学位論文要旨



No 116702
著者(漢字) 白水,浩信
著者(英字)
著者(カナ) シロウズ,ヒロノブ
標題(和) 西欧ポリス論における近代教育の生成 : ポリス・衛生・教育
標題(洋)
報告番号 116702
報告番号 甲16702
学位授与日 2001.11.14
学位種別 課程博士
学位種類 博士(教育学)
学位記番号 博教育第80号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 寺崎,弘昭
 東京大学 教授 土方,苑子
 東京大学 助教授 今井,康雄
 東京大学 助教授 金森,修
 東京大学 教授 浦野,東洋一
内容要旨 要旨を表示する

 ヘーゲル『法哲学綱要』(1821)において教育は、「欲求の体系」としての市民社会に不可欠なポリツァイ活動の一環として捉えられていた。本論文は、顕著な行政実務論として18・19世紀に展開したこのポリス(=ポリツァイ)論の中に近代教育の生成を歴史的に跡づけていこうとするものである。すなわち、ポリス論とはいかなる議論であり、そしてまた、なぜ、いかなる形で教育がポリスの対象として位置づいていたのか、これらの点を解明し、近代教育生成の歴史的意義を検討することが本論文の課題なのである。

 ヘーゲルが端的に論じていたようにポリツァイは、個人の自由な欲求追求の場としての市民社会にあって、その生理として現出せざるをえない様々な現象−貧困、環境汚染、犯罪、無知といった社会問題−への公的な介入、その「事前の配慮(Vorsorge)」の総体にほかならない。市民社会では、個々の生存も社会全体の福祉も、依然として偶然と恣意に左右されるものであって、そこでの人間は一定の管理や規制に服し、「市民社会の息子」としてその庇護の下に生きていかざるをえない。そこにポリツァイが必要とされる所以があり、教育をはじめとして、救貧、治安、衛生、物資供給、道路建設、植民地に至るまで、〈生〉に関わる幅広い領域がポリツァイの対象と認識されてきたのである。すなわちポリツァイは、個々の欲求を水路づけ、自由を可能にする不可欠の条件を調えることによって、社会秩序を下支えするものだったわけである。

 もちろん教育もまた、このようなポリス的視座に立つものであり、その配慮の一端を担う確固たる地位を占めながら、救貧や治安、衛生といった他のポリス領域と併走させられていたのである。にも拘わらず、これまでの教育史研究では、ポリス論のトータルな配慮から教育だけを切り離して議論してきたために、救貧や治安、衛生といった他の統治実践との関連性を往々にして十分に把握できないままであった。そこで一旦、教育をポリス論全体の図柄の中に置き直し、隣接諸領域とどのように連携するものであったか、具体的に明らかにしておく必要がある。それは同時に、今日もなお行政実務家の思惟に隠微な影響を与え続けるポリス的発想の原点に立ち返り、ポリス論全体がいかなる議論として成立したかについて析出していくことにもつながっているのである。

 こうした西欧ポリス論の世界は、いち早く明治維新の日本にも摂取されていたのであり、内務行政全般に関わる「警察」論として展開されていた点は特筆されねばならない。もちろんその際の、「警察」とは、「ポリス(police,Polizei)」の訳語であり、今日の矮小化された警察組織とは区別して捉えておく必要がある。

 例えば西欧のポリスを「取締の法」として、特に感化院(reformatory)の事例を引きながら、その矯正機能に力点をおいて紹介した福沢諭吉。あるいは、「市民社会の息子」同様に人民を幼児に見立て、その保護と教導に関わる「保傅」の役割を担うものとして行政ポリス構想を推進した警察制度設立の立役者、川路利良。そして統治の営み全般が、窮極的には「衛生」活動にほかならず、その具体的運用論としてドイツ・ポリツァイ論に注目した内務官僚、後藤新平。彼らの議論から総じて言えるのは、ここ日本においても、ポリスがその対象として教育を明確に視野に収めていたということであり、ポリスの任務そのものがまた、教育的であると認識されていたという事実である。

 実はこうしたポリス論の世界は、18世紀西欧、特にフランスに端を発したものであり、当時、ポリスを評してモンテスキューは、「ポリスは刻々と生じる物事に携わり、通常些末なことこそが問題になる」と述べるに至っている。つまり刻一刻と生起する〈生〉に積極的に働きかけ、恒常的で微細な配慮によって〈生〉を醸し出していくこと、これがポリスの目標だと考えられていたわけである。だとすれば当然、M・フーコーが指摘した近代的統治のメルクマールたる〈生−権力〉の具体的行使は、ポリスが担っていたということになる。事実、フーコーは、ポリス論史料を何度も立ち返り参照し、そこから思索のヒントを得ていたのであり、それゆえ、こうしたフーコーのポリス論理解を歴史的史料に即して批判的に検証しつつ、彼にあって正面に据えて展開されることはなかったポリス論研究を教育史研究として展開することもまた、本研究の射程に入ってくるものなのである。

 以上のような序論的考察を踏まえて、本論では次の三つの角度からポリス論分析を進め、その教育史研究における意義を見極めていくことにした。

 第I章 フランス啓蒙思想のポリス理解

 第II章 ニコラ・ドラマール『ポリス論』の世界

 第III章 近代ポリス論における教育と衛生

 まず第I章で着目したのは、ルソーの政治・社会論に現れた'police'という語の用法、それから『百科全書』の「ポリス」記事、そしてメルシェの『タブロー・ド・パリ』に描かれたポリス実務の詳細についてである。これらをもとに、18世紀フランスにおけるポリス像の輪郭を再構成していくと、「ポリス化する」こととは人々を文明化した状態へと導くこと、すなわち統治の教育的作用を念頭に用いられていたことが判明した。しかもポリスは単に思弁的にではなく、ポリス総代官を筆頭とする確固たるポリス制度によって裏付けられ、パリの日常的〈生〉の内奥−道路・家屋の清掃、家族の厄介払い、娼婦管理、私生児出産、捨て子救済−にまで及んでいたことが浮かび上がってくる。特にブシェ・ダルジが執筆した『百科全書』の「ポリス」記事からは、ポリスが宗教、習俗、衛生、治安、各種生業、救貧に関わるものであり、中でも謂わゆる教育がポリスの自由学芸に関する領域として明確に位置付けられていたことは、強調されておかなければならない。

 第II章では、広く西欧においてポリスに関して最も信頼のおける文献として参照された、ドラマール『ポリス論』(1705-1738,全4巻)について検討した。この近代ポリス論の原点に屹立する浩瀚な著作は、すでに100年も前に御雇外国人ラートゲンによって近代行政学の嚆矢としてわが国に紹介され、フーコーもしばしば言及したことで知られる最も基本的な文献である。ポリス論の緒にあってドラマールが、どういった議論を展開し、教育をいかなる視野の下に理解していたのか、具体的に明らかにすることがここでの課題である。

 『ポリス論』はその扱われるべき対象に従って次のように構想されている。I.ポリス総論、II.宗教、III.習俗、IV.健康、V.食糧、VI.道路、VII.公共の治安と秩序、VIII.自由学芸、IX.商取引、X.製造業と工芸、XI.家事使用人・肉体労働者、XII.貧民。これらそれぞれのポリス的配慮が等しく目指すところは、「快適で平穏な生活(vie)」であり、「人をその生(vie)において享受しうる最も完全な幸福へと導くこと」であると述べられている。つまり〈生〉こそポリスの客体だったわけであり、これを十全に開花させることこそポリスの目標だったわけである。

 その冒頭においてドラマールは、人間の〈生〉を私的であると同時に、公的なものでもあると力説していた。つまりポリスが配慮しようとする個別な〈生〉は、常に緊密な〈交通(Verkehr)〉の体系に巻き込まれており、その場を整序し、そこからできるだけ多くの力を引き出そうというのがポリス論の一つのモチーフだったわけである。しかもポリスの関与の仕方が特異なのは、それが必ずしも抑圧的ではないという点である。ドラマールはポリスが「親子の情愛」に集約され、「小国家」たる家族の「教育」こそ、ポリスのモデルにほかならないと明確に述べていた。それゆえその原点からしてポリス論は、近代的統治の教育的基底について極めて自覚的であったと考えられる。つまり教育は、救貧や治安、衛生と並び立つポリス論の一領域であったと同時に、〈教育国家論〉としてのポリス論の槓桿に位置づけられていたわけである。

 このような『ポリス論』全体を貫く視野に立って、宗教、習俗、健康、貧民といった各論が展開されていたのであり、教育もまたこれらと密接な関係を保って、幅広い視野からトータルに配慮されていたわけである。例えば、捨て子や乳母の問題に端的に示されていたように、教育的配慮は衛生と救貧の接点に立つものとして捉えられ、しかも教育に関するポリスは、粗暴な学生に対する治安対策とさえ連動していたのである。まさにポリス論という一体の世界から教育だけを切り離して配慮するわけにはいかなかったのであり、『ポリス論』の随所で「教育」が語られる所以はそこにある。

 第III章では、〈生〉を対象とするポリス論の特異性が、最も直接的に現れるその衛生分野について詳しく分析した。

 ポリス論のなかでも衛生分野を特に専門的に掘り下げた、J・P・フランク『医療ポリツァイ』(1779-1819)は、住民の生活それ自体をも含意した「人口」の維持増進を追求した著作である。その構成は従来の統治論には見られない特徴があり、誕生から死に至るまでの人間の〈生〉のプロセスに沿って、順次議論していくというスタイルをとる。これはポリス論の展開のなかで、〈生〉の価値がいかに高まり、〈生〉を扱う技法がいかに錬磨されていったかを示すものとして重要である。フランクがドラマールにも増して産育プロセスを重視し、公教育において子どもの健康を最優先に考慮すべきであると主張したのは、これらが人口の維持増進に直結すると捉えられていたからにほかならない。このように〈生〉に積極的に働きかけるポリス論は、その衛生的配慮において典型的に示される、個人と社会全体に関わる治療論でもあったのである。

 次にこうしたポリスの衛生的配慮が、より具体的に作用していく場面を取りあげるべく、18世紀西欧における子どもの〈性〉に対する配慮について考察した。「性はポリスの問題となる」とフーコーが指摘したように、ポリスは〈性〉を介して〈生〉に作用するものである。そこで特に、子どものマスターベーションの害悪を力説しその根絶を訴えた、『オナニア』(1710頃)および『オナニスム』(1760)を分析の俎上に載せた。これらの文献からまず明らかになってきたのは、性言説全体の医学化であり、教育が衛生的配慮によって貫徹されようとしていた事態である。そしてまたマスターベーションが、個人の欲望を解放する近代社会にとって、否応なく直面させられる「自己愛の過剰」を体現するものと見做され、それゆえにこそ敵視されていった経緯である。さらに性の過剰な行使によって、ほかでもない子どもの健康が害されると考えられていたのであり、そこに保護と懲治を結びつける〈予防〉の戦略が展開していくという、近代教育の生成にとって極めて象徴的な事態を読み取ることができるのである。

 以上のように、教育史研究における西欧ポリス論の意義を考察していくと、近代教育がまさにポリスの一領域として生成してきた事態が史料に即して具体的に明らかとなり、しかもポリス論そのものがまた顕著な〈教育国家論〉として立ち現れた点が自ずと浮かび上がってきたのである。

審査要旨 要旨を表示する

 本研究は、17・18世紀ヨーロッパにおいて発生し展開した<ポリス(police)>から近代教育が生成してきた事実を重視して、<ポリス>のなかで教育がいかなるものとしてあったかを明らかにしようとしたものである。

 序章で論及されているように、ヘーゲル『法哲学綱要』(1821年)において、市民社会という「欲求の体系」を「欲求の体系」たらしめる装置としてその基底に「ポリツァイ(Polizei)」といういわば行政の領域が設定されており、公教育はそこに含まれていた。この「ポリツァイ」=<ポリス>は、「福祉行政」とも訳される市民社会の周縁的境界領域を統括するものであり、衛生・救貧院・病院・そして教育に及ぶ広範な領域における監視と事前の配慮(予防)の総体であった。

 このことを踏まえつつ本研究はまず、序章において、近代日本における「ポリツァイ」=<ポリス>論の受容を福沢諭吉・川路利良・後藤新平の「取締」・「警察」・「国家衛生」論に辿り、また第一章において、フランス啓蒙期における<ポリス>の姿の充溢をルソーや『百科全書』記事等のなかに辿って、<ポリス>論が近代社会論・国家論のなかに深く浸透していたことを解明し、また<ポリス>論の原型がフランスのニコラ・ドラマール『ポリス論(Traite de la Police)』(1705-1738年)にもとめられることを示している。

 第二章は、その全4巻、2,000頁を越える最も包括的なポリス論たるドラマール『ポリス論』の分析である。その分析によって、習俗・健康・食糧・宗教のほか、救貧・治安・自由学芸・商業・手工業・家政・道路管理などが<ポリス>領域を構成していたこと、また、産婆、乳母、捨て子、学校、家族内秩序が「教育」との関連で語られ、貧民や見世物や売春宿の取締りなどとともに<ポリス>の監視と配慮の対象に属していたことを明らかにした。そして、そこにみられる二つの特徴を析出している。第一に、<ポリス>そのものが、家族−国家論を前提にすぐれて「親子の情愛」として作用するものとみなされており、「小国家」たる家族の「教育」をモデルとしていたこと。第二に、そのいわば教育としての<ポリス>が、幸福な「生(vie)」と有用な「人口(population)」の形成を目的としていたということである。この第二の点は、ミシェル・フーコーの<ポリス>・「生−権力(bio-pouvoir)」論が、ドラマール『ポリス論』に即して得られたものであることを検証することにもなっている。

 第三章では、各論として、<ポリス>の配慮の特色を成していた健康・衛生に焦点を絞り、J・P・フランク『医療ポリツァイ』(1779-1819年)が分析され、またその中で推奨されているS・A・ティソー『オナニスム』(1760年)を軸に当時のマスターベーション批判言説が過剰化する「自己愛」への敵対を特徴としていたことなどが指摘されている。

 以上のように、本論文は、近代教育の生成をその生成の場たる<ポリス>という全体図柄の中に戻して再考しようとした最初の本格的研究であり、とりわけ浩瀚なドラマール『ポリス論』を初めて正面から分析し、近代教育の原像が福祉・衛生・治安などと緊密に結びついていたことを鮮明にすると同時に<ポリス>の教育国家論的性格を抽出した、貴重な成果である。その後<ポリス>の解体=縮減とともにそこでの教育がどのように析出されていったのか、そのなかで近代教育論の性格は変容するのか、といった課題は残されたままではあるが、そのことは本論文が学術的に大きな意味をもつものであるという評価を損なうものではない。よって、博士(教育学)の学位論文として十分優れたものと認められる。

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