学位論文要旨



No 116689
著者(漢字) 西岡,みどり
著者(英字)
著者(カナ) ニシオカ,ミドリ
標題(和) 胃・大腸手術患者における手術部位感染サーベイランス感染率標準化手法開発のためのリスク因子の解析
標題(洋)
報告番号 116689
報告番号 甲16689
学位授与日 2001.10.17
学位種別 課程博士
学位種類 博士(保健学)
学位記番号 博医第1863号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 高橋,泰子
 東京大学 教授 数間,恵子
 東京大学 教授 大橋,靖雄
 東京大学 教授 木村,哲
 東京大学 助教授 齋藤,英昭
内容要旨 要旨を表示する

1.緒言

 手術部位感染surgical site infection (SSI)が発生すると患者の苦痛はもとより、術後在院日数が延び、治療効果を減じるだけでなく医療費も増大させる。手術部位感染の発生率は医療施設の継続的な努力で下げることができ、発生率を医療の質の指標として、周手術期ケアの改善を実施していく病院感染サーベイランスの有効性が実証されている。病院感染サーベイランスでは、予め設定した対象を観察し、一定の定義に基づいて判定された感染率の推移を評価して臨床現場にフィードバックする。したがって、現場にフィードバックしたり、他施設と比較したりする感染率は、客観的な評価が可能なように、当該医療施設の努力では回避不可能な患者側のリスク要因の影響が調整されていなければならない。

 既存のリスク調整手法には、多くの国々で用いられている米国Centers for Disease Control and Prevention (CDC)のNational Nosocomial Infections Surveillance (NNIS) SSI Risk Indexがある。しかし、先行研究では、同Indexの3要素、wound class、American Society of Anesthesiologists Physical Status (ASA PS)、手術時間の他に考慮すべき要因のあることが示唆されている。また、手術部位感染はその発生部位により、切開創感染incisional SSIと臓器・体腔感染organ/space SSIに分けられるが、それぞれのリスク要因は異なると考えられる。

 そこで本研究では、胃手術、結腸手術、直腸手術における手術部位感染率の新たな調整手法を開発するために、複数施設の症例を対象として、患者要因および周手術期の医療ケア要因に関するデータを収集し、胃手術、結腸手術、直腸手術における切開創感染および臓器・体腔感染、それぞれのリスク要因を特定することを目的とした。

2.方法

 日本環境感染学会の事業であるJapanese Nosocomial Infections Surveillance (JNIS) systemにおいて、1998年11月から2000年3月に胃手術または大腸手術として報告された7施設の1021例を対象に、診療録調査を実施した。年齢、性別、Body Mass Index(BMI)、術前の血液検査結果などの患者要因39項目、術前在院日数、体毛処置の種類、術式、予防抗菌薬、執刀医の経験年数などの周手術期医療ケア要因29項目、その他、SSIの発生日、感染部位、細菌培養結果など5項目の、合計73項目を調査した。

 大腸手術を結腸手術と直腸手術に再分類し、切開創感染と臓器・体腔感染を区別することによって、6つのサブグループを設定し、単変量解析および多変量解析を実施した。単変量解析にてp<0.1でSSIの発生と関連傾向の見られた項目、先行研究で感染との関連が指摘されている項目、および複数の外科医師が関連要因として指摘した項目を独立変数とし、SSIの発生の有無を従属変数として、logistic regression analysisを実施した。変数選択にはstepwise methodを用いた。

 最後に、それぞれのサブグループで特定された要因を用いてSSI発生予測モデルを作成した。モデルの適合度は、devianceとHosmer and Lemeshow goodness of fit testにて評価した。また、SSI発生予測モデルと、NNIS SSI Risk Indexで層別した場合との、両者のPearson chi-squareによる適合度検定を行った。また、さらに試みとして各施設の予測SSI発生率と実際のSSI発生率の比較を行った。

3.結果

 除外基準によって1021例から70例を除外し、951例を分析対象とした。SSIは切開創感染83例、臓器・体腔感染64例、合計147例(15.5%)で、90%が14日目までに発生していた(median=7days)。細菌培養は95例(65%)で実施され、大腸手術に比べて胃手術ではsingle cultureの割合が多かった(p<0.001)。またS. aureusは24例(25%)から分離され、うち17例(71%)がMRSAであった。

 切開創感染のリスク要因として特定された項目は、胃手術では、術前の血清クレアチニン値(OR : 1.85, 95%CI : 1.21-2.82)と性別(OR : 0.30, 95%CI : 0.13-0.73, 基準カテゴリー「女性」)、結腸手術ではwound class (OR : 9.91, 95%CI : 3.52-27.90)、人工肛門造設術(OR : 3.58, 95%CI : 1.43-8.99)と術前の血清アルブミン値(OR : 0.44, 95%CI : 0.24-0.82)、直腸手術ではwound class (OR : 31.40, 95%CI : 6.31-156.14)、剃刀による除毛(OR : 3.95, 95%CI : 1.30-12.00)、術前の血糖値(OR : 1.16, 95%CI : 1.04-1.29)、第一助手の外科経験年数(OR : 0.91, 95%CI : 0.85-0.98)であった。

 臓器・体腔感染のリスク要因として特定されたのは、胃手術では、剃刀による除毛(OR : 6.48, 95%CI : 2.08-20.18)と術中出血量(OR : 1.23, 95%CI : 1.13-1.34)、結腸手術ではwound class(OR : 11.33, 95%CI : 3.14-40.84)、BMI(OR : 1.21, 95%CI : 1.06-1.38)と予防抗菌薬の選択(OR : 0.32, 95%CI : 0.11-0.92, 基準カテゴリー「不適切な選択」)、直腸手術ではwound class(OR : 21.78, 95%CI : 4.72-100.44)と剃刀による除毛(OR : 6.94, 95%CI : 2.26-21.33)であった。

 特定された要因を用いて6つのサブグループごとに作成したSSI発生予測モデルにおいて、devianceとHosmer and Lemeshow goodness of fit testのp値はいずれも0.05以上であった。また、6つのサブグループではいずれの場合もSSI発生予測モデルの方がNNIS SSI Risk Indexによる層別より、小さいPearson chi-square統計量が算出された。したがって、NNIS SSI Risk Indexによる層別よりも、本研究のSSI発生予測モデルの方が適合度が良かった。

 各施設の予測SSI発生率と実際のSSI発生率の比較を行ったところ、実際の発生率が予測SSI発生率を上回る施設が見られた。

4.考察

 本研究では、これまでほとんど実施されていなかった多施設での多項目の調査によって胃手術、大腸手術症例のSSI発生リスク要因の特定を行った。

 対象病院は日本環境感染学会のサーベイランス事業の協力施設であり、一般的な日本の病院と比較して感染対策の水準が低いとは考えにくく、また規模や設置主体、地域性にもばらつきがあり、ある程度結果を一般化することが可能であると考えられる。

 SSIの判定の信頼性に関しては、診療録調査で矛盾点があった場合に病院担当者と改めて症例検討を行って確認したため、保証されると考えられる。

 NNIS systemでは、胃手術、結腸手術、直腸手術は同じ要素、すなわちNNIS SSI Risk Indexの3要素である手術時間、ASA PS、wound classでリスク調整されている。しかし、今回の結果から、胃手術、結腸手術、直腸手術で、また同じ手術分類でも切開創感染と臓器・体腔感染では、異なるリスク要因が特定された。

 本研究では、患者の教育程度や年収などの社会的要因、縫合糸の種類や器械吻合などの手術関連要因、および術野の落下細菌数などの手術室環境要因については検討に含めることができなかった。社会的要因については、相対的な影響度は患者要因や手術関連要因よりも大きいとは考えにくく、結果に及ぼす影響は少ないと思われる。外科医の技術的要因については代替変数として執刀医と第一助手の経験年数を用いることで、ある程度は把握することができたのではないかと考えられる。今後は、これらの要因についての詳細な検討も必要であろう。

 作成したSSI発生予測モデルを用いて施設別発生予測率と実測率の比較を試みたが、実測率が予測率を上回った病院では、SSI予防対策の必要性が示唆される。しかし、本研究の予測モデルについては、適合度は良好であったものの、その妥当性についてはまだ十分な検討が必要と考えられる。また、このリスク調整手法の有効性を検証するためには、同手法を用いたフィードバックによって、SSI発生率が低減するかどうかを検討することも必要である。

6.結論

 本研究の結果より、胃手術、結腸手術、直腸手術のSSI発生に関する以下のリスク要因を特定した。

1)胃手術における切開創感染のリスク要因は、女性および術前の高血清クレアチニン値であった。

2)結腸手術における切開創感染のリスク要因は、wound classでclass 3またはclass 4、人工肛門造設術、および術前の低血清アルブミン値であった。

3)直腸手術における切開創感染のリスク要因は、wound classでclass 3またはclass 4、術前の剃刀除毛、術前の高血糖値、および第一助手の短い経験年数であった。

4)胃手術における臓器・体腔感染のリスク要因は、術前の剃刀除毛と術中出血量であった。

5)結腸手術における臓器・体腔感染のリスク要因はwound classでclass 3またはclass 4、BMI高値、および予防抗菌薬の不適切な選択であった。

6)直腸手術における臓器・体腔感染リスク要因はwound classでclass 3またはclass 4、および術前の剃刀除毛であった。

審査要旨 要旨を表示する

 本研究は、胃・大腸手術患者における手術部位感染サーベイランスにおいて、感染率を客観的に評価するために世界で広く用いられているNNIS SSI Risk Indexに代わる標準化手法開発に向けて、調整するべき患者要因を特定するための分析を行い、以下の結果を得ている。

1.7施設の胃手術、結腸手術、直腸手術の合計1021手術症例を対象とした73項目の調査により、手術部位感染の90%は術後14日目までに発生し、発生率は胃手術が12.2%、結腸手術が15.2%、直腸手術が22.6%と下部消化管ほど高くなる傾向が示された。

2.分離菌は、胃手術ではStaphylococcus spp.が多く、結腸手術と直腸手術ではEsherichia coli、Klebsiella pneumoniaeなどの腸内細菌群が多かった。培養検体から複数種類の菌が分離される割合は、胃手術より結腸・直腸手術の方が有意に多かった。

3.手術部位感染の発生の有無を従属変数として、logistic regression analysisを実施し、手術手技分類(胃手術、結腸手術、直腸手術)と感染部位(切開創感染、臓器・体腔感染)で分けた6つのサブグループごとに患者因子を特定した。1)胃手術における切開創感染では、女性および術前の高血清クレアチニン値であった。2)結腸手術における切開創感染では、wound classでclass 3またはclass 4、人工肛門造設術、および術前の低血清アルブミン値であった。3)直腸手術における切開創感染では、wound classでclass 3またはclass 4、術前の剃刀除毛、術前の高血糖値、および第一助手の短い経験年数であった。4)胃手術における臓器・体腔感染では、術前の剃刀除毛と術中出血量であった。5)結腸手術における臓器・体腔感染ではwound classでclass 3またはclass 4、BMI高値、および予防抗菌薬の不適切な選択であった。6)直腸手術における臓器・体腔感染ではwound classでclass 3またはclass 4、および術前の剃刀除毛であった。

4.特定された患者要因を用いて、6つのサブグループごとに作成した手術部位感染予測モデルの適合度についてはdevianceとHosmer and Lemeshow goodness of fit testのp値はいずれも0.05以上で、モデルの適合度が良くないと判断する根拠は認められなかった。また、Pearson chi-squareによる適合度検定を行ったところ、NNIS SSI Risk Indexによる層別よりも、本研究のSSI発生予測モデルの方が適合度が良いことが示された。

5.試みに作成した手術部位感染予測モデルを用いて7施設の施設別発生予測率と実測率の比較を試みたが、実測率が予測率を上回った病院では、SSI予防対策の必要性が示唆された。

 以上、本論文は、胃・大腸手術患者の手術部位感染において、特定された要因によるモデルの方が既存の標準化手法であるNNIS SSI Risk Indexによる方法より適合していることが示され、新しい標準化手法開発に向けての糸口が示唆された。

 本研究は、手術部位感染サーベイランスにおける標準化手法開発のために貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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