学位論文要旨



No 116612
著者(漢字) 志風,義明
著者(英字)
著者(カナ) シカゼ,ヨシアキ
標題(和) 太陽磁場の反転期における低エネルギー宇宙線陽子・ヘリウムスペクトルの精密測定
標題(洋) Precise Measurements of Low Energy Cosmic-Ray Proton and Helium Spectra following a Solar Field Reversal
報告番号 116612
報告番号 甲16612
学位授与日 2001.09.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第4062号
研究科 理学系研究科
専攻 物理学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 中畑,雅行
 東京大学 教授 牧島,一夫
 東京大学 教授 寺沢,敏夫
 東京大学 助教授 須藤,靖
 東京大学 教授 梶田,隆章
内容要旨 要旨を表示する

 宇宙から地球に降り注ぐ宇宙線の約90%は陽子、約10%はヘリウムが占めている。従って、宇宙線陽子・ヘリウムの流束やエネルギースペクトルは、宇宙線物理学に於いて最も基礎的かつ重要な基本量である。エネルギースペクトルの形は、宇宙線の源の情報や伝播過程の歴史を含んでいる。また、太陽活動の変動の影響を受けて変化する低エネルギーに於ける流束は、惑星間空間での宇宙線伝播を理解するために不可欠となる情報である。

 宇宙線陽子・ヘリウムのエネルギースペクトルは、過去にも幾つかのグループによって測定されてきた。ところが、与えている流束の絶対値はグループによって差異が大きい。この宇宙線陽子・ヘリウムのエネルギースペクトルを正確に決定することが必要不可欠である。

 太陽活動による宇宙線強度に対する影響(solar modulation)は約10GeV以下に現れ、低エネルギー側ほどその影響の度合が大きい。特に1GeV以下のエネルギー領域は太陽活動の周期による経年変化を調べる上で非常に興味深い領域である。一方、1GeV以下のエネルギー領域においては大気による2次生成陽子の割合がエネルギーの低下に伴い急増し、その割合の見積りが補正後の結果に大きく影響する。その補正に広く利用される計算も太陽活動極大期と極小期に対してしか行われていない。また、その計算自体の信頼度も充分には検討されていない。このため、中間期も含めた宇宙線強度の推移についての研究に困難があった。

 本研究では太陽活動の極小期から極大期へかけて同一測定器で収集した連続観測データを基に、BESS(Balloon-borne Experiment with a Sperconducting Spectrometer)実験の気球上昇中に各高度で得られた低エネルギー陽子データとの比較により、

[1]大気による2次生成陽子に関する数値計算を評価し、大気頂上での宇宙線陽子流束の信頼度を向上させ、

[2]同一の系統誤差を含むという観点からデータとして一貫性のあるsolar modulationの1次宇宙線陽子・ヘリウムに対する影響を経年変化として示す、

ことを目的としている。その結果、BESS実験で精密観測されている反陽子と合わせて、長らく望まれていた反陽子/陽子の比の経年変化を、特に、太陽磁場の極性がプラス期からマイナス期へ反転する2000年の太陽活動極大期において観測し、charge dependent solar modulationのデータを与えることを目的とする。

 過去の測定で用いられた測定器は、宇宙線の飛跡を記録できる領域が狭く、測定点も少いという弱点を持っていた。このために、測定器に入射した粒子が測定器中で相互作用を起こしてしまうと、解析の段階で見つけ出すことが難しく、大きな系統誤差を含んでいる恐れがあった。

 宇宙線中の反粒子観測を目的とするBESSグループでは、宇宙線中の荷電粒子を観測するために、大気の影響の少い高空へ大型気球を用いて打ち上げることのできる超伝導ソレノイド型スペクトロメータBESSを開発した。BESS測定器(図1)は、薄肉超伝導ソレノイドを使用することによってほぼ均一な強磁場を作り出し、その中に置かれたドリフト・チェンバーによって宇宙線粒子の磁気硬度(magnetic rigidity)を精密に測定することが可能である。BESS測定器の最大の特徴は、飛跡を記録できる磁場が均一な領域が広いことと、飛跡を記録する点が最大で28点に及ぶことである。この特徴を生かして、磁気硬度の絶対値を正確に測定することが可能である。また、チェンバー出力信号の記録には、出力波形を記録できるフラッシュ型ADCを用いているために、検出器内で宇宙粒子線が反応を引き起こし、複数の飛跡を残したとしても識別は容易である。また、同軸円筒状に配置した検出器は面積立体角を正確に見積もることが容易である。これらの特徴により、系統誤差を小さく押えることが出来る。さらに、大きな面積立体角は高速のデータ収集システムと相俟って、一日の飛翔実験で約一千万事象もの膨大な情報を記録することを可能にし、統計誤差も小さくできる。

 BESS測定器(図1)の立体角は過去の同種の測定器に比較して数十倍を有している。その大立体角に対応した高速データ収集システムは測定器内のチェンバーを通過する粒子のヒットパターンや飛跡の曲率及びプラスチックシンチレータでのエネルギー損失の情報を基に記録すべきイベントかどうかを予めプログラムされた記録方針に従ってオンラインで判断し記録するようになっている。これを利用して、気球上昇時に低エネルギー陽子に重点をおいてデータ収集することにより、大気での2次生成陽子の補正計算の評価に重要な低エネルギー側で統計精度の大幅な向上が達成された。

 1997年から2000年の4年間に渡り、地磁気の影響の少い北磁極近くのカナダ北部、Lynn Lake((56°48'N, 101°25'W)、rigidityのカットオフ=0.4GV)において4回の飛翔実験を行った。浮遊高度は上空36kmに達し、残留大気は5g/cm2以下であった。4回の飛翔実験で記録した総事象数は、7.1×107にのぼった。1999年からは気球上昇中の限られた時間内に低エネルギー陽子のデータが効率良く得られている。

 データ解析に於いては、入射粒子の測定器中の物質との相互作用による散乱や二次粒子の生成により起こり得る粒子の誤認を防ぐため、幾つかの条件を課して事象を選別した。

 条件を通過した事象については、粒子のシンチレーションカウンタ内に於けるエネルギー損失や粒子の速度対磁気硬度の分布は図2のようになる。図中に示した点線は、陽子を選び出すために施した選別条件を示している。

 また、99年に測定された各高度での陽子のエネルギースペクトルを利用して数値計算との比較により大気での2次生成陽子成分を評価した。

 数値計算は、Papini et al.で用いられている連立輸送方程式により行った。連立輸送方程式では、電荷2以上の重粒子をそれと等価なヘリウムとしてヘリウム的に扱い、ヘリウム、1次陽子、2次陽子、2次中性子の4種類について天頂角成分を0度から85度までの5度刻みで18区分することで72の連立輸送方程式を構成している。連立輸送方程式をRunge-Kutta法で解くことにより、観測される陽子のエネルギースペクトルを算出できる。この計算では、2次陽子は、電荷2以上の重粒子からの寄与、エネルギーの高い粒子からの寄与、重粒子のspallationからの寄与、及び、recoilやevaporationからの寄与が考慮されている。

 この論文では、Papiniの計算方法の精度を確認するために大気深度5g/cm2での陽子のエネルギースペクトルをインプットとして計算を20g/cm2まで行った。計算で得られた陽子のエネルギースペクトルと99年の上昇中の測定で得られた各高度での陽子のエネルギースペクトルとの比較からこの計算方法の精度を5g/cm2の変化に対して5%以内で観測値を再現していることを確認した。

 大気頂上でのスペクトルを求めるために、5g/cm2でのスペクトルを再現するように、大気頂上でのスペクトルを動かしつつ繰り返し計算を行った。その際、大気頂上でのスペクトルをエネルギーで細分化し、そのデルタ関数的インプットに対するレスポンス関数を組合わせることで計算を簡略化した。

 2次ヘリウムについては、空気核からのrecoilの寄与と宇宙線C/N/Oと空気核との相互作用で生じるfragmentationの寄与が考えられるが、前者については、過去の宇宙線の原子核乾板を用いた実験結果により、2次ヘリウムと2次陽子との生成比が100MeV/n以上で約0.01でほとんど変化しないといえることから、得られた2次陽子の結果を用いて求まる。宇宙線C/N/Oと空気核との相互作用からの寄与については、multiplicityとcross sectionから輸送方程式を用いて計算した。

 こうして得られた宇宙線陽子・ヘリウムのエネルギースペクトルをそれぞれ図3・4に示す。また、横軸をKinetic EnergyやRigidityにしてのヘリウム対陽子比の経年変化が得られた。rigidity横軸で見た時の比に変化が見られないことは、同じRigidityつまり同じ曲率半径を持つ粒子ならば、太陽活動によるrigidityスペクトルの変化の割合が粒子の種類に依らないことを示しており、モジュレーションがrigidityによって支配されていることを示すデータであると言える。

 4年間に測定されたエネルギースペクトルは、太陽活動の影響を受けにくい高エネルギー領域では、統計誤差の範囲内で良く一致している一方で、低エネルギー領域では、太陽活動の変化の影響を受けて流束が変化する様子が見られる。特に、太陽活動極大期で太陽磁場の極性がプラス期からマイナス期へ反転した2000年のデータは大きな変化を示している。

 図5は、Bieberらがcharge dependent solar modulationモデルで予言した反陽子と陽子の強度(上)、及び、反陽子/陽子の比(下)のtilt angle依存性を示し、極大期かつ反転期の2000年には、陽子強度の急激な減少が予言されていた。本論文では、Bieberら予言した太陽磁場の極性反転期における陽子流束の急激な変化を観測で確認した。

 現在解析中のBESS実験で同時観測された反陽子のデータと合わせて、反陽子/陽子比の経年変化を追うことにより、charge dependent solar modulationモデルの詳細な議論をするための基盤となる重要なデータを提供した。

図1:BESS測定器。超伝導ソレノイドの内外に磁気硬度測定用ドリフトチェンバー(JET Chamber)、トリガー用ドリフトチェンバー(Inner/Outer Drift Chamber)、粒子速度・エネルギー損失測定用シンチレーションカウンタ(TOF Counter)を同軸円筒状に配置した、大立体角・高精度のスペクトロメータ。

図2:(a-1,2):測定器上部(a-1)・下部(a-2)のシンチレーションカウンタにおけるエネルギー損失(dE/dx)と磁気硬度(Rigidity)の分布。

(b):速度の逆数(1/β)と磁気硬度(Rigidity)の分布。

図3:BESS測定器で測定した宇宙線陽子のエネルギースペクトル

図4:BESS測定器で測定したヘリウムのエネルギースペクトル

図5:Bieberによって予言された反陽子と陽子の強度(上)、及び、反陽子/陽子の比(下)のtilt angle依存性

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は、BESS測定器を用いて宇宙線陽子、ヘリウムのエネルギー分布を広いエネルギー範囲に渡って精度良く測定したという内容である。測定は、1997, 1998, 1999, 2000年の4回行われ、エネルギー範囲は、0.185GeV/核子から29.3GeV/核子までと極めて低エネルギーの領域も含む。この低エネルギー領域では、太陽活動による変動を強く受ける。実際、太陽活動の影響に伴う陽子、ヘリウム強度の変化が観測されている。特に、2000年は、太陽活動の極大期にあたり、他の年に比べて大きな変化が見られる。太陽活動による宇宙線強度の変化については、系統的に測定したデータが乏しく、同一の実験装置を用いて、高統計で測定した本論文の結果は、新しい知見を与えるものである。太陽活動による宇宙線変動を説明するモデルとして、Bieberらによるcharge dependent modelがあるが、反陽子と陽子の強度変化については、過去のデータがなくBESS測定器のみがそのモデルを議論することができる。反陽子と陽子の比を議論するためには、まず陽子のスペクトルについて、精度の良い測定が必要である。本論文では、このために陽子、ヘリウムのスペクトルを系統的に評価し、求めたものである。

 論文は8章からなり、まず第1章は、陽子、ヘリウムの低エネルギー領域でのスペクトル測定の意義について書かれている。また、その測定のためには、1次宇宙線が大気中で作る2次的な陽子、ヘリウムについて補正をする必要があり、過去の実験ではそれを正確に見積もったものはなかった。本論文では、それについて詳しく議論するということが書かれている。第2章は、BESS測定器の詳細について書かれている。装置の各部分の説明、分解能などの性能について、物理結果を出すためのエネルギー分解能、粒子識別能力について書かれている。特に、BESS測定器は、高エネルギー粒子衝突実験で用いられているような高性能の機器を備えている。薄型の超伝導磁石により、1.2テスラのソレノイド型磁場を作り、中央のジェットチェンバー、ドリフトチェンバーにより、精度良い粒子軌跡を測定する。Time of Flight(TOF)カウンターにより、粒子の飛行時間、エネルギー損失を測定する。これらの情報により、陽子、ヘリウム、電子、ミュー等の粒子識別を容易に行うことができる。論文提出者自身は、特にこのTOFカウンターの改良に実験のハードウェア面で寄与している。第3章では、各年に取られたデータの状況について書かれている。第4章では、データからどのような方法により、陽子、ヘリウムを選び出したかについて書かれている。エネルギー損失、粒子速度(1/β)、粒子の軌跡再構成にまつわる質的なカットを施して、陽子、ヘリウムを選択している。第5章では、装置の直上における陽子、ヘリウムのエネルギースペクトルを求める方法について書かれている。装置内部で実際に観測したスペクトルは、測定器のトリガーの影響、各種カットの影響を受けたものである。それらの効率を注意深く補正して、測定器直上部でのスペクトルを得ている。このスペクトルを大気直上(つまり、宇宙線が地球の大気に入る直前)のスペクトルに焼き直すためには、2次粒子の補正が必要である。第6章では、この2次粒子の補正をどのように行ったか、それの正当性をどう評価したかについて書かれている。実際には、1999年に取得した気球上昇中のデータを使い、水平飛行中の約5g/cm2約のデータをベースにして上昇途中の10g/cm2のデータを評価した。それが約5%以内の精度で再現されており、2次粒子効果による系統誤差を5%以下まで抑えたスペクトル測定を可能にした。第7章では、得られた大気上空でのスペクトルの系統誤差のまとめを行い、過去の実験との比較を行った上で、太陽変動を記述するspherically symmetric diffusion-convection modelやcharge dependent modelとの比較を行っている。spherically symmetric modelのForce Field approximationでは、太陽変動をあるpotential energyのようなもので記述することができ、それを仮定して星間での陽子、ヘリウムのスペクトルを求めた。また、charge dependent modelでは、2000年の太陽活動極大期に際して、急激な陽子強度の変化を予想するが、実際、この論文で得られたスペクトルは2000年に急激な減少を確認した。

 本論文が使用したBESS実験は、高エネルギー加速器研究機構山本 明氏らとの共同研究ではあるが、本論文での解析はすべて論文提出者が行ったものであり、また論文提出者はこの実験の建設やデータ取得に主体的に参加してきており、論文内容に対する論文提出者の寄与が十分であると判断される。

 したがって、博士(理学)の学位を授与できると認める。

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