学位論文要旨



No 116639
著者(漢字) 呉,政益
著者(英字)
著者(カナ) オ,ジョンイク
標題(和) 低圧ナノろ過プロセスによるヒ素化合物の形態別阻止特性及びヒ素汚染地下水処理への適用
標題(洋) Rejection characteristics of different species of arsenic compounds by low-pressure nanofiltration and its application to treatment of arsenic contaminated groundwater
報告番号 116639
報告番号 甲16639
学位授与日 2001.09.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第5051号
研究科 工学系研究科
専攻 都市工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 山本,和夫
 東京大学 教授 大垣,眞一郎
 東京大学 教授 中尾,真一
 東京大学 教授 国包,章一
 東京大学 助教授 滝沢,智
内容要旨 要旨を表示する

ナノろ過膜は,逆浸透膜と同じ高阻止率を示すにもかかわらず透過量が逆浸透膜より更に増加している特徴を持つ低圧・高阻止率膜である。特に低圧ナノろ過プロセスは,多成分で構成されている河川水及び地下水に含まれる微量有機無機化合物の処理技術としては魅力的である。ナノろ過膜による阻止メカニズムは篩(ふるい)効果以外に荷電が重要な役割を果たしている。中性pH範囲で陰荷電を持つナノろ過膜は多価の陰イオンの阻止率が非常に高くなることが特徴である。したがって,ナノろ過膜は対象物質の化学的性質によって特徴ある阻止特性を示す。

また,地下水の場合は多成分で構成されており,主成分は塩化物,硝酸及び硫酸イオンなどであるとしたら毒性が高くナノろ過による主な阻止対象物質らは微量成分で存在する。地下水中に含まれている主成分と微量成分の濃度単位はmg/Lとμg/Lであるため,低圧範囲でのナノろ過による水処理では,主成分であるイオン性物質が膜の荷電を決めると考えられる。混合系においてナノろ過による微量有機・無機化合物の阻止特性に関する考察は重要である。

本研究でのナノろ過による主な対象物質は地下水中に含まれている形態別ヒ素化合物である。ヒ素は,国際ガン研究機構(IARC)によって発ガン性がある第1群に分類されており,アジア諸国においては,ヒ素による慢性疾患が顕著に見られる。ヒ素は,水中で種々の形態で存在し,形態ごとに毒性が異なり,除去プロセスでの挙動も異なる。

したがって,ナノろ過膜での荷電粒子の輸送理論について検討し,それらの阻止メカニズムにおける影響因子などを把握することが目的である。また,地下水汚染が深刻なバングラデシューで低圧ナノろ過プロセスを適用することを試みる。

As(III), As(V)及びDMAAについて形態別分析を行い,それらのナノろ過による阻止特性を調べた結果,As(III)についてはイオンの形で存在するpH範囲では阻止率が高かったが,イオンではない形で存在するpH範囲では阻止率が低かった。As(V)の場合は,pH3〜pH10の範囲では常にイオンの形で存在するため,阻止率が高かった。しかし,DMAAはイオンではないpH範囲にあっても高阻止率を示し,膜と溶質との何らかの相互作用から阻止率が高くなったものと考えられる。

ナノろ過膜による地下水中に含まれている形態別ヒ素化合物の阻止メカニズムを立体障害(steric hindrance)モデルによって検討した。特に本稿で提案された分子量から求められる立体障害因子を用いたモデル系(simplified steric hindrance,以下SSHと書く)と粒子と孔径サイズの比で表す従来の立体障害因子によるモデル系(conventional steric hindrance,以下CSHと書く)について並列に比較検討された。両方とも荷電膜表面でのDonnan平衡を考慮しており物質ごとについてはそれぞれの分配係数Kiを組み合わせた。また,膜内の輸送については,拡散力,電気力及び対流が共に説明できるextended Nernst-Planck式にそれぞれのモデルについてSSH及びCSH因子を加えたのがSSH及びCSHモデルである。

種々のヒ素化合物,及びイオン塩についてナノろ過による阻止特性をSSHとCSHモデルによる計算値と実験から得られた阻止率を比較した。その結果,陰イオン形のヒ素形態,硝酸イオン,硫酸イオン,塩化物イオン及び炭酸塩成分(H2AsO3-, H2AsO4-, HAsO42-,(CH3)2AsO2-, NO3-, SO42-, Cl-, HCO3-, CO32-)については,SSHモデルとCSHモデルによる計算と実験値がほぼ一致する。それは,Donnan平衡の分配係数Kiの役割が大きく左右されており,イオンの膜表面での濃度分布を制御することから実験値に合わせたからでもある。Kiを考慮しない場合は,SSHモデルとCSHモデルによる実験値の説明が不十分である。すなわち,イオン性物質の阻止には膜の荷電による影響が多かったと考えられる。なお,SSHモデルとCSHモデルで求められたKiの値は両方モデルに置いてそれぞれの差異はなかった。

したがって,あるイオンに対する分配係数Kiの値は,例えば,バルク濃度が一定の場合,Kiが大きくなるほど荷電膜表面においてイオンの濃度勾配が低くなり,同じイオンに対して,分配係数Kiを考慮しない場合より見かけ上の阻止率は低くなる。すなわち,分配係数Kiの値が大きいほどそのイオンは膜を通り易い傾向を示す。

特にDonnan平衡のところの分配係数Kiについては,陰イオン溶質のモル体積(Molar volume)に対する相関があり,荷電膜を通す陰イオン性物質に関するKiの実験式がES10, NTR729HF及びNTR7250の3種類のナノろ過膜について提案された。そのとき,モル体積の範囲は0.5*10-4〜1.5*10-4m3/gmolである。

同じ価数を持つ粒子同士でもモル体積が異なる場合,荷電を有する表面積が違うことによって,荷電膜に接近するときの膜に対する相互作用あるいは親和性に差異が発生すると考えられる。陰イオンの場合,大きい体積を持つほど有効表面積が大きく,電荷密度が低くなり,負荷電膜に対しては,表面での反発力が小さい体積を持つイオンに比べて弱くなると考えられる。それは,モル体積実験式の対数で表した場合の傾きが2/3に近く,体積と表面積の比である。

しかし,ヒ素化合物の中では,イオンではない存在形態を示すH3AsO3,(CH3)2AsO2Hについては,モル体積と分配係数の相関はなかった。亜ヒ素(As(III))の中性粒子で存在するH3AsO3は,分子量が126であり,カコジル酸(DMAA)の中性粒子形態である(CH3)2AsO2Hの分子量は138である。それらの分子量近傍の糖類であるPropanol(分子量:60),Glucose(分子量:181)及びMaltose(分子量:342)について,同じ膜での阻止率を比較すると(CH3)2AsO2Hはほぼ一致するが,H3AsO3は低い阻止率を示す。更に,(CH3)2AsO2HはSSHモデルによる計算値がほぼ一致しており,分配係数も1に近い値が得られた。しかし,CSHモデルによる計算では,(CH3)2AsO2Hの阻止率をある程度は説明可能であるが,SSHモデルに比べては実験値と計算値の差異が大きかった。H3AsO3については,近傍の糖類より阻止率が低くなっており,評価が難しかったが,中性粒子のDMAAの形態については分配係数Kiを考慮しなくてもSSHモデルがCSHモデルに比べ実験値に近づいている傾向を示された。CSHモデルにおける立体障害因子の古典的な膜壁との摩擦概念ではなくても説明できると考えられる。

ナノろ過膜の孔径が数nmであり,膜表面で孔径サイズは分布的に存在する。また,阻止対象物質のサイズはナノろ過膜の孔径サイズに比べて相当差異がないため,膜相内でのHagenPollseiu分布に基づいて流体と粒子に対する存在領域の差異によって表す従来の立体障害因子を用いてナノろ過阻止メカニズムを正確に説明するには疑問がある。しかし,SSHモデルの場合は,細孔構造に立ち入らないでナノろ過膜の全体をブラックボックスに仮定して,SSH因子を対象物質の分子量から求めて説明する。中性粒子のDMAA形態についてもCSHモデルより説明ができることから優位であると考えられる。

また,低圧ナノろ過プロセスの水処理への適用に関する一例として自転車ポンプシステムを用いたナノろ過膜装置によるバングラデシュ井戸水中に含まれているヒ素の阻止特性を調べた。対象地域はバングラデシュのマニゴン(Manikgonj,深井戸水)とソナルガオ(Sonargao,浅井戸水)の2ヶ所であった。全ヒ素の濃度はマニゴンの井戸水では約400μg/Lであり,ソナルガオの井戸水では約1000μg/Lであった。ヒ素以外の物質としては,鉄,マンガンが多く含まれていた。ナノろ過膜実験はES10(日東電工)とHS5110(東洋紡)のスパイラル系モジュールを用いて行った。運転圧力は0.3MPa〜0.7MPaであった。全ヒ素の阻止率はES10の場合は最大約91%であり,HS5110の場合は最大約95%であった。バングラデシュでのヒ素に対する環境基準は50μg/Lである。取水した地域では,T-Asが最大約1000μg/Lであることを考えると安全な基準値までの飲料水を確保するためには,阻止率をもっと高める必要があると考えられる。そのためには,低い阻止率を示す亜ヒ酸〔As(III)〕のヒ酸〔As(V)〕へ酸化する前処理あるいは膜を2段に設置する方法が考えられる。特に,ヒ素以外に多く含まれている共存物質である鉄による酸化還元反応によって亜ヒ酸のヒ酸へ酸化が期待される。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は、「Rejection characteristics of different species of arsenic compounds by low-pressure nanofiltration and its application to treatment of arsenic contaminated groundwater.(低圧ナノろ過プロセスによるヒ素化合物の形態別阻止特性及びヒ素汚染地下水処理への適用)」と題し、地下水等の他成分系におけるヒ素などの微量有害物質の挙動を予測するモデルの提示とその有効性の検証を行い、さらに低圧ナノろ過をバングラデッシュにおける地下水ヒ素汚染対策に適用した場合の処理特性の解析やプロセスの適用可能性を調べた研究である。

 第1章は「緒論」である。研究の背景を述べた後、本研究の目的と論文の構成を示している。

 第2章「文献レビュー」では、ナノろ過に関する既往の理論をまとめ、またバングラデッシュにおけるヒ素汚染の実態についての文献レビューを行っている。

 第3章「理論的検討」では、ナノろ過膜による地下水中に含まれている形態別ヒ素化合物の阻止メカニズムを立体障害(steric hindrance)モデルによって検討している。特に分子量から求められる立体障害因子を用いたモデル系(simplified steric hindrance,以下SSHと書く)と粒子と孔径サイズの比で表す従来の立体障害因子によるモデル系(conventional steric hindrance,以下CSHと書く)について並列に検討している。両モデルとも荷電膜表面でのDonnan平衡を考慮しており物質ごとについてはそれぞれの分配係数Kiを組み合わせていることが、オリジナルな点である。また,膜内の輸送については,拡散力,電気力及び対流が共に説明できるextended Nernst-Planck式にそれぞれのモデルについてSSH及びCSH因子を加えたのがSSH及びCSHモデルである。

 第4章「実験材料と方法」では、使用したナノろ過装置や分析方法等についてまとめている。

 第5章「微量有機/無機化合物の阻止実験結果」では、特にヒ素について、As(III), As(V)及びDMAAについて形態別分析を行い,それらのナノろ過による阻止特性を調べた結果、As(III)についてはイオンの形で存在するpH範囲では阻止率が高かったが,イオンではない形で存在するpH範囲では阻止率が低かった。As(V)の場合は,pH3〜pH10の範囲では常にイオンの形で存在するため,阻止率が高かった。しかし,DMAAはイオンではないpH範囲にあっても高阻止率を示し,膜と溶質との何らかの相互作用から阻止率が高くなったものと推定された。

 第6章「ナノろ過の輸送パラメータの評価」では、次章での比較を行うための輸送パラメータの決定を非荷電粒子である糖類等を用いて行っている。また他成分系の有効荷電密度については、主成分である塩素イオンによって決定し、ヒ素等の微量成分については主成分により決定される有効荷電密度の下で挙動するという仮説のもとでモデル化を行うことを提案している。これは独創的かつ実用的提案である。

 第7章「形態別ヒ素化合物やその他の陰イオンの阻止におけるモデルと実測値の比較」では、種々のヒ素化合物,及び陰イオンについてナノろ過による阻止特性をSSHとCSHモデルによる計算値と実験から得られた阻止率を比較した。その結果をまとめると、陰イオンとなるヒ素形態,硝酸イオン,硫酸イオン,塩化物イオン及び炭酸塩成分(H2AsO3-, H2AsO4-, HAsO42-,(CH3)2AsO2-, NO3-, SO42-, Cl-, HCO3-, CO32-)については,SSHモデルとCSHモデルによる計算と実験値がほぼ一致する。Donnan平衡の分配係数Kiを考慮しない場合は,SSHモデルとCSHモデルによる実験値の説明が不十分である。すなわち,イオン性物質の阻止には膜の荷電による影響が多かったと考えられる。なお,SSHモデルとCSHモデルで求められたKiの値は両方モデルに置いてそれぞれの差異はなかった。従って、あるイオンに対する分配係数Kiの値は,例えば,バルク濃度が一定の場合,Kiが大きくなるほど荷電膜表面においてイオンの濃度勾配が低くなり,同じイオンに対して,分配係数Kiを考慮しない場合より見かけ上の阻止率は低くなる。すなわち,分配係数Kiの値が大きいほどそのイオンは膜を通り易い傾向を示す。特にDonnan平衡において導入した分配係数Kiについては,陰イオン溶質のモル体積(Molar volume)に対する相関があり,荷電膜を通す陰イオン性物質に関するKiの実験式がES10, NTR729HF及びNTR7250の3種類のナノろ過膜について提案している。

 第8章「低圧ナノろ過プロセスの地下水ヒ素汚染対策への適用ケーススタデイー」では、低圧ナノろ過プロセスの水処理への適用に関する一例として自転車ポンプシステムを用いたナノろ過膜装置によるバングラデシュ井戸水中に含まれているヒ素の阻止特性を調べた。対象地域はバングラデシュのマニゴン(Manikgonj,深井戸水)とソナルガオ(Sonargao,浅井戸水)の2ヶ所であった。全ヒ素の濃度はマニゴンの井戸水では約400μg/Lであり,ソナルガオの井戸水では約1000μg/Lであった。ヒ素以外の物質としては,鉄,マンガンが多く含まれていた。ナノろ過膜実験はES10(日東電工)とHS5110(東洋紡)のスパイラル系モジュールを用いて行った。運転圧力は0.3MPa〜0.7MPaであった。全ヒ素の阻止率はES10の場合は最大約91%であり,HS5110の場合は最大約95%であった。バングラデシュでのヒ素に対する環境基準は50μg/Lである。取水した地域では,T-Asが最大約1000μg/Lであることを考えると安全な基準値までの飲料水を確保するためには,阻止率をもっと高める必要があると考えられる。そのためには,低い阻止率を示す亜ヒ酸〔As(III)〕のヒ酸〔As(V)〕へ酸化する前処理あるいは膜を2段に設置する方法が考えられる。特に,ヒ素以外に多く含まれている共存物質である鉄による酸化還元反応によって亜ヒ酸のヒ酸へ酸化が期待されるとしている。

 第9章は「結論及び今後の課題」である。

 以上要するに、実際の水処理において極めて重要となる多成分系での低圧ナノろ過プロセスの阻止性能を説明するモデルを確立し、ヒ素の形態別阻止特性を定量的に明らかにしたものであり、その学術面での成果は低圧ナノろ過の地下水等への工学的応用に際し極めて貴重な基礎情報を提供している。従って、本論文により得られた知見は都市環境工学の学術の進展に大きく貢献するものである。

 よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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