学位論文要旨



No 116704
著者(漢字) 吉田,信行
著者(英字)
著者(カナ) ヨシダ,ノブユキ
標題(和) メディエーター型BODセンサーの製作と応用
標題(洋)
報告番号 116704
報告番号 甲16704
学位授与日 2001.11.15
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第5095号
研究科 工学系研究科
専攻 先端学際工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 輕部,征夫
 東京大学 教授 近藤,豊
 東京大学 教授 井街,宏
 東京大学 助教授 梶井,克純
 東京農工大学 助教授 池袋,一典
内容要旨 要旨を表示する

 BOD(生物化学的酸素消費量)は、排水や河川の水質汚濁の程度を示す指標であり、公定法として定められている。公定法(5日間法)は操作が煩雑で結果を得るまでに5日間を要するため、迅速な水質管理が求められる排水などの監視には不向きである。そこで、代替法として微生物を固定化した膜と酸素電極を組み合わせた迅速、簡便な微生物電極法が開発され、実験室や工場内に設置された装置に試料を引き込むオンライン測定用として広く用いられている。

 現在、我が国では、排水規制の強化などの措置が水質汚濁の削減に効果を現す一方、規制の及ばない生活系排水などが水質汚濁の大きな要因となっており、河川水、家庭排水や小規模施設からの排水などのBOD値を計測する重要性が高まっている。そのような現場では、装置を持ち込み、BOD値を迅速に測定できる小型のシステムが要望されている。しかし、溶存酸素濃度は現場での試料によって大きく変動するため、従来の酸素電極を用いた市販のBODセンサーでは、正確な測定を行うことができない。

 そこで本研究では、溶存酸素に依存しない小型のセンサーを開発するためにメディエーターに着目した。メディエーターは微生物が有機物を代謝する過程で酸素の代わりに電子授与体となる低分子化合物である。微生物により還元されたメディエーターは電極上で再酸化され、微生物と電極との電子授受の橋渡しを行う。また、酸化還元により光吸収スペクトルの変化を伴う酸化還元色素もメディエーターの一種である。このようなメディエーターを利用するシステムは、応答が試料中の溶存酸素濃度に依存せず、素子の構造が簡単で低コストの使い捨て素子の作製も可能であるため、測定試料の溶存酸素濃度の変動が大きく、また、大きさ、測定時間、メンテナンス性、扱い易さ、経済性等の制限が伴う現場測定に最適であると考えられる。

 本研究では、メディエーターを利用したシステムでのBOD測定を検討し、安価に大量生産が可能な使い捨て素子と現場測定が可能な小型BOD測定システムの開発を目指した。

 第1章は緒論であり、本研究が行われた背景、及び本研究の目的と意義を述べた。

 第2章では、メディエーター型BODセンサーを構築するために微生物のスクリーニングとメディエーターの選択を行った。微生物としてTrichosporon cutaneum、Escherichia coli、Bacillus stearothermophilus、Bacillus subtilus、及び下水処理場の活性汚泥から単離したL-GL3株を用い、またメディエーターとしてジクロロフェノールインドフェノール(DCIP)を用いてBOD標準液(グルコースーグルタミン酸混合液)に対する応答性を定電位法により比較した。その結果、L-GL3株が最も高い応答を示したことから、以後この微生物を用い実験を進めた。また、L-GL3株は、Pseudomonas fluorescens biovar Vと同定された。次にL-GL3株と電子伝達が可能な数種類の化合物の中から、メディエーターとして化学的安定性が高いフェリシアン化カリウムと分光学的特性に優れたDCIPを選択した。

 第3章では、酸化還元色素を用いたBODセンサーシステムの構築を試みた。まず、酸化還元色素としてDCIPを用い、一般的な排水の成分をもとに調製された人工排水に対するL-GL3株の応答性をマイクロプレートリーダーにより調べた。その結果、反応開始約20分後の吸光度が人工排水の5日間法によるBOD値に対し高い相関性があることを確認した。

 次に、DCIPの最大吸収波長に近い600nmに中心波長を持つ黄色の発光ダイオード(LED)を光源とし、検出側にシリコンフォトダイオード(Si-PD)を用いて小型BODセンサーシステムの構築を試みた。基材としては光学的に透明で、しかも安価で汎用性の高いポリカーボネートを用い、3連の微生物固定化層と反応セルを積層した使い捨てチップを作製した。微生物の固定化には、光透過性があり、薄く均一な膜が作製できるUV架橋型ゲル(ポリエチレングリコールプレポリマー)を使用した。DCIPの還元に伴う透過光の強度の変化がSi-PDから電圧として出力される。このようなシステムを用いて実排水のBOD測定を行った。その結果2種類の排水に対し、5日間法によるBOD値とセンサー値の間に良好な相関性が得られた(y=1.225x-79.207, r2=0.992, n=6)。しかし、微生物を固定化した使い捨てチップは長期保存安定性に乏しく及び、DCIPも化学的に不安定であった。

 第4章では、化学的に安定なメディエーターが利用でき、微生物の固定化法に多くの選択肢がある電気化学的方法による検討を行った。

 微生物により還元されたメディエーターは、定電位法により電極上で酸化され、電流値として測定することができる。電極チップとしては、安価に大量生産できる方法を考慮してプリント基板を使用した。作用極(アノード)と対極をエッチングにより基板上に形成した後、金メッキを施し、使い捨て可能な電極チップを作製した。微生物は光硬化性樹脂PVA-SbQを用いて作用極上に固定化した。メディエーターとしては化学的に安定で安価なフェリシアン化カリウムを用い、3電極系で実験を行った。まず、BOD測定条件の最適化を行い、次にこの最適条件下で人工排水を用いて検量線を作成した。その結果、BOD値15〜200mg L-1の範囲で直線性の高い検量線が得られた(y=6.56x+19.0, r2=0.960, n=5)。

 BODセンサーでは、使用する微生物が多種類の有機物に対して資化性を持つことが重要である。そこで、14種類の有機物(糖質類、アミノ酸類、有機酸類、アルコール類)に対するセンサーの応答性を調べた。各々の有機物1g当たりのBOD値を比較したところ、応答値にばらつきはあったものの、14種類すべての有機物に対して応答が確認された。さらに、試料中の溶存酸素が応答に与える影響を調べたところ、好気的条件下と嫌気的条件下で応答に大きな違いは見られなかった。よって、本センサーは試料中の溶存酸素濃度に関わらずBOD測定が可能であることが確認された。

 第5章では、実用性を考慮したシステムの改良と実排水のBOD測定を行った。対極と参照極を共通化し2電極系にすることにより、電極全体の使い捨てを可能にした。さらに、使い捨てチップの長期保存安定性を向上させるため、微生物をメンブランフィルターに物理的に吸着固定化する方法を採用した。一方、従来のBODセンサーは、計測を始める前に、新しく使用する微生物膜の活性化が必要であった。すなわち、安定した計測のためには空気飽和したリン酸緩衝液中等に微生物膜を約1日ほど放置し、微生物の内性呼吸レベルを低下させる操作が不可欠である。しかし、本センサーのような1回使い捨ての電極の場合、個々の電極についてこのように操作すると、迅速、簡便な測定が行えない。そこで、微生物を電極に固定化する前に微生物懸濁液を一定時間、曝気処理したところ、固定化直後から高い応答を得る事ができた。この操作により、飢餓状態になった微生物は外部基質に対する応答が高くなり、個々の電極チップを前処理なしで固定化直後から使用できるようになった。また、ポリエステルフィルムで包装し、4℃、湿潤状態で保存した使い捨てチップの活性の半減期は約1ヶ月であった。

 次に、食品工場、食堂、下水処理場の3系統の実廃水についてBOD測定を行った。その結果、どの排水に対してもセンサー値と5日間法によるBOD値との間に良好な相関性(r2>0.8)が得られた。ただし、排水中にデンプンなどの分解に時間のかかる成分が存在する食品工場由来の排水は、他の排水と比べ応答値が極端に低い結果となった。これは、高分子や難分解性物質の存在、排水の有機物組成の偏り、単一菌による分解、或いは短時間の測定などの原因により起こると考えられる。しかし、適切な採取場所の選択や5日間法との関係など試料の性質を把握することにより、本センサーを実際の水質管理に応用することは十分可能である。

 第6章では、1回使い捨て型チップを用いたシステムの信頼性や実用性の向上を目的とした検討を行った。PET(ポリエチレンテレフタレート)基板上に量産性の高いスクリーン印刷法によりカーボン電極を形成し、反応セルと一体型にすることにより反応容器が不要な低コスト使い捨てチップを作製した。使用済みのメディエーターは、反応セルに封じ込めたまま処理することにより、環境中への排出を極力おさえた。測定は現場測定を考慮して応答値が装置の振動の影響を受けにくいパルス電位印加法を採用し、さらに多点同時測定による測定時間の短縮と測定値の信頼性向上を図った。実試料としては、有機物の変化が顕著に起こると考えられる発酵過程の汚泥コンポストからの抽出液を用いた。最終的に6サンプルを同時測定できる携帯型システムを作製し、実際のコンポスト化過程のモニタリングに応用した。その結果、5日間法によるBOD値の変化率とセンサー値の変化率が非常に良く一致し、本センサーの実用性が示された。

 第7章は総括であり、本研究によって得られた結果を要約した。

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は、近年、河川の水質汚濁の最も大きな要因となっている生活系排水のBOD(生物化学的酸素消費量)測定が、安価に大量生産が可能な使い捨て素子を用いて、現場で迅速にできる小型BOD測定システムの開発に関するものであり、7章より構成されている。

 第1章は緒論であり、本研究が行われた背景について述べ、及び本研究の目的と意義を明らかにしている。

 第2章では、メディエーター型BODセンサーを構築するために微生物のスクリーニングとメディエーターの選択を行っている。メディエーターとしてはジクロロフェノールインドフェノール(DCIP)を用いてグルコースとグルタミン酸の混合液に対する応答性を定電位法により比較した結果、下水処理場の活性汚泥から単離したL-GL3株が最も高い応答を示したことを明らかにしている。また、L-GL3株は、Pseudomonas fluorescens biovar Vと同定されたと述べている。さらに、L-GL3株と電子伝達が可能な数種類のメディエーターの中から、化学的安定性が高いフェリシアン化カリウムと分光学的特性に優れたDCIPを選択したと述べている。

 第3章では、酸化還元色素を用いたBODセンサーシステムの開発を行っている。まず、酸化還元色素としてDCIPを用い、一般的な排水の成分をもとに調製された人工排水に対するL-GL3株の応答性をマイクロプレートリーダーにより調べ、反応開始約20分後の吸光度が人工排水の5日間法によるBOD値(BOD5値)に対し高い相関性があることを確認している。次に、DCIPの最大吸収波長に近い600nmに中心波長を持つ発光ダイオードを光源とし、検出側にシリコンフォトダイオードを用いて小型BODセンサーシステムの構築を行っている。光学的に透明で、しかも安価で汎用性の高いポリカーボネートにより3連の微生物固定化層と反応セルを積層した使い捨てチップを作製、微生物の固定化には、UV架橋型ゲル(ポリエチレングリコールプレポリマー)を使用し、DCIPの還元に伴う透過光の強度の変化が電圧として出力されるシステムを用いて実排水のBOD測定を行っている。その結果2種の排水に対し、BOD5値とセンサー値の間に良好な相関を得たが、作製した微生物固定化チップは長期保存安定性に乏しく、DCIPも化学的に不安定であり実用的に不十分だったと述べている。

 第4章では、微生物の有機物代謝過程で還元されたメディエーターを定電位法により電極上で酸化し、電流値として測定する電気化学的方法による検討を行っている。電極チップとしては、安価に大量生産できる方法を考慮してプリント基板を用い、作用極と対極をエッチングにより基板上に形成した後、金メッキを施し、使い捨て型電極チップを作製している。また、微生物の固定化法は光硬化性樹脂PVA-SbQを用いた方法を試み、メディエーターとしては化学的に安定なフェリシアン化カリウムを用いたと述べている。3電極型の電気化学測定系で測定条件の設定を行い、その条件下で人工排水に対する応答性を見た結果、BOD値15〜200mgL-1の範囲で直線的な応答を得たことを明らかにしている。また、BODセンサーは広範囲の有機物に対する応答が要求されるため、14種類の有機物(糖質類、アミノ酸類、有機酸類、アルコール類)により本センサーの応答性を調べている。その結果、本センサーは広範囲の有機物に対し応答性があると述べている。さらに、試料中の溶存酸素濃度が応答に与える影響を調べ、本センサーが溶存酸素濃度に依存しないことを明らかにしている。

 第5章では、実用性を考慮したシステムの改良と実排水のBOD測定を行っている。2電極法を採用することにより、電極全体の使い捨てを可能にし、さらに、微生物は、より穏和な固定化法であるメンブランフィルターを用いる方法を試みている。次に、使い捨て型のセンサーチップを即時使用するための検討を行い、微生物を電極に固定化する前に曝気処理を試みた結果、固定化直後から高い応答が得られるようになることを明らかにした。また、ポリエステルフィルムで包装し、4℃、湿潤状態で保存した使い捨てチップの活性の半減期は約1ヶ月であることを明らかにしている。次に、食品工場、食堂、下水処理場の3系統の実排水についてBOD測定を行い、どの排水に対してもセンサー値とBOD5値との間に良好な相関性を得ている。また、排水中に分解に時間のかかるデンプンが多く存在する食品工場由来の排水は、他の排水と比べ応答値が低くなることを明らかにした。本センサーは、高分子や難分解性物質の存在、或いは有機物成分の構成により出力が左右されるが、適切な採取場所の選択や様々な種類の排水の検量線に対応するデータベースを予め作製するなどの対応により予測値の精度を向上させることは可能であり、本センサーを実際の水質管理に十分応用できると述べている。

 第6章では、1回使い捨て型チップを用いたシステムの信頼性や実用性の向上を目的とした検討を行っている。ポリエチレンテレフタレート基板上に量産性の高いスクリーン印刷法によりカーボン電極を形成し、反応セルと一体型の使い捨てチップを作製することによって、現場に持ち込む反応容器が不要になり、しかも使用済みのメディエーターの環境中への排出を極力おさえることが可能になったと述べている。また、測定は現場測定を考慮して応答値が装置の振動の影響を受けにくいパルス電位印加法を採用し、さらに多点同時測定による測定時間の短縮と測定値の信頼性向上を図ったと述べている。実試料としては、発酵過程の汚泥コンポストからの抽出液を用い、6サンプルを同時測定できる携帯型システムによるBOD測定を試みている。その結果、BOD5値とセンサー値の変化率は非常に良く一致し、本センサーの実用性が示されたと述べている。

 第7章は総括であり、本研究によって得られた結果をまとめている。

 以上のように、本論文は、微生物固定化チップが使い捨て型であり、現場測定が可能なメディエーター型BODセンサーの構築を目的として、様々な検討を行い、量産可能な使い捨て微生物固定化チップの製作法、及びその前処理法や現場における測定法を考案している。さらに携帯型の小型装置を製作し、様々な実試料測定への応用に成功している。

 よって、本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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