学位論文要旨



No 116636
著者(漢字) 朱,清宇
著者(英字)
著者(カナ) シュ,セイウ
標題(和) シックハウス対策のための化学物質放散量の予測に関する研究 : 建材からの化学物質放散量の数値予測モデル
標題(洋)
報告番号 116636
報告番号 甲16636
学位授与日 2001.09.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第5048号
研究科 工学系研究科
専攻 建築学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 加藤,信介
 東京大学 教授 橘,秀樹
 東京大学 教授 鎌田,元康
 東京大学 教授 坂本,雄三
 東京大学 助教授 大岡,龍三
 慶応義塾大学 教授 村上,周三
内容要旨 要旨を表示する

 本論文は、建材からの揮発性化学物質の放散過程を数値シミュレーションにより予測・分析する手法を開発すると共に、建材からの放散量を測定するためのチャンバーの基本性能に関して実験並びCFD(数値流体力学)により解析し、その問題点と改善策を提言するものである。

 近年の新建材・新工法の導入や、十分な計画換気を伴わない高気密・高断熱住宅の普及等を原因として、建材から放散される微量のホルムアルデヒドやVOCs(Volatile Organic Compounds)等の揮発性有機化合物による室内空気汚染が大きな社会問題となっている。厚生労働省の1998年の一般住宅室内化学物質濃度調査においても、WHOの空気質ガイドライン値を大きく上回るものがあることが判明している。

 室内での化学物質濃度は、建材・施工材から放散される化学物質量と換気量により大きく左右されるため、化学物質空気汚染に対する工学的アプローチとして、建材・施工材からの化学物質放散量測定法、並びにその放散量予測法の開発に重点が置かれてきた。現在、日本においては、発生源となる合板等の建材から放散されるホルムアルデヒド等を測定する試験方法はパーティクルボード及び壁紙材等の製品規格でデシケータによる簡易的な方法が規定されているのみである。建材からの他の化学物質の放散量に関する測定法は、米国規格協会ASTM(American Society for Testing Materials)および欧州共同研究ECA(European Collaborative Action)等の規格に準じた完全混合型チャンバーを用いて、建材をチャンバー内に設置した状態で測定が行われることが多い。しかし、これらチャンバーにおいて、放散性状に影響を与えると考えられるチャンバー内の温度、気流性状等の影響に関しては、十分な検討がなされていないのが現状である。

 こういった背景のもと、本論は「シックハウス対策のための化学物質放散量の予測に関する研究 −建材からの化学物質放散量の数値予測モデル−」と題して、建材・施工材から放散される化学物質の物理的メカニズムを解明し、これを流体シミュレーションを基礎とする計算機シミュレーションにより予測・解析する技術を開発する。更に、建材・施工材からの化学物質放散量を測定する各種チャンバーを解析対象として、チャンバー内の温度や気流性状による各種チャンバーの化学物質放散性状及び問題点を実験と数値シミュレーション手法により検討し、室内化学物質汚染対策のための化学物質放散量予測法の開発を行っている。

 本論文は以下のように構成されている。

 序章では、日本における微量化学物質による室内空気汚染の現状を概観し、建材からの放散測定は室内化学汚染の低減に大きな役割を果たすことを示す。

 第1章では、本研究の基礎となる流体の数値シミュレーション手法に関して概説する。本章及び続く第2章は「PART1基礎編」とし、本研究の基礎となる事柄が示される。まず、本研究では数値解析手法を用いた化学物質放散量予測で用いる標準k-ε model、低Re型k-ε model(Abe-Nagano model及びMKC model)と数値解析時の境界条件に関して解説を行う。次に、揮発性有機化合物等のスカラ量の輸送方程式による室内汚染質濃度分布予測法を述べる。第2章以降で行う数値解析は本章で示した乱流モデルを用いて行うこととなる。

 第2章では、室内汚染質濃度に関する定量的な削減対策を行うため、建材・施工材等から発生する汚染質の放散量の測定方法に着目する。まず、化学物質のサンプリング方法に関して、吸着剤を用いた化学物質の捕集法を示し、本研究で使用しているHPLCとGC/MSを用いた化学物質の定性法・定量法を説明する。次に、建材からの化学物質放散量測定の為に開発されている各種chamber法に関して既往の実験を概説する。実物大での放散試験はコストや時間を必要とするため、チャンバーを用いて放散量を測定する方法の重要性を述べる。また新築の研究施設において、空気質及び建材からの化学物質放散量を測定した結果を示す。

 第3章及び第4章では「PART2数値予測モデル」として、建材・施工材等から放散される揮発性化学物質の放散・吸脱着等のモデリングとその数値予測方法を述べる。

 第3章では、各研究者により提案されている建材からの微量化学物質の放散過程、並びに化学物質の放散量予測式を示す。その問題点を把握した後、多孔質建材内及び室内空気中における吸着・脱着効果を含む厳密な化学物質の輸送方程式を導出している。また、吸着効果が支配的な建材に対しては、建材表面のみで吸脱着が生じると仮定してモデル化した簡易吸着モデルを示す。

 第4章では、第3章で示した微量化学物質の建材からの放散過程、並びに拡散過程数値モデリングを利用する際、建材・施工材中の化学物質輸送現象を支配するパラメータである有効拡散係数の同定やデータベース化を行うことが必要となるため、各種建材・施工材を対象としてカップ法により建材・施工材中の有効拡散係数を測定した結果を示し、蒸散支配型建材及び複合建材(蒸散+内部拡散支配型)の化学物質数値放散モデルを詳細に説明する。次章以降、第3章及び第4章で示した数値予測モデルに基づき、チャンバー内の化学物質の放散性状を解明する。

 第5章から第8章までは「PART3チャンバー内の物質放散性状」とし、建材からの化学物質放散量を測定するための各種チャンバー内に設置された建材からの化学物質放散性状及び測定法の問題点を検討する。

 第5章では、建材表面から気中に至る表面物質伝達率により気中への放散率が支配される蒸散支配型放散の性状を示す建材に着目し、それらの建材・施工材から放散される微量化学物質を定量するために、新たに開発した建材表面での気流を精密に制御可能な境界層型小型Test Chamberについて述べる。この境界層型小型Test Chamberの流れ場に関する基本性能を詳細に測定し、十分に均一な流れ場(inner chamber内はchannel流に相当)が得られていることを確認すると共に、純水、decane等を用いてその放散flux、物質伝達率を測定した結果及びCFD解析結果を報告する。さらに、実際の室内に対応させるためCFD解析によりこの境界層型Test Chamberを用いて建材からの放散実験を行う際に、同Chamberのinner chamberの中心風速の実験条件を提案する。また、室内汚染濃度を低減させる目的で使用されるパッシブ吸着建材の性能試験法に関して考察を行うとともに、同Chamberを用いる性能試験について報告する。実験とCFD解析により吸着による汚染低減効果を換気と直接比較できる評価指標として吸着速度の換気量換算値を導く。

 第6章では、現在欧州で建材からの放散量測定基準となっている小型チャンバーFLECを解析対象として、そのキャビィティ内の流れ場、拡散場をCFD手法により解析し、蒸散支配型建材と内部拡散支配型建材、および両者の複合型(蒸散支配+拡散支配)建材に関して、チャンバー内の温度や気流性状による建材表面からの化学物質の放散性状を解析した結果及びFLECの化学物質放散速度測定の特徴を検討する。

 第7章では、日本で開発された化学物質放散速度計測用完全混合型小型チャンバーADPACの概要を紹介する。このADPACを解析対象として、そのチャンバー内の流れ場、拡散場をCFD手法により解析し、蒸散支配型建材と内部拡散支配型建材に関して、チャンバー内の温度や気流性状による建材表面からの化学物質の放散性状を解析した結果及びADPAC測定器具の問題点を検討する。

 第8章では、小型チャンバーDesiccatorを解析対象として、そのチャンバー内の流れ場をCFD手法により解析し、内部拡散支配型放散と蒸散支配型VOCs放散の両者の特性を含む複合建材に着目し、建材表面からの化学物質の放散性状を明らかにすることを目的としている。まず、特に飽和蒸気圧及び建材の有効拡散係数の温度依存性が放散量に与える影響を検討する。これは建材や空気温度の上昇により建材の有効拡散係数や材料表面におけるVOCsの蒸気圧を増加させて、短期的に空気中に放散するVOCsを増加させ、その後の放散量を減ずるBake-out効果の検討の基礎となる。次に、(Desiccator)を用いて壁紙材を通過するVOCsの放散特性を計測するとともに、そのCFD解析を行い、実験結果と比較した結果を示す。

 第9章では、全体のまとめを行っており、本研究の成果と今後の課題が総括されている。

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は、「シックハウス対策のための化学物質放散量の予測に関する研究 −建材からの化学物質放散量の数値予測モデルー」と題して、建材・施工材から気中に放散される化学物質の物理的メカニズムを解明し、流体シミュレーションを基礎とする計算機シミュレーションによりこの放散と室内拡散性状を予測・解析する技術を開発することを最終目的としている。室内における建材・施工材からの気中放散量計測は、これらのテストピースを換気されるテストチャンバー内に設置し、その換気の給排気濃度差によりテストピースからの放散量を測定して行われる。本論文は、このテストチャンバーによる放散量計測法の問題点を検討している。すなわち、まず建材・施工材から化学物質が気中に放散される物理的メカニズムを理論的に解析し、これを精度良く予測する数学モデルを開発して、建材・施工材からの化学物質の気中放散、拡散の数値シミュレーション手法を開発している。次に、テストチャンバー内の温度や気流性状がテストピースからの化学物質放散性状に与える影響を実験とこの数値シミュレーション手法により解析し、実際の室内における建材・施工材からの気中放散量に対応する放散量計測を行うための条件を明らかにし、室内化学物質空気汚染濃度を管理するために有効となる化学物質放散量予測法を開発している。

 本論文は以下のように構成されている。

 序章では、日本における微量化学物質による室内空気汚染の現状を概観し、建材からの化学物質放散量計測が室内化学汚染の低減対策に大きな役割を果たすことを示し、実際の室内での放散性状に対応する、テストピースとテストチャンバーを用いた化学物質放散量計測法の重要性を示している。

 第1章では、本研究の基礎となる流体の数値シミュレーション手法に関して概説している。

 第2章では、建材・施工材等から発生する揮発性化学物質の放散量測定方法に関して既往の方法を概説している。まず、気中に放散された揮発性化学物質のサンプリング方法に関して、吸着剤を用いたガス状化学物質の捕集法を示し、本研究で使用しているHPLCとGC/MSを用いた化学物質の定性法・定量法を説明している。続いて、建材からの化学物質放散量測定の為に開発されている建材などのテストピースを使用する各種チャンバー法に関して既往の方法を概説している。実物を用いる放散試験はコストや時間を必要とするため、テストピースとテストチャンバーを用いた放散量計測法の重要性を述べている。

 第3章及び第4章では「PART2数値予測モデル」として、建材・施工材等から放散される揮発性化学物質すなわち汚染ガスの放散・吸脱着等のモデリングとその数値予測方法に関して述べている。

 第3章では、建材からのガス状微量化学物質放散に関する既往の物理モデル、並びに放散量予測式を検討している。これらの問題点を検討した後、多孔質建材内及び室内空気中における吸着・脱着効果を含む厳密な化学物質の輸送方程式を導出している。さらに吸着効果が支配的な建材に対しては、建材表面のみで吸脱着が生じるとして、吸脱着現象の効果を簡易にモデル化した簡易吸着モデルを導出している。

 第4章では、第3章で示した揮発性化学物質の建材からの放散過程、並びに拡散過程のモデリングで用いられる物理パラメータを同定法示している。これらの現象を数値シミュレーションで解析するには、建材・施工材中の化学物質輸送を支配する有効拡散係数等の計測と、各種材料における計測結果のデータベースが必要となる。そのため各種建材・施工材を対象として、カップ法により有効拡散係数を測定し、これをまとめている。また蒸散支配型建材及び複合建材(蒸散+内部拡散支配型)における化学物質放散のシミュレーションモデルを考察している。

 第5章から第8章までは「PART3チャンバー内の物質放散性状」とし、建材からの化学物質放散量を測定するための各種テストチャンバー内に設置された建材テストピースからの化学物質放散性状及び測定法の問題点を検討している。

 第5章では、建材表面から気中に至る表面物質伝達率がその気中放散率を支配する蒸散支配型放散の建材に対し、実際の室内放散と同条件の計測を可能とする境界層型小型テストチャンバーについて解説している。これは本研究で新たに開発しているもので、建材表面での気流を精密に制御し、実際の室内に対応した放散量計測を可能とするものである。この境界層型小型テストチャンバーは、室内汚染濃度を低減させるパッシブ吸着建材の性能試験法への利用も可能であり、同チャンバーを用いる吸着性能試験法に関しても報告している。またパッシブ吸着建材の性能を評価するための新たな指標として、換気による汚染質除去効果と直接比較できる吸着速度の換気量換算値を導いている。

 第6章では、欧米で開発され用いられている小型テストチャンバーFLECを解析対象として、その内部の流れ場、拡散場をCFD手法により解析している。FLECにより蒸散支配型建材、内部拡散支配型建材、および両者の複合型(蒸散支配+拡散支配)建材を測定する際の化学物質の放散性状を、チャンバー内の温度や気流性状をパラメータとして解析し、FLECの化学物質放散速度計測法の特徴を考察し、その使用上の注意点を新たに示している。

 第7章では、日本で開発された小型チャンバーADPACを解析対象として、そのチャンバー内の流れ場、拡散場をCFD手法により解析している。蒸散支配型建材と内部拡散支配型建材に関して、FLECの場合と同様にチャンバー内の温度や気流性状による建材テストピース表面からの化学物質の放散性状を解析し、ADPACを用いる際の計測上の留意点を新たに指摘している。

 第8章では、小型チャンバーであるガラスデシケータを解析対象として、そのチャンバー内の流れ場をCFD手法により解析している。内部拡散支配型放散と蒸散支配型放散の両者の特性をもつ複合建材に関してその放散特性を解析し、ガラスデシケータを用いる際の建材テストピース表面からの化学物質の放散性状を明らかにし、計測上の留意点を新たに指摘している。

 第9章では、全体のまとめを行っており、本研究の成果と今後の課題を総括している。

 以上を要約するに、本論文は、建材・施工材からの揮発性化学物質による室内空気汚染問題で、最も重要となる建材から化学物質放散に関し、理論的、実験的検討を行い、数値シミュレーションによる解析を可能とする化学物質輸送モデルを開発している。また数値シミュレーションを行う上で直ちに必要となる有効拡散係数等の物性値を実験により計測し、これらの基礎データを蓄積している。さらに建材・施工材のテストピースとテストチャンバーを用いる建材・施工材の化学物質放散量測定法を整備している。これらの成果は、建材からの化学物質放散量の計測法ならびに室内濃度の予測法の基礎となるものであり、揮発性化学物質による室内空気汚染問題の解決に寄与するところが大である。

 よって、本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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