学位論文要旨



No 116622
著者(漢字) ぱてぃらな,あせーら
著者(英字) PATHIRANA,ASSELA
著者(カナ) パティラナ,アセーラ
標題(和) 雨のフラクタルモデリング : 水文学的応用に向けた時空間ダウンスケーリング
標題(洋) FRACTAL MODELING OF RAINFALL : DOWNSCALING IN TIME AND SPACE FOR HYDROLOGICAL APPLICATIONS
報告番号 116622
報告番号 甲16622
学位授与日 2001.09.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第5034号
研究科 工学系研究科
専攻 社会基盤工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 虫明,功臣
 東京大学 教授 玉井,信行
 東京大学 教授 小池,俊雄
 東京大学 助教授 HERATH,A.Srikantha
 東京大学 助教授 沖,大幹
内容要旨 要旨を表示する

 より小さな時空間スケールでの水文応答現象に注目するために、高解像度の気象情報が是非とも必要である。とくに、都市化に関連した問題のために、この必要性は増している。実際に高解像度のデータを得るには多くの時間と労力が必要であるから、小さな時空間スケールの降水量を推定する手法の開発は有用である。時空間ダウンスケーリング手法は、あまり解像度の高くない広範な過去の記録を利用できるから、実用的な水文学の諸問題の解決に多いに役立つであろう。例えば、低解像度の観測をもとにした高解像度の擬似データの作成、例えば低密度の雨量計観測網からの空間内挿、雨量計と気象衛星データのように異なる解像度・信頼性を持つデータの結合、領域気候モデル・大気大循環モデルによる計算値のダウンスケーリングなどである。

 本論文では、フラクタルスケーリング理論を用いた、雨の時空間におけるダウンスケーリングを行った。最初に、フラクタルスケーリングについての最新の研究と雨のモデリングヘの応用について包括的なレビューを行った。この20年の間にフラクタルおよびマルチフラクタルの理論が登場し、マルチスケーリングについての数学的モデルを含む数多くの理論的研究が進められてきた。

 フラクタル理論を雨に応用した多くの研究(そのほとんどはヨーロッパ・北米・オセアニアなどの様々な場所での降雨データを利用している)では、雨はフラクタルスケーリングの特徴を持つと結論している。この種の解析をアジア域で行うには十分な理由がある。アジア域は、モンスーンや台風の影響により、すでにマルチフラクタルを用いた研究が報告されている地域とは、雨の性質がはっきりと異なっていること、さらに、目を見張るような都市化の進展によって、この地域の洪水に対する危険性が増加していることである。ヨーロッパ、北米、オセアニアなどと比べると、アジアの各国では高時空間解像度での良質の降雨量データの量は非常に制限されている。日本はアジアでは特別なケースであり、広範な高解像度の雨量データベースが利用可能である。日本の降雨を調べることは、アジアの降雨のフラクタル特性について見通しを得るための格好の手段である。

 本研究の主な目的は、雨のマルチスケーリングに関する既存の知識を適用して、オペレーショナルな水文学における雨の問題を解く手法を作成することである。しかしながら、スケーリングを的確にモデル化するためには、次の問題を考える必要がある。降水は本当にマルチフラクタルなのか?マルチフラクタル理論は降水の時空間変動をとらえるのに十分なものなのか?という問題である。可能な限り、マルチフラクタルによるスケーリングの限界についても調べた。本論文の解析とモデル検証のほとんどは日本の降水量データを利用して行った。

 雨が持ちうるフラクタルスケーリングの存在と性質を調べるために、多くの研究を行った。これらは、日本の雨についてのマルチフラクタルについて報告された最初の研究である。まず、日本全国の雨量計による時系列データを利用して、時間スケーリングについて調べた。使用したデータのスケーリングは時間スケールから日スケールまでにわたり、2日付近でスケーリングが成り立たなくなることが分かった。この2日という値は、既往の研究で示されたものより短い。スペクトルの傾きは、ほとんど1に近く、既往の研究よりいくらか大きい。

 次に、解析結果をもとにして、日単位で行われた観測データから時間単位の時系列を求めることにした。慣習的なモデリング手法は少なくとも数個の異なるスケールにまたがる連続的なスケーリングを必要とするが、この場合スケーリング則が2日以上では成り立たなくなるために慣習的な手法の適用は困難である。この点を解決するために、マルチフラクタルスケーリング関数の幾何的特徴に基づく新しい手法を提案した。この手法は、1日単位、2日単位と利用可能な解像度の幅が狭い場合にも十分適用できる。この手法により作成された時間単位の降雨量データを、時間単位での観測データと統計的に比較することにより検証した。作成されたデータは、観測データに非常によく似ている。

 時間単位以下の雨のスケーリングについての研究は、一般に利用可能な降雨量データの解像度と精度の限界から、広域で行うことができなかった。時間単位以下のスケーリングの存在と性質を調べるために、千葉県前原川流域の複数の地点で雨量観測を行い、高時間解像度の雨量データを取得した。

 1年分のデータを解析した結果、スケーリングは時間単位以下でも成り立ち、少なくとも5分単位までは適用できる。このことから、少なくとも理論的には、5分単位という小さいスケールと日単位の雨量観測を関連づけることが可能であることが示された。

 日本の雨量の空間スケーリングについて、雨量計データを内挿した雨量分布図を用いて調べた。あらかじめ、雨量計分布が空間的に均一であるかということと、解像度の限界についての評価を行った。これは、内挿によってデータが見かけ上なめらかになることで、スケーリング則に与える影響を、最小限に押さえるためである。0.1度から0.8度までのスケーリングについて解析することにした。使用するデータの時間解像度は1時間である。予想通り、日単位のデータを利用して報告された既往の研究よりもこの解析では、雨の空間分布は高い変動性と断続性を示した。また、日単位データを利用してマルチフラクタルのパラメータを求めたところでは、過去の研究と似た結果が得られた。

 雨量の空間分布についてのマルチフラクタルのパラメータは、マルチフラクタル以外のパラメータといくつか関連がみられた。マルチフラクタルのパラメータは、大規模場、すなわちグリッド平均雨量に強く依存する。マルチフラクタルのパラメータは、8月に特異な値をとるなど、強い季節変化を示す。この季節変化は、雨のタイプ別出現頻度の変化として説明できる。

 レーダを利用した雨量観測は、雨量計と比べて、空間分布の観測に有効である。さらに、レーダではより高い空間解像度で雨を調べることが可能である。問題は、雨量を直接に観測する手法ではないということである。そのために、レーダの推定雨量は、雨量計のものと、定量的な精度を比較することはできないだろう。マルチフラクタルモデルを利用して、2つの観測による雨の空間分布を比較した。2つの観測はよく似た結果を示したが、極限値の違いによるスケーリングのずれが見られた。

 広域での降雨分布は、地形や斜面などの多くの要因の影響で決まる空間不均一性を持つのが普通である。時間解像度が小さい場合には、この不均一性は高い変動性やランダム性に隠れてしまう。時間解像度を長くするに従いランダムな値の影響は小さくなるので、雨量分布に、明らかな空間不均一性が見られるようになる。マルチフラクタルは統計的な意味で空間的均一な場に見られる現象であるから、雨量の本質的な特徴である空間不均一性をマルチフラクタルだけで説明することはできない。そこで、長期間データに表れる空間不均一性を考慮した、マルチフラクタルによる空間ダウンスケーリングのモデルを提案した。このモデルは2つの要素、長期の値に見られる空間不均一性を示す決定論的な要素と短期のデータで支配的なランダム性を表現する要素からなる。雨量をこの2つの要素にわけることは陸上の降雨量についての経験的な知識によるものである。2つの要素をもつことで、短期的な変動と長期的な空間分布の2つの特徴を持った雨量場を生成できる。本モデルは、空間不均一性とランダム変動を独立に考慮しているので、後者のモデリングに任意のマルチフラクタルモデルを利用することができるという利点がある。この点を、2つのマルチフラクタルモデルを使って示した。

 このモデルを日本中央部のレーダアメダス雨量計に適用したところ有望な結果が得られた。

 グリッド平均雨量をダウンスケーリングし、長期的にみられる空間不均一性を再現できた。雨量の少ない、普通、多いの3地点で雨量の分布を比較した。モデルは、春・夏・秋にはうまく働くものの、冬にはうまく働かなかった。その理由を説明した。

 広範な解析により、日本の雨はマルチスケーリングの特徴を持つことを示した。日単位のデータを時間単位にダウンスケーリングするための手法を具体的に提案して、手法の検証を行った。長期にみられる空間不均一性を保持したまま、雨量をダウンスケーリングする新しい手法を提案した。この手法により、分布特性が観測値と良く似た日雨量を再現できた。結論として、雨の時間および空間ダウンスケーリングという実用的な水文学の問題の解決に、マルチフラクタルによるスケーリングの利用が有効であることを本研究により示すことができた。

審査要旨 要旨を表示する

 本研究は、降雨の時間および空間変動特性それぞれにフラクタル理論を適用することによって、ダウン・スケーリングのためのモデル化を試みたものである。欧米では、降雨の時間スケーリングにマルチフラクタル理論を適用する研究がかなり蓄積されているが、降雨特性が異なるアジア域での研究例はほとんどない。この研究では、時・空間的に比較的密な観測網がある日本の降雨が対象とされ、既往の研究に無い新たなフラクタル上の知見やモデリング手法が提示されている。論文は、10章で構成されている。

 第1章では、水文学における降雨の時・空間スケーリングの意義、その手段としてのマルチフラクタルを適用したスケール・モデリングの有用性等を議論した後、論文全体の構成を示している。

 第2章では、広範な文献調査により、フラクタルならびにマルチフラクタル理論とその適用のための数学的基礎が整理されるとともに、降雨の時・空間スケーリングに関するモデルやパラメータなどの既往の研究を吟味・整理している。時間単位以下の降雨に対するスケーリングに関する研究例が少ないこと、また、空間スケールに関する研究例は稀少で、空間降雨分布の解析では従来ほとんどが日降雨の集計値に基づいていること、が指摘されている。

 フラクタルの適用に入る前の段階で、降雨の時間分布特性を確率モデルにより表現しようとする試みがなされた。その過程で、分布特性を表すパラメータの多くと時間スケールとの関係にフラクタルが適用できる要件が充たされていることが見出され、研究はフラクタルの適用に向けられた。第3章では、そうした視点からの降雨時間特性の解析結果が示されている。

 第4章では、日本気象庁アメダスの時間単位観測時系列(最小雨量単位;1mm)を対象として、降雨の時間スケーリングにフラクタル理論が適用できるか否かの吟味がなされる。先ず、アメダス観測点350の降雨時系列のスペクトル解析から、単一のマルチフラクタル特性によるスケーリング期間は2時間から2日であり、これは欧米の研究結果と比べて極めて短いこと、また、スペクトル勾配が大きいことが、指摘されている。次いで、モデル・パラメータの適合性の検証により、日本の降雨の時間スケーリングにはユニヴァーサル・マルチフラクタル・モデルが適用できることを明示している。

 第5章では、マルチフラクタル・モデルにより日単位観測データから時間単位降雨を推定する手法が開発される。ここでは、南関東の17観測点(ほとんどが観測期間22年)のデータが対象とされている。既存のモデル・パラメータ推定法では、少なくとも5〜6単位の時間スケールが必要であるが、前章で明らかになったように日本の降雨では2日つまり2単位であるため、それらは使用できない。そこで、少ない単位観測データでモデル・パラメータを推定する新たな方法が開発され、それによってマルチフラクタル・モデルの適用を可能にした。このモデルによりシミュレートされた時間降雨と観測時間降雨とが、降雨強度の分布、時系列としての統計的特性、無降雨時間の分布、およびリターン・ピリオド、それぞれの面から比較され、いずれの面からも再現性の良いことが検証されている。

 第6章では、高精度で時間的に解像度が高い観測データを用いることにより、どの程度短い時間単位の降雨までマルチフラクタル・モデルによるダウン・スケーリングが可能かについて検討される。この目的のために、千葉県海老川流域に0.1mm転倒枡雨量計がいくつか配置され、1分単位で整理された1年間の観測データが解析の対象とされる。第4章と同様の解析の結果、数時間から5分単位まで同一のマルチフラクタル特性でダウン・スケーリングができることを見出している。

 以上は、降雨の時間分布を対象とした検討であるが、第7章〜第9章では空間分布特性が扱われる。第7章では、アメダスの地点観測から内挿された降雨の空間分布データが解析の対象とされる。先ず、観測網そのものが、その均一性と空間解像度の限界を知るために検討され、0.1〜0.8度グリッド・スケールを採用すべきとの結論を得ている。次いで、1997年の8,760の時間雨量分布図から3,634を選び,ユニヴァーサル・マルチフラクタル・モデルを適用してそのパラメータが算定される。算定パラメータ・セットには季節性が認められ、夏季降雨と冬季降雨の2つのタイプに分けられることが明らかにされている。

 第8章では、気象庁のレーダ・アメダス・データを対象とし、7章で扱った地点内挿雨量を使った場合との比較・検討がなされる。モデル・パラメータ2つのうちの1つは両者で良い一致を示すが、もう1つのパラメータ値の対応性がかなり悪い。理由として、そのパラメータが極値に対して感度が高く、レーダ・アメダスにおいて大きな雨ほど過大に評価されることが指摘されている。

 地形や斜面の向きなどの効果による降雨の規則的な空間不均質性は、マルチフラクタル・モデルで表現できない。時間単位が短い(時間、日)場合、この不均質性はランダム性の中に隠され得るが、時間単位が長くなる(例えば、月)と、規則的不均質性として現れる。そこで、第9章では、時間単位が長い降雨に対して空間スケーリングが可能な新しいモデルが開発される。すなわち、長期間平均空間降雨分布によって規則的空間不均一性は表せると仮定し、それによって正規化された降雨空間分布がフラクタルの要件を持つと仮定する。β−ログノーマル・モデルが適用され、本州中部域の月単位雨量分布を対象にそのモデル適用の妥当性とモデル・パラメータの振る舞いが詳細に検証されている。

 第10章では、本研究の結論の整理とともに、今後の研究の方向が展望されている

 以上、本研究は、日本の観測降雨データに初めて系統的にフラクタル理論を適用して、時間および空間スケーリングのための新しいモデル開発に成功した点が、先ず、高く評価できる。また、これらの成果は、水文モデルヘの入力としての時間降雨分布の処理、洪水対策のための設計雨量の設定など、応用水文学、水資源工学に資するところが大きい。

 よって、本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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