学位論文要旨



No 116600
著者(漢字) 児玉,晴男
著者(英字)
著者(カナ) コダマ,ハルオ
標題(和) ディジタル情報社会における学術出版の社会的機能に関する研究 : 学術出版物のコンテンツ形成・流通・利用システムの構築
標題(洋)
報告番号 116600
報告番号 甲16600
学位授与日 2001.09.20
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博工第5029号
研究科 工学系研究科
専攻 先端学際工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 廣松,毅
 東京大学 教授 堀,浩一
 東京大学 教授 橋本,毅彦
 東京大学 教授 小林,宏一
 東京大学 教授 玉井,哲雄
内容要旨 要旨を表示する

 1.本研究の課題の設定

 IT (information technology)に関わる社会基盤のハード面の整備とともに,質の高いコンテンツを多様に提供するためのソフト面の対策が重要になる。ここで,自然科学系の学術出版は,学術出版物の発行を通して信頼性の高い学術的価値をもつコンテンツを提供する主要な機能をもっている。したがって,ディジタル情報技術を活かした学術的価値の実現が質の高いコンテンツを多様に提供する対策の一つになろう。しかし,商業出版社(publishing house)に帰属する編集者の視点からの現実問題として,学術的価値の実現が困難な環境にあり,学術出版の一翼を担う商業出版社が学術出版に対して高いモチベーションを維持することが困難な状況になっている。ここに,学術出版物の発行を通して果たしてきた商業出版社の機能(以下,学術出版の社会的機能とよぶ)がディジタル情報技術との関係から明らかにされ,学術出版物のコンテンツ(以下,コンテンツとよぶ)の多様な提供のためのシステムを構築する必要がある。

 2.本研究の目的

 グーテンベルグの活版印刷術の発明が,著作者の創作を促し,出版産業の中で多様な文化的所産としての出版物を産出してきた。ディジタル情報技術との関係において,その産出機能が継受されるべきものであることは容認できよう。そのために,まずディジタル情報社会において商業出版社が果たしてきた産出機能の態様が情報産業との関連から再構築される必要がある。ここで想定する産出機能は,研究成果の発表の流れの中で関連づけられる。商業出版社が研究成果を学術出版物として発行し,利用者でもある研究者がその出版物を自ら購入するか,公共図書館で閲覧することによって,研究成果としての著作物に含まれている学術的価値をもつコンテンツは利用され,そのコンテンツが循環していくことになる。そして,この循環システムは,商業出版社が学術出版物の発行によって出版の経済性と公共性との均衡を通して果たしてきた学術出版の社会的機能といえる。本研究の目的は,出版産業が情報産業へ移行していく環境,そして出版物の流通・利用に関する印刷システムがコンテンツの流通・利用に関する情報ネットワークシステムヘ移行する状況において,情報産業の中で出版の経済性と公共性との新しい均衡のもとに,学術出版の振興に資する総合システムを構築することにある。

 3.問題の所在

 学術出版の現状は,脆弱な地盤のうえにある。それは,学術出版に関わる組織的な面と,良書が必ずしも売れ行き良好書とは限らないといわれていることに起因する。これは,商業出版社が一般的な産業の基準で言えば零細に属するものであり,良書が絶版(実態は品切れ状態に置くことが多い)の中に学術的価値の高いものが多く含まれていることから推察できよう。このような学術出版をとりまく環境が,商業出版社が学術出版を行っていこうとするインセンティヴを減退させる大きな要因となっている。この状況にあって,ディジタル情報技術は,学術出版の社会的機能を果たすうえに制約されてきた技術上の問題を解決することができる面をもつ。他方,ディジタル情報技術が誘引する著作物の伝達・複製の変化は,印刷システムにおいて諒解されてきた関係の変容をきたすことになる。具体的には,利用者にとって商業出版社と公共図書館との間には協調関係が存在すべきはずであるのに,電子図書館構想および電子出版物の納本制度の提言が誘引する議論に見られるように,出版物のコピー問題と類似の構図をとって出版の経済性と公共性との均衡を見いだしにくい状況に置かれていることがあげられる。電子図書館構想および電子出版物の納本制度の提言でいう多様な著作物の収集は,商業出版社が担う出版物および電子出版物によって効率的になしえよう。ここで想定される課題は,学術出版物の発行によって形成される産出機能がディジタル情報技術との相互関係の観点に立ったとき,ディジタル情報社会における新しいシステムが見いだされていないことにある。

 4.学術出版物のコンテンツ形成・流通・利用システムの構築

 情報産業の中で商業出版社が果たしてきた機能を維持するための課題解決は,情報財としてのコンテンツの性質を明らかにしたうえで,コンテンツの流通に対する技術的な対応と制度的な対応,さらにコンテンツの利用に対する社会経済的な対応に裏づけされたシステムを構築することに求められる。

 (1)情報産業における情報財の創造:学術出版物のコンテンツ

 ディジタル情報技術とディジタル的な複製にリンクされて産み出されたコンテンツは,文化的所産であると同時に産業的な利用に供しうるソフトウェア的制作物という二重の性質を兼ね備えている。すなわち,このコンテンツは,情報産業における新たな経済財(情報財)となる一方,著作物の出版にかかる性質から導かれる公共的な利用の対象でもある。このようなコンテンツの流通・利用を円滑にするシステムの構築が必要になる。

 (2)学術出版物のコンテンツの流通に関する情報システムの構築

 情報ネットワークにおける著作物の流通に関する電子的著作権管理システムの種々の方式は,出版物の流通システムを擬制したものといえる。この技術的な管理システムは,権利の保護という面だけでなく,むしろ信頼性の保証,すなわち出版者(publisher)によって維持・履歴管理が付加されたコンテンツを公示するうえで重要になる。そして,そのコンテンツの流通を円滑にするための情報システムは,コンテンツに関する,1)登記システム,2)維持・履歴管理システム,3)アクセス・複製システムのサブシステムからなる。

 (3)学術出版物のコンテンツの流通に関する法システムの構築

 コンテンツの流通に関する制度的な関係を築くうえで,出版物を発行する者(このとき発行者とよばれるが,出版者と同義)の観点から,学術出版に関連した制度的現状と商慣習を前提として考慮しなければ,新システムは実効性に欠ける。ここで,わが国の著作権法上,出版物は著作物をそのまま複製する対象となる。ところが,実際は,出版物は著作物がそのまま流通に置かれるわけではなく,著作物に編集が加えられることによって流通しており,出版物と著作物とは全く同じものではない。この著作物と出版物とのとらえ方の違いが,国際的な法理の違いからくる混乱や著作物のコピーやディジタル化にあたって問題になる。ここに,情報財としてのコンテンツの性質を考慮すれば,コンテンツの流通を円滑にする法システムは,1)一元的な知的財産権法システム,2)知的財産権を横断する使用権システム,3)コンテンツに対する権利の創造(著作物編集権)のサブシステムから構成される。それらサブシステムは,出版者が情報産業の中で新しい産業を創成するためのチャンスを与える要素にもなる。

 (4)学術出版物のコンテンツの利用に関する社会経済システムの構築

 基本システムの情報システムおよび法システムのもとにコンテンツの経済的な利用を円滑にする社会経済システムは,1)著作物編集権者の公示システム,2)コンテンツの電子的な版面の登録システム,3)コンテンツのディジタル的な複製に関する複写利用料システムのサブシステムから構成される。ここで,経済的な利用だけでなく,公共的な利用の同時的な調整が必要である。ここで提言するものは,出版物(電子出版物)の納本制度は出版の公共性を実現することに着目し,国立国会図書館への納本の機能を拡張して,国立国会図書館をコンテンツの電子的な版面の登録機関にすることである。なお,その登録は出版物および電子出版物の納本と同時に行うものとし,その登録によってコンテンツに対する権利の所在が明確になる。そして,情報ネットワークを介するコンテンツの公共的な利用は,著作権の制限規定を拡張解釈していくのではなく,著作物の編集によって生じるコンテンツに関わる権利(著作物編集権の一要素でディスプレイ複製権とよぶ)とコンテンツにアクセスし複製利用する権利(情報利用権とよぶ)との二つの要素(権利)の相互関係からとらえて,複写利用料システムの弾力的な運用において調整することが利用者の利便性からいって合理的である。

 5.結論

 基本システムとしての情報システム,法システム,社会経済システムおよびそれらの要素(サブシステム)を総合して構築される学術出版物のコンテンツ形成・流通・利用システムは,情報産業の中で出版の経済性と公共性との新しい均衡を保持して,ディジタル情報社会において学術出版の社会的機能を実現するものになる。このシステムは著作者の創作ひいては研究者の発想を支援するシステムと呼びうるものであり,そのシステムが出版者によって維持・履歴管理されたコンテンツを研究者(著作者)と利用者との間に相互作用し循環していくことによって,文化的所産が効率的に産出され,ひいては情報財の創造が促進されることになる。これは,電子図書館の社会基盤のソフト面に民間の資本を活用する形態をとることになり,出版産業に関与してきた商業出版社が情報産業においても積極的に信頼性の高い学術的価値をもつコンテンツの産出機能に寄与できる環境を与えることになる。

 以上

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は、これまで商業出版社が学術出版物の発行を通じて社会的に果たしてきた機能(以下、これを学術出版の社会的機能とよぶ)に着目して、その機能がディジタル情報技術の出現によってどのように変化しつつあるかを明らかにしたうえで、ディジタル情報社会における学術出版振興のためのシステムの構築について論考したものである。

 本論文は8章からなり、各章の具体的な内容は、次のとおりである。

 第1章は、本研究の課題を設定し、ディジタル情報社会において学術出版を振興するための基本的考え方を提示している。

 第2章は、学術出版の現状を分析している。そして、市場経済システムの中における商業出版社の企業としての特性と、それを前提にして行われている学術出版の現状の分析を通して、学術出版が出版の経済性と公共性との均衡のうえに成り立っているものであり、ディジタル情報社会においては出版の経済性と公共性との間の新しい均衡を見いだされなければならないことを指摘している。

 第3章は、ディジタル情報技術と学術出版との関係を、出版活動そのものの出版産業から情報産業への移行という大きな流れの中で、分析している。具体的に、学術出版をディジタル情報社会の中で振興するためには、従来のような出版産業による経済財としての出版物に代って、情報産業による情報財の創造が必要であること、またその形成・流通・利用にあたっては、ディジタル情報技術が著作物の伝達・複製に及ぼす変化に適合した技術的な対応と制度的な対応に関して、それらの整合性を十分考慮しながら、検討する必要があることを指摘している。

 第4章は、情報産業における情報財の創造としての、学術出版物のコンテンツの形成について分析している。まず、ディジタル情報技術とディジタル的な複製によって産み出される学術出版物のコンテンツは、文化的所産であると同時に、商業的な利用にも供しうるソフトウェア的制作物であるという二重の性質を兼ね備えている点を指摘している。そのうえで、一方では情報産業によって産み出される情報財であり、他方では著作物の出版にかかる特質から公共的な利用の対象にもなりうる学術出版物のコンテンツの形成・流通・利用に関しては、それらを円滑にするシステムの構築が必要であることを説いている。そして、第5章から第7章において、そのための情報システム、法システム、社会経済システムについて検討している。

 第5章は、学術出版物のコンテンツの流通に関する情報システムの構築について論考している。すなわち、情報ネットワークにおける著作物流通に関する電子的著作権管理システムの種々の方式は従来の出版物の流通システムを擬制したものであるとしたうえで、この権利の保護が強調される技術的な管理システムが実際的に健全性の付与された学術出版物のコンテンツの流通を保証するために必要な技術であるという立場から、情報システムの構築を論じている。

 第6章は、学術出版物のコンテンツの流通に関する法システムの構築について論考している。わが国の著作権法上、出版物は著作物をそのまま複製したものであるとされているものの、実際には出版物は著作物と全く同じものではないことを指摘している。そして、この問題点の明確化を通じて、出版物および出版者に関する制度の現状と慣行上の権利の実情を分析しつつ、学術出版物のコンテンツの流通を円滑にする合理的な法システムの構築を論じている。

 第7章は、学術出版物のコンテンツの利用に関する社会経済システムの構築を論考している。具体的に、情報ネットワークを介した学術出版物のコンテンツの利用に関しては、その経済性と公共性との均衡が必要であることを再度明らかにした上で、その観点から、次のような社会経済システムの構築を論じている。すなわち、まず情報財としての学術出版物のコンテンツの経済的な利用に関するシステムを構築したのち、その公共的な利用については、学術出版物のコンテンツに関わる権利と学術出版物のコンテンツにアクセスしディジタル的な複製を行うことによって利用するという権利を区別することによって、学術出版物のコンテンツに関する社会経済システムを構築しようとするものである。そして、このような社会経済システムの構築によって、ディジタル情報社会における出版の経済性と公共性の新たな均衡が導けると説いている。

 第8章は、本研究の結論であって、要素システム(サブシステム)としての情報システム、法システム、社会経済システムを総合した学術出版物のコンテンツ形成・流通・利用システムは、学術出版の経済性と公共性との間の新しい均衡を可能にし、ディジタル情報社会において学術出版の社会的機能を実現するものになるとしている。また、そのようなシステムは、著作者の創作あるいは研究者の発想を支援するシステムともなりうると同時に、それによって、これまで出版社が維持・履歴管理してきたコンテンツを研究者(著作者)と利用者との間で循環させることが可能になり、そのことがひいては文化的所産となる情報の創造をより活発にすることになると説いている。そして最後に、本論文が主張している学術出版物のコンテンツ形成・流通・利用システムは、現在問題となっている電子図書館構想の社会的基盤(インフラ)、その中でも特にソフト面で民間の資本を活用する形態をとることを可能にし、これまで出版産業に関与してきた出版社が情報産業においても積極的に信頼性が高く、かつ学術的価値をもつコンテンツの産出機能に寄与できる環境を与えることになるとの結論を与えている。

 本論文の特徴は、著者自身が商業出版社に属する編集者であるということから、主として実務の観点から、国立国会図書館および公共図書館における学術出版物の利用に関して現実に起きている問題を念頭におきながら、ディジタル情報社会という新たな環境の下で、その問題の解決を探ろうとしている点にある。具体的に、本論文において著者は、出版物のコピー問題、国立国会図書館の蔵書のディジタル化、および電子図書館のネットワークアクセスとディジタル複製などの問題について、「学術出版の経済性と公共性」をキーワードとして、商業出版社と公共図書館との協調関係の中に問題解決の糸口を見つけようとしている。

 本論文は、実務的な観点から、上記のような現実の問題に解決の糸口を与えるために、学術出版物のコンテンツ形成・流通・利用システムを構築することによってディジタル情報社会における「学術出版の経済性と公共性」の新たな均衡を模索している点に関して高く評価できるものの、現段階ではその実現可能性の検討は必ずしも十分ではなく、今後の課題である。このように残された課題があるとはいえ、本論文が情報通信技術を用いて形成され、さらには情報ネットワークを介して流通・利用される学術出版物のコンテンツの経済性と公共的な利用との新たな均衡を見出した点は社会的に有益であり、学術的な論考として関連学会に貴重な貢献を果たしうると評価できる。

 よって本論文は、博士(学術)の学位請求論文として合格と認められる。

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