学位論文要旨



No 116675
著者(漢字) 杉原,有紀
著者(英字)
著者(カナ) スギハラ,ユキ
標題(和) 没人型水ディスプレイの研究
標題(洋)
報告番号 116675
報告番号 甲16675
学位授与日 2001.09.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博工第5087号
研究科 工学系研究科
専攻 先端学際工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 舘,章
 東京大学 教授 原島,博
 東京大学 教授 河口,洋一郎
 東京大学 助教授 橋本,秀紀
 東京大学 講師 前田,太郎
内容要旨 要旨を表示する

 本論文はアートおよび学際的な視点から、水膜で構成したドーム空間を新しい没入環境として提案するものである。流水を平板に衝突させると、半球状の水膜が生成される。この現象はウォーターベルと呼ばれており、造形の美しさから公園の噴水装置等に利用されている。しかし、その利用方法は観賞にとどまっており、人の触知を前提としていない。また、博覧会やテーマパークではウォータースクリーンが展示されているが、同様に観賞目的で作られており、水には人が容易に近付けない仕組みである。本研究では半球状の水膜を水ディスプレイとして定義し、水を映写スクリーンとして利用するだけでなく、人間の五感で楽しむインタフェースとして提案するものである。

 水ディスプレイの特徴は、1)球面性、2)シースルースクリーン機能、3)水そのものの効果的な提示である。水ディスプレイの被験者はドーム状の噴水の内部に頭部を入れ、水の中に濡れずに佇むという特異な没入感を味わう。同時に全方位的な水音に包まれたり、涼感を肌に感じたりといった、水がもたらす複合的な刺激を受ける。また、水膜はシースルースクリーンとして機能する。近年、複合現実感の分野では、物理空間と情報空間を融合する技術が提唱されている。その中でも、AR(Augmented Reality)では、半透過のHMDに映像を表示し、観察者に物理空間と情報空間を重畳して提示する光学シースルー方式が提唱されている。水ディスプレイでは、水膜に投影した映像を透かして外部の風景を観察することが可能である。水ディスプレイを通じ、生活と情報とのシームレスな融合を目指す。本論文では従来の噴水やウォータースクリーン、メディアアート、建築環境で行われてきた水の提示方法に比べて、より人間に対して効果的で新規性のある親水空間として二つのアプリケーションを開発し、考察を行った。

 水ディスプレイの生成原理は、落水が円形平板に衝突した時に半球状の水膜領域を形成するウォーターベル現象である。流水を衝突させるターゲットの形状、大きさ、使用するポンプの流量等の条件を変え、水膜の生成を観察した。その結果、水膜の直径は水量に依存して拡大することがわかった。毎分出力流量50[1]のポンプに44[mm]口径のパイプを接続した際に直径70[cm]の水膜が形成される。そこで、水膜の中空の内部に人間の頭部を入れることのできるアプリケーション「かぶり型水ディスプレイ」を設計した。

 かぶり型水ディスプレイは、水膜流で構成した空間の内部に人間の頭部を入れ、半球面の水膜のなかで人間が水から受ける知覚影響を体験するシステムである。従来行われてきた水の提示方法は、メディアアートでの容器に水を汲み水平な水面を提示する方式や、ウォータースクリーン用に屋外で散水して垂直な霧の層を作り出す方式に偏っている。それに対し、かぶり型水ディスプレイは頭部の周囲に水膜を配置するという水の曲面提示を行うものである。また、水ディスプレイに映像の投影を行い、新しい没入型映写環境としての表示特性を検証した。

 かぶり型水ディスプレイの映写スクリーン機能として次の3点を確認した。

(1)水膜後方向から投影を行った場合、後方から水膜は透明にしか見えないが、前方からは奥の面と手前の面の両方に映像が見えた。

(2)水膜は球面鏡の役割を果たす。水膜を透過した光に対し、手のひらをかざすとはっきりとした反射像を膜面に見ることが出来た。

(3)水膜はレンズとなって特定の場所で結像する。水膜空間内部からは外部環境が透けて見えたが、任意の地点から見上げた時のみ、明るい映像が確認できた。

 実装にあたっては日本、アメリカ、フランスにて展示を行い、来場者のかぶり型水ディスプレイへの反応を調査した。1998年7月、フィリップモリス・アートアワード(東京国際フォーラム)に於いて11日間の展示を行い、1万7千人の来場者を迎えた。翌年1999年7月、SIGGRAPH'99(Los Angeles、U.S.A.)において7日間の展示を行った。映写コンテンツには10ヶ国語で水を意味する単語(Aqua/ラテン語、Wasser/ドイツ語など)と星模様の静止画を用意し、5秒単位で切り替えて投影した。その中では星模様が最も人気が高く、家族や友人を連れて再来場するリピータも現れた。体験者が第一声で指摘する「不思議さ」は、様々な知覚影響が複合的に作用して生み出した結果と考えられる。聴覚や触覚など単一の感覚を用いる場合,我々は能動的に情報を受け取るが、水ディスプレイは体験者に一度に複数の刺激を提示する。そこでシステムの体験者は水への没入感や、ドーム状の水のディスプレイ方法から水に対する認識を刷新するのである。記述による体験者の感想では「心地よい、涼しい、気持ちいい」といった水のアメニティ効果を高く評価する意見が99.1%を占めた。また、水ディスプレイを見上げた時に観察者が上方に移動したように感じられるオプティカルフロー、頭部を包むように響く水音、顔に降りかかる飛沫に関して、効果的であるとの評価が寄せられた。体験者はかぶり型水ディスプレイを映写スクリーンとして鑑賞するだけでなく、水膜と水音に包まれる親水空間として未知の没入感を体験する。本アプリケーションでは濡れることなく水に包まれる新しい臨場感を提示した。

 次に、直径8[m]の「ウォータードーム」を開発した。ウォータードームは水流で構成したドーム状の空間に15名程度の来場者が同時に入場し、その内部にて水から得られる感覚を共有、体験する没入型大型映写空間である。ウォータードームではポンプ水量の増大にともない、ドームを構成する水の流れは水膜から粒状の水の集合体へと変化した。しかし中空のドーム形状は保たれたため、引き続き没入型環境として実装を行った。1999年11月にスパイラルガーデン(東京・青山)にてジャパン・アート・スカラシップ・グランプリ展覧会として12日間の展示を行い、13、356人の来場者を迎えた。来場者は水のカーテンごしに外の世界を見たり、スーパーインポーズされた映像を眺めたりしながら、滝の裏側に立った時のような感覚を全身で味わう。幾何学模様のアニメーションを投影したところ、ドーム曲面で模様の大きさが変化して、歪み表示効果、二重投影効果が生まれた。参加者が水と映像で構成されたドーム状レイヤーの間に立っている光景は、通りがかりの人に対し入場を喚起する結果となった。体験者からは、水滴で構成するウォータードームは、かぶり型水ディスプレイよりも水に対する没入感、オプティカルフローが高まったという感想が寄せられた。

 視野をドーム空間で覆い、視線を上方向へ導く手法はこれまでも宗教建築の分野で行われてきたが、ドームを流水で構成することにより、さらなる上昇感を演出したと考えられる。また、ドーム内部で足元から吹きあがるように風が生じたことも来場者に浮いているような錯覚を覚えさせる結果となった。内部の温度は17度、湿度は70%であり、展示会場の平均に比べ、温度は3度低く、湿度は40%増していた。しかしドーム環境を涼しく心地良いと感じる報告が寄せられた。

 本研究では人間が水から受ける知覚の快適な側面に着目し、従来の水の提示では成し得なかった水の臨場的な提示を、没入型ディスプレイ空間によって実現したものである。

 「かぶり型水ディスプレイ」では、直径70[cm]の水ディスプレイを用いて、水を映写スクリーンとして活用するだけでなく、人間の頭部をその内部に入れた際に得られる、新しい水への没入感を検証した。「ウォータードーム」では、流水で直径8[m]の水ディスプレイを構成し、映像と水に包まれる体験型ドーム空間を形成した。体験者は水膜に投影された映像を観賞したり、水に手を伸ばして触れたりするほか、着衣のまま濡れることなく水の下に立つという未知の体験を味わう。人間は水を目にすると本能的に近接欲求を覚えるが、没入型水ディスプレイで設定した人間と水との距離感は人間の身体欲求と安全性を同時に満たすものである。主体的にふるまえる水ディスプレイ空間は、体験者の年齢、国籍に関わらず、より快適で瑞々しい環境であるとの評価を受けた。

 今後はプロジェクタの台数や映像ソースの数を工夫することによって、博覧会やテーマパークでのアプリケーション展開が考えられる。アミューズメント分野や、エンターテイメント分野への応用のほか、公園、病院、美術館等、公共施での活用を検討している。ウォータードームは、都市空間で従来の噴水が果たしてきた役割に加え、映像を表示するインフォメーションメディアとして活用し、水への没入感を体験できる環境型インタフェースを目指す。

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は「没入型水ディスプレイの研究」と題し、6章からなる。空間没入型ディスプレイ(Spatial Immersive Display)の分野では、人間の周囲にスクリーンを張り巡らせ、全立体角にわたる映像を提示することで、人間の周囲を映像で囲み、あたかも映写空間の内部にいるかのような視覚的臨場感を与える研究がなされてきている。しかし、その空間は映写スクリーンを用いるのが通常で、水をスクリーンに利用するものはなかった。一方、噴水などの公園等に施工されている既存の親水設備や、イベント等で目にするウォータースクリーン、テーマパークでの水を用いたアトラクション等では、人間が周囲を取り囲まれる没入型のディスプレイ環境は全く実現されていなかった。本論文はアートおよび学術的な視点から、ドーム状の水膜で構成した空間を新しい没入環境として提案するものである。本研究では没入環境を流水で構成し、水を視覚的に観賞するだけでなく、聴覚的、触覚的にも体験できるマルチモーダルな噴水としての没入型水ディスプレイの概念を提案し、その工学的実現法を理論的な解析と実験により明らかにするとともに、実際の装置として構成し、その効果を実際の展示を通して多数の人に体験してもらうことで評価し、その有効性を実証したものである。

 第1章は序論で、従来の視覚提示を目的とした没入型ディスプレイの現状や芸術に対する学際的なアプローチの重要性、水資源の現況について論じるとともに、従来の水の提示方法としてメディアアート、ウォータースクリーン、テーマパークアトラクションでの水使用の特徴と問題点について検証して、手を伸ばして届く距離に水を提示することと、主体的に水に触れられる親水空間であることを満足するものが理想的な水の提示システムであると規定して、本研究の目的と立場と意義を明らかにしている。

 第2章は、「かぶり型水ディスプレイ」と題し、まず始めに水膜の形成原理を明らかにしている。流水を衝突させるターゲット形状を円形平板に定め、直径10[cm]から直径400[cm]までのポンプ流量に依存して拡大する水膜の形状を分析している。その分析に基づいて、円形平板にポンプ流量50[1/min]の流水を衝突させて、直径70[cm]の水膜を形成し、その落下する水膜をドーナツ型プールで受けることにより、水膜の内部に頭部を入れられるディスプレイシステムを実現している。水ディスプレイの内部では、体験者の視野は放射状に落下する流水で覆われ、頭の全周から水音が聞こえる。さらに水の飛沫が微細な霧となって顔に降りかかる。実装の結果、着衣のまま頭部のみを水中にいれたかのような水への没入感を実現し、得がたく、かつ楽しい感覚を提示する装置としての評価を、国内外の多数の体験者から受けたとしている。

 第3章は「ウォータードーム」と題し、直径8[m]の水ディスプレイを構成し、同時に15名程度の来場者に対し水と映像に包まれる体験を提供する大型没入空間を提唱し設計している。ポンプ流量を増やしても水膜は直径2[m]以上には拡大せず、落下にともない水滴となって飛散する。パイプ中の整流を行ってポンプの脈動の影響を減らし、飛沫が安定したドーム状に落下するような装置設計を行い、その結果、ポンプ流量2,000[l/min]の流水を使用し、高さ3.5[m]、直径8[m]のドーム空間の実現に成功している。既存のウォータースクリーンは扇状または櫛状に水を散水するため、設置空間は湖上か海上に制限され、その利用方法は遠方からの観賞に留まっていたが、飛沫をドーム状に落下させるウォータードームでは、水の映写面へ濡れずに接近することが可能となったと主張している。実際の大規模な体験展示を行って、大型の体験噴水という未知の装置の中で、体験者が内部で見回し動作と見上げ運動を繰り返し、意識が上昇したり外部へ拡張したりする感覚を味わうなどといった、人間の空間の把握や振る舞いに関する考察も併せ行っている。

 第4章は「コンテンツ構成」と題し、水ディスプレイ本来のコンテンツである水の効果的な提示方法と、映像を投影した視覚スクリーン利用について考察している。ライトアップを行うと水ディスプレイの縁が輝き、ドーム形状が強調されて見える。また、設置環境の照度や背景を整えることによって、流水の状態や全体の印象はより明確なものとなる。同様に、水ディスプレイが発する水音の印象も、落水を受ける素材や音楽の組み合わせで強調したりトーンを抑えたりすることが可能である。そして、映像を投影する際の、水ディスプレイの透過性や歪み特性、オプティカルフローを活かした構成についても論じている。

 第5章は「応用と展開」と題し、多様なサイズを用いた将来展開と屋外設置について論述している。それは、水ディスプレイ内部の没入空間だけでなく、装置を設置する空間全体の用途に応じた活用の検討をも含む。小型の水ディスプレイはカフェ・レストランへの設置、かぶり型水ディスプレイは駅や空港等の憩いのスペースへの施工が可能である。大型のウォータードームは、その内部をアトラクション空間や映写シアターとして活用し、テーマパークや博覧会等への納入が考えられる。野外に設置した場合は、外気や風の影響によって飛沫が飛散する可能性があるため、強風の日には運転を停止する、設置環境の水はけを考慮する、といった対策についても述べている。

 第6章は結論で、本論文をまとめている。

 以上これを要するに、本論文では、ウォーターベルとして知られている流水を平板に衝突させることにより生成される半球状の水膜の、これまでは利用されることがなかった中空の内部空間を、流水を安定した半球状に形成する条件を見出し、設計法を明らかにすることにより、その内部に人間の頭部および全身を入れる没入型ディスプレイとして実現することを可能としている。すなわち、没入型水ディスプレイという新しい概念を提案するとともに、その設計法を明らかにし、提示法も考案して、大規模アトラクションや憩いのスペースとしての有効利用法の道を拓いたものであって、システム情報学及び芸術工学に貢献するところが大である。

 よって、本論文は博士(学術)の学位請求論文として合格と認められる。

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