No | 116687 | |
著者(漢字) | 三好,俊介 | |
著者(英字) | ||
著者(カナ) | ミヨシ,シュンスケ | |
標題(和) | エヴゲーニー・バラトゥインスキー : 対話の詩学 | |
標題(洋) | ||
報告番号 | 116687 | |
報告番号 | 甲16687 | |
学位授与日 | 2001.10.01 | |
学位種別 | 課程博士 | |
学位種類 | 博士(文学) | |
学位記番号 | 博人社第339号 | |
研究科 | 人文社会系研究科 | |
専攻 | 欧米系文化研究専攻 | |
論文審査委員 | ||
内容要旨 | エヴゲーニー・バラトゥインスキー(1800-1844)という詩人はわが国ではまったく無名だが、独自の思弁的詩風で知られ、ロシア詩史のうえで決して無視できない位置を占めている。ロシア詩にはチュッチェフ、ザボロツキー、ホダセヴィチ、ブロツキー等と続く哲学的抒情詩の系譜が存在するが、ある意味でバラトゥインスキーはその嚆矢ともいえ、特にノーベル賞詩人ブロツキーが彼の作品に出会ったことがきっかけで詩に開眼したことはよく知られている。 だが、バラトゥインスキーが現代の私たちにとって何らかの意味をもつと思われる最大の理由は、そうした文学史的事実とは別にある。この詩人の際立った特徴は、詩人とは何者かということを常に考え、詩人と読者の望ましい関係について常に思索し、そしてそうした思索を詩につづったことにある。19世紀前半のいわゆる「ロシア詩の黄金時代」の詩人の中でも、この詩人ほど多くの「詩についての詩」を書いた者は他にいないのである。 本論文は、彼のこうした特質を「対話」というキーワードによって浮き彫りにしようとする。彼は早くから自らとは異質な存在(それは人に限らず、自然や時間でもある)と対話しようとする志向を示しているが、中期以降の諸作品では関心を「詩人−読者」間の対話へと絞り込んでいる(これは1830年代以降のロシアにおける詩の衰退を反映している)。 彼は「思考」という概念をきわめてユニークなイメージで理解しており、芸術家に不可欠な"創造的思考"と、思考の主体である「人」の意思をはなれて勝手に増殖してゆく恐るべき「生きた思考」とに分けて考えていた(このことを指摘するのは拙論が初めてである)。人々はこの「生きた思考」に呑み込まれないよう、日ごろから「思考すること」への免疫を備えておくべきだと彼は考え、自らの詩によってそれを援助しようとした。彼の詩は難解かつ、詩としてはかなり風変わりな"論理的"文体で構成され、読者が作品を漫然と受容するのではなく、自ら思考し、主体的にテクストにかかわるように促している。 この論文は七章構成をとり、基本的には詩人の作品を制作年代順に読んでゆく形をとる(一・二章は初期作品における対話的志向を概観し、三・四章は「思考」の問題を中心に「詩人−読者」間の対話的関係について、残りの三章では晩年の詩集『たそがれ』を精読し、そこで詩人という存在そのもののイメージが再構築されていることを確認する。また、論文全体の方針として、この詩人を単独の文学的現象とはとらえずに、他の作家とのかかわり(伝記的かかわりというよりは、むしろ作品テクストレベルでの)について考察することを重視した。彼の作品とプーシキンやブロツキーの作品との独特な関係をめぐるいくつかの考察は、拙論によって初めて提出されるものである。 | |
審査要旨 | 三好俊介氏の論文「エヴゲニー・バラトゥインスキー−対話の詩学−」は、19世紀ロシア初頭の詩人バラトゥインスキーの詩について、主に「対話の詩学」という観点から分析と解釈を試みたものである。バラトゥインスキーは19世紀前半のロシアではプーシキンに次ぐ重要な詩人とされながらも、日本ではこれまで本格的な研究は皆無という状態であった。三好氏の研究はその空白を埋める第一歩として、まず日本における先駆性が高く評価されよう。 論文はほぼ時代を追ってバラトゥインスキーの詩作の全体像を描き出しながら、「哲学的抒情詩」「恋愛詩」「寸鉄詩」などの様々なジャンルにおけるバラトゥインスキーの独特の詩学を分析していく。バラトゥインスキーは一般に孤高の「思考の詩人」と呼ばれ、その創作は難解なものとされてきた。しかし、三好氏は先行研究を十分広く調査する一方で、バラトゥインスキーのテクストの原点に立ち返ってその緻密な読みを試み、必要に応じて伝記的背景や、同時代の西欧の思潮、さらにはプーシキンなどの同時代の詩人との関係などを考慮に入れながら、その作品に織り込まれた詩的論理を丹念にときほぐした。その結果、三好氏が提示し得たのは、読者との対話を拒否した孤高の存在ではなく、常に開かれた姿勢で読者に向かい、理解を求めようとする「対話の詩学」の実践者としての詩人の姿である。三好氏の主張によれば、バラトゥインスキーという詩人のユニークな現代性は、まさにこのような独自の「対話の詩学」に由来するものである。 審査の過程では、欠点ないし改善が求められる点についてのいくつかの指摘もあった。それは例えば、(1)「対話の詩学」を中心的テーマに据えているにも関わらず、作者−読者の関係や、文学作品の読者による受容といった問題についての理論的考察が不十分である、(2)伝記的概観や研究史がごく簡潔に最後に添えられているだけで、本文の記述と有機的に溶け合っていない。特に伝記的要素は詩の分析に際してもっと効果的に活用できたのではないか、(3)バラトゥインスキーの独自性を強調する反面、歴史的文脈や同時代の環境があまり具体的に描かれていないため、彼の位置付けに関する主張に説得力が欠ける嫌いがある、(4)ロシア語の詩作法とその歴史の理解に関して若干の不正確な点が見られる、といったことである。 しかし、本論文を全体として評価すればその先駆的業績としての価値は極めて高く、また難解とされるバラトゥインスキーの個々の作品(特に長編詩「最後の死」や詩集「たそがれ」など)の読解は緻密かつ明快であり、創見も少なくない。本論文が日本での19世紀ロシア詩研究の分野における重要な一歩となる優れた業績であることには疑いの余地はなく、審査委員会は全員一致で本論文が博士(文学)の学位に十分値するものであるとの結論に至った。 | |
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