学位論文要旨



No 116599
著者(漢字) 五十田,智丈
著者(英字)
著者(カナ) イカダ,トモタケ
標題(和) 貴金属を含む混合金属 : 硫黄クラスターの合成と反応
標題(洋) Syntheses and Reactions of Mixed Metal-Sulfur Clusters Containing Noble Metals
報告番号 116599
報告番号 甲16599
学位授与日 2001.09.20
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第5028号
研究科 工学系研究科
専攻 化学生命工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 溝部,裕司
 東京大学 教授 荒木,孝二
 東京大学 助教授 橋本,幸彦
 東京大学 助教授 石井,洋一
 東京大学 助教授 工藤,一秋
内容要旨 要旨を表示する

 複数の金属中心を有する有機金属クラスター上では,基質の配位形式が多様であり,また複数の基質を同時に活性化できることや,複数の金属を用いた電子の受け渡しが可能なことなどから,単核の錯体とは異なる基質の特異な活性化や,高い反応性を示すことが期待される。それらの中で,複数の金属原子を架橋能の高い硫黄配位子で結んだ金属−硫黄クラスターは,生体内酵素や水素化脱硫触媒との関連においても興味深い化合物である。

 現在までに,金属源と硫黄源を適当な条件で反応させることにより,熱力学的に安定な,もしくは速度論的に有利な生成物を得るという自律凝集法(self-assembly)によって,種々の硫黄クラスターが合成されてきたが,この方法によっては望みの組成・構造を有するクラスターが得られるとは限らない。従って,小さな金属−硫黄フラグメントを段階的に組み合わせることにより,合理的に望みの硫黄クラスターを合成する手法(fragment condensation)の開発は,興味深い研究課題であると言えよう。

 貴金属は,それを中心に有する単核錯体において高い触媒活性を実現することが知られているが,硫黄によって被毒されてその触媒能が阻害されることがあるため,硫黄を含む貴金属化合物の反応性に関する研究は比較的遅れていた。しかしながら,近年,幾つかの報告がなされるようになり,単核錯体触媒には見られない高い触媒活性を示すという報告例もある。以上のことを念頭に置き,本研究においては,貴金属を有する新規な混合金属−硫黄クラスターを段階的に合成し,さらには得られたクラスターと各種基質との反応性を検討することを目的とした。

貴金属を含む混合金属−硫黄クラスターの合成

 M2S4中心骨格を有するスルフィド架橋二核錯体は,混合金属−スルフィドクラスターの良い前駆体と成り得ることが知られているが,本研究においては,Mo及びWの二核錯体[M2S2(μ2-S)2(S2CNEt2)2](1:M=Mo;2:M=W)と各種貴金属錯体との反応について検討した。

 最初に,二核錯体1及び2に対する10族貴金属錯体の取り込みとして,まず1及び2と1当量の[M'(PPh3)4](M'=Pd,Pt)との反応を試みたところ,三角形の中心金属骨格が四つのμ2-S配位子により保持された特異な構造を有する混合金属三核クラスター[M'(PPh3)(μ2-S)2{M(S2CNEt2)}2(μ2-S)2](4-6)をそれぞれ合成することに成功した(eq 1)。

 一方,錯体1と[Pd(PPh3)4]との反応においては,三核クラスター[Pd(PPh3)(μ2-S)2{Mo(S2CNEt2)}2(μ2-S)2](3)が,少量の四核キュバン型クラスター[{Pd(PPh3)}2{Mo(S2CNEt2)}2(μ3-S)4](7)との混合物としてしか得られなかったが,この混合物に対してさらに[Pd(PPh3)4]を加えることにより3を全て7へと変換できた。また1と2当量の[Pd(PPh3)4]との反応によって7を直接合成することにも成功した(Scheme 1)。

 二核錯体から三核クラスターを経由して四核キュバン型クラスターが段階的に合成されている例はほとんど無い。上記の実験結果は,3のみならず得られた一連の三核クラスターがさらなるクラスター合成の良い前駆体になる可能性があることを示していると考えている。また,6族二核錯体と取り込んだ10族貴金属錯体の組み合わせを変えることにより,優先的に生成するクラスターの核数を制御できる点が興味深い。なお,クラスター3-6の構造は6のX線構造解析により,および7の構造はその予備的なX線構造解析によりそれぞれ決定した。

 続いて,錯体1及び2に対する9族貴金属錯体の取り込みとして,まず1及び2と1当量の[M'Cl(PPh3)3](M'=Rh,lr)とを反応させたところ,M'M2S4三核クラスター[M'(PPh3)2(μ3-S)(μ2-S)3{M(S2CNEt2)}2(μ2-Cl)](8-11)をそれぞれ得ることができた(eq2)。興味深いことに,3-6のM'M2(μ2-S)4中心骨格とは異なり,8-11はM'M2(μ3-S)(μ2-S)3の中心骨格を有していることが11のX線構造解析により判明した。

 一方,1及び2と1当量の[M'Cl(diene)]2(M'=Rh,Ir; diene=cod:cyclooctadiene, nbd:norbornadiene)とを反応させたところ,こちらの反応では,M2S4骨格に貴金属を二つ取り込んだ四核キュバン型クラスター[{M'(diene)}2{MCl(S2CNEt2)}2(μ3-S)4](13-16)がそれぞれ生成してきた(eq 3)。これらの構造の詳細は13のX線構造解析により明らかにした。

 このように,Rh(I)もしくはIr(I)という,同じ原子価の金属源を反応させても,導入する貴金属錯体の配位子を変えることによって生成してくるクラスターの核数を制御できる点は,非常に興味深いといえる。

 また,8族貴金属錯体の取り込み反応として,錯体1及び2と0.5当量の[Cp*RuCl]4(Cp*=C5Me5)とから,Ru2M2S4キュバン型クラスター[{Cp*Ru}2{MCl(S2CNEt2)}2(μ3-S)4](16:M=Mo,54%;17:M=W,59%)をそれぞれ得ることにも成功し(eq4),これらの構造の詳細を17のX線構造解析によって明らかにした

RhMo2S4三核クラスターに対する末端アルキン類の取り込み反応

 上記の反応で得られた一連の三核及び四核クラスターと各種基質との反応を試みたところ,RhMo2S4三核クラスター8に対する末端アルキン類の取り込み反応を見出した。

 クラスター8に過剰量のPhC≡CH(10 equiv)を加えたところ,3分子のPhC≡CH分子が8のRhMo2S4骨格に対して取り込まれた[{Rh(PPh3)Cl(SC(Ph)=CH)}{Mo(S2CNEt2)(SC(Ph)=CH)}{Mo(S2CNEt2)(SC(Ph)=CHS)}](19)が得られた。また8に対して3等量のFcC≡CH(Fc=ferrocenyl,(C5H5)Fe(C5H4))を加えたところ,19と類似のクラスター[{Rh(PPh3)Cl(SC(Fc)=CH)}{Mo(S2CNEt2)(SC(Fc)=CH)}{Mo(S2CNEt2)(SC(Fc)=CHS)}](20)が,取り込まれたアルキンの配向が異なる二種類の異性体の混合物として得られた(Scheme 2)。クラスター19,20の構造はX線構造解析によって決定した。

 取り込まれた三つのアルキン分子の内,二つのアルキン分子はRh-S及びMo-S単結合に対して付加することによりそれぞれ四員環を形成し,もう一つのアルキン分子は2つの架橋スルフィド配位子に付加して架橋ジチオレン配位子を形成している。金属−硫黄の結合に対してアルキン分子が付加して四員環を形成する例は報告が少なく,また三核クラスターとアルキン類との反応によって炭素−硫黄結合が生成した例はまれである。なお,本反応は一つのクラスター分子に対して複数のアルキン分子が異なる配位形式を取るように付加している点が非常に興味深い。

審査要旨 要旨を表示する

 複数の金属原子からなる中心骨格が含硫黄配位子によって架橋・保持されている金属−硫黄クラスターは,その多核の金属中心を反応場として利用することにより,種々の基質を特異的に活性化することや,基質の変換反応において高い触媒活性を発現することが期待される化合物群である。しかしながら,現在のところ,そのようなクラスターの合理的な合成法は未発達であり,その開発が望まれている。本論文は,金属−硫黄クラスターの合理的な合成手法,及び得られたクラスターと有機基質との反応性について述べたものであり,全4章で構成されている。

 第1章では序論として,金属−硫黄クラスターの性質・特徴を概観した後に,現在までに達成されている金属−硫黄クラスターの合成手法について述べている。

 第2章では,前駆体として,末端スルフィド配位子を有する2つの6族金属のモリブデンあるいはタングステン原子がスルフィド配位子によって架橋されている二核錯体を用い,それらに対する10族金属の取り込み反応について検討している。まず,上記の二核錯体に対して1当量のパラジウムあるいは白金のホスフィン錯体を反応させることにより,新規な構造を有する一連の三核クラスターの合成に成功している。モリブデン−パラジウムの組み合わせにおいては,得られた三核クラスターに対してさらにホスフィン錯体を加えることによって四核キュバン型クラスターを得ており,二核錯体から三核クラスターを経由して四核クラスターを得る段階的なクラスター合成に成功している。ここにおいて,モリブデン−パラジウム以外の金属の組み合わせによっては,三核クラスターが優先的に生成し四核クラスターは得られてこない。すなわち,同族ではあるが,異なる周期の金属を用いることによって金属中心の電子密度を調節し,優先的に生成してくるクラスターの核数を制御できることを見出している。

 第3章では,第2章に続いて,6族二核錯体に対する9族,8族の金属錯体の取り込み反応について論じるとともに,得られたクラスターと有機基質との反応性を検討すること,および得られたクラスターをさらなるクラスター合成の前駆体して用いることを視野に入れて,クラスター中の配位子置換反応について述べている。まず,9族金属の取り込み反応においては,6族二核錯体に対して,異なる配位子を有しているが中心金属の酸化数がどちらも一価であるロジウム,イリジウムのホスフィン錯体あるいはジエン錯体を反応させた場合,ホスフィン錯体との反応においては三核クラスターのみが生成してくることを,ジエン錯体との反応においては四核キュバン型クラスターのみが生成してくることを見出している。すなわち,取り込む錯体上の配位子を変えることにより,中心金属の電子密度を調節して,得られてくるクラスターの核数を制御することに成功している。また8族金属の取り込み反応においては四核キュバン型クラスターの合成に成功している。続いて,クラスターに対して有機基質を反応させる場合におけるクラスターの反応場としての利用の可否を検証するために,得られた一連のクラスターについて配位子の置換反応を行い,ロジウムーモリブデン三核クラスターにおいては,ホスフィン配位子の置換反応が進行し,クラスター中のロジウムサイトが空いた配位座を形成しうることを見出している。また,ここで得られた一連のクラスターをさらなるクラスター合成の前駆体として用いるために,さらに硫黄源を取り込むことを検討し,ロジウムーモリブデン三核クラスターにおいては,クラスター中の塩素配位子をヒドロスルフィド配位子に変換したクラスターの合成に成功している。

 第4章では,第3章で述べた一連のクラスターと有機基質との反応性について検討している。ロジウムーモリブデン三核クラスターに対して,末端アルキン類を反応させることにより,クラスター1分子中に3つのアルキン分子を取り込んだ特異なクラスターを合成に成功している。三つのアルキン分子は,それぞれ異なった形で,金属−硫黄からなるクラスター中心に取り込まれており,クラスター上における基質の配位形式の多様性を実現している例となっている。

 以上のように本論文では,小さな金属−硫黄フラグメントに対して,段階的にもしくは選択的に金属源を取り込むことによる合理的なクラスター合成に成功し,さらには得られたクラスターと有機基質との反応性について検討している。これらの結果は錯体化学および有機金属化学の新しい研究領域の開拓とその進展に寄与すること大である。

 よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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