学位論文要旨



No 116688
著者(漢字) 森田,ひとみ
著者(英字)
著者(カナ) モリタ,ヒトミ
標題(和) 日本産ヨシノボリ属魚類の系統と進化に関する研究
標題(洋)
報告番号 116688
報告番号 甲16688
学位授与日 2001.10.03
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第2339号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 西田,睦
 東京大学 教授 塚本,勝巳
 東京大学 教授 渡部,終五
 東京大学 教授 渡邊,良朗
 東京大学 助教授 小島,茂明
内容要旨 要旨を表示する

 ヨシノボリ属(Rhinogobius)魚類は,極東アジアに広く分布し主に両側回遊性の生活史をもつハゼ科魚類である.本属魚類の中には,海へ下ることなしに一生を河川内で過ごす河川性の種や,湖にのみ生息して止水性の生活史をする種がいることが知られている.ヨシノボリ類の持つこういった生活史特性は,通し回遊魚における種分化や生活史進化を考える上で非常に興味深い対象となっており,こういった議論をするためには系統学的アプローチが必要不可欠である.しかし,ヨシノボリ属魚類の系統類縁関係についてはほとんど明らかになっていない.そこで,本研究では,分子生物学的手法を用いて日本産ヨシノボリ属魚類の系統類縁関係を明らかにすることを目的とした.さらに,河川性の2種(アオバラヨシノボリとキバラヨシノボリ)に着目し,それぞれの集団構造を解明し,それらの出現過程について推察することも目的とした.こうして得られた知見をもとにヨシノボリ属魚類の進化について議論する.

日本産ヨシノボリ属魚類の種の整理

 本属魚類には,色彩や斑紋の変異に富んだ多くの「色斑型」が知られていたが,近年の生態学的,遺伝的研究によりほとんどの色斑型はそれぞれ別種と判断されている.本研究では,これまでに知られている種とは異なる色斑を持ち,主にため池などの止水的な環境に生息する集団を愛知県で発見した.アロザイム分析の結果,この集団はこれまで知られている日本産の本属魚類とは遺伝的に交流がないことが推察された.したがって,この集団も含めれば,日本には少なくとも14種のヨシノボリ属魚類が生息することが推察された.

日本産ヨシノボリ属魚類の系統類縁関係

 日本産ヨシノボリ属魚類13種27集団481個体を用いてアロザイム分析をおこなった.23遺伝子座を分析したところ,各種間には少なくとも1つの遺伝子座で完全な遺伝子の置換がみられた.集団間のNei(1972)の遺伝距離を算出し,UPGMA法により分子系統樹を推定したところ,いくつかの遺伝的なグループに分けることができた.しかし,色斑などの特徴から近縁であると考えられた種どうしが単系統にならないなど,いくつかの枝の分岐関係に疑問な点が残った.

 そこで,mtDNA分析により系統類縁関係の推定を試みた.mtDNA分析では,14種22集団44個体において,NADH脱水素酵素サブユニット2(ND2)遺伝子領域,調節領域,16SrRNA遺伝子領域の3つの領域(合計1934塩基)を用いた.近隣結合法と最節約法により分子系統樹を推定したところ,アロザイムデータから推定された樹形とは大きく異なるものとなった.mtDNA分析から推定された樹形では,明らかに同種と思われるシマヨシノボリの日本列島集団と琉球列島集団,およびクロヨシノボリの日本列島集団と琉球列島集団がそれぞれ単系統とならず,ゴクラクハゼを除く琉球列島産の全種が単系統群を形成し,その外側に日本列島と小笠原諸島に生息する集団が位置するという樹形になった.

 そこで核ゲノムから新たな情報を得るためにAFLP(Amplified Fragment Length Polymorphism)法による分析を試みた.14種25集団124個体で11プライマーセットを用いて分析をおこなったところ,2503バンドの相同性が確認できた.近隣結合法と最節約法により推定した分子系統樹は,アロザイム分析で示された分子系統樹とほぼ一致した.しかし,AFLP分析の方がより多くの多型を検出したことから,アロザイム分析で明確にできなかった分岐関係をより明確にすることができた.

 以上のように,本属魚類の核DNAとmtDNAにはそれぞれ大きく異なる系統情報が含まれていることは統計的にも支持された(テンプルトンテスト:P<0.0001).しかし,遺伝情報の大部分を担う核DNA全体から,まんべんなく情報を取り出したAFLP分析やアロザイム分析などの核DNA分析結果の意味するところは大きいと考えられる.また,mtDNA分析では,上記のように明らかに同種と思われる集団がそれぞれ単系統群を形成しなかった.これらをあわせて考えれば,mtDNAから推定された分子系統樹は種の系統を反映していない可能性が高いと推察される.組み換えなしに母系遺伝するというmtDNAの遺伝様式の特異性から考えると,mtDNAから推定された遺伝子系統樹は,過去に異種間の交雑によるmtDNAの浸透(introgression)があったことを示している可能性が高い.

 したがって,本属魚類の場合より系統類縁関係を反映していると判断された,核DNA分析で得られた分子系統樹をもとにヨシノボリ属魚類の系統類縁関係を推定すると,シマヨシノボリや,カワヨシノボリおよび愛知県で初めて採集された新種と思われる種(本研究では,ゴマヨシノボリと呼ぶことにする)が最も古くに分岐し,その後,ルリヨシノボリが分岐したと推定された.さらに,ルリヨシノボリと分かれた残りの種の共通祖先は大きく2つのグループに分かれた.1つはトウヨシノボリ,ビワヨシノボリ,アヤヨシノボリ,アオバラヨシノボリのグループで,もう1つのグループはオオヨシノボリ,ヒラヨシノボリ,オガサワラヨシノボリ,クロヨシノボリ,キバラヨシノボリのグループである.前者はその後,トウヨシノボリ,ビワヨシノボリとアヤヨシノボリ,アオバラヨシノボリのグループに分かれ,後者はオオヨシノボリ,ヒラヨシノボリ,オガサワラヨシノボリとクロヨシノボリ,キバラヨシノボリのグループに分かれた.このようなヨシノボリ属魚類の遺伝的類縁関係にはトカラ海峡の成立など地史的要因が関わっていることが推察された.

 さらに核DNA分析から推定されたヨシノボリ属魚類の系統樹に両側回遊性と河川性および止水性の生活史を最節約復元してみると,両側回遊性の生活史を基本にしてカワヨシノボリとアオバラヨシノボリとキバラヨシノボリの系統で河川性の生活史が少なくとも3回分化し,アオバラヨシノボリとキバラヨシノボリにはそれぞれ非常に近縁な両側回遊性種がいることが示された.一方,ビワヨシノボリとゴマヨシノボリの系統では両側回遊性の生活史から止水性の生活史が少なくとも2回,それぞれ独立に生じたことが推察された.

河川性種アオバラヨシノボリの集団構造と進化

 上記のように,アオバラヨシノボリ(以下,アオバラ)には非常に近縁な両側回遊性種のアヤヨシノボリ(以下,アヤ)がいることが見いだされた.そこで,アオバラの集団構造を解明するため,アロザイム分析(23遺伝子座)とAFLP分析(2248バンド)をおこなった.どちらの分析でも,アオバラ集団は遺伝的分化程度の大きい2つのグループ(沖縄本島北部の北側グループと南側グループ)に分かれることが明らかになった.アロザイム分析では,アオバラの南側グループは,同じアオバラの北側グループよりもアヤに遺伝的に近いことが示された.アロザイムデータに基づく分子系統樹では,アオバラのどちらかのグループが先に分岐し,その後,アヤとアオバラのもう1つのグループが分岐するという関係を示した.しかし,AFLPデータから算出した純置換係数,平均置換率および固定指数(Fst)など集団間の分化程度を表す指標では,アロザイム分析で示されたような,アオバラの南側グループが,同じアオバラの北側グループよりもアヤ集団に遺伝的に近いという傾向は示されなかった.そして,AFLPデータから推定された分子系統樹では,アオバラの2つのグループは単系統群を形成し,アヤはアオバラ2グループの姉妹群となることが,94〜100%の高いブーツストラップ値で支持された.さらにテンプルトンテストにより樹形の検定をおこなったところ,AFLPデータではアロザイム分析で示されたような樹形は棄却された(P<0.001).

 以上の結果をあわせて考えると,河川性の生活史を持つアオバラの2つのグループはアヤと分かれた後大きく2つのグループに分かれた可能性が高いと考えられる.

河川性種キバラヨシノボリの集団構造と進化

 上述のように,キバラヨシノボリ(以下,キバラ)にも非常に近縁な両側回遊性種のクロヨシノボリ(以下,クロ)がいることが示された.そこで,キバラの集団構造を解明するため,日本列島と琉球列島の各島々から採集されたキバラとクロ98個体に,外群のオオヨシノボリとヒラヨシノボリ5個体ずつを加えた計108個体でAFLP分析をおこなった.14プライマーセットで2513バンドの相同性が確認でき,最節約法と近隣結合法により分子系統樹を推定した結果,クロとキバラの各集団は,種ごとに単系統群を形成せず,大きく2つの地域グループ(日本−中琉球グループと南琉球グループ)に分かれることが推察された(テンプルトンテスト:P=0.0008).さらに,日本−中琉球グループ内の各集団間にも比較的大きな遺伝的分化があり,日本−中琉球グループ内の各集団も種ごとにそれぞれ単系統とならない可能性があることが示唆された(テンプルトンテスト:P=0.0389).このようなクロとキバラの集団構造は純置換率や固定指数(Fst)などの遺伝的分化の指標によっても支持された.日本−中琉球グループは,中琉球のクロ(奄美大島,加計呂麻島,沖縄島),日本列島(愛媛)のクロ,奄美大島のキバラ,徳之島のキバラ,沖縄島のキバラの5つのサブグループに分かれることが推察された.

 得られた分子系統樹にクロの持つ両側回遊性の生活史とキバラの持つ河川性の生活史を最節約復元してみると,両側回遊性の生活史を基本にして河川性の生活史が平行的に生じたことが示された.すなわち,琉球列島の島々に分布を広げたクロもしくは類似の祖先種から,キバラが島ごとに独立に生じた可能性が高いと考えられた.

 以上のすべての分析結果をまとめると,ヨシノボリ属魚類では両側回遊性の生活史を基本にして,卵の大卵化とそれに伴う大きな初期発育史の変化が起こる河川性種への分化が,カワヨシノボリとアオバラヨシノボリとキバラヨシノボリの系統で少なくとも3回それぞれ平行的に起こったと考えられる.一方,卵の大型化とそれに伴う初期発育史の変化が起こらない湖や池などの止水性的環境へ適応した種への分化が,ビワヨシノボリとゴマヨシノボリの系統で少なくとも1回ずつ平行的に起こったと推測される.さらに,両側回遊性種から河川性種への分化はキバラヨシノボリ・クロヨシノボリの系統で繰り返し起こった可能性が推察された.このことは,何らかの条件が整えばよく似た表現型を持った系統を形成する分化が繰り返し起こることがあるという非常に興味深い種分化の例を示していると考えられる.

 本研究において得られたヨシノボリ属魚類の系統類縁関係と河川性種の集団構造に関する知見は,生物一般の生活史進化や種分化研究にとって重要な知見を提供するだけでなく,水産資源として重要な魚種が多く含まれる通し回遊魚の進化や起源を考える上でも興味深い材料となると考えられる.さらに,生物多様性の理解や保全に向けても重要な基礎情報となるであろう.今後,新たな核DNA分析を導入することによって,外国産も含めたヨシノボリ属全体における分子生物学的研究が望まれる.また,特に,河川性の種や止水性の種については,初期生活史,産卵生態,分布など,より詳しい生態的知見が望まれる.

審査要旨 要旨を表示する

 本研究は,多様な生活史をもつ日本産ヨシノボリ属魚類の類の遺伝的・系統的実体を明らかにし,それに基づいてそれらの生活史の進化や種分化について明らかにすることを目的としたものである。

 論文は6章からなる。緒言を述べた第1章に続く第2章では,日本産ヨシノボリ属魚類の種の整理をおこなった。愛知県で新たに発見されたヨシノボリ類の1種について,その色斑を中心とした形態的特徴や生息状況を調査するとともに,アロザイム分析をおこなったところ,既知の日本産ヨシノボリ属魚類のいずれとも遺伝的に異なることを明らかになった。そこで,これに対して「ゴマヨシノボリ」という和名を提唱した。これによって,日本には合計14種のヨシノボリ属魚類が生息していることが明らかになり,以下の分析で対象とすべき種が確定された。

 続く第3章では,核DNA分析(アロザイム分析,AFLP分析)とmtDNA分析により,日本産ヨシノボリ属魚類の系統類縁関係を明らかにすることを試みた。分析の結果,核DNAとmtDNAにはそれぞれ異なる系統情報が含まれていたので,系統関係をより正しく反映していると判断された核DNA分析で得られた分子系統樹をもとに,系統類縁関係を推定した。推定された系統樹に両側回遊性,河川性および止水性の生活史を最節約的に復元したところ,両側回遊性の生活史を基本にして,それぞれの系統で河川性や止水性の生活史が独立に獲得されたことが推察された。なお,mtDNAの分子系統樹には,過去の異種間交雑が影響しているものと推察した。

 第4章と第5章では,河川性の2種(アオバラヨシノボリおよびキバラヨシノボリ)の進化について検討するために,それぞれに近縁な両側回遊性種(アヤヨシノボリおよびクロヨシノボリ)も合わせて,詳細な遺伝的分析(AFLP分析ならびにアロザイム分析)をおこなった。第4章では,アオバラヨシノボリとアヤヨシノボリを対象とした。アオバラ集団は遺伝的分化程度の大きい2つのグループ(沖縄本島北部の北側グループと南側グループ)に分かれることが明らかになった。この2つのグループは単系統群を形成し,アヤはアオバラ2グループの姉妹群となることが,94〜100%の高いブーツストラップ値で支持された。

 第5章のキバラヨシノボリとクロヨシノボリを対象としたAFLP分析では,クロとキバラの各集団は種ごとに単系統群を形成せず,大きく2つの地域グループ(日本−中琉球グループと南琉球グループ)に分かれることが分かった。さらに,日本−中琉球グループ内の各集団も,種ごとにそれぞれ単系統とはならないことが統計的に支持された。得られた分子系統樹に各種がもつ生活史を最節約的に復元すると,両側回遊性の生活史を基本にして河川性の生活史が平行的に生じたことが示された。すなわち,琉球列島の島々に分布を広げたクロヨシノボリもしくはそれに類似の祖先種を基本にして,キバラヨシノボリが島ごとに独立に生じた可能性が高いと考えられた。

 第2〜5章の結果より,ヨシノボリ属魚類では両側回遊性の生活史を基本にして,卵の大卵化とそれに伴う大きな初期発育史の変化が起こる河川性種への分化が,カワヨシノボリ,アオバラヨシノボリ,およびキバラヨシノボリの系統で,それぞれ独立に起こったと考えられた。両側回遊性種から河川性種への分化は,さらにキバラヨシノボリ・クロヨシノボリの系統で繰り返し起こった可能性が推察された。一方,湖や池などの止水的環境に適応した種への分化は,ビワヨシノボリとゴマヨシノボリの系統で少なくとも各1回起こったと推察された。第6章では,これらの結果に基づき,ヨシノボリ属魚類における生活史変異を伴う種分化について総合的に議論した。本研究の結果は,何らかの条件が整えば,よく似た表現型を持った系統を形成する分化が繰り返し起こることがあるという,非常に興味深い進化の例を明らかにしたと考えられる。

 以上,本研究は,未記載の新種と思われるヨシノボリ類の1種を日本の中央部において発見するとともに,それを含む日本産ヨシノボリ属魚類全体の系統類縁関係,ならびに河川性種2種の集団構造について,それぞれ明確な結論を提示した。本研究において得られた日本産ヨシノボリ属魚類の生活史変異を伴う種分化に関する知見は,生物一般の生活史進化や種分化研究にとって重要な知見を提供するだけでなく,水産資源として重要な魚種が多く含まれる通し回遊魚の進化を考える上でも興味深い資料になると考えられる。さらに,生物多様性の理解や保全に向けての重要な基礎情報にもなると判断された。よって,審査委員一同は,本論文が博士(農学)の学位論文としてふさわしいものと認めた。

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