学位論文要旨



No 116657
著者(漢字) 青木,隆朗
著者(英字)
著者(カナ) アオキ,タカオ
標題(和) 半導体における励起子間相互作用と非線形光学応答の研究
標題(洋)
報告番号 116657
報告番号 甲16657
学位授与日 2001.09.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第5069号
研究科 工学系研究科
専攻 物理工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 五神,真
 東京大学 教授 井元,信之
 東京大学 助教授 古澤,明
 東京大学 助教授 香取,秀俊
 東京大学 助教授 岡本,博
 東京大学 助教授 清水,明
内容要旨 要旨を表示する

 少数の光子で動作する非線形光学固体素子は、基礎・応用の両面において重要であるが、その実現のためには何らかの共鳴構造を利用して大きな非線形性を引き出す必要がある。そのため、半導体励起子共鳴での非線形光学応答は精力的に研究されている。原子系の非線形光学応答が孤立2準位系の応答を表す光ブロッホ方程式(Optical Bloch Equation, OBE)によってよく記述されるのに対して、半導体中の電子・正孔系にはキャリア間のクーロン相互作用が強くはたらくため、この系の非線形光学応答を記述するには多体効果を取り入れなければならない。特に、励起子系の3次の非線形光学応答においては電子、正孔の4体の相関が重要な寄与をもつことがわかってきた。このような4体の相関を取り入れた微視的な理論はDynamics Controlled Truncation Scheme(DCTS)として定式化されており、これに基づいた解析が活発になされている。しかし、4体の相関を第一原理的に計算する立場ではさまざまな近似を取り入れざるを得ず、その正当性の検証は困難である。非線形素子の物質設計への指針としては、4体の相関を有効に取り込んだ現象論的な理論を構築し、またその妥当性を検証する実験を行うことが重要であると考えられる。

 そのような現象論として、励起子のボゾン的な性質を出発点とする、いわゆる「励起子描像」がある。励起子は希薄な極限ではボゾンであるから、励起子の非線形性は理想的なボゾンからのずれに起因する。この立場に立って、非線形性の起源としてスピン依存性を含んだ励起子間相互作用、および位相空間充填効果を考えたものが「弱く相互作用するボゾンモデル(WIBM)」である。このモデルでは4体の相関の重要な部分が励起子2体間の相互作用として取り込まれている。本研究では典型的な半導体であるGaN、ZnSe、GaAsに対して4体の相関の効果を引き出す実験を行い、WIBMの妥当性を検討する。

 通常の時間領域での四光波混合測定で得られる遅延時間依存性は線形分極の緩和を反映しており、この測定から4体の相関の効果を抽出することは一般に困難である。しかし、非線形分極の位相を反映する測定ができれば、そこから4体の相関についての情報を引き出せると考えられる。本研究では、そのような測定として量子ビートに着目した。励起子量子ビートの周期には2つの励起子準位間のエネルギー差が表れるだけであるが、その位相は非線形分極の位相を反映していると考えられる。そこで本研究では、量子ビートの位相を測定することで、その偏光依存性から2種類の励起子の系でのスピンに依存した励起子間相互作用について調べることができるのではないかと考え、GaNのA-、B-励起子間、およびZnSeのlight-hole、heavy-hole励起子間の量子ビートを測定した。

 実験では、フェムト秒パルスの中心波長を2つの励起子共鳴の中心に合わせ、各励起子共鳴における信号を分光器で切り出した。GaNについての結果を下図に示す。また、各偏光配置でのビートの位相φを表にまとめてある。WIBモデルを3バンドの系に拡張し、励起子描像で励起子量子ビートの起源を考察すると、A-、B-励起子間の相互作用、および位相空間重点効果によってビートが表れることがわかった。すなわち、励起子量子ビートの起源は異種励起子(A-B)間の相関であるといえる。さらに、得られた実験結果との比較を行う。直線偏光を用いた配置では、両方の励起子共鳴で同じ位相が観測され、平行配置、直交配置でそれぞれ0、およびπであること、また、100%近いビートのコントラストをもつことから、異種励起子(A-B)間、および同種励起子(A-A、B-B)間の相互作用を表すパラメータについて次式の関係が得られる。

式(1)より、励起子間相互作用、および位相空間充填効果は2つの励起子が同じスピンの電子をもつかどうかのみによって決まることがわかる。これは正孔が電子よりも大きな有効質量をもつことを反映していると考えられる。また、式(1)は、同じ向きのスピンをもつ異種励起子間には引力的な相互作用がはたらくことを示しているが、これは最近報告されている"mixed biexciton"の偏光依存性ともよく一致している。また円偏光を用いた配置では、それぞれの励起子共鳴で、同じ大きさで逆符号の位相が観測されたが、この位相から励起子間相互作用の大小関係、および実部と虚部(EID)の寄与の比がわかる。すなわち、である。式(2)は、独立に得られた式(1)と矛盾しない。また、式(3)より、ZnSeはGaNと比較してEIDの効果が強いことがわかる。

 また最近、4体の相関における動的な効果(メモリー効果)が無視できないことを示す実験結果が報告されており、DCTSなどの微視的な理論においても動的な効果の取り込みが試みられている。励起子間相互作用のうちで瞬時的な相互作用の成分と、有限の相関時間をもつ動的な成分は非線形分極の実時間での変化に異なった寄与を示すが、これを時間領域で直接測定すると、パルスのスペクトル幅内の励起がすべて関与し、非縮退の過程が含まれるため個々の寄与を分けて抽出するのは困難である。そこで本研究では、ピコ秒レーザーのパルスがスペクトル幅としては縮退過程のみがおこるとみなせる程度に十分狭く、また有限のパルス幅を持つために時間領域での測定を行える点に着目し、GaNの励起子共鳴、励起子分子共鳴での縮退四光波混合測定により、時間領域で動的な効果を抽出した。

 左下図は直線直交偏光、および同じ向きの円偏光配置で、遅延時間原点における縮退四光波混合信号をレーザーの中心波長を連続的に走査して得られた四光波混合スペクトルである。また、右下図はレーザーの中心波長を励起子共鳴、および励起子分子共鳴に固定して測定した四光波混合信号の遅延時間依存性である。信号強度の最大値を与える遅延時間は、励起子共鳴、励起子分子共鳴のそれぞれでTmax=0.4ps、-0.3psであった。

 四光波混合信号の遅延時間依存性に表れるシフトは位相空間充填効果vと励起子分子Kの競合を反映している。瞬時的な相互作用に起因する項W-Rは周波数によらないので、Tmaxの周波数依存性から動的な効果を引き出せることがわかる。実験結果から、励起子系の非線形光学応答における位相空間充填効果の寄与と励起子分子の寄与の比較を行った。

 一方周波数領域では、動的な効果は非線形分極の周波数依存性に表れる。しかし、単純に励起子共鳴近傍で非線形光学応答のスペクトルを測定した場合、線形の分散によるフレネルファクターを評価しなければならないこと、および線形な共鳴の幅より大きな離調をとると信号強度が弱くなることなどの困難がある。そこで本研究では、GaAs半導体微小共振器に着目した。微小共振器と励起子が強く結合し、共振器ポラリトンを形成する系では、ポラリトン共鳴において強い非線形光学応答がみられるが、これは励起子の非線形分極に増強因子をかけたものとして理解される。増強因子は励起子共鳴からの離調が大きいエネルギーで大きな値をとるので、共振器の共鳴を励起子の共鳴付近で変化させることで、励起子非線形光学応答の裾の周波数依存性を調べた。

 下図に平行配置、直交配置、逆回り円偏光配置の信号強度と同じ向きの円偏光配置の信号強度との比を励起子共鳴からの離調に対して示す。それぞれに対応する。WIBMにおいてメモリー効果として励起子分子のみを考えることで、これらの結果をよく説明できることがわかった。

審査要旨 要旨を表示する

 多量の情報を高速に処理する次世代情報技術にとって光によって光信号を直接制御する非線形光学素子は必須のものである。成熟した半導体エレクトロニクス技術との効果的な結合を考えると半導体の非線形光学応答の利用はきわめて重要である。高速応答と低パワー動作を両立させるためには、バンド端近傍の光学遷移の共鳴効果を利用する必要がある。これまでバンド端近傍の非線形光学現象については、バルク半導体だけでなく、量子井戸や量子ドットについても多くの研究が行われている。しかし、その性能を支配する物理機構は電子正孔間のクーロン相互作用に起因する多体効果に直接関わることから、統一的な理解が得られていない難問である。本研究は半導体のバンド端近傍の非線形光学応答について、各種の半導体において、電子正孔系の多体相互作用に起因する効果を抽出するための実験法を考案し、非線形光学応答を支配する要因の解明を試みたものである。その結果励起子共鳴近傍の非線形光学応答は励起子間の2体の相互作用として扱うことで系統的に整理できることが見いだされた。これは2対の電子、正孔の4体の相関をコンポジットボソンである励起子状態を出発点とすることにより、2体の相互作用として明解に扱えることを示したものである。

本論文は9章からなる。以下に各章の内容を要約する。

第1章は、半導体励起子系の非線形光学応答の研究についてのこれまでの研究の背景が述べられ、それをもとに本研究の目的を示し、さらに本論文の構成について述べられている。

第2章は、励起子系の非線形光学応答の理論的な背景を述べ、本研究で行う理論解析の土台となる「弱く相互作用するボゾンモデル(WIBM)」について解説している。その上で、本研究で行う実験の着眼点と、それに対応するWIBMの拡張について理論的説明がなされている。

第3章では、本実験で行った四光波混合測定の実験法、および本研究で用いた試料であるGaN、ZnSe、GaAs微小共振器について述べられている。第4章では、GaNおよびZnSeにおける励起子量子ビートの実験について述べられている。まず、WIBMに基づいて励起子量子ビートの起源とビートの位相情報の意味について明らかにしている。特にホールの軌道が異なる異種励起子間の相互作用について考察がなされている。この理論的考察に基づき実験結果が解析され、励起子間相互作用は電子のスピンのみに依存し、正孔のスピンには依存しないことが示された。これは成功の有効質量を無限大とする近似を裏付けるものである。

第5章では、励起子間相互作用係数における動的効果について、GaNの励起子共鳴、および励起子分子二光子共鳴におけるピコ秒を光源とする四光波混合信号実験を通じて議論している。WIBMに基づき信号がピークとなるパルス遅延時刻の表式を求め、電子・正孔の4体の相関の動的な効果を反映していることが示された。これと実験結果との比較により位相空間充填効果と励起子分子の効果の相対的な寄与が決定された。

第6章では、微小共振器に埋め込まれたGaAs量子井戸励起子の四光波混合信号スペクトルについて解析が行われ、周波数軸上の測定に表れる、励起子間相互作用の動的な効果について検討が行われた。その結果、2個の励起子が束縛状態を形成する励起子分子については動的な扱いが必須であるが、その他の相互作用については動的効果を無視して瞬時的なものとして扱う近似が妥当であることが示された。

第7章では、GaAs励起子−微小共振器結合系の2つの共振器ポラリトン分枝間の量子ビートを測定し、不均一広がりの影響と励起子分子の寄与を調べられた。その結果、逆スピン励起子間の瞬時的な相互作用と束縛準位である励起子分子の効果の寄与の相対値を決定することができた。

第8章では、本研究で得られた結果を踏まえ、励起子系の非線形光学応答に関する理論についてWIBMとの比較から検討が行われた。その結果、励起子共鳴近傍の非線形光学応答は、広く用いられてきた平均場近似が成り立たないこと、励起子分子の寄与が重要であることが明らかになった。WIBMは励起子を出発点とするモデルであり、系の非線形光学応答を記述する分極の結合運動方程式を自然な形で導出できるものである。また動的効果すなわち励起子間相互作用におけるメモリー関数についてもより微視的な理論と整合することが示された。第9章では、本論文のまとめと今後の展望が述べられている。

以上のように、本研究で著者は、これまで不均一系の位相緩和時間測定法として広く用いられてきた2パルス四光波混合を、半導体の励起子系に適用し、時間周波数両軸での振る舞いやその偏光依存性に注目することで、バンド端近傍の非線形光学応答の起源について定量的に評価する測定手法となることを提案し、典型的な半導体であるGaN、ZnSe、GaAs微小共振器について実験を行いこれを実証した。特に重要な効果が励起子間の2体の相互作用として扱えるというWIBMの妥当性を示した。これは高効率高帯域の非線形素子設計の指導原理を与えるものとなると期待され、物理工学の発展への本研究の寄与は大きい。

よって、本論文は博士(工学)の学位論文として合格と認める。

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