学位論文要旨



No 116656
著者(漢字) 篠森,重樹
著者(英字)
著者(カナ) シノモリ,シゲキ
標題(和) 層状ニッケル酸化物単結晶薄膜の金属絶縁体転移
標題(洋)
報告番号 116656
報告番号 甲16656
学位授与日 2001.09.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第5068号
研究科 工学系研究科
専攻 物理工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 十倉,好紀
 東京大学 教授 宮下,精二
 東京大学 教授 鹿野田,一司
 東京大学 教授 内田,慎一
 東京大学 教授 宮野,健次郎
内容要旨 要旨を表示する

 薄膜合成法は、固相反応法や融液・溶液成長法等に比べ、固溶範囲が広い場合が少なくなく、バルクでは合成が難しい物質でも、薄膜により合成が可能となる場合が稀ではない。層状ペロブスカイトNi酸化物La2-xSrxNiO4(以下、LSNOとする)は、代表的な銅酸化物高温超伝導体であるLa2-xSrxCuO4と同じK2NiF4型擬二次元結晶構造を有し、ストライプ秩序やフィリング制御の金属絶縁体転移を起こす点でも共通している貴重な物質系である。xが0.5以下で、バルク単結晶の合成が可能であり、その絶縁相におけるスピン・電荷秩序が精力的に調べられてきた系である。それに対し、x>0.6ではバルク単結晶の合成は難しく、その金属絶縁体転移(x〓1.0で起こることが知られている[1])については、あまり理解が進んでいない。そこで、LSNOの単結晶薄膜をパルスレーザ堆積法(通称PLD法)を用い、金属絶縁体転移臨界領域を含む、広範な組成範囲にわたって合成した。また、LSNOは擬二次元系であるから、その異方性を考慮した物性測定は不可欠である。この点に鑑み、c軸配向薄膜のみならず、a軸配向薄膜の合成も行った。これらの試料を用いて、電荷ダイナミクス及び異方的電子構造変化の観点から、LSNOの金属絶縁体転移の研究を行った。

1.実験方法

 LSNOの単結晶薄膜を0.5≦x≦1.5の範囲で、PLD法により合成した。使用した基板は、c軸配向薄膜についてはLSAT(100)(立方ペロブスカイト構造)、a軸配向薄膜についてはLaSrAlO4(100)(K2NiF4型構造)である。合成条件は基板温度900〜1000℃、酸素分圧が0.1〜50mTorrである。成長後、400℃、酸素1気圧でアニールを行った。膜厚は約1000Aである。得られた試料に対して、4軸X線回折による結晶評価、抵抗率、ホール係数、光学測定を行った。

2.X線回折による薄膜試料の評価

 得られた試料はすべて4軸X線回折による評価を行った。c軸、a軸配向薄膜ともに、単相であり、配向性も申し分無く、基板の方位を保ったまま、エピタキシャル成長されている事がわかった。c軸配向薄膜は、低ドープ側を除き、基板からの格子歪は緩和されていることがわかった。そのため、格子定数はドーピングに対して、バルクのそれと同じような変化をする。それに対して、a軸配向薄膜の方は、奇妙な変化をする。これは、格子歪に大きな異方性を有するためである。

3.面内電荷ダイナミクス変化

 LSNOの低ドープ側では、x=1/3で最も安定化されるスピン・電荷ストライプ相が低温で広がっている。一方、x=0.5では、室温よりかなり高い温度から、(π,π)型の電荷秩序が発達し、x=0.6までその存在が、多結晶体による電子線回折実験によって確認されている[2]。この電荷秩序相がどのように金属相へつながっていくかを、面内電荷ダイナミクス変化の観点から、調べるのが目的である。

 図1に、0.5≦x≦1.4における、面内電気抵抗率の温度変化を示す。抵抗率は0.5から1.4まで、系統的に低下する。0.8以下では、抵抗率は指数関数的に発散するのに対して、0.9以上では、絶対零度でも抵抗率が有限に留まることが、低温における抵抗率の温度依存性から示唆された。したがって、金属絶縁体転移の臨界点はx=0.9付近であると推定される。0.9≦x≦1.2では、抵抗率が極小を示す温度が系統的に低下し、x≧1.3ではもはや観測されない。x=1.4における残留抵抗率は〓70μΩcmであり、多結晶体のそれに比べ、ずっと低い。

 図2には光学伝導度スペクトルσ(ω)の温度依存性を示す。まず、x=0.5の温度変化に着目する。σ(ω)は広範なエネルギー領域(少なくとも3eV)にわたって温度変化しており、約0.6eVを境にして、低エネルギー側のスペクトル重率が高エネルギー側へ移行している。このような電荷ギャップの形成はx=1/3[3]でも観測されており、また、近時の中性子散乱実験の結果から、(π, π)型の電荷秩序形成に伴う変化である事が判明している[4]。このような電荷ギャップ形成は、そのギャップの大きさを小さくしながら、高濃度側まで顕著に観測されている。x=0.8まで、矢印で示した等吸収点は系統的に低エネルギー側にシフトしている。x=0.9, 1.0では、一見すると、電荷ギャップの形成は見られないが、伝導率はleVのエネルギー範囲で増大しており、これは基板の吸収で測定不能な0.2eV以下において、擬ギャップが形成され、スペクトル重率が移行してきていると見るのが妥当であろう。したがって、この領域では、かろうじて金属的伝導が観測されるが、電荷秩序不安定性に起因する擬ギャップ形成が示唆される。これに対して、x=1.2では温度変化は極めて弱く、ギャップはx〓1.2で閉じていることが示唆される。

 図3では、金属絶縁体転移に関係するいくつかの量をxについてまとめた。最上段は、2Kにおける伝導度である。第二段は5K, 380Kにおけるホール係数の値をプロットしてある。ホール係数は0.9≦x≦1.2の金属相においても強い温度依存性を示し、温度依存性はxの減少とともに強くなる。第三段はμSR[5]および中性子散乱[6]から得られた反強磁性転移温度を示した。最下段には、光学スペクトルの温度依存性から得られた、ギャップの大きさにこでは等吸収点とした)をプロットした。このように、絶縁相(おそらくスピン・電荷秩序を伴う)に隣接して、広い範囲にわたって、強いスピン・電荷相関を伴う非局在相が存在していることがうかがえる。

4.異方的電子構造変化

 LSNOの広範な組成における、とりわけ、金属絶縁体転移近傍の異方的な電子構造の変化を調べるため、a軸配向薄膜における面内(E//b)、面間(E//c)の光学スペクトルのx依存性を詳細に調べた。結果を図4に示す。左側がE//b、右側はE//cに対するものである。全般的な特徴として、本系の擬二次元性を反映して、異方性は極めて大きい。特に低エネルギー領域では、面内が金属化ともにドルーデ的なスペクトルへと変化するのに対し、面間は、0.5eV以下のスペクトル重率が極端に抑えられている。これはLa2-xSrxCuO4とも共通する特徴である。面内・面間とも質的に大きな構造変化はx〜0.8、すなわち、金属絶縁体転移近傍で起こっている。面内は約0.7eVおよび1.5eVに見られる構造がソフト化し、やがてドルーデ的なスペクトルヘと変化していく。面間は、x≦0.7で見られる約3.5eVの構造が徐々になまり、それに代わって、低エネルギー側に構造が現れ始める。3.5eVの構造は酸素2pzから3z2-r2軌道に由来するupper Hubbard bandへの電荷移動(CT)励起であると考えられ、x≦0.7ではこのCT励起が面間の最低励起になっていると考えられる。x〜0.8で3z2-r2軌道にもホールが導入され始め(x〓0.5までは、ホールはx2-y2、酸素の2px, y、あるいはそれらの混成バンドに入る)、異なる形式的なNiの価数(Ni3+, Ni4+)に対する電荷移動励起が逐次現れてくる。

 LSNOの金属絶縁体転移の顕著な特徴は、電荷秩序の融解を伴っている事であろうと考えられる。電荷秩序の形成により開いた電荷ギャップは、ドーピングとともに系統的に閉じていき、金属化する。また、金属絶縁体転移近傍で3z2-r2軌道にもホールが導入され始めるということも、重要であると考えられる。なぜなら、LSNOの電子配置を考えた場合、x2-y2/3z2-r2両軌道にホールが導入されてはじめて、スピンが消失し、遍歴性が増大すると考えられるからである。

[1]Y.Takeda et al., Mater.Res.Bull.25,293(1990). [2]C.H.Chen et al., PRL71,2461(1993).

[3]T.Katsufuji et al., PRB 54, R14230(1996).[4]K.Ishizaka et al., unpublished.

[5]Th.Jestadt et al., PRB 59,3775(1999).[6]H.Yoshizawa et al., PRB 61,854(2000).

図1

図2

図3

図4

審査要旨 要旨を表示する

層状ペロブスカイト(K2NiF4)構造を有するニッケル酸化物La2-xSrxNiO4は、ストライプ状のスピン・電荷秩序を示す典型的な系として広く研究されてきた。また、同様の結晶構造をとる高温超伝導体La2-xSrxCuO4の物性との対比の観点からも関心が高い。本論文では、従来、高ドープ領域で良質試料の得られなかったこの系について、精密な輸送現象の測定と光学伝導度スペクトルの測定が可能な単結晶薄膜試料を作製し、x=0.5での電荷秩序状態から始めて、ホールドーピングの進行とともに、電荷秩序の融解に伴う絶縁体−金属転移とこれに伴う電荷ダイナミックスの変化を明かにしたものである。

 本論文は、6章からなる。

 第1章では、序論として、本研究の背景が述べられている。特に、現在までに得られている、比較的低ドープ域(x<0.5)でのストライプ秩序に関する知見が紹介されており、これを踏まえて、本論文研究の意義と目的が述べられている。

 第2章では、薄膜合成法、X線回折測定、輸送現象(抵抗率、ホール効果)測定、光学物性(光吸収・ラマン散乱スペクトル)測定法などの、各種実験方法が詳細に述べられている。本研究の特色の一つは、従来単結晶合成が不可能であった高ドープ側(x>0.5)のLa2-xSrxNiO4(LSNO)の高品質試料を、レーザーアブレーション(PLD)法を用いて、I-M転移点をまたぐ広い組成域x=0.5−1.4で作製して精密な物性測定を可能にした点である。ここでは、c軸配向膜とa軸配向膜の両方を作製するために、基板結晶の選択と最適化したPLD製膜条件が述べられている。また、実験で得られる光の透過率スペクトルと反射率スペクトルから複素誘電率を導くために計算処方が述べられており、後の章で、薄膜単結晶の異方的な光学的伝導度スペクトルを議論するための準備としている。

 第3章は、LSNO薄膜の配向制御についての結果と議論に充てられている。PLD法により、LSAT(LaSrAlO4)単結晶基板の(001)面および(100)面上に各々形成されたc軸およびa軸配向膜について、その配向性および単結晶性をX線回折で評価し、また、各配向膜での格子定数の組成x依存性を調べている。c軸配向LSNO薄膜では、エピタキシャル歪みが緩和して、各格子定数はバルク試料に近いものとなっている。これに対し、a軸配向膜では、格子整合によってエピタキシャル歪みが蓄積される軸が、x=1.0付近を境に、c軸からa軸へ変化するなど、異方的な結晶構造に特有な興味深い成長様式が観察されている。

 第4章は、絶縁体−金属(I-M)転移に伴うNiO2面内の電荷ダイナミクスの変化と関係する電子構造の変化が、輸送現象の測定と光学測定の結果に基づいて、議論されている。まず、抵抗率の温度依存性およびドーピング濃度x依存性から、x=0.9付近で、I-M転移が起こることが確認された。金属状態へ転移後、抵抗率は低温域で温度に比例しており、2次元系の反強磁性スピン揺らぎを有する系に特有な振る舞いを示すことが明かにされている。また、光学伝導度スペクトルの結果からは、絶縁体組成域(x<0.9)では室温程度からの温度の減少に伴って、顕著なギャップ構造の形成と0-2eVの広範囲にわたるスペクトル重率の移動が観測された。x=0.5単結晶試料での既知の特徴との比較・類推から、これがNiO2面での(π, π)型の電荷整列に由来することが結論されている。注目すべきは、このようなギャップ形成の兆候、あるいは擬ギャップの形成がI-M転移点近傍の金属組成域(x=0.9−1.0)においても明瞭に観測されていることであり、これは、金属相においても強い電荷秩序の揺らぎの存在を示唆している。また、これに対応して、ホール係数はI-M転移点近傍では、強い温度変化を示すことが観測されており、電荷秩序の揺らぎあるいはこれに伴う反強磁性スピン揺らぎが、輸送現象と電荷ダイナミクスに支配的影響を与えていることが結論されている。

 第5章では、おもにa軸配向LSNO膜(x=0.5−1.4)について、面内偏光およびc軸偏光の光学伝導度スペクトルの系統的変化を詳しく測定し、これに基づきLSNOでの電子構造の変化が議論されている。LSNOは同構造の超伝導体La2-xSrxCuO4(LSCO)と異なり、伝導電子バンドがx2-y2軌道および3z2-r2軌道由来の2つがあるため、ドーピング濃度の進行によって、伝導電子(あるいはホール)の軌道の性格がかわってゆく。本章では、0.2-4.5eVの広いエネルギー領域での各スペクトル構造の組成変化を丹念に追跡することによって、関係する電子遷移の同定を行い、軌道占有率の変化と関係した電子構造の変化を議論している。

 第6章は、本論文全体のまとめにあてられている。輸送現象測定で得られた電荷ダイナミクスのドーピング依存性を、光学測定で得られた電子構造変化の知見と合わせて、総合的な議論が展開されている。

 以上を要するに、本論文では層状ニッケル酸化物において、従来には得られなかった高ドーピング濃度領域の単結晶試料をレーザーアブレーション法によって作製し、電荷ダイナミクスと電子構造の系統的変化を明かにした。特に、絶縁体−金属転移点を超えて、金属状態にいたるまでの、電荷秩序および電荷相関の影響を、はじめて明かにした。擬2次元強相関電子系酸化物として代表的な本系でのモット転移に関する重要な知見を得たという点で、強相関電子系に関する電子物性・機能の臨界制御と言う観点からも、物性工学の進展に寄与するところが大きい。

 よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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