学位論文要旨



No 116611
著者(漢字) 藤川,元治
著者(英字)
著者(カナ) フジカワ,モトハル
標題(和) 山頂高度における宇宙線の新しい測定
標題(洋) New Measurement of Cosmic-Rays at Mountain Altitude
報告番号 116611
報告番号 甲16611
学位授与日 2001.09.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第4061号
研究科 理学系研究科
専攻 物理学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 早野,龍五
 東京大学 教授 梶田,隆章
 東京大学 教授 鈴木,洋一郎
 東京大学 教授 川崎,雅裕
 東京大学 助教授 相原,博昭
内容要旨 要旨を表示する

 地球大気に入射した一次宇宙線は大気との相互作用によってバリオンや中間子といった粒子を作り出し、これらは「二次宇宙線」と呼ばれる。この二次宇宙線の各種高度(各種大気厚さ)における流束は運動力学や断面積から計算することができる。したがって、二次宇宙線を測定して理論計算の検証を行い、二次宇宙線の大気発展を理解することは重要である。

 一次宇宙線に極微量に含まれる反陽子の大気頂上におけるエネルギースペクトルを測定することは、その生成源および銀河内での伝搬を理解する上で重要である。そのため、多くの気球実験が行われているが、大気頂上での一次宇宙線反陽子のエネルギースペクトルを決定するには、大気によって生成された二次反陽子のバックグラウンドを補正しなければならない。この補正は各種理論計算に基づいて行われているが、気球実験では大気の厚さが少ないために二次反陽子が少なく、モデルによる違いが顕著に現れないために気球実験自身によってモデルの検証を行うことができない。従って、山頂高度において反陽子を観測することによってモデルの検証がはじめて可能となり、一次反陽子のエネルギースペクトラムの精密決定に大きく寄与することができる。

 我々は大気頂上および海抜0mにおいては十分な統計量で宇宙線を観測でき、実際にこれを行ってきた。しかし、その他の高度においては、現在のところ非常に少ない統計量の観測しかない。これは、気球上昇中の数時間という非常に短い時間で観測したデータしかないためである。従って、山頂高度において長時間にわたって行った高統計量の観測結果は、宇宙線と大気の相合作用の解明に大きな役割を果たす。

 BESS(Balloon-borne Experiment with a Superconducting magnet Spectrometer)測定器は薄肉超伝導マグネット、精密な軌跡検出器、高速なデータ収集系といった加速器技術を応用して作られており、宇宙線の観測に非常に優れている。BESS実験ではこれらの利点を生かして、気球実験のみならず、地上においても宇宙線の観測を行ってきており、実際にμ粒子や反陽子の流束を測定している。海抜0mにおいては、BESS測定器の大立体角にもかかわらず、反陽子については3イベントしか発見できていない。これは地表においては反陽子の流束が非常に少ないためである。しかし、山頂高度であれば、流束は1〜2桁増えるため、理論計算の検証に十分な統計量の反陽子を観測することができる。

 以上の考察を行い、BESS測定器を用いた山頂高度における宇宙線観測を計画し、宇宙線研究所附属乗鞍観測所において1999年9月に約二週間にわたる実験を行った。観測所は海抜2770m、実験時の平均気圧は743g/cm2であった。

 解析の結果、陽子および反陽子について図1、2のエネルギースペクトルを得ることができた。

 我々の得た陽子のエネルギースペクトルは、過去の実験および理論計算と良く一致している。

 山頂高度における反陽子の観測は、過去に3イベントしかなかったが、我々は110イベントを観測し、統計量を大幅に増進することができた。

 我々の得た反陽子の流束を過去の実験と比較してみると、同様の大気厚さで測定したにもかかわらずG.H.Sembroskiの結果は、我々よりも1〜2桁大きい。これは、μ−を反陽子と誤認したためと考えられる。

 低エネルギー領域に目を向けると、BESSによって1995年に測定された海抜0mでの反陽子流束と、本実験で得られた結果が逆転している。しかし、双方とも統計量が非常に少ないため、詳細な議論をすることができない。

 H.B.Barberは、測定器より上方100g/cm2にある陽子によって反陽子流束を大雑把に計算しているので、我々の観測結果と大きく違う。

 T.BowenとS.A.Stephensの計算は、ともに平坦なスペクトラムを予言しており、低エネルギー側で後者が少し落ち込んでいる。これは、T.Bowenの計算に比べS. A. Stephenの計算により多くの考慮がなされていることに起因する。

 我々の実験結果は、1GeV以上の領域においては計算結果を支持しているが、低エネルギー領域においては計算値との食い違いが大きい。この原因は、計算が一次元に近似して行われていることにある。つまり、低エネルギーの粒子ほど現実には散乱によってより厚い大気を通過しているにもかかわらず、一次元計算ではこの効果が無視され、流束を押し上げてしまっているのである。したがって、特に低エネルギー領域における反陽子の流束を計算するには、三次元の効果を取り入れなければならないといえる。

図1:山頂高度における陽子のエネルギースペクトル。

図2:山頂高度における反陽子のエネルギースペクトル。

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は、宇宙線研究所附属乗鞍観測所(海抜2770m)に、超伝導電磁石を用いた磁気スペクトロメター(BESS : Baloon-borne Experiment with a Superconducting magnet Spectrometer)を設置し、山頂高度における陽子及び反陽子のエネルギースペクトルを測定した結果をまとめたものである。

 BESS測定器は薄肉超伝導マグネットと軌跡検出器(ジェットチェンバー)を用いた精密な運動量測定と、飛行時間差による高い粒子識別能力を有している。これを気球によって大気上空に打ち上げ、これまでに、宇宙線スペクトル、特に宇宙線に極微量に含まれる反陽子スペクトルの測定が行われてきた。

 宇宙から地球に飛来する宇宙線(一次宇宙線)に含まれる反陽子は、主として高エネルギー陽子と星間物質の衝突で生成されるが、この過程からは1 GeV以下の低エネルギー反陽子は生じにくいことが知られている。したがって、低エネルギー反陽子の収量が星間物質による生成からの予想よりも多いことが示されれば、暗黒物質や初期宇宙など、他の反陽子生成過程の存在を示唆し、興味深い。

 ところで、地球大気に入射した一次宇宙線は大気との相互作用によって「二次宇宙線」を生成するため、一次宇宙線反陽子のエネルギースペクトルを決定するには、その寄与を補正する必要がある。この補正は各種理論計算基づいて行われているが、気球実験では大気の厚さが少ない(5g/cm2)ためにモデルによる違いを検証するほどの統計精度を得ることが困難である。

 そこで論文申請者らは、乗鞍山頂(大気厚さ743g/cm2)にBESS測定器を設置して反陽子スペクトルを高統計で観測し、これと理論計算結果との比較を行った。山頂高度で観測される反陽子は事実上すべて二次宇宙線反陽子であり、このスペクトルの理解は、一次反陽子のエネルギースペクトルの精密決定に寄与する。

 測定は論文申請者を中心とするグループによって約2週間にわたって実施された。収集されたデータに、飛跡再構成・運動量決定・飛行時間差測定・粒子識別をほどこし、陽子および反陽子のエネルギースペクトルを得た。

 陽子のエネルギースペクトルは、過去の実験と良く一致した。反陽子については、過去に同様の山頂高度で3事象観測された例があるだけだが(Sembroskiら)、論文申請者らは110事象を観測し、統計量を大幅に増やすことに成功した。得られた流束をSembroskiらの結果と比較してみると、過去の方が1〜2桁大きい。これは、過去の測定では粒子識別能力が不十分で、陽子を反陽子と誤認したためと考えられる。

 測定された陽子スペクトルと理論計算(Barber,Bowen)を比較すると、どの計算も測定結果と良い一致を示す。一方、反陽子スペクトルについては、エネルギー1 GeV以上の領域で測定結果と計算はほぼ一致するものの、それ以下の領域では、計算値の方が大きく、食い違っている。

 論文申請者は、この原因が、理論計算が大気中の宇宙線の伝搬を一次元に近似して行なっている為であると考えた。つまり、低エネルギーの粒子ほど現実には散乱によってより厚い大気を通過している(したがって反陽子は吸収・消滅している)にもかかわらず、一次元計算ではこの結果が無視され、低エネルギーでの反陽子流束を押し上げてしまっているのである。

 このことを確認するため、論文申請者は三次元的な伝搬を解析的に取り入れたモデル計算、及び高エネルギー物理実験で標準的に使われている粒子反応・輸送のモンテカルロ・シミュレーション(GEANT)を行った。その結果、三次元効果を取り入れた計算は陽子の天頂角分布を正しく表し、また、反陽子のエネルギースペクトルについても、一次元計算よりも測定値に近い結果を出せることを示した。

 以上のように、論文申請者はこれまで使われてきた二次宇宙線生成・伝搬のモデルが、特に低エネルギー反陽子の流束に関しては不十分であることを見出し、その原因とモデル改良の方向を示した。

 この研究は高エネルギー物理学研究機構の山本明教授をはじめとするBESSグループのメンバーとの共同研究であるが、乗鞍観測所における測定装置の設置、データ収集、データ解析及び解釈に関して、論文申請者本人の寄与が十分であると判断する。

 したがって、博士(理学)の学位を授与できると認める。

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