学位論文要旨



No 116685
著者(漢字) 岩田,圭一
著者(英字)
著者(カナ) イワタ,ケイイチ
標題(和) アリストテレスの実体論における「本質」と「形相」 : 『形而上学』ZH巻の構造と「質料」の問題
標題(洋)
報告番号 116685
報告番号 甲16685
学位授与日 2001.10.01
学位種別 課程博士
学位種類 博士(文学)
学位記番号 博人社第337号
研究科 人文社会系研究科
専攻 基礎文化研究専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 天野,正幸
 東京大学 教授 松永,澄夫
 東京大学 助教授 一ノ瀬,正樹
 東京大学 教授 今井,知正
 茨城大学 教授 渡辺,邦夫
内容要旨 要旨を表示する

 本論文の目的は、アリストテレスの実体論が展開される『形而上学』中核諸巻、その中でも特にまとまりをなすZH巻を主な典拠として、「実体とは何か」という存在の根源への問いに対する答えとされる「本質」と「形相」を取り上げ、それらが感覚的な諸事物の根拠とされることの哲学的な意味を解明することにある。

 まず第1章では「実体」概念がアリストテレスの形而上学的思考のうちにいかなる仕方で生じたのかを最初期の『カテゴリー論』第1-5章に依拠して明らかにする。そこにおいて「実体」は、さまざまな属性を荷った具体的な個物を指す「第一実体」と、それの普遍(種と類)を指す「第二実体」とに分けられる。第二実体は第一実体が存在するがゆえに存在するものとされることから、第一実体と第二実体は存在論的に区別され、第一実体が第二実体に対して存在論的に優位に立つものであることが明らかになる。第一実体はまた属性の基体という形で属性に対しても存在論的に優位に立つが、『カテゴリー論』第2章によれば属性には当の基体から離れてありえない固有のもの(個体属性)があり、第一実体が属性に対して優位に立つとはいえ属性なしで存在するわけではないことも示される。これによって第一実体は諸属性を荷った具体的な個物であることが明らかとなる。

 第2章では「実体とは何か」という根源的な問いに答える試みが開始される『形而上学』Z巻第1-6章を典拠に「実体」と「本質」との関係を明らかにする。そこにおいて第一実体と第二実体との区別がもはや見られないこと、また「実体」が「何であるか」とも「或るこれ」とも「個物」とも規定されていることなどから判断して、存在の根源への問いが向けられる実体は「属性が度外視され、かつ普遍が具現されている限りの個物」と言われるべきものであると考えられる。またこのような実体については、実体とその本質とが同一であるといういわゆる「実体と本質の同一性」のテーゼが成り立つとされる。「本質」は実体が自体的にそれであるところのものと規定され、例えば実体としての君と君の本質(人間)とは同じであるとされるが、このことは「君」が諸属性を荷った具体的な君ではなく、諸属性が度外視され、かつ普遍(人間)が具現されている限りの君であるがゆえに成り立つのだと考えられる。このような実体はまた「類の諸々のエイドス」とも呼ばれるが、それは「普遍が具現されている限りの」という限定を強調した表現であると解することができるだろう。

 第3章ではZH巻の実体論における生成論の意義を考慮して『自然学』における生成論と「運動」の定義について考察した。アリストテレスは実体的生成(個物の生成)と属性的生成(属性の変化)を同様に説明しようと試み、生成には基体があるということ、そして或る意味での基体は生成を耐えて存続するということを主張する。実体的生成の場合で言うと、生成の基体は或る特定の素材、例えば一塊の青銅である。しかしこの青銅がどんな形をしているかを語る必要はなく、むしろその生成が向かうところの形相、例えば彫像(の形)が欠如していることが理解されていればよいとされる。彫像の形をしていない青銅が生成の基体であると言われる場合、この基体は彫像の形をしていないという限りにおいて形を問題にしうる具体的な青銅である。このような青銅は彫像の生成を耐えて存続しはしない。というのも生成してくるのは彫像の形をしたものだからである。彫像の形をしていないものはどこにも残っていないのである。その生成を耐えて残るのは、形が度外視された青銅にほかならない。というのも生成前の一塊の青銅であれ生成後の一個の彫像であれ、その形を度外視すれば青銅が見出されるからである。このように形の度外視された青銅が生成を耐えて存続するのだが、本論文ではこれを「存続基体」と呼ぶことにする。存続基体は生成してきたものにおいても見出され、それゆえそれは「質料と形相からなる結合体」という個体把握における「質料」にあたるものであることが理解される。このような存続基体は「運動」の定義のうちにも「可能的に〈あるもの〉」として見出されることになる。この定義の考察を通じてアリストテレスの「可能態」概念が、われわれの用いるそれよりも意味が狭いこと、すなわちそれは広く生成の基体にあてはまるのではなく、生成の存続基体に適用されるべきものであることが明らかとなる。

 第4-6章では生成論が実体論のうちに導入された後の「質料と形相からなる結合体」という個体把握をめぐる諸問題を考察する。第4章で定義論における「質料」の問題を、第5章では質料への言及と形相についての説明とからなる結合体の定義を、第6章では結合体の定義が二つのもの(質料と形相)に言及するにもかかわらず一つの定義でありうるのはなぜなのかといういわゆる定義の一性の問題を取り上げる。とくに結合体の定義については、形相が結合体の種差として、また目的因という意味での本質として説明される点が注目に値する。これによって結合体における質料と形相との役割の違い、そして形相が結合体の存在の原因であること、また形相が結合体の機能や働きを示す目的因としての本質であることが明らかにされる。例えば煉瓦と石からなる家は家の形相によって存在するとされるが、その形相は単に家の形というわけではなく、家の機能である「財産や身体を保護する」という家の本質にほかならないと主張されるのである。こうした考察を通じて「形相」と「本質」との同一視が結合体の機能を語る場面で行われていることが明らかになるだろう。

審査要旨 要旨を表示する

 アリストテレスは、『形而上学』ZH巻において、感覚的事物の実体は本質・形相であると論じている。その論は極めて難解で、その解釈をめぐって現代の欧米の研究者たちの間で白熱した議論が展開されている。本論文は、その議論を踏まえた上で、テクストの綿密な読解に基づいて一つの新たな解釈を提示するものである。

 『形而上学』における実体論を理解するためにはその出発点となった『カテゴリー論』における実体論との関係を解明することが重要であるが、両者の関係に関しても研究者たちの間で解釈が分かれている。筆者は、『カテゴリー論』における個体実体優位の存在論が『形而上学』では形相優位の存在論に取って代わられたと解釈する。その意味を明らかにするために、まず第I章において『カテゴリー論』における実体論が解明され、第一実体が「属性が度外視され、かつ或る特定の種(類)に帰属する限りの個物」と規定される。

 第II章では、『形而上学』ZH巻の実体論における実体は『カテゴリー論』における第一実体とは異なり、「属性が度外視され、かつ或る特定の普遍が具現されている限りの個物」と規定される、という解釈が示される。そして、そのような実体の存在根拠としての〈実体〉が本質とされていることと、実体と本質の同一性が証明されることの意味が解き明かされる。

 だが、アリストテレスは〈実体〉を本質と規定することで満足せず、更に質料と形相という観点から〈実体〉の内部構造に立ち入った解明を進める。そこで筆者は、まず第III章において、『自然学』における生成論に手懸りを求めて、「質料」概念は生成を通じて存続する基体としての質料に由来するものであることを明らかにする。その後、第IV-VI章において、質料と形相と結合体の身分と関係がさまざまな観点から掘り下げられる。

 第IV章では、定義をめぐるアリストテレスの論述に基づいて、本質は形相であり、その定義には質料的要素は含まれないということと、結合体にも定義があるがそれは結合体の内部構造を語るものであって本質の定義ではないということが示される。第V章では、形相はさまざまな仕方で(すなわち、質料を限定するという仕方で、質料に帰属するという仕方で、質料的諸要素を一つの全体にまとめるという仕方で、目的因という仕方で)個別的な結合体の存在の原因である、ということが示される。第VI章では、結合体の一性の問題が取り上げられ、結合体における質料と形相の関係が可能態と現実態の対概念によって説明されていることの意味が解明される。

 本論文は、難解な『形而上学』のなかでもとりわけて難解なZH巻に取り組み、欧米の研究者たちのさまざまな解釈と格闘しつつ、多くの点で筆者独自の解釈を打ち出したものである。論述は明快で説得力があり、内容も高い評価に値する。よって、本審査委員会は本論文が博士(文学)の学位を授与するに値するものと判定する。

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