学位論文要旨



No 116616
著者(漢字) 千秋,博紀
著者(英字)
著者(カナ) センシュウ,ヒロキ
標題(和) 火星の初期熱史、コア形成、テクトニクス
標題(洋) Early Thermal History, Core Formation, and Tectonics of Mars
報告番号 116616
報告番号 甲16616
学位授与日 2001.09.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第4066号
研究科 理学系研究科
専攻 地球惑星科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 阿部,豊
 東京大学 助教授 佐々木,晶
 東京大学 教授 水谷,仁
 東京大学 教授 松井,孝典
 東京大学 教授 栗田,敬
内容要旨 要旨を表示する

 火星は月に続き惑星科学者の興味を惹いてきた天体である.火星表面の画像が1964年にマリナー4号によって得られて以来,現在までに14機の探査機が火星に到着,もしくはその近くを通過し,火星を研究する上で有益なデータをもたらしている.特に,火星の表面地形に関しては非常に詳細なデータが得られており,その精度は我々が地球について持っているデータを凌ぐ程である.

 火星の地図をみるとすぐに気がつくのが,南北の非対称性である.南半球は多くのクレータに覆われ,起伏が激しいのに対し,北半球は非常に滑らかである.これは地形が形成されてからの年齢を反映しているものと考えられる.正確な年齢はわからないが,南半球には隕石重爆撃期の地質情報がまだ残されていると考えられる.北半球の平均高度は南半球に比べて数km低く,かつてはここに海が存在したのではないか,と考えられている.南北の半球の境には沈み込み帯は見付からないため,この二極性はプレートテクトニクスの結果形成されたとは考えにくい.

 大きな火山が幾つも存在していることも火星の特徴のひとつである.火星ではプレートテクトニクスが働かなかったために大きな火山を形成しやすかったのかも知れない.火山地帯にはあまり多くのクレータが見られないことから,火星では,最近まで火成活動が続いていたと考えられる.質量が地球の1/10しかない火星で,太古の地質情報を残しつつタルシスのような大規模な火山地形を形成していたということは,何らかの特殊な熱源を考えなければ説明がつかない.

 一方,火星の内部構造については実はまだあまり良くわかっていない.地球の場合には複数の経路についての地震波の解析から内部構造が推定されているが,火星ではまだ複数地点での地震波の観測は行なわれていない.火星が起源であると言われているSNC隕石は唯一我々が現在直接手にすることのできるサンプルだが,SNCに分類されている隕石もたかだか18個に過ぎない.火星の内部構造に関係して唯一得られているデータは,慣性能率である.Folkner et al.(1998)によれば現在の火星の慣性能率は0.366×MR2(MとRはそれぞれ現在の火星の質量と半径)である.この値は火星の中心に密度の大きな金属コアが存在していることを示唆している.

 コアがいつ,どのようにして形成されたのかは初期熱進化に依存する.金属とシリケイトが重力的に分離するためには一度,シリケイトが融ける程の高温を経験しなければならないからである.この熱源の候補としては,集積エネルギーと放射性核種の崩壊熱が考えられる.コアの形成は同時に重力エネルギーを解放する.その影響は火星表面にも及び,長期に渡る火成活動のエネルギー源になったのかも知れない.しかし現在までに,火星の初期熱進化からコア形成に至るまで統一的な研究を行なった例はない.

 そこで我々は第1部として火星の初期熱進化を、第2部として火星のコア形成過程を、それぞれ数値計算の手法を用いて研究した。第1部に於いては、コアの形成を視野に入れ、Tonks and Melosh(1996)的な重力分離を考慮に入れたモデルを構築した。第2部ではその結果を受け、集積中に原始火星内部に形成された金属層が重力不安定によって火星中深部に沈み込み、金属核を形成する様子をシミュレートした。先に述べたように金属核の形成は大きなエネルギーを解放する。解放されたエネルギーの分布には偏りがあるため、これを考慮に入れると火星の南北非対称性や赤道付近に大きく、活動期間の長い火山が形成されるこtがうまく説明される。このことは、初期熱史からコア形成に至るまでの、統一的な研究の結果始めて明らかにされたことである。以下に、第1部、第2部それぞれの手法と結果について簡単にまとめておく。

第1部:集積期の熱進化モデル

 原始火星は周囲の微惑星を集積して大きくなり、現在の大きさに至ったと考えられている。集積の際解放された重力エネルギーは衝撃波として原始火星内部を伝わり、熱として埋め込まれる。同時に、微惑星の衝突に伴うクレータ形成は周囲の物質の変形、再配置を生じる。これは熱の分配という観点からすると、物質を撹拌することに相当する。従来の地球型惑星の初期熱史モデルでは、衝突してくる微惑星が惑星内部に与える熱エネルギーの量は、微惑星のサイズ分布にしたがって平均化し、集積期の原始惑星は時間、空間的に連続して加熱されると仮定していた。しかしこのような取扱をしてしまうとクレータの変形によって原始惑星内部が撹拌される効果や、局所的に強く加熱される事によってマグマの池が形成され、そこで金属とシリケイトとが重力分離する効果について検討することができない。そこで我々は、一度毎の衝突における熱の分配を計算し、同時に金属とシリケイトとの分離も追える火星の初期熱史モデルを新たに構築した。

 我々のモデルは2つのパラメータを含む。

 ひとつは衝突してくる微惑星の最小質量である。微惑星のサイズ分布は、惑星形成論の結果から、冪乗分布で表されると仮定した。サイズ分布の全体を決定する最小質量は、惑星形成論から与えられるべき値だが、今だ不確定がある。また、もし微惑星のサイズが非常に小さかった場合には、毎回の衝突の影響を計算する事が困難になる。そこで我々はこの値をパラメータとして振ることによって、結果に与える影響を調べた。

 もうひとつのパラメータは衝突地点直下に形成される等圧核のサイズを決めるパラメータである。これは衝突実験や衝突に関する詳細な数値計算によって決められるべき値であるが、不確定性が残されているため、パラメータとして振ることにした。

 その結果、(1)集積中の火星の内部温度構造はこれらふたつのパラメータに強く依存すること、(2)集積中には金属コアが形成されないこと、(3)シリケイトから分化した金属は途中で金属層を形成すること、が明らかにされた(図1、2)。

第2部:コア形成モデル

 火星は集積中に大規模なマグマオーシャンを形成することはできない。しかし、局所的な金属の分離を繰り返した結果、内部に金属層が形成される。この構造は重力的に不安定なので、やがてレイリーテイラー型の不安定が生じ、中心の未分化部分との入れ替わりが生じると考えられる。

 我々はこのモードによるコア形成の過程をシミュレートする数値モデルを構築した。このモデルの初期条件としては、Part Iで得られた集積完了時の火星の内部構造に、放射性核種の崩壊による加熱の効果を加えたものを用いた。また、入れ替わりの際に解放される重力エネルギーによって内部が暖められる効果も考慮にいれた。

 その結果、重力不安定によって火星の金属コアが形成される場合には(1)コア形成時間はプロトコアの粘性率で決まること、(2)コア形成の最終期に至るまで波数1のモードが卓越し続けること、(3)火星の金属コアは集積後20億年近く経ってからである可能性があること、(4)プロトコアは強く加熱されつつ、惑星表面近くにまで上昇すること、が明らかにされた(図3)。

 コア形成の数値モデルで、内部の温度分布も同時に解いたものを図4に示す。これを見ると図で上側と下側とで大きな温度差が生じている。これはコアの形成モードとして波数1のモードが卓越した結果であり、現在火星に見られている南北の非対称性に相当しているのかも知れない。

 コア形成に伴って非常に大きなエネルギーが熱として解放されるが、コア形成は放射壊変によってプロトコアが暖められてから生じるため、集積の完了と分化による加熱との間に時差が生じる。このことが、タルシスのような長期に渡る大規模な火成活動を説明できる可能性がある。この場合には、一度に大量の揮発性成分が放出され、一時的な大気が形成されるだろう。

図1:微惑星の最小質量が1018kgの場合の(a)温度構造と(b)質量分布の進化。

図2:形成された金属層の位置と厚さ。

微惑星の最小質量と等圧核のサイズの関数として表される。

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は2章からなり、第1章は集積中における火星の初期熱進化について、第2章は火星の金属コアの形成と、コア形成が火星のテクトニクスに与える影響について、それぞれ述べられている。

 近年の数値的、解析的な研究によって、原始太陽形星雲からの惑星形成過程について、より明瞭な描像が得られてきた。一方で、火星探査機によって得られたデータが解析によって現在の火星像も詳細に明らかになってきた。しかし、1970年代から1980年代前半にかけて行われた火星進化の理論的研究は、既に現在の惑星集積やその後の進化の理解とは調和的ではない。1980年代後半以降、現代的な惑星形成論に基づく火星の進化研究は存在しない。現在の火星について得られたデータを解釈するうえでも、火星形成過程に何らかの制約を与えるためにも、現代的惑星形成論に基づくより現実的な進化モデルが求められている。本研究は現代的な惑星形成論に基づく、火星内部構造進化の理論的研究である。

 火星は、微惑星の集積による火星形成時の衝撃加熱イベントと、中心に金属コアが形成される際に解放される重力エネルギーによる加熱イベント、の少なくともふたつの大きな熱的イベントを経験している。論文提出者は両者について数値モデルを構築し、その結果について吟味、検討を行った。

 第1章では、火星の形成段階における内部熱構造の進化について検討している。微惑星が衝突すると、衝撃加熱によって微惑星の持っていた運動エネルギーの一部が熱として(原始)火星内部に蓄えられる。これによって、内部熱構造が進化してゆく。従来の研究と比較したときの本章の研究の最大の特徴は、微惑星の衝突による局所的な加熱の効果を考慮した点にある。衝突地点付近の局所的加熱によって熔融領域(マグマポンド)が形成され、その内部で金属はシリケイトから重力分離することが可能である。これまでの熱構造進化の研究においては、微惑星の衝突による熱的影響は時間的、空間的に平均化して考えていたため、このような局所的現象は考慮されていなかった。また、熔融に伴う金属鉄とシリケイトの分離と、それによって解放される重力エネルギーの効果も考慮されている。

 その結果、以下のことが示された。(1)火星サイズの惑星では、集積中に大規模なマグマオーシャンは形成されない。(2)局所的な加熱の効果によって、全球的な熔融が起こらなくても、金属とシリケイトは重力分離することができる。(3)しかし分離した金属は火星中心まで到達せず、ある深さで止まってしまい、金属層を形成する。金属層は中心部のプロトコアより密度が大きく、重力的に不安定であり、やがて入れ替わりを生じるはずである。

 第2章では、集積過程で形成された金属層から重力不安定によってコアが形成される過程を数値シミュレートしている。この過程では、プロトコアの粘性率が重要なパラメータである。重力不安定による火星内部の流動変形そのものに伴って、粘性散逸による熱が発生するが、その熱によって内部の温度が上がり粘性率が変化することが重要である。本章では、まず、コアの形成プロセスの全体的な特徴を掴むために粘性散逸による加熱の効果を考慮しないモデルを構築し、次に粘性散逸の加熱の効果も考慮に入れたシミュレーションを行っている。

 その結果、以下のようなことが示された。(1)プロトコアは長寿命放射性核種の崩壊熱によって温められるため、形成過程で中心部が著しく低温であった場合でも、金属コアは火星の形成後20億年以内に形成される。(2)コアの形成過程は長波長成分が卓越する。(3)コアの形成に伴う内部加熱は非対称性に分布する。

 特に(3)の内部加熱の非対称性は、現在、火星に南北非対称性が見られる理由を説明できる可能性がある。また、集積から数〜十数億年経てからコア形成に伴って解放された重力エネルギーは火星表面の巨大な火山地形の熱源になりうる。これらの結果は、今後のより詳細な検討によって、観測されている現在の火星の状況と、形成・進化過程を結びつける糸口となる可能性がある。

 なお、第1章は東京大学新領域創成科学研究科の松井教授及び北海道大学理学研究科の倉本助教授との、第2章は東京大学新領域創成科学研究科の松井教授との、それぞれ共同研究であるが、これらの研究においては論文提出者が主体となってモデル構築・実験・解析を行ったものである。

 したがって、博士(理学)の学位を授与できると認める。

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