学位論文要旨



No 116696
著者(漢字) 全,鎮浩
著者(英字)
著者(カナ) ジョン,ジンホ
標題(和) 日米交渉における政策決定過程 : 「日米原子力協力協定」の改定をめぐる日米交渉の政治過程
標題(洋)
報告番号 116696
報告番号 甲16696
学位授与日 2001.10.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博総合第333号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 山本,吉宣
 東京大学 教授 古城,佳子
 東京大学 教授 廣松,毅
 東京大学 教授 小寺,彰
 東京大学 助教授 加藤,淳子
内容要旨 要旨を表示する

 本稿は、「日米原子力協力協定」(以下、新協定)の改定過程における日米交渉及び交渉過程での両国の政策決定過程を分析することが目的であり、その分析を通じ日米交渉という二国間交渉の特徴を見出そうとする試みでもある。1988年の協定改定によって日本は、核燃料の濃縮、使用済み核燃料の輸送及び再処理などに関する従来の米国による直接、個別統制を取り除き、日本独自の核燃料サイクル確立の見通しが得られるようになった。また、新協定は日米交渉において日本が対等な立場で交渉に臨み、平等な内容の協定を結んだ「戦後初めての日米対等交渉」とも言われており、新協定の成立によって日米原子力協力関係が長期的に安定することとなった。10年間にわたって行なわれた日米原子力交渉には日米両国政府を含め日米の様々な交渉アクターが絡んでおり、この交渉には日米の原子力開発利用政策、米国の核不拡散政策、日米の政府間交渉と民間レベルの対応、米議会の反対及び米議会と米行政府との間の協議、などの多様なアクターの政策及び議論が重なって全体の構造を成している。また、日米原子力交渉は単なる日米間の原子力協力レベルだけの交渉ではなく、日米両国の政治、経済、軍事的利益の総合的利益を踏まえた多義的な交渉であり、さらにIAEAやNPT、米中・日中・米ユーラトム・日ユーラトム協定などの他の二国間原子力協定とも緊密に結びついている国際的な意味を持つ重要な交渉である。

 以上のような日米原子力交渉のもつ多様な特徴の中で、本稿がとくに注目する点は日米間の合意過程で米国の要求が大幅に受け入れられたといわれている他のいくつかの日米交渉とは違って、日米原子力交渉は日本が有利に交渉を展開することができたということである。すなわち、1970-1980年代に行われた日米交渉の典型とは違って、日本が対等な立場で交渉に臨み、平等な内容の協定を結ぶことができたのはなぜなのか、という問題意識である。なぜこのような交渉ができたのか、交渉過程で米国の外圧は有効に作用しなかったのか、このような交渉過程及び交渉の結果と日米の政策過程はどのように関連しているのか、などの問題意識から本稿の考察は始まる。

 このような問題意識を踏まえ、本稿は再処理交渉からの日米原子力交渉の分析において、以下の三つの分析対象を議論の素材にして分析を行った。すなわち、本稿は詳細な交渉過程の記述及び問題意識や三つの分析対象に対する分析の2本立てで成り立っている。

 まず第一の分析対象は、日米原子力交渉を分析するための基礎となる、日本のエネルギー政策やその中での原子力政策及び米国の対外原子力政策である。この分析対象は前述した本稿の問題意識の背景を成しており、また交渉全体を理解するために重要である。

 第二の分析対象は、再処理交渉から協定改定交渉の最終合意までの10年の間にわたって行われた20回以上の公式交渉、多数の非公式協議などの実質的な交渉過程である。これを通じて交渉内容の詳細、交渉議題(アジェンダ)の設定及び変化などが考察される。本稿ではとくに、協定改定問題及び長期的包括同意制の導入問題に焦点を当て、このような重要アジェンダ別の交渉過程とそれらの相関関係、さらには交渉者の交渉戦略などを合わせて考察した。本稿では、再処理交渉と協定改定交渉を分け、それぞれの交渉過程や交渉内容をまとめた。

 第三の分析対象は、交渉に関わっていた両国の交渉アクターの分析及び両国の行政府内部での政策決定過程や意見調整過程などである。この分析対象を通じて日米両国の政策過程と交渉との関わりを探り、また両国の政策過程を比較し、それが交渉に及ぼした影響について分析を行った。

 本稿は再処理交渉から協定改定交渉に至る日米原子力交渉の交渉過程や政策決定過程を国際レベル、国内レベル、交渉レベルの三つのレベルに分けて考察し、それぞれのレベルが日米原子力交渉の交渉過程及び政策決定過程にどのように反映されているのかを明らかにした。資料としは米国側から公開された関連の政府文書が重要であり、その他には両国の新聞記事や交渉当事者に対するインタビューなどで事実確認を行った。本稿の分析の結果として次の3点があげられる。

 まず第一に、二国間交渉における国際レベルの影響である。日米原子力交渉においては日米両国の国内レベルや交渉者レベルだけではなく、核不拡散レジームやユーラトムなどの国際レベルも交渉過程及び政策決定に重要な影響を及ぼした。すなわち、国際レベルも交渉者レベルや交渉者を取り巻く国内レベルのように交渉過程及び政策決定過程に連動する一つのレベル(アクター)としての役割を果たしたのである。国際レベルは交渉者の政策選択肢の決定を制約する一つのレベルとして直接的な影響を及ぼし、また交渉過程や両国の交渉姿勢に対しても間接的に影響したことが分かった。、要するに、二国間交渉の交渉過程や政策決定には、交渉者レベルや批准に係る国内レベルが関与するだけではなく、関連の国際レジームや二国間交渉なども交渉者や国内レベルを制約するもう一つの国際レベルとして作用するということである。この国際レベルは交渉者の政策選択肢(ウィンセット)の決定に直接的に影響するだけではなく、交渉過程や交渉者の交渉姿勢などにも間接的に影響した。この点は「2レベル・ゲーム・アプローチ」(Two Level Games Approach)などの今までの交渉の研究ではあまり取り上げられてはこなかった国際レベルと二国間交渉との相関関係を明らかにしたものである。

 第二に、交渉過程における多数のアクターの関与と交渉との関係である。すなわち、日本の政策決定過程の一つの特徴として、多数の関連アクターの政策決定への関与は日本側の交渉者の政策選択の幅を狭くし、日本側に有利な交渉結果を引き出す役割を果たしたことである。日本の場合、交渉で焦点となった問題の一つ一つに対し関連省庁の最小限の同意を得る必要があり、それによって交渉者の政策選択肢はより狭くなったのである。協定改定交渉における米国の外圧に対し、日本側が有効に対応できた重要な要因も多数のアクターの政策決定過程への参加であった。すなわち、交渉における政策決定過程において、ある一つのアクターが政策決定過程を主導することができない場合、政府内での利害の異なる多数のアクターの政策決定への参加は参加アクター全体の利益や合意を優先させるため、交渉者の政策選択肢を制限し、結果的に自国に有利な交渉での対応を可能にすることである。

 第三に、交渉過程での交渉議題(アジェンダ)の変化が交渉結果に影響を及ぼすことである。米国による交渉過程での交渉アジェンダの変化は米国自らのウィンセットを拡大させ、交渉での米国の影響力を弱化させる結果となったのである。日本としては新たな交渉アジェンダを交渉の場で受け入れることによって、また交渉での米国側の優先順位の変化によって、交渉での自国の立場を強化することができたのである。すなわち、交渉当事国が交渉の開始時には予想しなかった交渉の場以外の国内及び対外要因などにより、交渉目標が変化した場合、あるいは重要な交渉アジェンダが新たに追加された場合、その変化は新たな交渉目標、または交渉アジェンダをセットした側の政策選択肢の幅(ウィンセット)を拡大させ、結果的には新たに交渉アジェンダをセットした側に不利に作用する交渉結果となったといえよう。

 以上の3点は交渉に関する既存研究の仮説及び前提を修正し、新たな交渉研究の枠組みを見出すための試みでもある。

 さて、日米原子力交渉は両国間の原子力分野での協力のための二国間、さらには国際的ルールを作るだけではなく、両国とも国内利益を充分に反映した交渉であったと評価できる。米国は新協定に新たな規制を取り入れることによって核不拡散の強化という名分を、日本は30年にわたり必要な米国の同意を包括化し、日本の原子力プログラムが長期的に安定する実利を得たのである。さらに、新協定は日米原子力関係の長期的安定と協力関係の持続という二国間レベルの意味を有するだけではなく、新協定は米国の核不拡散法の要求する新たな規制を盛り込んだ協定であり、日米という原子力利用分野での先進国が共通の核不拡散政策に立脚した協定を結ぶことによって核不拡散体制強化に寄与する意味も有する。協定改定によって米国の事前同意が包括化され、米国の同意を得るための手続きは簡略化されたが、新協定ではいくつかの問題点も残されている。協定の一方的な停止権に関する問題もその中の一つであり、これから両国が取り組んで解決しなければならない課題であろう。

審査要旨 要旨を表示する

 通常、日米交渉を見るとき、それは貿易の分野にせよ、安全保障の分野にせよ、米国の要求に対して日本が反応し、結局は、米国の「外圧」に日本が譲歩する、という様式を示す。しかしながら、1977年から87年まで行われた、東海村の再処理問題から日米原子力協力協定改正をめぐる日米交渉においては、米国の要求に対して日本が反応をするという基本的な様式をとりながらも、日本はついに米国の要求そのものに屈せず、むしろ日本に有利な結果を得ることに成功した。なぜこのような結果が可能になったのか。本論文は、それを理論的、実証的に明らかにしようとする。

 第1章において、論者は、このような問題意識を示し、理論的な分析枠組みを提示する。日米交渉を分析するにあたっては、国内の政治に注目するもの、二国間の交渉に焦点をおくもの、国内政治と国家間の相互作用双方を取り扱おうとする2レベル・ゲーム・アプローチ、などが存在する。論者は、このようなモデルに加えて交渉には、それを包み込むシステム・レベルの要因が重要な役割を果たすことがあり、それを明示的に説明要因として取り上げることを提案する。

 第2章は、日本と米国それぞれに関して、原子力政策の展開と基本的な立場を考察する。日本においては、50年代前半に原子力政策が出発して以来、日本の経済において原子力の占める役割が増大し、エネルギーの自律性を求めて核燃料サイクルが目標とされるようになり、政策決定構造として科学技術庁と通産省を中心とする「二元体制的利益連合」が形成されることが明らかにされる。米国に関しては、原子力は平和利用と核不拡散という時に相反する二つの目標から捉えられるものであり、70年代は、一方で原子力発電の経済的な位置付けが低下し、他方で核不拡散問題が顕在化したことに特徴づけられる。それに対して、日本に関しては、70年代は、核不拡散条約を批准し、そのルールを守る優等生となり、原子力エネルギー利用がまさに本格化しようとするときであった。

 第3章は、東海村の再処理交渉を取り扱う。カーター政権発足後、米国の核不拡散政策は強くなり、日本が進めていた東海村再処理施設に関して、米国は、その稼動をしばらく延期することを求め、また使用済み核燃料の海外への輸送にも難色を示す。米国は、再処理の方法として混合抽出方式(ウランとプルトニウムを混合した形で抽出)を提案した。それは、日本の計画していた単体抽出方式とは異なるものであり、日本の計画を根本的に危うくするものであった。日本は米国の提案に強く反対した。日本の強硬な反対に直面し、米国は、運転方式の転換の可能性を検討する日米双方の専門家による共同調査に合意する。この共同調査の結果は、単体抽出方式から混合抽出方式へ転換するには大規模な改造が必要であり、財政的にも現実的ではない、というものであった。ここに米国は混合抽出方式をあきらめ、保管の形態として、混合保管方式を推すことになる。結果として、単体抽出方式、混合保管方式を軸とする日米合意が成立する。米国に関して言えば、再処理とプルトニウム利用を封鎖しようとするカーター大統領と、東海村再処理施設の運転を2、3年遅らせようとした国務省の思惑の違いがあった。また、過度に強い圧力を日本にかければ、原子力に関して日本の米国離れを引き起こす可能性があり、それは核不拡散レジームを強化しようとする米国の目的にもとるものと考えられた。日本に関して言えば、米国の規制の強化をある程度受け入れようとする通産省とそれに対抗しようとする科学技術庁の間に温度差はありながらも、単体抽出方式に基づいた再処理を貫く方針がとられ、いくつかのアクターの利益や意見をまとめる原子力委員会を中心とする交渉がおこなわれた。

 第4章は、82年8月から始まり、87年1月まで16回にわたって行われた日米原子力協力協定改定交渉(正式の署名は同年11月)を丹念におうものである。第1回から85年の第12回まで、米国は、核不拡散の強化という立場から協定の改定をもとめ、日本は、現行協定の範囲の中で包括同意を組み込む立場を取って、対立した。米国の要求は、核不拡散法(NNPA)という国内法をもとにするものであった。この交渉では、さまざまな課題が取り上げられたが、日米交渉の根幹は、日本が米国の要求する協定改定を認め、米国が日本の望んでいた包括同意を認める、ということにあった。米国は、国務省、エネルギー省、国防省、原子力規制委員会などが関係省庁であった。国務省は協定改定の責任者であり、またエネルギー省は、米国の経済的利益促進の観点から交渉には積極的であった。これに対して、国防省、原子力規制委員会は、強い核不拡散の立場から日本に対して強硬であった。国務省は、強いリーダーシップを発揮し、ときに反対派の国防省を排除しつつ改定交渉を促進しようとした。この背景には、レーガン政権が日独などと良好な関係を維持しようとしたことがあった。米国議会においては、民主党の核不拡散派の有力議員が強い懸念を示した。日本は、(当時の)現行協定が2003年まで有効であること、米国が求めている改定要求が米国国内法である核不拡散法であること、など有利な条件が存在した。また、米国とユーラトムとの同種の交渉が行われており、その交渉が不調であったことも日本に有利に働いた。科学技術庁は、協定改定が新しい規制の導入をもたらすことを恐れ米国の要求に反対であった。通産省は国内の電力業界などの利益を反映し、米国との良好な関係を望み、新規制の導入もやむなしとして、米国の要求に「共感」を持った。交渉の窓口であった外務省は、科学技術庁に近い立場を取り、「二元体制的利益連合」における合意は、協定改定に反対であった。しかしながら、米国にとっては協定改定をすることは至上命令であった。他方日本側には、協定改定を受け入れないと事態は一向に進まず、また、協定を改定しても、日本が最も重要と考えていた包括同意は十分に保障される、という感触が広まっていった。ここに、85年第13回の交渉で、日本は協定改定を受け入れる。そして、再処理、第2再処理施設の建設・運転に関して包括同意方式が合意され、交渉は大きく前進する。最終の第16回交渉においては、日本が求めていた、日本から米国へ移転した原子力関連技術に対する日本の規制を米国が受け入れるという協定の双務化さえも合意される。新協定において、日本は、第3国への核物質などの移転、再処理、などに関して包括同意を獲得し、20%以上のウランの濃縮などに関しては新しい規制を受け入れることとなった。

 第5章は、日米両国の批准の過程を分析している。日本においては、新協定の批准に関してはほとんど問題は無かったが、米国の方は大きく政治問題化した。米国行政府は、原子力関連の法案は未だかつて議会を通過しなかったことは無いなどの理由で、批准に自信を持っていた。しかし、上院民主党の核不拡散派議員の力は強く、87年12月17日、上院で外交委員会で、新協定案に反対し、再交渉を求める決議が15対3で可決される。反対論は、30年にわたる包括同意の承認とプルトニウムの自由使用は、核不拡散体制をおびやかす、輸送の体制が安全ではない、等の観点から行われた。しかしながら、国務省を中心とする米国行政府は粘り強い議会対策を続けた。ここに新協定の内容をあまり知らず、「専門の知識」をもつとされる核不拡散派議員の意見を尊重していた議員も、徐々に賛成に回るようになる。輸送に関しても、アラスカを経由しない輸送計画などが日本側と話し合われることが決まる。そして、この間、日本の電力業界などの原子力関連産業の米国議会等への働きかけも広く行われる。このような過程を経て、88年4月、新協定は議会で承認される。

 第6章は、第3章から第5章で明らかにされた再処理交渉、協定改定交渉過程を第1章で提示した分析枠組みで整理し、なぜ日本が米国の外圧に屈することなく、日本に有利な交渉結果を得ることが出来たか、を明らかにしようとしている。まず、論者は、改定交渉において、国際的なシステムの要因が大きな役割を果たしたことを指摘する。たとえば、カーター政権が核不拡散のための国際合意を得ようとして形成した国際核燃料サイクル評価(INFCE)は、80年、原子力の平和利用を擁護する結論を出したが、それは日本が協力協定改定交渉の初期において、協定改定ではなく、現行協定の中で包括同意方式を追求することが出来た大きな理由であった。また、ユーラトムの存在は、米国とユーラトムの交渉の帰趨が日米交渉に大きな意味を持っていたこと、日本が原子力燃料に関する輸入で、米国をけん制する要因になったこと、など日米二国間の交渉に大きな影響を与えた。国内の要因も交渉に大きな影響を与える。米国においては、国防省などの強い反対はあったものの、レーガン大統領にバックアップされたと考えられる国務省が、反対派を排除しつつ交渉を進めた。このことは、米国が日本に協定改定という外圧を与えつづける要因になったが、協定改定を受け入れれば他の事項で米国の受け入れる合意の幅を増大し、日本に有利な条件を作ることとなった。そして、時間の経過とともに、米国は、核不拡散強化のための新規制導入という目標から、協定改定そのものを目標とせざるを得ず、このような米国の目標(アジェンダ)の変化は、米国の対日交渉のポジションを弱めることになった。もちろん、日本の方でも、米国の協定改定要求を拒否すれば、包括同意は得られず、包括同意を得ようとすれば、米国の要求に応じなければならない、というディレンマが存在した。85年、日本が協定改定に踏み切ったのは、協定改定を呑めば包括同意が得られるという確信を持ったからであり、また日本の交渉の代表が替わったことも変化の要因であった。日本に関しては、科学技術庁、原子力委員会、外務省、通産省、そして業界団体からなる「二元体制的利益連合」が政策決定を事実上独占していた。その体制は、科学技術庁と通産省の間に若干の利益の相克をともないながらも、米国の外圧に対してはまとまる傾向を見せた。外圧は日本の内部において米国の要求を受け入れる集団が強いとき、はじめてその効力を発揮する。そのようなメカニズムは存在しなかった。

 第7章は、第1章で提示された問題意識、すなわち、日米原子力交渉で、なぜ外圧が有効に働かなかったか、日本はなぜ有利な結果を得ることが出来たのか、という設問に関して、分析の結果をまとめ、また交渉に関してのより一般的な理論的仮説を提示している。第一に、日米原子力交渉は、二国間また国内の要因だけではなく、核不拡散体制、あるいは米−ユーラトムの交渉など、国際的な要因が強く効いており、いわば、「埋め込まれた交渉」であった。そしてそれは、日本に有利に働くことが多かった。第二に、日本には、多数のアクターが存在したが、米国の要求に共感するアクターの影響力は強くはなく、多数のアクターが形成する「二元体制的利益連合」の全体の利益が強調されたため、外圧が有効に作用しなかった。第三に、米国の目標(アジェンダ)が、核不拡散強化のための協定改正、新規制の導入という目標から、日本との合意に移行したため、日本は交渉上優位な立場に立つことが出来た。そして、論者は、以上の点をより一般化し、「国際レベルの要因は交渉者の選択肢の決定に直接的に影響するだけではなく、交渉過程や交渉者の交渉姿勢にも間接的に影響する」、「政府内での利害の異なる多数のアクターの政策決定への参加は参加アクター全体の利益や合意を優先させるために、交渉者の政策選択肢を制限し、結果的に自国に有利な交渉を可能にする」、「交渉目標が変化した場合、あるいは重要な交渉アジェンダが新たに追加された場合、[それを行った]側の政策選択肢の幅を拡大させ、[それを行った側に]不利に作用する」、という一般的な命題を提示している。

 本論文は、いままで深く研究されてこなかった日米原子力協力協定改正交渉を、はじめて体系的に分析したものであり、高く評価することが出来る。実証分析では、多くの一次資料を使い、また、政策決定に参加したり、当時の状況をよく知る日米30人に及ぶインタヴューを行い、資料面でも高く評価できる。そのことによって、米国内部の関連諸省庁間の利害の葛藤状況、政策決定の在り方、行政府と議会の駆け引きなどを明確にしている。日本の側に関しても、「二元体制的利益連合」の作動のしかた、また、85年の政策転換などの内部事情を明らかにしている。

 理論的にも、国内政治、2レベル・ゲーム・モデルに新しい知見をもたらすと同時に、二国間交渉に国際的な要因が強く作用し、そのことを「埋め込まれた交渉」という新しい概念で分析し、学問的に大きな貢献をしている。たとえば、2レベル・ゲームにおいては、通常は、国内が割れているとき、外圧は効きやすい、とされていたが、本論文のケースにおいては、必ずしもそうではないことが示される。さらに、「埋めこまれた交渉」という概念を駆使して、日本が交渉上優位に立てたことを体系的に明らかにしている。さらに、長期にわたる交渉においては、交渉当事者の目標が変化するものであり、それが交渉の帰結に大きな影響を与えることを明らかにした。

 もちろん、今後の課題としていくつかの点も指摘することが出来る。たとえば、原子力は他の問題領域とは異なった構造を持っており、それが、他の分野の日米交渉と比較して、どのような違いをもたらすかを明らかにすることは将来の課題として重要である。また、それと関連して、原子力に関して日米の交渉における影響力関係をもう少し体系的に捉える枠組みも必要なのではないかと考えられる。このことは、論文全体に関して、多くの説明変数が用いられているが、それらの間の有機的な関係をもう少し整理して論ずることも必要なのではないかということである。また、一次資料、インタヴューで、多くの事実を明らかにしているが、公開資料が制限されているため、隔靴掻痒のところもあり、今後とも資料の収集が必要であるところがある。

 とはいえ、本論文は、博士論文として、理論的にも、実証的にも優れたものである。したがって、本審査委員会は博士(学術)の学位を授与するにふさわしいものと認定する。

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