学位論文要旨



No 116608
著者(漢字) 茂見,岳志
著者(英字)
著者(カナ) モミ,タケシ
標題(和) 不完備市場理論の考察
標題(洋) Essays on Incomplete Market Theory
報告番号 116608
報告番号 甲16608
学位授与日 2001.09.27
学位種別 課程博士
学位種類 博士(経済学)
学位記番号 博経第148号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 神谷,和也
 東京大学 教授 西村,清彦
 東京大学 教授 神取,道宏
 東京大学 助教授 松井,彰彦
 東京大学 助教授 柳川,範之
内容要旨 要旨を表示する

本論文は不完備市場理論の3本の論文をまとめたものである。不完備市場モデルは将来の不確実性が存在する状況を扱う。そのような状況は、もし将来の全ての財に関して、現時点において取引が可能であるならば、Arrow-Debreu経済の枠組みで分析することが可能である。しかしながらそのような仮定は現実的とは言いがたい。経済主体が現時点において取引可能なものは何らかの証券であり、その証券の配当をもって、来期の財市場での取引に臨むと考える方が、より現実的である。その場合、もし十分な数の証券が存在するならば、実現される均衡はArrow-Debreu経済におけるものと同じであるが、十分な数の証券が存在しない場合にはArrow-Debreu経済とは状況は異なってくる。不完備市場モデルはそのような状況を分析の対象とする。そして、証券構造が不完備な場合にどのような現象が生じるかを明らかにすることが不完備市場理論の目的である。以下、本論文に収められた3本の論文の概要を述べる。

Chapter 2 :"Non-existence of equilibrium in an incomplete market theory"

 本章では、不完備株式市場において空売りが制約されていない状況で、企業がDreze基準に従い行動したときに起こる問題−−均衡の不存在−−を指摘する。

 不完備市場においては、消費者間で来期のstateの評価が異なる。これら消費者は一方で企業の株式保有者であるので、このことは、企業の来期のstateの評価が一意に定まらないことを意味する。この様な状況に対処するために、2つの基準が提唱されている。Grossman-Hart基準とDreze基準である。両者とも基本的な考え方は同一であり、企業のstate評価は株主のstate評価を株式保有量でウエイト付けした加重和と考える。両者の違いはウエイトとして、後者が新規の(当該期の)株式保有量を用いるのに対して、前者は前期の株式保有量を用いる点である。

 一方、証券市場モデルの分析において空売りを許すかどうかというのは重要な仮定である。よって、先の企業のstate評価基準との組み合わせにより、4つのモデルがありえる。既存の研究においては以下のことが知られている。空売りを許し、Grossman-Hart基準を用いた場合、均衡はほとんど全ての経済に対して(genericに)存在する(Magill and Quinzii(1998))。空売りを禁じ、Dreze基準を用いた場合、均衡は常に存在する(Geanakoplos,Magill,Quinzii and Dreze(1990))。また、空売りを禁じ、Grossman-Hart基準を用いた場合に均衡が常に存在することは明らかである。よって、残るケースは、空売りが許されDreze基準を用いた場合であり、それが本章で扱うケースである。

 結論として空売りを許したもとでDreze基準を用いると均衡の存在しない経済が正の測度を持って存在することが示される。これは多くの不完備市場モデルにおいてgenericな均衡存在が示されるのと著しい違いである。

Chapter 3 :"Excess demand functions with incomplete markets---a global result"

 本章は、不完備市場における超過需要関数が、連続性、ワルラス法則、同次性、で特性づけられることを示す。

 Sonnenschein-Mantel-Debreuの定理は、Arrow-Debreu経済における超過需要関数は任意のコンパクトな価格の集合上で、連続性、ワルラス法則、同次性、で特性づけられる、すなわち、そのような性質を満たす任意の関数に対して、その関数を超過需要関数とする経済が存在することを主張する。

 近年、この研究は不完備証券市場経済にも拡張され、同種の結果が知られるようになっている。実物財証券を扱ったBottazi and Hens(1996),貨幣的証券を扱ったGottardi and Hens(1999),より広い証券を扱ったChiappori and Ekeland(1999)などである。しかしながら既存の研究は全て局所的な結果である。すなわち、任意の価格の近傍において、超過需要関数は上記の3つの性質で特性づけられる、というものである。

 本章は実物証券の場合に大域的にもこれが正しいことを示す。

Chapter 4 :"Indeterminacy of rational expectations equilibrium"

 本章は不完備市場の枠組みにおいて、各消費者が個別の私的情報を有しているときに、価格がそれらの情報の伝達機能を果たすか、という合理的期待均衡を分析したものである。

 不完備市場における合理的期待均衡については以下のことが知られている。証券が実物的証券の場合には均衡においては各消費者の私的情報は、価格を通じて、全ての消費者に伝達される。すなわち、均衡はfully revealingである(Radner(1979))。一方、証券が貨幣的証券の場合には、fully revealingな均衡とともに、fully non-revealingな均衡−価格が情報伝達機能を果たし得ず、私的情報の差異が全て残ったままの均衡−も存在する(Polemarchakis and Siconolfi(1993))。さらに、partailly revealingな均衡−私的情報の差異が部分的には解消される均衡−も存在することが知られている。(Citanna and Villanacci(2000))。

 ここで興味ある問題は、ではそのような各種の均衡の大きさはいかなるものか、という問いである。この問いは、そもそも、Polemarchakis and Siconolfi(1993)において問われた。本章ではfully revealingな均衡、fully non-revealingな均衡の大きさ(次元)を求めるとともに、ある種のpartially revealingな均衡の大きさも同様の手法により求め得ることを示す。

審査要旨 要旨を表示する

1.本論文では、不完備市場の理論が3つの側面から考察され、いくつかの未解決問題が解かれている。第1章で不完備市場および問題の所在が解説された後、続く3つの章で著者の研究成果が紹介されている。第2章では、企業を明示的に入れた不完備市場が分析されている。この場合、企業行動としてはいくつかの代替的なものが考えられるが、modified Dreze criterionと呼ばれる行動基準を考えた場合には、正の測度を持つパラメーター値の集合で均衡が存在しないことが証明されている。第3章では、不完備市場における需要関数の分解の問題が扱われている。つまり、連続性、ワルラス法則、0次同次性などを満たす任意の関数を与えた場合、それが何らかの経済の超過需要関数になりうるかを考察し、肯定的な結果が得らえている。最後に第4章では、不完備市場において私的情報がある場合の合理的期待均衡について分析されている。合理的期待均衡においては私的情報がrevealする場合としない場合があるが、それらがどの程度起きうるか、すなわちそれらの均衡集合の次元が分析されている。以下では、2-4章の概要について詳しく論じ、最後に審査結果を記す。

2.この節では、第2章の概要を論じる。2期間で、第2期に不確実性があり証券数が第2期の状態の数に比べて少ない場合の一般均衡モデル(不完備市場モデル)については多くの分析がなされてきた。Hartは、証券の背後に生産がない場合(たとえば生命保険など)の場合に、選好の凸性などの通常の仮定を満たしていても均衡が存在しない例を示した。この結果は、多くの一般均衡モデルで凸性などの仮定のもとに均衡が存在することに比して著しいコントラストをなす。しかし、Duffie and ShaferはHartと同様のフレームワークにおいて均衡の非存在は例外的であることを示した。つまりパラメーター値の空間において均衡が存在しなくなるパラメーター値の集合は測度0であることを示した。少し異なる観点から言えば、超過需要関数の不連続性のため均衡が存在しなくなる場合があるが、それは摂動により解消可能ということになる。

 第2章では、証券の背後に生産がある場合(株式)の場合には、これまでの結果と著しく異なる結果になることが示されている。この際、企業行動としてはいくつかの基準が考えられるが最も現実的と思われるmodified Dreze criterionと呼ばれる行動基準を考えている。そしてこの場合、均衡が存在しなくなるパラメーター値の集合は測度が正になりうることを示している。少し異なる観点から言えば、生産がある場合の超過需要関数の不連続性は生産がない場合の不連続性と本質的に異なるものであり、摂動によっては解消不可能であることを示したことになる。もちろんこの結果は、これまでの不完備市場に関し得られた結果と著しく異なる。第2章のモデルがこれまでの不完備市場モデルの中でも、かなり現実に近いモデルであることを考えればこの結果の重要性は大きい。

3.この節では第3章の概要について論じる。完備市場モデルでは、連続性、ワルラス法則、0次同次性などが成立する任意の関数を与えた場合、それは何らかの経済の超過需要関数になることが知られている。この結果は、選好の凸性などが超過需要関数の制約にならないことを示しており、均衡の数、位置、安定性などに関し、いかなる状況も起こりうることを示している。Bottazzi and Hensはこれを不完備市場モデルで分析し、肯定的な結果を導出した。しかし、彼らの結果は局所的な場合に限られている。詳しく言えば、上の条件を満たす任意の関数を選んで固定し、さらに証券のspanningの次元が退化しない価格ベクトルを一つ固定する。このとき、この価格の近傍において与えられた関数を超過需要関数として持つ経済が存在する。しかし、この結果では不十分である。つまり、これでは均衡の数、位置に関し、いかなる状況も起こりうるという結果は、導かれたことにはならない。

 第3章ではこの残された問題が肯定的に解決されている。つまり、大域的な意味において、与えられた関数を超過需要関数として持つ経済が常に存在することが証明されている。局所的な結果を大域的な結果に拡張するのは、局所的な議論を単純に拡張するだけでは不可能であり、数学的に本質的に異なる議論が必要になる。第3章では、その方法を発見し問題が解決されている。

 この結果は、選好の凸性などは超過需要関数の制約にならないことを示しているが、いくつかの問題も残されている。一つは、証券のspanningの次元が退化する価格を超過需要関数の分解の射程からはずしていることにある。これを含めて考えることは、重要であるが数学的には難しい。また不確実性がある場合には、単に選好が凸性を満たすのみでなく期待効用仮説のための条件(あるいはそれを多少弱めたもの)を満たすことを前提とすることが多い。しかし、第3章ではそれらが超過需要関数の制約になりうるか否かは分析の対象になってはいない。

4.この節では第4章の概要について論じる。各消費者が選好などについて私的情報を持っている場合、均衡価格はこの情報をある程度反映している。つまり、私的情報に応じて均衡価格が変わるため、逆に均衡価格から私的情報を類推できる可能性がある。したがって合理的な消費者は、他の消費者の私的情報を価格から類推し、効用最大化行動の際にこの類推を使う。その結果、均衡価格は変化する可能性がある。均衡価格と類推が両立するとき、すなわち価格からの類推を使って行動してもその結果導出される均衡価格がもとの結果と一致するとき合理的期待均衡という。この際、3種類の均衡がありうる。一つは、私的情報が完全に均衡価格から類推されるfully revealing均衡であり、二つめは、均衡価格からは全く私的情報が類推できないnonrevealing均衡である。最後の一つは、これらの中間ケース、すなわち均衡価格から部分的に私的情報が類推される均衡partially revealing均衡である。

 不完備市場における合理的期待均衡の分析はPolemarchakis and Siconorfiによりなされnonrevealing均衡が存在することが示された。次にRahi. Cittana. Villanacciらはpartially revealing均衡が存在することを示した。次に考えられる問題の一つはこれらの均衡のうちどれが起こりやすいかである。第4章では、fully revealing均衡集合とnonrevealing均衡集合の次元を導出することにより、これらのうちどれが起こりやすいかが示されている。この結果はこの分野において未解決になっていた問題であり、この章の貢献は大きいと考えられる。

5.第2-4章の論文はすべて国際的な水準に達しており、特に第2章はすでにJournal of Mathematical Economicsに掲載されている。他の2章も国際的な雑誌に投稿中であり、論文の水準から考えて掲載される可能性は高いと考えられる。

 審査において、特に第2章が高く評価された。この章では、これまでの不完備市場における均衡の存在問題に関し、経済学的に重要であると同時に数学的に未知の構造があることが示されている。この結果はこの分野において全く予想されていなかったものであり、重要な貢献であるということで高い評価がなされた。今後はこの均衡非存在の問題をどう捉えるかが問題になるということが指摘された。第3章は、不完備市場における超過需要関数の分解問題を大域的に解決したものであり、問題そのものはこの分野の研究者にとって既知であり結果もある程度は予想されたものである。しかし、そのような問題が今日まで解かれなかったということは、これが非常に数学的に難しい問題であることを示している。第3章はこのような難問を解決したという意味において高く評価された。今後は、spanningが退化する場合および期待効用などのより特定化された選好で、同様の結果を得ることができるかが課題となることが指摘された。第4章はfully revealingとnonrevealingな合理的期待均衡集合の次元を導出したものであり、この分野では未解決の問題を扱い肯定的に解決している。その意味で高く評価されたが、結果の経済学的な解釈があいまいであることにやや問題があることが指摘された。

 全体としては、いくつかの課題、問題点はあるがこの論文で得られた結果は国際的に高い水準にあり、博士(経済学)の学位授与に十分に値するものであるという結論に審査員全員一致で達した。

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