学位論文要旨



No 116690
著者(漢字) 飯島,佐知子
著者(英字)
著者(カナ) イイジマ,サチコ
標題(和) 診療行為別原価計算に基づく胃がん症例の原価算出と在院日数・診療報酬との比較ならびに原価に関連する要因の研究
標題(洋)
報告番号 116690
報告番号 甲16690
学位授与日 2001.10.17
学位種別 課程博士
学位種類 博士(保健学)
学位記番号 博第1864号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 大江,和彦
 東京大学 教授 上西,紀夫
 東京大学 教授 数間,恵子
 東京大学 助教授 菅田,勝也
 東京大学 助教授 橋本,修二
内容要旨 要旨を表示する

1.緒言

 我が国における現行の診療報酬は原価からの乖離が生じているといわれている。しかも、診療報酬は主に項目別の出来高払いであるにもかかわらず、一般に行われている病院などの原価計算は部門別であるため、診療報酬のどの部分に乖離が生じているのかは不明である。また、医療の経済評価の研究や患者分類の開発においても、原価の代理変数として在院日数や診療報酬点数が用いられてきた。ところが、在院日数や診療報酬点数は、病院の原価をどのように反映する指標なのか検証はされていない。従って、正確な原価計算方法の開発は急務であると考えられる。

 一方、米国では、DRG/PPS (Diagnosis Related Group/Prospective Payment System) の導入当初より、同一診断名グループ内の在院日数や報酬の変動の影響要因に関する研究がなされてきた。これに対して、我が国のDRG/PPSに関連した研究では、そのような変動要因について検討はされていない。

 以上のことから、本研究では、我が国において受療率が高い胃がん症例を対象に、診療行為項目別計算にもとづく1症例ごとの原価計算の方法を開発して原価を算出し、医療資源消費量の指標として用いられている在院日数や診療報酬と比較を行った。また、医療資源消費量に対する患者要因の影響を検討し、現行診療報酬制度が効率性や医療の質に関してどのような経済的誘因を医療提供者にもたらしているか考察を行った。

2.方法

1)調査対象

 対象病院は、都内に所在する945床の国立A病院とした。対象症例は、1995年11月から1997年3月までに入退院して手術適応となった胃がん症例のうち、診療記録、診療報酬請求明細書が不備なく得られた症例とした。原価調査は、1999年3月より2000年5月に同病院の各部署職員の協力を得て、1998年度時点の原価情報を調査した。

2)データ収集

 対象症例の属性は、診療記録によって調査した。診療報酬額は、対象症例の外科入院期間の診療報酬請求明細書と会計カードから計算した。

 病院の原価は、A病院の年間の医業費用を基に、材料費、労務費、経費の各原価費目の金額を把握し、費目別原価計算を行った。労務費の算出にあたり、外科医師については、1週間の自己記入式勤務時間調査を行った。看護婦については、胃がん患者のケア時間を測定するために、他計式1分間タイムスタディを行った。建物・機械設備については、民間病院と同様に原価の正確性を期するために減価償却費の算定を行った。

3)原価計算の方法

 第一段階では、費目別に材料費、労務費、経費を直接費と間接費に分けて集計した。第二段階では、部門別計算を行った。診療部門は、外科病棟、外来、薬剤部、検査部、画像診断部、手術部等46部門とした。補助部門は、会計課、医事課等の14部門とし、計60部門を設定した。第三段階では、各部門に振り分けられた原価を診療行為項目に分解し、診療行為項目別原価を計算した。算出の単位は、投薬と注射は材料収入あたりの単価、処置は処置1回あたりの単価を計算した。検査は検査項目別の試薬費を算出し、労務費は検査技師の作業量を相対的に表わす重み付け点数法によって項目別1回あたりの単価を算出した。画像診断はフィルム1枚あたりの単価、手術・麻酔は手術および麻酔時間あたりの単価+胃がん手術材料費、看護は推計式による各病日の看護時間の累積に賃率を乗じた。病室と医学管理および給食は1日あたりの単価を求めた。第四段階では、各症例の診療報酬請求明細書から、各診療行為の提供量を把握し、各診療行為別単価を乗じた値を算出した。各診療行為の原価を合計し、各胃がん症例の原価とした。

4)計算方法の比較

 本研究の計算方法が従来の方法とどのように異なるのかを明らかにするために、投薬、注射、処置、検査、手術・麻酔、看護、病室・医学管理について、本研究の方法と従来の方法による計算値を比較した。

5)分析方法

 分析方法は、まず在院日数と診療報酬のそれぞれの平均値を算出し、原価とそれとの比を求めた。次に、全入院期間の原価と在院日数、原価と診療報酬のピアソンの積率相関係数を検討した。また、原価と診療報酬について、在院日数の影響を除いた偏相関係数を求めた。さらに、資源消費量に関連する患者属性を検討するために、原価と在院日数を従属変数とする分散分析を行った。

3.結果

1)対象症例の特徴

 対象症例158症例の平均年齢は、63±11歳であった。術前併存症は有り72例、無86例であった。術後感染の合併症例26例、非合併症例132例であった。

2)原価と在院日数、原価と診療報酬の比較

 全症例の平均在院日数は、52±16日であり、平均原価は約203万円、平均診療報酬は約184万円であった。診療報酬/原価比は、1入院期間では0.90であった。診療行為分類別では、投薬1.04、処置1.44、検査1.35、看護1.65、食事1.16で診療報酬が原価を上回っていたが、病室・医学管理は0.31であり、原価が診療報酬を大きく上回っていた。

3)原価計算方法の比較

 検査では、本研究の検査項目別計算による1人当たりの合計の平均は93千円、検査室別検査では検査項目別計算よりも12千円(13%)多く、検査部門別計算では18千円(19%)少なく計算された。看護では、1日あたり平均看護時間による計算は、本研究のタイムスタディによる計算よりも約10万円(33%)多く計算された。手術では、レセプトに記載されない医療材料、経費の算定のために手術1件あたりの平均を用いた方法は、本研究の胃がん手術の医療材料費および手術時間を反映させた方法よりも76千円(15%)少なかった。

4)原価と在院日数、原価と診療報酬の相関

 原価と在院日数とのピアソンの積率相関係数は0.80 (p<0.001)、原価と診療報酬は0.81 (p<0.001)であり、原価と診療報酬の偏相関係数は0.58 (p<0.001)であった。診療行為分類別の在院日数と原価の相関では、病室・医学管理が0.98 (p<0.001)、看護が0.97 (p<0.001)と高かったが、手術・麻酔とは相関がなかった。診療報酬と原価では、投薬が0.99 (p<0.001)、処置が1.00 (p<0.001)、看護が0.98 (p<0.001)、食事が0.96 (p<0.001)とほぼ完全な相関関係にあり、注射が0.85 (p<0.001)、検査が0.87 (p<0.001)、画像診断が0.81 (p<0.001)と高い相関を示していた。手術・麻酔が0.46 (p<0.001)、病室・医学管理は、0.77 (p<0.001)と相関がやや低くなっていた。一方、注射、看護、病室・医学管理の偏相関係数は、それぞれ0.78 (p<0.001)、0.53 (p<0.001)、0.16 (p<0.05)であり、ピアソンの積率相関係数よりも低くなっており、病室・医学管理は著しく低かった。

5)資源消費量に関連する要因の分析

 一元配置分散分析では、在院日数、原価の分散に共通して有意な差をもたらす要因は、術式(在院日数F値7.0,P<0.01; 原価F値7.9,P<0.001)、術後感染の有無(32.4,<0.001; 50.3,<0.001)、その他の術後合併症の有無(11.0,<0.01; 13.1,<0.001)であった。原価のみに関連する要因は、術前併存疾患の有無(3.9,<0.05)であり、在院日数のみに関連する要因は、年齢階級(4.0,<0.05)であった。

4.考察

 本研究では、原価計算を行うにあたり、部門内診療行為を計算の単位とし、材料費は行為別に消費した量によって算定し、労務費と経費は費目別に資源消費活動と直接因果関係のある配賦基準によって詳細に計算した。このため、検査、看護、手術について、従来の計算方法よりも胃がん症例の資源消費量の特異性を反映した方法と考えられた。また、看護と手術は、原価に占める割合が大きいため、計算方法による金額の差が大きいと考えられた。

 診療行為別の診療報酬/原価比では、病室・医師の医学管理は赤字を生じ、一方で投薬・処置・検査は黒字を生ずる構造であることを示していた。このような構造は、診療行為の過剰による非効率を生じ易く、入院医療を中心に行う大規模病院には経営上不利であり、医療機関の経営条件を不公平にしていると考えられた。

 在院日数は、看護や病室など在院日数によって資源が消費される部分を反映しているが、投薬、処置、術式など治療内容の組み合わせの違いによる資源消費の高低は反映しない指標であると考えられた。一方、診療報酬は、診療行為別に見ると、原価よりも投薬、処置、検査などの項目は多く見積もり、病室・医学管理の項目は過小に見積もっていた。したがって、在院日数と診療報酬は適切に原価を反映していないと考えられた。

 胃がん症例における原価に最も大きな影響を与える要因は、術後感染であった。しかしながら、現行診療報酬制度では、医療提供者の要因による追加的な医療行為の費用も保険者や患者が負担しているため、今後の医療制度改革において医療提供者に医療の質と効率性の向上に対して経済的誘因を与える改革が必要であると考えられた。

5.結論

1)1995年11月から1997年3月までに国立A病院に入退院し手術適応となった胃がん症例158例を対象に、診療行為項目別計算に基づく精密な原価計算を行った。

2)本研究の計算方法は、検査、看護、手術について従来の計算方法よりも胃がん症例の資源消費量の特異性を反映した方法である。また、計算方法による金額の差の大きい行為は、看護と手術であった。

3)診療報酬/原価比は、同一部門内の診療行為項目でもばらつきが大きく、診療報酬/原価比の高い項目と低い項目が生じていた。

4)在院日数は、看護や病室・医学管理の原価と高い相関を示したが、投薬・検査など治療内容の原価との相関は低く、手術・麻酔との相関はなかった。診療報酬は、投薬、注射、検査の原価と高い相関を示し、報酬/原価比が大きかったが、病室・医学管理の原価との相関は低く、診療報酬/原価比も1を大きく下回った。

5)胃がん症例の原価の変動要因は、術式、術後感染、その他の術後合併症、退院先であり、これらのうち最も大きな影響を与える要因は術後感染であった。

審査要旨 要旨を表示する

 本研究は、診療行為項目別原価計算による1症例ごとの正確な原価計算方法を開発し、実際に胃がん入院患者の医療資源消費量の算定を行った。また、原価と在院日数、原価と診療報酬の関連および、原価と在院日数に影響する患者要因について分析を行い、以下の結果を得ている。

1.国立における年間医業費用の調査、診療報酬請求明細書に基づき、胃がん症例158症例を対象に診療行為別原価計算を行った。全症例の平均在院日数は、52±16日であり、平均原価は約203万円、平均診療報酬は約184万円であった。診療報酬/原価比は、1入院期間では0.90であった。診療行為分類別では、投薬1.04、処置1.44、検査1.35、看護1.65、食事1.16で診療報酬が原価を上回っていたが、病室・医学管理は0.31であり、原価が診療報酬を大きく上回っており、診療行為によって診療報酬/原価比が高い項目と低い項目があることが示された。

2.従来の計算方法と本研究の計算方法を比較したところ、従来の方法では、検査室や部門別の診療報酬/原価比によって検査費用を求めているため、同一検査室や部門内の検査はすべて同じ原価率で計算された。一方、本研究の方法は、材料費、労務費、経費を費目別に消費量を反映する配賦基準で検査項目別に計算した。また、看護は1日あたり平均看護時間で計算する従来の方法に対して、タイムスタディに基づく計算を行った。手術については、従来の方法は診療報酬請求明細書に記載されない医療材料と経費に手術1件あたりの平均値を用いているのに対して、本研究では胃がん手術の医療材料と手術時間を反映させた計算方法をおこなった。以上のように、本研究の方法は従来の方法よりも胃がん症例の資源消費量の特異性をより反映した方法で計算を行った。その結果、従来の方法と本研究の計算値の差は、検査は12〜18千円(13〜19%)、看護は10万円(33%)、手術は76千円(15%)、投薬、注射、処置、医学管理・病室をあわせた金額の差が189円であり、計算方法による金額の差が大きい診療行為は、手術と看護であることが明らかになった。

3.在院日数と原価のピアソンの積率相関係数は、看護や病室・医学管理で高かったが、投薬・検査などでは低く、手術・麻酔との相関はなかった。診療報酬と原価のピアソンの積率相関係数は、投薬、処置、看護、食事がほぼ完全な相関関係にあり、注射、検査、画像診断も高い相関にあったが、手術・麻酔と病室・医学管理は、やや低い相関となっていた。在院日数の影響を除いた偏相関係数では、注射、看護、病室・医学管理の係数がピアソンの積率相関係数より低くなっており、病室・医学管理は著しく低いことが示された。

4.在院日数、原価の分散に共通して有意な差をもたらす要因は、術式、術後感染の有無、術後合併症の有無であった。術前併存疾患の有無は、原価に関連していた。年齢は、在院日数のみと関連していた。これらのうち最も大きな影響を与える要因は、術後感染であり、術後感染のある症例は、ない症例よりも在院日数が18日間長く、原価が89万円多いことが示された。

 以上、本論文は、従来の計算方法よりも精確な診療行為別原価計算方法の開発を行い、実際に胃がん症例の資源消費量を算定した。また、在院日数および診療報酬は原価を適切に反映していないことを示し、原価と在院日数の分散に影響する要因を明らかにした。本研究は、政策決定の基礎となる医療資源消費量の把握や、特定治療法の費用効果の評価、および病院の効率的な経営管理の情報を得るための精確な原価計算方法の開発に貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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