学位論文要旨



No 116618
著者(漢字) 金,玟秀
著者(英字)
著者(カナ) キム,ミンス
標題(和) 癌原遺伝子産物Cblファミリーの機能解析
標題(洋)
報告番号 116618
報告番号 甲16618
学位授与日 2001.09.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第4068号
研究科 理学系研究科
専攻 生物化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 秋山,徹
 東京大学 教授 竹縄,忠臣
 東京大学 教授 山本,雅
 東京大学 教授 山本,正幸
 東京大学 客員教授 伊庭,英夫
内容要旨 要旨を表示する

チロシンキナーゼは受容体型・非受容体型に分けられ、正常細胞では細胞の増殖や分化、さらに免疫系や神経系での高次機能に重要である。細胞癌化において、多くの癌でチロシンキナーゼの活性が異常に上昇していることが報告されている。チロシンキナーぜを介する情報伝達経路を制御するシグナル伝達分子は今まで数多く同定されてきているが、その中で私はチロシンキナーゼシグナルを負に制御するCblファミリー分子を対象にして研究を進めた。

v-cblはマウスにpre-Bリンパ腫、pro-Bリンパ腫、骨髄性白血病を発症させるCas NS-1レトロウイルスから単離された。その細胞ホモログであるc-cblの遺伝子クローニングからcbl遺伝子は無脊椎動物から脊椎動物まで広く保存されており、研究開始当時は線虫ではsli-1、ハエではD-cbl、更にヒトではcbl、cbl-bが同定されてCblファミリーを形成していた。

Cblはその構造上、リン酸化チロシンを認識して結合するtyrosine-kinase-binding(TKB)ドメイン、RINGフィンガー、リンカードメイン、プロリン富む領域、ロイシンジッパー、ubiquitin-associated(UBA)ドメインを有する(図1)。ファミリーメンバーの間ではTKBとRINGフィンガーはすべてによく保存されているが、そのC−末端側は多様性があり、Sli-1はプロリン富む領域まで、D-Cbl(Short form)はRINGフィンガーまでを有する。

Cblは種々の細胞外の刺激(例えばEGF、PDGF、GM-CSF、抗原など)に伴って活性化される広範なチロシンキナーゼ(受容体型、非受容体型)のよい基質である。線虫の遺伝学を用いた系でCblのホモログSli-1がEGF受容体(Let-23)からのシグナルを負に制御することが示された。さらに哺乳類の系においてもCblファミリーはチロシンキナーゼを介したシグナルを抑制することが示された。その抑制メカニズムについて現在、CblファミリーはRINGフィンガー型E3ユビキチンリガーゼとして機能し、チロシンキナーゼのユビキチン化・分解を促進すると提唱されている。cbl欠損マウスでは、リンパ系組織や乳腺の過形成(hyperplasia)が見られた。またcbl欠損T細胞では、抗原受容体刺激による細胞内タンパクのチロシンリン酸化の増強、またZAP-70キナーゼ活性の上昇が見られた。最近、報告されたcbl-b欠損マウスではT細胞受容体の副シグナルであるCD28非依存的な細胞活性化が見られ、マウスは自己免疫疾患になる。しかし、CblやCbl-b欠損による異常は限られた組織・細胞でしか見られず、CblやCbl-bまたそれ以外のCblファミリー分子によって、機能相補があると考えられた。

第1章で私はCblの生理的な役割を解明する過程で、新規ヒトCblファミリー分子Cbl-cの同定及び遺伝子クローニングを行い、その機能解析を行った。

c-cblを用いてホモロジー検索を行ってみると今まで知られているファミリー以外にcblと相同性を示しているヒトESTクローンが見つかった。検索の結果、このESTクローンが新しいCblファミリー分子をコードする可能性が示唆され、cbl-cと命名した。このESTクローンを入手し、cDNAクローニングを行った。ヒト腎臓及び胎盤cDNAライブラリーのスクリーニングやオリゴ・キャッピング法を用いてヒトcbl-cの全長cDNAを単離した。その塩基配列を決定した結果、予想されるCbl-cの計算上の分子量は474アミノ酸からなる52kDaであった(図1)。Cbl-cは大腸・小腸で発現が高い蛋白質で、Cbl及びCbl-bと異なる発現を示した。ファミリー間で保存されているTKBドメイン、RINGフィンガーは50%の相同性を示すが、そのC−末端側は大きく欠失していた。その構造上Cbl-cは線虫のSli-1に類似していた(図1)。Cbl-cのC−末側にはプロリンに富む配列が見つかり、Src、PI3K p85などSH3ドメインを持つ蛋白質との結合が予想された。実際私はCbl-cと種々のSH3ドメインを持つ蛋白質(Fyn、Grb2など)との会合を示した。さらにCbl-cとFynとの細胞内での会合をみるため、293T細胞にCbl-cとFynの野生型または変異体を共発現させ、免疫沈降実験で調べた。その結果Cbl-cはFynのSH3ドメインに会合することが示された。またこれとは別にFynのキナーゼ活性に依存したFynとCbl-cとの結合様式があることがわかり、この結合はCbl-cのTKBドメインを介するものと考えられる。

これまで報告されていたCblファミリーはEGF受容体からのシグナルを負に制御していた。私は293T細胞の再構成系において、Cbl-cがEGF刺激に伴い、EGF受容体に会合し、チロシンリン酸化されることを示した。このEGF受容体との会合及びチロシンリン酸化はSli-1の機能減弱変異に相当する変異(G276E)により失われた。また、Cbl-cが認識するEGF受容体のリン酸化チロシン残基を解析した。その結果、Cbl-cはEGR受容体のチロシン1045のリン酸化を認識して結合した。最近、Cbl及びRINGフィンガーを持つ蛋白質がユビキチンリガーゼとして働くことが明らかになった。Cbl-cについてもユビキチンリガーゼ活性があるかを調べた。Cbl-cとEGF受容体を共発現させると、EGF刺激に伴うEGF受容体のユビキチン化が促進された。従ってCbl-cも他のCblファミリー分子を同様にユビキチンリガーゼの活性を持つことが示された。

以上より第1章では、新規Cblファミリー分子Cbl-cはRING型ユビキチンリガーゼとしてチロシンキナーゼのシグナルを負に制御する分子だと示唆される。

次に第2章ではCblファミリー分子間の機能の相違やCblファミリーの標的基質についての解析を進め、Cbl-cの標的基質としてv-Srcを同定した。

蛋白質分解を介するユビキチン・プロテアソームシステムは急速に解析が進み、現在は細胞周期制御・分化・発生・癌や神経変異疾患など様々な生命現象に関わっていることが明らかになってきた。従ってユビキチンリガーゼとして機能することによりチロシンキナーゼシグナルを負に制御するCblファミリー分子はこれらの種々の生命現象に重要であると考えられる。実際、CblやCbl-bを欠損するマウスでは免疫系での異常が報告されている。

しかしCblファミリー分子の生理的重要性は細胞・個体レベルでも充分には理解されておらず、Cblファミリー分子によりユビキチン化される標的分子の同定も不充分である。

非受容体型チロシンキナーゼであるSrcの活性が高い大腸癌細胞株が報告されており、Srcの分解を促進する分子が癌抑制分子として働く可能性が考えられた。そこで私はCbl-c、Cbl及びCbl-bがv-Srcによる癌化を抑制するかを検討した。Cbl-cをコードするレトロウイルスをv-Srcにより癌化したNIH3T3細胞に感染させ、軟寒天コロニーアッセイを行った。その結果v-Src癌化細胞によるコロニー形成はCbl-cにより抑制され、v-Src癌化細胞の形態も平坦に回復した。この抑制はCbl-cのTKBドメイン変異体(G276E)では見られず、RINGフィンガー変異体(C351A)では部分的であった。従ってCbl-cのTKBドメイン及びRINGフィンガーの重要性が示された。293T細胞再構成系において、野生型Cbl-cはc-Srcのユビキチン化を促進した(図2)。in vitroの系において、Cbl-cはユビキチン転移酵素UbcH5と協調してSrcをユビキチン化した。またCbl-c自身のユビキチン化も確認された。Cbl-cとSrcの会合実験によりCbl-cはそのTKBドメインにより、チロシン419が自己リン酸化したSrcと結合すると考えられた。以上より、Cbl-cはv-Srcのユビキチン化・分解によって癌化を抑制すると考えられる。Cbl-cは発現している正常細胞においてもc-Srcを直接抑制すると考えられる。一方、同様の系によりCbl及びCbl-bもv-Src癌化細胞のコロニー形成を抑制したが、細胞の形態には影響がなく、Cbl-cとの違いが見られた。このことはCbl、Cbl-bはv-Srcとは異なる細胞癌化に重要なチロシンリン酸化蛋白質を標的にして、v-Srcによる癌化を抑制することを示唆しており、今後そのメカニズムを明らかにしたい。

図1.Cblファミリーの模式図

ヒトCblファミリー:c-Cbl、Cbl-b、Cbl-c、ショウジョウバエCbl : D-Cbl(Short、Long)線虫のCbl : Sli-1。TKBはリン酸化チロシン結合ドメイン、Lはリンカー、RFはRINGフィンガー、PROはプロリンに富む領域、UBAはUbiquitin-associatedドメイン、LZはロイシンジッパーを示す。TKBドメインは4-helix bundles(4H)、calcium binding EF hand(EF)、unusual SH2(SH2)ドメインからなる。私が同定したCbl-cは474aaからなる52kDaの蛋白をコードする。

図2.Cbl-cによるSrc及びv-Srcのユビキチン化

293T細胞にSrc、His-Ub、Cbl-cの野生型(WT)及び変異型(G276E、C351A)を発現させ、6M塩酸グアニジンに可溶化した。この溶液にNi-NTAアガロースを加え、His-Ubが結合した分子を精製した。ユビキチン化されたSrcのシグナルを抗Src抗体を用いて調べた。その結果、野生型Cbl-c、Src、His-Ubを共発現させたレーンで高分子量のユビキチン化されたSrc蛋白質のシグナルが検出された(Aのレーン8)。このようなシグナルはCbl-cの変異体を発現させたレーン9、10ではほとんど検出できなかった。B)は同様な実験系を用いてv-Srcのユビキチン化について調べた。その結果、Cbl-cはv-Srcをユビキチン化を促進した(Bのレーン12)。矢頭はもとのSrcの位置を示す。

審査要旨 要旨を表示する

本論文はチロシンキナーゼを介するシグナル経路を負に制御する分子の一つであるCblファミリーの機能について述べられている。本論文の内容を要約すると以下のようになる。

第1章では新規Cblファミリー分子Cbl-cの遺伝子クローニング及びCbl-cの機能について述べられている。

論文提出者はデータベース検索により今まで知られているファミリー以外にcblと相同性を示すESTクローンを見つけた。検索の結果、このESTクローンが新しいCblファミリーをコードする可能性が示唆され、cbl-cと命名し、その遺伝子クローニングを行った。cbl-cは計算上の分子量は474アミノ酸からなる52kDaの蛋白質であった。Cbl-cはその構造上、リン酸化チロシンを認識して結合するTKBドメイン、RINGフィンガー、プロリンに富む領域を有していた。Cbl及びCbl-bと比較して、TKBドメインとRINGフィンガーは50%の相同性を示すが、そのC−末端は大きく欠失していた。

ノザン解析を用いて、cbl-cのmRNAの発現を調べた。その結果、cbl-cは大腸、小腸などで発現が見られ、他のcblファミリー分子とは異なる発現を示し、これらの細胞でCblファミリーの役割を担うと考えた。

また、Cbl-cのC−末端にはSH3ドメインと相互作用をするプロリンに富む領域の配列が2カ所あることを見いだし、SH3ドメインを持つ蛋白質とCbl-cが相互作用する可能性があると考えた。そこでSH3ドメインを持つSrc型チロシンキナーゼFynとの会合をGST-pull downアッセイを用いて調べた。その結果、Cbl-cはCbl-cのプロリンに富む領域を介してFynのSH3ドメインと会合することを示した。Cbl-cとFynの細胞内での会合も調べた。293T細胞にCbl-cとFynを発現させ、免疫共沈実験により両者の会合を調べた。その結果、Cbl-cはFynと293T細胞内で会合した。その会合はFynのキナーゼ活性とSH3ドメインに依存することも示した。

次に、今まで知られているCblファミリー分子はすべて受容体型チロシンキナーゼであるEGF受容体と会合し、そのシグナルを負に制御するとされているので、Cbl-cも他のファミリー分子と同様にEGF受容体シグナル経路に関与するかを調べた。293T細胞の再構成系を用いて調べた結果、Cbl-cはEGF刺激に伴い、そのTKBドメインを介してEGF受容体と会合することを示した。また、EGF受容体の自己リン酸化チロシン残基の変異体を用いて、Cbl-cはEGF受容体の1045番目のチロシン残基のリン酸化を認識して会合することを示した。Cblがユビキチンリガーゼとして機能することに注目し、Cbl-cについて調べた。その結果、Cbl-cはEGF刺激に伴ってEGF受容体のユビキチン化を促進した。

以上のことより、Cbl-cはチロシンキナーゼのシグナルを制御する新規Cblファミリー分子であることを示した。

第2章ではRING型ユビキチンリガーゼとしてのCbl-cの機能に注目して研究を進め、Cbl-cによるSrcの分解について述べられている。

論文提出者は非受容体型チロシンキナーゼであるSrcの活性が高い大腸癌細胞株が報告されていることに注目し、Srcの分解を促進する分子が癌抑制分子として働く可能性を考えた。そこでまず、Cbl-c、Cbl及びCbl-bがv-Srcによる癌化を抑制するかを検討した。Cbl-cをコードするレトロウイルスをv-Srcにより癌化したNIH3T3細胞に感染させ、軟寒天コロニーアッセイを行った。その結果v-Src癌化細胞によるコロニー形成はCbl-cにより抑制され、v-Src癌化細胞の形態も平坦に回復した。293T細胞再構成系において、野生型Cbl-cはc-Srcのユビキチン化を促進した。in vitroの系において、Cbl-cはユビキチン転移酵素UbcH5と協調してSrcをユビキチン化した。以上より、Cbl-cはv-Srcのユビキチン化・分解によって癌化を抑制すると考えた。一方、同様の系によりCbl及びCbl-bもv-Src癌化細胞のコロニー形成を抑制したが、細胞の形態には影響がなく、Cbl-cとの違いが見られた。このことはCbl、Cbl-bはv-Srcとは異なる細胞癌化に重要なチロシンリン酸化蛋白質を標的にして、v-Srcによる癌化を抑制することを示唆している。

以上のことより、Cbl-cはSrcのユビキチンリガーゼとして機能し、Cbl-cは発現している正常細胞においてもc-Srcを直接抑制すると考えられる。

以上、論文提出者は新規Cblファミリー分子Cbl-cの遺伝子クローニングを行い、更にCbl-cを中心としてCblファミリーによるチロシンキナーゼシグナルの抑制についての解析を進めた。

チロシンキナーゼの活性上昇はヒトの癌で良く見られ、Cblファミリーによるチロシンキナーゼシグナル伝達経路の抑制機構を明らかにすることは癌化機構の解明に寄与する研究であると考えた。また、Cblファミリーの解析はCblファミリー分子が制御する生命現象の理解のみならず、生命高次機能に重要な他のユビキチンシステムの理解にも展開できる研究であると考えた。従って、博士(理学)の学位を授与できると認める。

なお、本論文では手塚徹氏、鈴木穣氏、菅野純夫氏、平井百樹氏、山本雅氏との共同研究であるが、論文提出者が主体となって分析及び検証を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

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