学位論文要旨



No 116699
著者(漢字) 張,
著者(英字)
著者(カナ) チョウ,キョウカ
標題(和) 中国における多文化教育のメカニズムと機能に関する研究 : 民族共生と社会統合の視点から
標題(洋)
報告番号 116699
報告番号 甲16699
学位授与日 2001.10.31
学位種別 課程博士
学位種類 博士(教育学)
学位記番号 博教育第79号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 藤田,英典
 東京大学 教授 金子,元久
 東京大学 助教授 恒吉,僚子
 東京大学 教授 汐見,稔幸
 東京大学 助教授 志水,宏吉
内容要旨 要旨を表示する

1 研究の課題と方法

 世界各地で繰り返し噴出する民族紛争を見ても明らかなように、民族共生は多民族国家にとって極めて重要かつ困難な課題である。民族紛争の危険を回避し、多民族の共生と国家の統合・発展を実現するという、この困難かつ重要な課題に対して、従来、多くの多民族国家は同化主義政策を採用してきた。しかし、少数民族の抑圧と強制を特徴とする同化主義政策は、1960年代後半以降、少数民族の離反・反抗を招くようになり、その結果、道義的にも政策的にも否定されるようになり、それに代わって多文化主義が新たな社会統合理念として台頭してきた。

 多文化主義は、多様な民族文化の共生(多文化共生)を図りつつ社会的統合の実現を目指す理念であるが、1980年代以降、世界各地の多民族国家で採用されるようになり、そして、学校教育がその目的達成のための主要な戦略的領域の1つとして位置づけられ、多文化主義の理念に基づく多文化教育・二言語教育がその戦略・政策の中核を占めるようになった。

 しかし、多文化主義や多文化教育・二言語教育の政策・形態は国によって多様であり、また、近年、その有効性を疑問視する見方も出始めている。とはいえ、それが現に多くの多文化国家で採用されている以上、そしてまた、民族共生と社会統合を左右する重要な戦略的領域である以上、その政策・形態の妥当性・有効性を検討すること、そして、そのためにもその構造と機能を解明することは、学問的にはもちろん、政策的・実践的にも、きわめて重要な課題であろう。

 アメリカの社会学者ゴードンは、多文化主義をリベラル多元主義とコーポレイト多元主義に区別し、前者のほうがよりよい結果をもたらす可能性があると論じている。この議論からすれば、学校における多文化教育・二言語教育は否定的に評価されることになる。しかしゴードンは、コーポレイト多元主義の実現可能性が乏しいということを実証しているわけではない。コーポレイト多元主義の実現可能性、その具体的政策としての多文化教育・二言語教育の有効性については、その実態を踏まえ、その実際の影響を実証的に解明してはじめて分析的・合理的に論じることが可能になると言えよう。

 しかし、多文化教育・二言語教育に関する先行研究は、政策・制度に関する記述的研究と教育理念・教育方法・教育内容等に関する理論的・実践的研究が中心で、多文化教育・二言語教育のメカニズムと機能や、民族共生と社会統合の実現への寄与を扱った実証的研究はきわめて少ない。それは中国でも同様で、二言語教育に関する政策記述的研究と言語学的研究は多数行われてきたが、その実態と機能に関する実証的研究は行われていない。

 そこで本研究では、多民族国家の典型例としてコーポレイト多元主義の政策を採用している中国を取り上げ、二言語教育に焦点を当て、その政策・制度・メカニズム・機能について、民族共生と社会統合の観点から実証的に分析した。その際、具体的な分析課題としては、中国における55の少数民族が二言語教育政策にどのように対応しているか、少数民族出身の生徒の進路選択(二言語教育の実施形態の異なる学校の選択)と進路意識(大学進学及び就職についての意識)は何によって規定さているか、二言語教育は民族アイデンティティの形成、ナショナル・アイデンティティ形成、他民族文化の理解や他民族との協調意識の形成に、二言語教育はどのような働きをしているか、といった問題を設定した。

 以上の課題を遂行するために、本研究では、既存の文献資料と筆者自身が行った質問紙調査及びインタビュー調査のデータを用いた。中国では2つのタイプの二言語教育が行われている。1つは、共通言語(漢語)を教授言語とし、民族言語を教科として学習するタイプ、もう1つは、民族言語を教授言語とし、共通言語を教科として学習するタイプである。中国四川省阿覇チベット族自治州では2つのタイプの二言語教育が並行して実施されている。本研究では、この地域のチベット族出身の中学2、3年生を対象に質問紙調査(1995年実施、有効サンプル数650)とインタビュー調査(1999年実施、有効サンプル数55)を行い、そのデータに基づいて以上の課題について分析し、中国における二言語教育のメカニズムと機能について考察した。

2 分析結果

 本研究では、まず第1章で、多文化主義に至るまでの社会統合のあり方、多文化主義が導入された背景、多文化主義の政策や実態をアメリカ、カナダ、オーストラリアと中国との比較を検討し、中国がコーポレイト多元主義の1つの典型であることを確認した。そして、中国における二言語教育は多文化主義政策・多文化教育の中核を構成していることを指摘し、少数民族側に焦点化し、二言語教育実施過程のメカニズムと機能について検討した。二言語教育実施過程のメカニズムに関しては、国家の政策、各民族集団の対応や選択、同一民族集団内の選択について解明した。次いで、二言語教育の機能に関しては、民族共生と社会統合の2つの側面から検討した。その際、分析枠組として、社会的正義に関して、配分的正義の2つの立場(機会の平等を重視する立場と結果・条件の平等を重視する立場)と関係的正義の2つの課題(日常生活における差別・抑圧の問題と民族文化の維持や民族アイデンティティの問題)を検討し、民族共生については機会の平等(社会的正義)と文化的共生(関係的正義)の2つの側面に分け、社会統合についてはタテの統合(国家との関係)とヨコの統合(他民族との関係)の2つのレベルに分けて考察した。文化的共生については民族的アイデンティティの形成に着目し、機会の平等については生徒の進路選択と進路意識に注目して分析を行った。また、タテの統合については生徒のナショナル・アイデンティティに注目し、ヨコの統合については他民族への志向性に注目して分析を行った。

 分析の結果、二言語教育に対する少数民族集団の対応や選択は次の2つの制約を受けていることが明らかになった。第一に、二言語教育を採用するか否かについては、民族文字の有無によって制約されている。第二に、二言語教育を採用する少数民族集団の場合、共通言語と民族言語のどちらを教授言語にするかについては、歴史上漢文化に影響された度合いによって規定されている(第2章)。

 二言語教育に関する少数民族集団内の選択は、家庭環境(階層、家庭の使用言語)、学校文化などの制約を受けている。民族言語を教授言語とする小学校卒業者の場合、出身階層や家庭の言語的・文化的環境にかかわりなく、同じタイプの中学校に進学する傾向が強い。共通言語を教授言語とする小学校出身者の場合、どのタイプの中学校を選ぶかは、親の職業や学歴水準によって大きく規定されている。出身階層の高い生徒は共通言語を教授言語とするタイプの中学校を、出身階層の低い生徒は民族言語を教授言語とするタイプの中学校を選ぶ傾向がある(第3章)。

 文化的共生に関しては、本研究では、民族的アイデンティティが維持されているかどうかに注目して分析を行い、二言語教育によって異なる民族的アイデンティティが形成される傾向があることを明らかにした。一貫して共通言語を教授言語とする教育を受けてきた者は血縁・地縁にアイデンティティの根拠を置くのに対して、一貫して民族言語を教授言語とする教育を受けてきた生徒は民族文化の共有に民族的アイデンティティの基盤を見出す傾向がある。さらに、民族言語を教授言語とする教育と共通言語を教授言語とする教育の両方を受けてきた者は血縁や地縁だけでなく、民族文化の共有にも民族アイデンティティの根拠を置く傾向がある(第4章)。

 機会均等に関しては、生徒の進路意識に着目し、文化的多様性の維持という政策には機会へのアクセスを阻止するメカニズムが組み込まれているかどうか、少数民族出身者に機会が平等に開かれているかどうかといった点を検討した。分析の結果、二言語教育には、機会へのアクセス、とくに高い学歴や上昇移動へのアクセスを阻止するメカニズムが必ずしも組み込まれてはいない。また、大学進学機会や就職機会も、漢語能力や民族意識によって差異的に媒介されてはいるが、必ずしも二言語教育の形態によって直接的に制約されているわけではないことが明らかになった(第5章)。

 タテの統合に関しては、二言語教育を受けることによって、生徒のナショナル・アイデンティティにどのような違いが生じるかを分析した。一貫して民族言語を教授言語とする教育を受けている生徒は、表層的なナショナル・アイデンティティしかもっていない。他方、共通言語を教授言語とする教育と民族言語を教授言語とする教育の両方を受けてきた生徒と、一貫して共通言語を教授言語とする教育を受けてきた生徒は、信念体系の共有としてのナショナル・アイデンティティを育んでいる(第6章)。

 ヨコの統合に関しては、他民族文化への理解や他民族との協調意識、他民族とのかかわり方といった他民族への志向性に着目して検討し、表層的な機械的志向と積極的な有機的志向に分かれることを明らかにした。一貫して民族言語を教授言語とする教育を受けてきた生徒は、他民族に対する機械的志向が強い。他方、共通言語を教授言語とする教育と民族言語を教授言語とする教育の両方を受けてきた生徒と、一貫して共通言語を教授言語とする教育を受けてきた生徒は、他民族に対して有機的志向をもっている(第7章)。

3 考察

 二言語教育を通して、民族文化への帰属意識(民族文化の共有としての民族的アイデンティティ)を育み、同時に国家への帰属意識(信念体系の共有としてのナショナル・アイデンティティ)をも育むというように、他民族に対する有機的志向が形成される場合には、民族共生と社会統合の両方が達成されていると言えよう。しかし、これまでの分析結果は次のようなものであった。

 一貫して民族言語を教授言語とする教育を受けてきた生徒は、民族文化の共有としてのアイデンティティを形成するが、他方では、表層的なナショナル・アイデンティティしかもっていなく、他民族に対しては表層的な機械的志向を育む順向がある。そこで、これは、異化志向型と呼ぶことができよう。

 共通言語を教授言語とする教育と民族言語を教授言語とする教育の両方を受けてきた生徒は、民族文化の共有としての民族的アイデンティティを育んでいるが、同時に信念体系の共有としてのナショナル・アイデンティティを育んでおり、他民族に対して有機的志向を育む傾向がある。そこで、これは、統合志向型と呼ぶことができよう。 他方、一貫して共通言語を教授言語とする教育を受けてきた生徒は、血縁・地縁を拠り所にした民族的アイデンティティしかもたず、信念体系の共有としてのナショナル・アイデンティティを育み、かつ、他民族に対して有機的志向を育む傾向がある。その意味で、これは同化志向型と呼ぶことができよう。

 本研究の分析結果から、多文化主義がその二言語教育のあり方によって、同化を強化することも、異化へ導くことも、さらには統合に寄与することもありうると言えよう。その意味で、従来、多文化主義の理念の実現という点で必ずしもポジティブに評価されてこなかったコーポレイト多元主義は、一定の限界はあるものの、有効性、将来性があることもまた確かだと言えるだろう。

 しかし、少数民族側の選択や対応の仕方からも分かるように、強力な主流民族や主流文化が存在する社会においては、民族文化の維持は容易なことではない。また、情報化や経済の市場化や経済のグローバル化は、文化の一元化を進めていく傾向があるが、そうした動向も民族文化の維持を難しくしていく可能性がある。さらに、もう一方では、近年の市場経済化の進展にともなって、経済的な地域格差が、例えば内陸地域と沿海地域、少数民族地域と漢民族地域の間で拡大しているが、それがさらに進むなら、業績主義がさらに重視されるようになり、少数民族文化の維持を掲げた多文化主義政策に対する修正・変更動きが起こらないとも限らない。こういった問題の調整は多文化主義にとって新たな課題となろう。

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は、中国における多文化教育の政策・形態・メカニズム・機能を、二言語教育に焦点化して、民族共生と社会統合の観点から実証的に分析し、同国における二言語教育の課題と可能性について考察したものであり、本論7章と序章及び終章から成り立っている。

 序章では、第1に、多文化主義と単一文化主義の関係、多文化主義と同化主義の違い、リベラル多元主義とコーポレイト多元主義の区別を確認し、第2に、社会的正義について配分的正義の2つの立場(機会の平等と結果・条件の平等)と関係的正義の2つの課題(差別・抑圧の問題と民族アイデンティティの問題)を検討し、第3に、社会統合についてタテの統合とヨコの統合を区別し、以上を踏まえて、二言語教育に関する本論文の課題を設定している。

 第1章では、領土的に中国と同規模のアメリカ、カナダ、オーストラリアにおける多文化主義と対比しつつ、多文化主義に至るまでの社会統合パターンの歴史的展開を概観し、中国の多文化主義をコーポレイト多元主義の一形態と位置付け、その特徴を考察している。

 第2章では、中国における55の少数民族について、二言語教育を実施しているか否か、実施している場合、教授言語は漢語か民族言語かについて統計的に分析し、民族文字の有無が前者を規定し、歴史的に科挙圏であったか否かが後者を規定していることを明らかにした。

 第3章から第7章では、チベット文化と漢文化が交錯し、民族言語と漢語の二言語使用の多い四川省阿覇チベット族自治州の中学2、3年生を対象に実施した質問紙調査(650サンプル)とインタヴュー調査(55サンプル)のデータに基づき、民族共生の問題を機会の平等(配分的正義)と文化的共生(関係的正義)に分け、社会統合の問題をタテの統合(国家との関係)とヨコの統合(他民族との関係)に分けて実証的に分析し、以下の諸点を明らかにしている。

 (1)少数民族出身者が教授言語の異なる中学校(漢語/民族言語)のどちらを選択するかは、家庭環境(階層、家庭の使用言語)と3タイプの小学校(チベット語学校、漢語学校、チベット語を教えない学校)によって大きく異なる。また、中学校選択の動機として、当然の選択、消極的選択、義務的選択、功利的選択、嗜好的選択が認められるが、それも家庭環境や小学校タイプによって異なる(第3章)。(2)民族アイデンティティの内容及び拠り所について、一貫して漢語による教育を受けてきた生徒は血縁・地縁にアイデンティティの根拠を置くのに対して、一貫して民族言語による教育を受けてきた生徒は民族文化の共有にアイデンティティの基盤を見出す傾向があり、両方の教育を受けてきた生徒は血縁・地縁だけでなく、民族文化の共有にもアイデンティティの根拠を置く傾向がある(第4章)。(3)選抜・配分システムは、大学進学については競争型・準競争型・閉鎖的競争型が、就職については自由競争型・アップダウン型・地元型が区別されることを指摘し、どの進路タイプを希望するかは教授言語の違いによって異なること、及び、その違いは漢語能力や民族帰属意識によって差異的に媒介されており、必ずしも制度的な制約によるものではないことを明らかにした(第5章)。(4)タテの社会統合に関しては、ナショナル・アイデンティティが、一貫して民族言語による教育を受けている生徒では表層的な傾向があり、一貫して漢語による教育を受けている生徒及び漢語と民族言語の両方による教育を受けてきた生徒では信念体系の共有というレベルにある(第6章)。また、ヨコの社会統合に関しては、他民族文化の理解や他民族との協調意識が、前者の場合には表層的志向が目立つのに対して、後者の場合には積極的・協調的志向が目立つ(第7章)。

 終章では、7章までの分析結果を要約し、二言語教育が民族共生と社会統合に果たす機能について検討し、多文化教育・二言語教育の課題と可能性について考察している。

 これまで中国では、二言語教育に関する政策記述的研究や言語学的研究は多数行われてきたが、本論文は二言語教育の政策・制度・実態を民族共生と社会統合の視点から実証的に分析し、そのメカニズムと機能を明らかにしたものであり、また、教育機会・進路選択及び民族意識・国民意識の形成に関する教育社会学的研究課題に中国を事例としてアプローチしだものであり、その2つの領域で新たな知見を呈示し、今後の研究の発展に貴重な貢献をするものと判断される。よって本論文は、博士(教育学)の学位を授与するに相応しいものと判断された。

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