸化p38を認識する抗体を用いたイムノブロットにより推定した。恒暗条件下においてCT6、CT14、およびCT18に光刺激を行ってp38活性の変動を調べた。これらの時刻は松果体細胞に光刺激を与えた場合に位相後退を起こす時刻(CT14)、位相前進を起こす時刻(CT18)、わずかな位相後退を起こす時刻(CT6)にそれぞれ相当する。その結果、いずれの時刻においてもp38活性は光刺激により10分以内に約2倍にまで上昇し、光照射を続けても活性は低下して約30分で光刺激前のレベルに落ち着くことがわかった。そこで次に、松果体細胞にSBを投与してp38の光活性化を阻害した場合に、概日時計の光位相シフトが影響を受けるか否かを調べた。まず、光刺激を行わずにSBをCT10からCT22までの12時間投与してメラトニン分泌リズムに及ぼす効果を調べたところ、意外なことに、30μMのSB投与は時計の位相を約2時間後退させた。SBの投与のみで時計の位相が変化したことから、p38の活性がCT10からCT22までの間に上昇する可能性を考え、恒暗条件におけるp38活性の変動を調べたが、時刻依存的な変化は見られなかった。

 恒暗条件におけるp38の活性が時計発振に関与するか否かを調べるため、SBを連続投与してメラトニン分泌リズムに及ぼす効果を調べた。その結果、SBの投与によりメラトニン分泌リズムの周期が投与濃度依存的に延長することがわかった。SBを投与しない場合の振動周期は24.3時間であるのに対し、SB 10μMの投与により振動周期は25.2時間となり、SB 30μMでは28.7時間に延長した(図2)。すなわち、p38の活性が適切に保たれることは概日時計が正常な周期で発振するために不可欠であると考えられた。次にSBを様々な時刻にパルス投与(4時間)を行い、概日時計に及ぼす影響を調べたところ、主観的昼に当たるCT2およびCT6からSBを投与した場合にメラトニン分泌リズムの位相が約2時間後退した。一方、主観的夜に投与した場合には有意な位相変化は認められなかった。以上のことから、活性型p38は時刻によらず一定量存在するが、時計発振系において主観的昼に重要な役割を果たすと考えられる。時計遺伝子の発現量を人為的に変化させたトランスジェニックマウスや、時計蛋白質のリン酸化量に異常をきたす変異マウスにおいて概日時計の振動周期が野生型と異なる例が知られており、p38は時計遺伝子の発現量の調節や、あるいは時計蛋白質のリン酸化を行うことにより概日時計の振動周期を決定している可能性が考えられる。一方、p38が光位相シフトに関与する証拠は見いだせなかったが、p38が光活性化すること、さらにp38阻害剤が時計の位相シフトを引き起こすことを考えあわせると、p38が光位相シフトに寄与する可能性も考えられる。

 以上の結果から、MAPキナーゼファミリーに属するERK2とp38の2つの分子はニワトリ松果体の概日時計機構において重要な役割を果たすことが明らかになった。ERK2は光シグナルと時刻シグナルの両方を時計発振系に伝達し、光位相シフトや概日リズムの周期・振幅などの調節に関与すると考えられた。一方、p38は一日を通じて活性は変化しないが、概日時計が24時間周期で振動するためには不可欠の因子であると考えられた。

図1 ニワトリ松果体におけるERK2を介した情報伝達経路のモデル

図2 松果体細胞のメラトニン分泌リズムに及ぼすSB203580の効果

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は4章からなり、第1章は序論、第2章は方法を記している。第3章(結果)と第4章(考察)は共に前半と後半からなり、それぞれERKとp38が概日時計において果たす役割について述べられている。

 まず第1章では、概日時計は生物の概日リズムを生み出す体内時計であり、約24時間周期で自律的に発振する性質を持つこと、概日時計の位相は外界の光情報に応答してシフトすることが述べられている。また、ニワトリ松果体細胞は、単一細胞内に時計発振機能と光受容能を併せ持つことから、光位相シフト機構の研究材料として好適であることが説明されている。さらに先行研究から、ニワトリ松果体の概日時計においてはMAPキナーゼが光位相シフトに関与する可能性が考えられ、これを検証することが本研究の目的であると述べている。

 第3章前半ではまず、ニワトリ松果体においてチロシンリン酸化量が光刺激依存的に変動する蛋白質を探索した結果、MAPキナーゼファミリーに属する分子ERK2のチロシンリン酸化量が光刺激依存的に減少することを示している。加えて、ニワトリ松果体ERK2のリン酸化量は恒暗条件下において日周変動することを示している。続いて時刻依存的にERK2をリン酸化するメカニズムを調べ、Ras-MAPK経路を構成するRas、Raf-1、MEKの活性化型分子の量が全てERK2のリン酸化量と同位相の日周変動を示したことから、Ras-Raf-1-MEK-ERK2という経路により時刻情報が伝達されると結論している。MEK阻害剤を培養松果体に投与すると概日リズムの位相が変化することから、ERK2は時計発振系に情報を入力する分子と考えられている。これを考え併せると、時計発振系から出力される時刻情報がRas-MAPK経路を介してERK2に入力し、再び時計発振系に入力するフィードバックループが存在すると述べている。一方、光刺激によってMEK活性は変化せず、ERK2に対するフォスファターゼ活性が光刺激により上昇した。このことから、ERK2の光刺激による脱リン酸化はフォスファターゼの活性化によると考えられた。光刺激によるフォスファターゼ活性の上昇はオカダ酸では阻害されず、バナジン酸により阻害されたことから、光刺激により活性化されるフォスファターゼはチロシンフォスファターゼであるか、あるいはdual-specificityフォスファターゼであると考えられた。

 第3章後半では、細胞ストレスに応答して活性化するMAPキナーゼであるp38の活性変動を調べ、p38は光刺激により一過的に活性化することを示した。次に、p38の光活性化が光位相シフトに関与する可能性を調べるため、松果体細胞にp38阻害剤SB203580(以下SBと略)を投与して概日リズムに対する効果を調べた。まず、光刺激を行わずにSBをCT10からCT22まで投与してメラトニン分泌量の概日リズムを調べたところ、30μMのSB投与は概日リズムの位相を後退させた。SBの投与のみで概日リズムの位相が変化したことから、恒暗条件におけるp38活性の変動を調べたが、時刻依存的な変化は見られなかった。そこで、恒暗条件における一定レベルのp38活性が果たす役割を調べるため、SBを連続投与した。その結果、SBの投与濃度依存的に概日リズムの周期の延長が観察された。さらに、SBを様々な時刻にパルス投与したところ、主観的昼に投与した場合に概日リズムの位相が約2時間後退した。一方、主観的夜に投与した場合には有意な位相変化は認められなかった。これらのことから、p38は時計発振系において主観的昼に重要な役割を果たすと考えられた。

 第4章の前半ではまず、Ras-MAPK経路の役割として概日時計の振動周期の調節やリズム振幅の増幅、あるいは時計細胞間の位相同調が考えられると述べている。さらに、Ras-MAPK経路を介して伝達される時刻情報と、フォスファターゼから入力する光情報はERK2において統合されており、ERK2は光情報の時計発振系への入力点としての役割を持つことが述べられている。一方、後半では、p38活性は概日時計の振動周期を決定する重要因子であると結論すると共に、SBの投与時刻依存的な位相シフト効果から考え、時計発振系を構成する分子の一つPERがp38の基質である可能性について議論している。

 以上、本論文はMAPキナーゼファミリーに属するERK2とp38の2つの分子がニワトリ松果体の概日時計機構において重要な役割を果たすことを示したもので、概日時計の分子機構の解明に寄与したと考えられる。なお、本論文は真田佳門および深田吉孝との共同研究であるが、論文提出者が主体となって研究を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

 従って、博士(理学)の学位を授与できると認める。

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