学位論文要旨



No 116652
著者(漢字) 松岡,昭彦
著者(英字)
著者(カナ) マツオカ,アキヒコ
標題(和) ディジタル無線通信における変調信号の線形伝送方法に関する研究
標題(洋)
報告番号 116652
報告番号 甲16652
学位授与日 2001.09.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第5064号
研究科 工学系研究科
専攻 電子情報工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 今井,秀樹
 東京大学 教授 青山,友紀
 東京大学 教授 高野,忠
 東京大学 教授 廣瀬,啓吉
 東京大学 助教授 森川,博之
 東京大学 助教授 瀬崎,薫
内容要旨 要旨を表示する

 「いつでも、どこでも、だれとでも。」のキャッチフレーズで知られる、携帯型の無線電話は、いまでは、ポケットにすっきりと収まる100g以下が当たり前であるが、もともとは自動車電話として始まったものであり、当初は5,000ccで10kgという携帯とはほど遠いものであった。やがて、規制緩和を背景とした競争原理による加入料・通話料の大幅な下落と、デバイス技術の進展とディジタル信号処理技術に支えられた利便性の向上によって携帯電話は爆発的に普及し、日本国内におけるPDCとPHSをあわせた加入台数は2001年5月末で6800万台を越え(人口普及率で50%超)、私たちの日常生活に深く浸透している。

 一方、普及率の急増に伴い、加入者容量の増加と伝送速度の高速化を中心としたサービスの向上が、より強く要望されている。加入者容量の増加と伝送速度の高速化は有限である周波数資源を考えると、いかにしてその利用効率を高めるかということがポイントとなる。

 公衆網としての移動体通信システムでは、主としてディジタル信号処理技術によって、周波数利用効率の向上が図られてきた。その結果、通信レートの高速化とチャネル数の増加を両立した。しかし、これらの方式は、新たな周波数領域(ある程度のまとまった帯域が利用可能な周波数領域)を割り当てることが可能である新世代の移動通信網において有効な手段であり、狭帯域のアナログFM変調方式を用いている無線通信システムには適用してもあまり効果が期待できない。このようなシステムでは、多値QAMを用いた周波数利用効率の向上とデータ電送速度の高速化が考えられる。多値QAMを用いることによって、従来と同じ周波数資源のまま、通信レートを数倍に引き上げることが可能となる。実際、地方自治体における地域防災無線や電力、鉄道などの自営系の無線通信システムでは、新たな周波数資源を確保することは難しく、ディジタル化によるサービスの高機能化を含めて、ユーザレートの高速化に対する要望は強い。

 ただし、多値QAMを用いる場合、変調信号のダイナミックレンジの拡大を考慮する必要がある。ダイナミックレンジの拡大は、無線機中で最大の電力消費部である送信系の電力増幅部の線形性をより高める必要があることを意味する。しかし、電力増幅部の線形性を高めると電力効率が劣化し、携帯型端末には致命的な問題となる。したがって、無線送信部の線形性を確保する何らかの手段を講じるか、変調信号のダイナミックレンジを抑圧する必要がある。不要電波対策として携帯電話システムの基地局には、フィードフォワード方式による非線形歪補償が採用されているが、電力効率があまりにも低く、上記の目的には適用できない。また、マルチキャリア方式を用いたシステムでは効率的なダイナミックレンジ抑圧方法が提案されているが、シングルキャリア方式では大きな成果は報告されていない。

 以上のような背景をふまえて、本論文では、送信変調信号の線形性を確保したまま無線通信を行う手段の確立を目的とし、非線形歪補償と、多値QAM信号のダイナミックレンジ抑圧による、線形性の確保方法について論じている。

 無線機中の送信電力増幅器で発生する非線形歪を何らかの外部回路で抑圧しようとするのが非線形歪補償である。古くから、ダイオードなどの非線形素子を使った回路で送信電力増幅器の特性と逆の入出力特性を持つ歪補償部を設け、送信系全体の線形性を確保する方式が検討されていたが、個別の特性ばらつきや補償精度の問題が大きく、商用レベルにはほとんど達していない。この他にも送信系の非線形歪補償としては、様々な方式が提案されているが、本輪文では非線形歪の補償特性に優れた方式として、アダプティブ・プリディストーション法に着目した。無線機の送信部の線形性を確保する手段として、ベースバンド帯のディジタル信号処理によって実現できる、ハイブリッド・アダプティブ・プリディストーション法を開発し、従来手法との比較を行った。本方式の非線形歪補償装置を試作し、隣接チャネル漏洩電力比(ACPR:Adjacent Channel Power Ratio)で、-55dBc以下を達成した。従来のLUTを用いたアダプティブ・プリディストーション法と比較して、100倍近くの高速動作が可能であった。また、カーテシアンループ法と比較して同等以上の非線形歪補償特性が得られることを示した。

 周波数利用効率の高い変調方式として多値QAMを適用すると、大きなPAPRが発生する。これは、多値QAMでは振幅方向に情報を付加しているため、PSKを適用した場合と比較して変調信号の振幅変動が大きく、平均電力に対して大きな瞬時電力が発生するためである。本論文では、多値QAMを適用した変調信号の平均電力、最大瞬時電力を解析した。通常の無線通信システムで帯域制限フィルタとして用いられているルートレイズドコサインフィルタを適用した場合の変調信号の最大瞬時電力について、発生確率を近似的に求め、十分な精度が得られることを示した。これにより、変調信号のPAPRを定量的に解析することが可能になる。

 上記で得られた知見に基づき、変調信号の座標軸を回転することによって、大きな瞬時電力が発生する信号点の遷移を制限する手法について論じた。提案手法により、簡易な変調方式で約2dBのPAPR低減効果が得られることを示した。また、パイロット信号を用いて準同期検波を行う16QAMを適用した無線通信システムにおいて、パイロット信号の最適配置を検討し、効果が得られることを示した。

 以上をまとめると、本論文では、無線通信システムにおける変調信号の線形伝送方法について、非線形歪を補償する手法と、変調信号のダイナミックレンジを抑圧する手法について定量的な評価指針を与え、従来手法と比較して優れた手法を提案し、検討を行った。本研究の成果は、線形変調方式を用いた無線通信システムを設計する際の定量的な指針を与えるもので、移動体通信分野の技術進歩に貢献するものである。

審査要旨 要旨を表示する

 線形変調を用いたディジタル無線通信システムは、携帯電話を中心として爆発的に普及し、日本国内におけるPDCとPHSをあわせた加入台数は、人口普及率で50%超を越え、私たちの日常生活に深く浸透している。本論文は、「ディジタル無線通信における変調信号の線形伝送方法に関する研究」と題し、線形変調システムの変調度を増加したときの最大の問題点である変調信号のダイナミックレンジの増大について確率的分布を理論的に明らかにするとともに、複数のダイナミックレンジ確保方法を提案し、またそれらの特性について理論的な解析や実験による検討を行ったものである。

 第1章「序論」では、まず線形変調を用いたディジタル無線通信における高効率変調技術の問題点を挙げ、本研究の動機と目的について述べている。

 第2章は「無線通信システムにおける送信部の非線形性の影響」と題し、本研究で前提としている線形変調信号を適用した無線通信システムにおいて、無線送信部に非線形性が存在する場合の問題点について述べ、無線送信部の線形性を確保する手段について言及している。

 第3章は「送信系の非線形歪補償方式」と題し、非線形歪補償方式による送信系のダイナミックレンジ確保方法について検討を行っている。

 まず、現在までに提案されている送信系の非線形歪補償方式について、その動作と特徴について言及し、従来方法の課題について考察を行っている。特にアダプティブ・プリディストーション法について実用性の高い構成について検討し、動作特性を劣化させる直交変復調部の3種類の歪成分による影響を理論的に解析し、シミュレーションによる定量的な検討を行っている。

 さらに、W-CDMA(Wideband Code Division Multiple Access)などの第3世代移動体通信に適用可能な広帯域信号の非線形歪補償が実現できる方式について、ハードウェアロジックに適した回路構成およびアルゴリズムを提案し、実験による評価と考察を行っている。

 第4章では「変調信号のダイナミックレンジの抑圧」と題し、多値直交変調信号のダイナミックレンジについて理論的な解析を行い、変調信号のパワーの確率分布を求める近似式を導出し、シミュレーションによる検証を行い、その妥当性を明らかにしている。さらに、信号点の遷移制限を応用した座標軸を回転させる方法による16QAM信号のダイナミックレンジ抑圧法を提案し、理論的解析とシミュレーションによる評価を行っている。

 さらに第5章「パイロットシンボルを利用する無線システムへの応用」では、ダイナミックレンジを抑圧した16QAM信号を用いる無線通信システムの具体例として、パイロット信号を用いる準同期検波を用いたシステムを取りあげ、パイロット信号に座標軸の回転情報を付加する方法と最尤系列復号アルゴリズムを組み合わせた、実現可能な送受信法を提案し、受信特性をシミュレーションにより明らかにしている。

 第6章は「結論」で、本研究の総括を行い、また今後の移動体通信システムに対するダイナミックレンジ確保方法の可能性についての展望を述べている。

 以上これを要するに、本論文は、線形多値変調方式のダイナミックレンジ増大の解析およびダイナミックレンジ確保手法を理論と実験により検討し、その現状および実現性について明示したものであり、今後の高効率移動体通信技術の発展において貢献するところが少なくない。

 よって、本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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