学位論文要旨



No 116609
著者(漢字) 竹村,俊彦
著者(英字)
著者(カナ) タケムラ,トシヒコ
標題(和) 全球気候モデルによるエアロゾルの分布及び光学特性に関する研究
標題(洋) A Study on Aerosol Distributions and Optical Properties with a Global Climate Model
報告番号 116609
報告番号 甲16609
学位授与日 2001.09.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第4059号
研究科 理学系研究科
専攻 地球惑星科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 植松,光夫
 東京大学 教授 近藤,豊
 国立極地研究所 助教授 塩原,匡貴
 東京大学 教授 高橋,正明
 東京大学 教授 中島,映至
 東京大学 教授 野崎,義行
内容要旨 要旨を表示する

 大気中の浮遊粒子状物質(エアロゾル)は、太陽・赤外放射を散乱・吸収したり(直接効果)、雲のアルベドや寿命を変化させたり(間接効果)することによって、気候システムに重大な影響を及ぼすことが指摘されている。しかし、2001年に発表された気候変動に関する政府間パネル(IPCC)の第3次報告書においても、温室効果気体と比較してエアロゾルによる気候変動の定量的評価は依然として不確定性が高い。この主要原因として、エアロゾルは分布に時間的・空間的に大きな偏りがあり、さらに様々な化学組成や粒径分布を持つため、影響評価の基礎となるモデリングが困難であったことが挙げられる。過去には1種類毎のエアロゾル分布に関するモデリング研究は数多くなされてきたが、1種類のみの取り扱いであるために期間や地点が限られている地表濃度の観測としか比較ができなかった。従って、時間的・空間的に不均一な分布をしているエアロゾルが全球規模で正確にシミュレートされたか疑問である。しかし、近年、衛星や地上観測網のリモートセンシングのデータから、エアロゾルの全球分布の様子が気候変動評価の指標に近い光学パラメータとして得られるようになってきた。従って、これら光学観測データはエアロゾルモデリングの妥当性評価に有効であるが、光学観測では様々な種類のエアロゾルの混合状態を計測している。そこで本研究では、対流圏主要エアロゾルすべてを同時に扱うことのできる全球3次元エアロゾルモデルを開発し、光学的厚さ・オングストローム指数(粒径の指標)・1次散乱アルベドの全球分布を導出した。そして、シミュレーション結果を光学観測と比較・検証し、その上で、直接効果放射強制力の定量的評価を行った。また、IPCCの最新の汚染物質排出量予測であるSRESシナリオを用いた将来のエアロゾル分布予測実験を実施した。

 本モデルでは炭素性(黒色炭素・有機物)・硫酸塩・土壌性・海塩のエアロゾルを扱う。東京大学気候システム研究センター(CCSR)/国立環境研究所(NIES)大気大循環モデルと結合しており、解像度はT42(2.8°×2.8°)、鉛直11層である。主なエアロゾル輸送過程は発生・移流・拡散・化学反応(硫黄系)・除去(雨滴との衝突・雲水への取り込み・乱流混合・重力落下)である。発生源として、炭素性エアロゾルは森林火災・化石燃料・木材燃料・農業活動・植物活動、硫黄は海洋植物プランクトン(硫化ジメチル)と化石燃料・火山(二酸化硫黄)を考慮し、年平均又は月平均値の全球分布データを与える。土壌粒子は地上10m風速・土壌水分・植生、海塩粒子は海上10m風速をパラメータとしてモデル内部で発生量を計算する。また、種類によるエアロゾルの粒径分布・吸湿成長・複素屈折率の違いを考慮した光学的厚さや太陽・赤外領域にわたる放射過程の計算を行う。本研究で示す結果は、将来予測実験を除いて、米国環境予測センター(NCEP)/大気研究センター(NCAR)の再解析データ(風速・気温・比湿)を用いてナッジングをかけながら計算したものである。

 エアロゾルの光学パラメータと直接効果放射強制力の年平均分布の計算結果を図1に示す。シミュレーションによると、アフリカ北部やアラビア半島周辺では土壌粒子が卓越しているため光学的に厚く、オングストローム指数は小さく(すなわち大粒子)、1次散乱アルベドは0.85前後と小さい。一方、アフリカ中南部や南米では森林火災の影響により、オングストローム指数は大きく、1次散乱アルベドは乾季には0.85前後となる。また、北半球中緯度では人為起源エアロゾルにより光学的に厚く、オングストローム指数は1.0から1.5程度と小さく、1次散乱アルベドは0.9前後となっている。これらの観測との比較の一例を図2に示す。光学的厚さは各地で季節変動を含めて定量的に良い一致をみている。シミュレーションでは、北半球中緯度で、従来から考えられていた人為起源硫酸塩エアロゾルの他に人為起源炭素性エアロゾルの光学的厚さも大きいことを示している(図2a)。これは近年の多くの観測結果と同等の傾向である。また、遠洋上の小さい光学的厚さも再現されている(図2b)。但し、森林火災のピークに1〜2ヶ月の差があるため(図2c)、本モデルで使用した既存の森林火災起源エアロゾル発生量データの見直しが必要であると考える。オングストローム指数に関しては、アフリカ南部雨季の光学的に薄い季節にモデルの方が大きく評価している他は観測との一致度は高い。1次散乱アルベドは北半球中緯度・遠洋・森林火災地域ではモデルで示された特徴は観測でも見られるが、砂漠域ではモデルの方が小さい値を示している(図2d)。本研究では、気象学分野一般に普及している土壌粒子の複素屈折率に関するデータベースを基に光学パラメータ及び放射過程の計算を行っているが、そのデータベースの太陽放射吸収の部分が過大ではないかという指摘が最近なされてきている。本モデルと観測との相違もこの指摘と一致しており、土壌粒子の吸収係数に関する詳細な検証が今後必要である。検討課題は残るものの、主要エアロゾル混合状態の全球分布をシミュレートし、各光学パラメータに対する観測との比較・検証を行ったことが本研究の特色の1つであり、これにより問題点も明確になった。

 図1dには、モデルにより計算されたエアロゾルの直接効果放射強制力の分布を示す。全球的には負の強制力の地域が多いが、砂漠域やチベット・極域では地表アルベドが高いことと吸収性エアロゾルの存在のために正の強制力となっている。但し、土壌粒子の1次散乱アルベドのモデルと観測との相違から、砂漠域での正の強制力は過大評価である可能性がある。また、アフリカ中南部周辺の海域では流出した森林火災起源エアロゾルが雲により多重散乱された放射を吸収するため正の強制力であると計算された。1次元放射モデルを用いた感度実験によると、炭素性エアロゾルや土壌粒子といった吸収性エアロゾルの場合には、エアロゾル層と比較して雲層が相対的に低くなるにつれて、また雲水量が多くなるにつれて、多重散乱光の吸収が強まって正の強制力が大きくなることが示された。一方、太陽放射をほとんど吸収せずに散乱する硫酸塩エアロゾルや海塩粒子の場合には、雲水量が多くなると入射する太陽光が減少して負の強制力が弱まることも示された。従って、エアロゾルの直接効果を評価する際には、適切な雲の3次元分布を使用することが重要であると示唆される。

 図3には本研究とIPCC(2001)による直接効果放射強制力の全球平均値を示す。エアロゾル光学パラメータの観測との比較・検証を行った上で直接効果を評価した本研究では、人為起源の放射強制力が-0.19Wm-2と計算された。これはIPCC(2001)の下限に近い値であり、エアロゾル直接効果による負の強制力は、これまで考えられたきた平均値の半分以下である可能性を示した。

 また本研究では、IPCCのSRESシナリオによる汚染物質排出量予測を用いた将来のエアロゾル分布予測実験を行った。SRESには大別して4つのシナリオ(A1,A2,B1,B2)があるが、そのうち人為起源汚染物質排出量が最大に予測されているA2シナリオと最小のB1シナリオを使用したシミュレーションを2000年から2050年の10年毎に実施した。また、SRESには炭素性エアロゾルのデータが含まれていないために、CO2の排出量を基に新たに作成した。さらに、特に東アジア大陸を発生源とする汚染物質の影響を評価するため、当該地域の排出をマスクした実験も行った。実験の結果、50年後には炭素性エアロゾルは世界各都市で増加、一方、硫酸塩エアロゾルはヨーロッパ・北米では減少するもののアジア域では今後の経済発展に伴い増加すると予測された。光学的厚さは、A2シナリオに基づいたシミュレーションによると、ヨーロッパや北米では現在値からの変化は小さいがアジア域では顕著に増加し、東シナ海では年平均値が2000年には0.4であるが、2050年には1に近くなると計算された。また、北半球中高緯度での1次散乱アルベドは現在よりも小さくなると計算され、エアロゾルの直接効果による地球大気の放射収支への寄与が徐々に変調する可能性を示唆した。日本でも50年後には、炭素性エアロゾル濃度は2〜3倍、硫酸塩エアロゾル濃度や全エアロゾル合計の光学的厚さは2倍程度になる可能性があると予測された(表1)。実験結果は、日本における大気エアロゾルの将来増加の主要原因は東アジア大陸起源の物質であることを示しており、越境汚染による大気環境の悪化及び気候変動を無視することはできない段階にすでに入っていることを示唆している。

 気候システムに対するエアロゾルの影響に関して、今後は間接効果の研究を推進していく必要がある。IPCC(2001)においても間接効果の放射強制力の評価は0〜-2Wm-2と研究者間で評価が大きくばらついているのが現状である。これはエアロゾルと雲粒子の微物理的な相互作用に未知の部分が多いことが主要原因であると考えられる。観測・モデル両面からのアプローチにより間接効果の不確定性が減少していくことが望まれる。

図1 シミュレートされたエアロゾルの(a)光学的厚さ(0.55μm)(b)オングストローム指数(c)1次散乱アルベド(可視)(d)直接効果放射強制力の年平均分布

図2 エアロゾルの光学的厚さ・オングストローム指数・1次散乱アルベドの月平均値とAERONETとの比較(a)北米中部(b)北大西洋(c)アフリカ南部(d)サハラ西岸

図3 エアロゾル直接効果による全球平均放射強制力

表1 シミュレートされた2000年,2050年(A2),2050年(B1)の日本におけるエアロゾル濃度及び光学的厚さ(0.55μm)の年平均値と大陸排出起源の占有比

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は5章からなり、組成の異なるエアロゾルの分布を発生源、輸送過程、変質、除去過程を考慮したモデルでシミュレーションし、その光学的特性や太陽・赤外領域にわたる放射過程の計算を行い、エアロゾルの直接効果放射強制力を評価する研究が述べられている。各章の概要を以下に示す。

第1章

 大気中の浮遊粒子状物質(エアロゾル)は、太陽・赤外放射を散乱・吸収したり(直接効果)、雲のアルベドや寿命を変化させたり(間接効果)することによって、気候システムに重大な影響を及ぼすことが指摘されている。しかし、2001年に発表された気候変動に関する政府間パネル(IPCC)の第3次報告書においても、エアロゾルによる気候変動の定量的評価は依然として信頼度が低い。そこで、本研究では、対流圏主要エアロゾルすべてを同時に扱うことのできる全球3次元エアロゾルモデルを開発し、主に近年得られ始めた衛星や地上からの光学観測との比較を詳細に実施しながら定量的に妥当なシミュレーションを行う。

第2章

 本研究で開発したモデルは、大気大循環モデル(CCSR/NIES AGCM)をベースに、炭素性(黒色炭素・有機物)・硫酸塩・土壌性・海塩の各エアロゾルの輸送・放射過程を取り扱う。主な輸送過程は発生・移流・拡散・化学反応(硫黄)・湿性沈着・乾性沈着・重力落下である。放射過程では、エアロゾルの粒径分布・吸湿成長・複素屈折率の種類毎の違いを考慮した光学的厚さ・オングストローム指数を計算する。

 シミュレーション結果は、光学的厚さの観測結果と比較して妥当なものであることが確認された。アフリカ北部やアラビア半島周辺では土壌粒子が、アフリカ中南部やアマゾンでは森林火災起源の炭素性エアロゾルが卓越して光学的に厚い。衛星観測によると、サハラ西岸の大西洋で光学的厚さが最大となる緯度に季節変動が見られるが、これはサハラダストだけではなくアフリカ中部の森林火災起源エアロゾルを考慮すると説明できることが本研究で示された。また、北半球中緯度では、従来から考えられてきた人為起源硫酸塩エアロゾルの他に、人為起源炭素性エアロゾルを考慮することによって観測値に近い光学的厚さが得られることが分かった。硫酸塩と炭素粒子の光学特性は大きく異なることから、炭素粒子の重要性が示されたことで、気候変動評価にも影響することが考えられる。

 本章は、本人が第1著者であるJ. Geophys. Res.に掲載された論文に加筆・修正を行ったものである。投稿論文の共著者は、岡本創(東北大学大学院理学研究科)、丸山祥宏(富士通株式会社)、沼口敦(元北海道大学大学院地球環境科学研究科・故人)、日暮明子(国立環境研究所)、中島映至(東京大学気候システム研究センター)である。土壌粒子の輸送過程のモデリング以外は本人が中心となってモデルを構築し、論文も本人が執筆した。

第3章

 本章では、まず、エアロゾルの1次散乱アルベドをシミュレーションし、観測との比較を行った。光学的厚さと1次散乱アルベドという重要な光学パラメータを観測と比較した後、太陽・赤外領域にわたって放射過程を計算し、エアロゾルの直接効果による放射強制力の算出を行った。全球的には負の放射強制力の地域が多いが、砂漠域やチベット・極域では地表アルベドが高いことや吸収性エアロゾルの存在のために正の強制力となった。但し、標準的な複素屈折率を用いているにもかかわらず土壌粒子の太陽放射吸収が観測と比較して過大となっていることから、砂漠域での正の強制力は過大評価の可能性があり、今後の検討課題である。また、アフリカ中南部から放出される森林火災起源エアロゾルの放射強制力は、雲水量や雲の鉛直分布により正にも負にもなり得ることが示された。本研究による人為起源エアロゾルの直接効果による全球平均放射強制力は-0.19W/m2と計算され、IPCCによる最新の評価(-0.5W/m2)よりも冷却効果が小さいという結果となった。

 本章は、本人が第1著者であるJ. Climateにほぼ受理される状況の論文に加筆・修正を行ったものである。投稿論文の共著者は、中島映至(東京大学気候システム研究センター)、O. Dubovik,B. N. Holben,S. Kinne(NASA/GSFC)である。GSFCの3名から観測値の提供を受けた他は、シミュレーション・論文執筆共に本人が行った。

第4章

 IPCCによる最新の汚染物質排出量予測であるSRESシナリオを用いて将来のエアロゾル分布予測実験を行った。その結果、今後数十年間で大気中の炭素性エアロゾルは世界各都市で増加し、特にアジア域での増加率が高いことが示された。また、硫酸塩エアロゾルはヨーロッパや北米では減少傾向であるが、東アジアでは今後も増加していくことが示唆された。東アジアでの今後の経済発展に伴い、日本でのエアロゾル濃度も越境汚染により増加する可能性があり、近隣諸国との包括的な環境対策の必要性を指摘した。

 本章は、本人が第1著者であるJ. Meteor. Soc. Japanにほぼ受理される状況の論文を引用したものである。投稿論文の共著者は、中島映至(東京大学気候システム研究センター)、野沢徹(国立環境研究所)、青木一真(北海道大学低温科学研究所)である。グリッド化された排出量分布と観測値の提供を受けた他は、シミュレーション・論文執筆共に本人が行った。

第5章

 本研究のまとめとエアロゾル間接効果の定量的評価研究の重要性を記述した。

 なお、2章、3章、4章は共著として公表されているが、論文提出者が主体となって執筆したもので、論文提出者の寄与が十分であることと判断する。

 したがって、博士(理学)を授与できると認める。

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