学位論文要旨



No 116642
著者(漢字) タパ パッタ バハドゥール
著者(英字) Thapa Phatta Bahadur
著者(カナ) タパ パッタ バハドゥール
標題(和) 多角的分析手法を用いた貯水池の自然由来有機物の特性評価
標題(洋) Characterization of Natural Organic Matters in Reservoirs by Multi-Analytical Approaches
報告番号 116642
報告番号 甲16642
学位授与日 2001.09.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第5054号
研究科 工学系研究科
専攻 都市工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 古米,弘明
 東京大学 教授 大垣,眞一郎
 東京大学 教授 花木,啓祐
 東京大学 助教授 滝沢,智
 東京大学 助教授 佐々木,淳
内容要旨 要旨を表示する

 水道水源における水質の悪化や,水道水に起因する健康問題に対する意識の高まりの中で,水道水質の問題は世界の多くの地域において主要な関心事となっている.自然由来有機物(NOM)は,流域から排出される人為由来の汚染物質と共に,水道水源の質的評価において,直接的あるいは間接的に支配する主要な水質成分となっている.水道水質の改善という全体的な目標を念頭に置きつつ,本研究では,貯水池におけるNOMの特性の季節変化,空間変化をモニタリングし,異なる酸化処理および水処理プロセスにおけるNOMの挙動を評価するために,NOMの濃縮方法,特性の評価方法を系統的に開発した.そして,その手法をいくつかの貯水池(霞ヶ浦,津久井湖,印旛沼)の試料に適用し,NOMの多角的な評価を試みることを具体的な目標として設定した.また,貯水池の潜在的な有機物発生源となる底泥からの溶出を対象に,本研究で開発した手法を適用して溶出有機物の有機物特性を評価した.

 本研究でNOMの濃縮のために検討した手法は,RO膜を利用した濃縮方法および凍結乾燥−再溶解方法の2つである.そして,NOMの特性評価のために用いた主な分析手法は,分子量分画クロマトグラフィー(SEC),熱分解GC/MS,蛍光励起発光マトリックス(EEM)分光測定法である.

 まず,NOMの濃縮手順を最適化した結果,NOMの回収率は,膜濃縮法および凍結乾燥−再溶解法のいずれにおいても90%以上を達成することが可能となった.また,分子量分画手法においては,異なるゲルろ過カラム,溶離液,校正用の標準物質,運転条件を検討することにより,NOMの分子量特性を評価するためのSECの諸条件を最適化した.その結果,Shodexカラム,リン酸緩衝液(溶離液),260nmにおけるUV検出,ポリスチレンスルホン酸(PSS:校正用の標準物質)の組み合わせが,NOMの解析に適したSECの条件であることが示された.

 熱分解GC/MS分析については,適当な運転条件を検討し,参照となる標準物質とフラグメント解析パターンを導入し,かつ広範囲な文献からフラグメント化した化合物のデータベースを集めることにより,NOMの組成解析方法の検討を行なった.また,様々な波長の励起光の照射に対する蛍光波長とその強度を測定することで,溶存有機物組成構造を評価する手法である蛍光EEM分光測定も実施した.これらの一連の分析手法から得られた結果と合わせて,溶存有機炭素(DOC),260nm紫外吸光度(UVA260)といった一般的な水質指標や,フミン物質と深い関係にあると言われている水質指標であるトリハロメタン生成能(THMFP)などと総合的に考察を行なった.

 本研究において検討した分析手法を組み合わせることで,津久井湖,霞ヶ浦,印旛沼におけるNOMの特性や季節変動を1年にわたって調査した.分析結果からは,すべての採水地点において,NOMの分子量分布が比較的狭い範囲に入ることが示された.津久井湖のTHMFPは,DOCよりも,260nmにおける紫外部吸光度(UVA260)や単位DOC重量当りのUVA260(SUVA)と良好な相関を示した.津久井湖のDOCは年間を通じて比較的安定であったが,UVA260は季節的に50%までの変動を示した.湖水とその流入河川である道志川のNOMを熱分解GC/MSで解析した結果,河川に存在していたいくつかの高分子量の物質が津久井湖内で消滅するのに対して,湖水は水域で発生したタンパク質様物質を多く含むことが明らかとなった.

 一方,浅い富栄養湖である霞ヶ浦については,5地点の試料を4回(2000年)にわたって分析した.この湖の水は,津久井湖に比べておよそ4倍近いDOC濃度とTHMFPを示した.DOCとUVA260の空間パターンを解析した結果,藻類生産など湖内での有機物生産が,微生物による分解による消失よりも有機物組成に影響が大きいことが明らかとなった.また,水圏起源の有機物は,陸圏起源の有機物に比べて,UVA260成分が少ないことも示唆された.熱分解GC/MS分析から得られるパイログラムに対して,非類似度分析を適用することにより,霞ヶ浦湖水中におけるNOMの特性の季節変化,空間変化を明確に識別することができた.

 また,NOMの組成構造を類型化するために,蛍光EEM分光測定も実施したところ,多くの場合フルボ酸様物質およびタンパク様物質のピークと海水サンプルにおいてフミン酸様物質と同定されているピークなど,計3つの主要なピークを検出することができた.しかしながら,そのピークパターンは比較的単純である,水域や季節的な違いを定量的に類型化するには至らなかった.

 興味ある分析結果として,対象とした3つの水源すべてにおいて人為由来の汚染物質と疑われる2−エチルヘキサノール(2-ethyl-1-hexanol)及びノニルフェノール(nonylphenol)による汚染が確認された.霞ヶ浦では,ジエチレングリコール(diethylene glycol)による汚染も明らかとなった.塩素処理によって,2−エチルヘキサノールの相対濃度は減少するが,ジエチレングリコールは増加することが示された.

 高度酸化処理(AOP)の一つである過酸化水素添加のオゾン処理や粉末活性炭(PCA)を用いた吸着処理を対象に,処理前後におけるNOMの組成変化やTHMFPの低減に関しても評価を行った.津久井湖と霞ヶ浦の試料についてAOP処理を行なったところ,UVA260は50%以上減少したにもかかわらず,DOCとTHMFPは4.5mgO3/mgDOCという高いオゾン注入量であっても有意な減少が見られなかった.一方,活性炭注入量500mg/l,接触時間4時間の条件でPAC処理を行なったところ,すべての分子サイズフラクションから非選択的にNOMが非常に効率よく除去され,結果的にDOCは90%,THMFPとUVA260は98%減少した.NOMの分子量,分子量分布,蛍光特性,化学変化に対する塩素処理の影響の評価にも本研究で開発した手法を使用した.この結果,遊離塩素濃度2mg Cl2/mg DOC,接触時間24時間の条件では,UVA260と蛍光強度が著しく減少することが確認された.また,ゲルろ過による分子量分布測定を行った結果,明確な差とは言えないものの高分子から低分子に3%ほどわずかに移動した.塩素処理の結果,ベンゼン誘導体の相対濃度が減少し,脂肪族化合物やタンパク質様化合物が増加することが熱分解GC/MSの分析結果から示された.

 好気および嫌気条件下において,底泥からのDOMやTHM前駆物質の溶出潜在力を評価するために,津久井湖の底泥を用いた溶出実験を行なった.好気および嫌気条件下での溶出有機物組成の違いを,熱分解GC/MS分析により比較したところ,好気条件下では硫黄含有化合物,嫌気条件下ではpolyhydroxy aromaticsや脂質,リグニンの存在が特徴的であることを明らかにした.3週間の実験期間に,好気条件下におけるDOCとTHMFPの見かけの溶出蓄積量は,それぞれ214mg/kg乾燥底泥,6mg/kg乾燥底泥に達した.嫌気条件下では,好気条件下の3倍近い蓄積量(DOC : 525mg/kg乾燥底泥,THMFP : 17mg/kg乾燥底泥)が確認され,かなりの量の有機物が底泥から溶出し蓄積すること,そしてそれに伴いTHM生成の増加につながることが推測された.底泥だけでなく,溶存熱分解GC/MS分析の適用は,好気条件下,嫌気条件下で溶出した底泥中の有機物成分を識別するのに非常に有効であった.

審査要旨 要旨を表示する

 本論文では,貯水池における自然由来有機物(NOM)の濃度や組成の季節変化や空間変化をモニタリングしたり,水処理プロセスにおけるNOMの挙動を評価したりするために,NOMの濃縮方法,特性の評価方法を系統的に検討している.そして,その手法をいくつかの貯水池や湖沼の試料に適用するだけでなく,それらの試料の酸化処理前後におけるNOMの組成や構造変化について多角的な評価を試みることを具体的な目標として設定している.また,貯水池の潜在的な有機物溶出発生源となる底泥を対象に,嫌気及び好気条件での溶出有機物についてその特性を評価・検討したものである.論文は,9章より構成されている.

 第1章では,研究の背景と目的および論文構成について述べている.

 第2章では,飲料水水質成分としてのNOM問題,NOMの分析や濃縮方法,さらにはその特性評価に関する従来の基礎的な知見を整理している.

 第3章では,本研究において,対象とした貯水池や湖沼の概要を述べるとともに,現場での採水地点や採水・採泥方法,採取した試料の水質や底質の分析方法,試料の濃縮方法や凍結乾燥方法の基礎を整理している.

 第4章では,まず,有機物濃度が低い試料からNOMを濃縮する方法を二つ検討した結果を説明している.RO膜による濃縮法および凍結乾燥−再溶解による濃縮法のいずれにおいてもDOC回収率として90%以上を達成しており,有効な濃縮法を提案している.また,NOMの特性評価のために用いた主な手法として,分子量分画クロマトグラフィー(SEC),熱分解GC/MS,蛍光励起発光マトリックス(EEM)分光測定法について説明している.特に,分子量分画手法においては,異なるゲルろ過カラム,溶離液,校正用の標準物質,分析条件を検討することにより,NOMの分子量特性を評価するためのSECの諸条件を最適化している.熱分解GC/MS分析については,湖水の溶存有機物にとって適当な分析条件を検討した.得られる熱分解パイログラムパターンと標準物質のパターンを比較したり,多数の文献におけるパイログラムデータを総合的に整理することを通じて,NOMの組成解析が行える手法を提案している.

 第5章では,第4章で示した分析手法を組み合わせることで,津久井湖,霞ヶ浦,印旛沼におけるNOMの特性や季節変動を1年にわたって調査した結果を報告している.すべての試料のNOM分子量分布が比較的狭い範囲に入ることを示した.また,津久井湖のTHMFPは,DOCよりも260nmにおける紫外部吸光度(UVA260)や位DOC重量当りのUVA260(SUVA)と良好な相関を示すことや,湖水とその流入河川である道志川のNOMを熱分解GC/MSで解析した結果,河川に存在するいくつかの高分子量の物質が湖内で消滅するのに対して,湖水は水域で発生したタンパク質様物質を多く含むことなどを明らかにしている.

 一方,浅く富栄養湖である霞ヶ浦においては,山地に位置する津久井湖に比べておよそ4倍近いDOC濃度とTHMFPを観測した.そして,DOCとUVA260の空間パターンを解析した結果,藻類生産など湖内での有機物生産が,微生物による分解による消失よりも有機物組成に影響が大きいことを明らかにしている.また,水圏起源の有機物は,陸圏起源の有機物に比べて,UVA260成分が少ないことも示唆している.同時に,霞ヶ浦湖水中におけるNOMの特性の季節変化,空間変化を,熱分解GC/MS分析から得られるパイログラムに関する非類似度分析により検討可能であることを示した.

 第6章では,津久井湖と霞ヶ浦の試料について高度酸化(AOP)処理を行なったところ,UVA260は50%以上減少したにもかかわらず,DOCとTHMFPは高いオゾン注入量であっても有意な減少が見られなかったことを示している.塩素処理でも,UVA260と蛍光強度が著しく減少すること,分子量が3%ほど低下すること,有機物構造としてはベンゼン誘導体が相対に減少し,脂肪族化合物やタンパク質様化合物が増加することなどを示した.

 第7章では,好気および嫌気条件下における底泥からのDOMやTHM前駆物質の溶出潜在力を評価している.好気および嫌気条件下での溶出有機物組成の違いを,熱分解GC/MS分析により比較したところ,好気条件下では硫黄含有化合物,嫌気条件下ではpolyhydroxy aromaticsや脂質,リグニンの存在が特徴的であることを明らかにしている.また,嫌気条件下では,好気条件下の3倍近い有機物の見かけの溶出量が確認され,そしてそれに伴うTHM生成能の増加を指摘している.溶出有機物と同時に底泥自体について熱分解パイログラムを得ることは,底泥起源有機物の生物分解の影響を考察するのに非常に有効であることを報告している.

 第8章では,熱分解GC/MS分析結果から,対象とした3つの水源すべてにおいて人為汚染物質と疑われる2−エチルヘキサノール(2-ethyl-1-hexanol)及びノニルフェノール(nonylphenol)の存在を確認し,霞ヶ浦では,さらにジエチレングリコール(diethylene glycol)による汚染もあることを報告している.このような低濃度で存在する微量有機物のモニタリングにおいて,凍結乾燥試料の熱分解GC/MS分析が比較的簡易で有効な手法であることを示唆している.

 第9章では,上記の研究成果から導かれる結論と貯水池など水道水源のNOM特性評価における今後の課題や展望が述べられている.

 以上の成果は,水道水源として重要な貯水池や湖沼における溶存有機物の特性をモニタリングし,飲料水水質の観点から評価する上で非常に有用な手法を提案しているだけでなく,その手法による調査データとして,溶存有機物の分子量や化学構造の変化を体系的な知見として整理しており,都市環境工学の学術の進展に大きく寄与するものである.

 よって,本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる.

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