学位論文要旨



No 116707
著者(漢字) 辛,龍文
著者(英字)
著者(カナ) シン,リョンムン
標題(和) ラット大脳皮質聴覚野における短期シナプス抑制に関する研究
標題(洋)
報告番号 116707
報告番号 甲16707
学位授与日 2001.11.21
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第1866号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 加我,君孝
 東京大学 教授 藤田,敏郎
 東京大学 教授 森,憲作
 東京大学 教授 清水,孝雄
 東京大学 教授 加藤,進昌
内容要旨 要旨を表示する

 抑制性神経細胞は興奮性神経細胞の興奮性を調節することにより、中枢神経系機能の調節と維持を行なう。その代表的な受容体はGABAを神経伝達物質とするGABAA受容体である。GABAA受容体は抑制作用を持つ事はよく知られているが、ギニアピック上丘浅層では頻回刺激中の興奮性低下はGABAA受容体アンタゴニスト存在下でむしろ増強したと報告された。

 本研究では、ラット大脳皮質第一次聴覚野における連続刺激では、GABAA受容体アンタゴニストbicucullineによって誘発されるEPSPの抑制現象(Bicuculline-facilitated synaptic depression: BFSDlatt and Withington)を見出し(図4)(Shin et al.2001)、その機構について検討した。しかしながら聴覚野は非常に複雑な構造を呈しているため、多点計測の可能なマルチチャンネル細胞外記録法(Multi Electrode Dish : MED)を用いて解析した。MEDとは中央部分の約1mm2の範囲に64個の微小電極が8×8状に配置されている培養皿で,微小電極は刺激用にも記録用にも用いる事が可能なため、この上に試料を接地し色々な部位から刺激を与え同時に電気信号が記録できる装置である。私は大脳皮質聴覚野急性切片をMED上に置くことによって、第II/III〜VI層とその水平方向のすべての範囲から刺激と記録を自由に行う事を可能とした(図1)。この装置を用いて第IV層を50-1000ミリ秒間隔の連続刺激を与え、第II/III層からEPSPを記録した。2回目のEPSP(2nd EPSP)は1回目(1st EPSP)に比べ、約250ミリ秒で著明に減弱していた(Paired-pulse depression: PPD)。その機構として興奮性受容体と共に存在する抑制性受容体が1回目の刺激で活性化され、この効果が2回目の刺激時にEPSPを減少させると考えられてきた。実際ラット海馬ではー50ミリ秒及び200-300ミリ秒の間隔で得られたPPDは、それぞれBicuculline、2-OH-saclofen(GABAB受容体アンタゴニスト)により緩和される。大脳皮質で認められるPPDも海馬と同様に抑制系受容体の活性化によるものと考えられたため検討した。まず2-OH-saclofenの投与により上記のPPDは緩和された(図2)。次にBicuculline投与を行うとPPDはむしろ増強し、その効力は約75%(50ミリ秒間隔)ほどEPSPを抑制し持続時間は1-2秒と長かった(BFSD)(図3,4)。BFSDの機構へのGABAB受容体の関与を調べるため2-OH-saclofenによる変化を調べると、250ミリ秒間隔で著明であった。(図4)。これは標準人工脳脊髄液中(図2)での2-OH-saclofenによるシナプス抑制と比べ時間間隔も程度も同じであったためBFSDの成因にGABAB受容体活性化は否定的であった(図2,4)。

 Bicuculline還流により1st EPSPそのものには変化は認められなかったが、引き続くslow component(矢印、図3)が出現した。BFSDとslow componentの因果関係について検討した。第IV層への電気刺激を与えると(S8,図5上部)その直上部位にシナプス反応が記録されるが、Bicuculline存在下ではslow componentが記録電極8から1へと伝播していた(図5上部)。このようにMEDを用いて、S8を刺激してS1へslow componentだけを入力させ、50ミリ秒後にS1を刺激した時のEPSPは、S1で2発連続刺激した2nd EPSPと同様に抑制されていた事から、slow componentはBFSDの成因に関与すると示唆された。ラット大脳皮質聴覚野第III層においてGABA作働性介在ニューロンによりNMDA受容体成分の電位が抑制されているため、slow componentにNMDA受容体成分の関与を調べた。

図6のようにD-AP5環流後、slow componentとBFSDは幾分減少した。D-AP5は1st EPSPに直接関与しないためBFSDの緩和はslow componentが減弱した結果に基づくものと示唆される。NMDA受容体は錐体細胞間シナプスに多く、錐体細胞間のNMDA受容体の活性が内側膝状体からの興奮性入力を抑制する可能性があると考えられる。

図1.MED上の大脳皮質聴覚野の急性切片の配置図

図2.標準人工脳脊髄液でのPPDに対するGABAB受容体の効果*P<.05(paired t-test)

図3.Bicuculline-faciliated synaptic depression(BFSD)

図4.BFSDに対するGABAB受容体の効果とBFSDの持続時間*P<.05**P<.01(paired t-test)

図5.BFSDに対するslow componentの影響

図6.BFSDに対するNMDA受容体の影響

審査要旨 要旨を表示する

 本研究は大脳皮質聴覚野における情報処理の重要な役割を演じていると考えられるシナプス伝達に関して基本的な性質のひとつである短期シナプス抑制について、MED(Multi Electrode Dish)システムを用いて解析を試みたものであり、

下記の結果を得ている。

 1.MEDシステムを用いて得られた細胞外記録による電位とWhole cell clamp法によってラット大脳皮質聴覚野II/III層錐体細胞から記録された電位はAMPA受容体アンタゴニストにより完全にブロックされること、2nd EPSP/1st EPSP(Paired-pulse depression : PPD)が250ms間隔で強いことがわかった。これらよりMEDシステムを用いてラット大脳皮質聴覚野II/III層付近から得られるフィールド電位は錐体細胞からの電位を反映すると考えられた。

 2.海馬で認められるPPDはGABAA受容体及びGABAB受容体の活性により生じると理解されている。大脳皮質聴覚野ではPPDは250ms付近で強度であり、これは2-OH-saclofen(GABAB受容体アンタゴニスト)の還流により完全に緩和した。一方、Bicuculline(GABAA受容体アンタゴニスト)の還流によりPPDはむしろ強くなった(bicuculline-facilitated synaptic depression : BFSD)。すなわちGABAA受容体は海馬と大脳皮質聴覚野では異なった作用を演じていると考えられた。

 3.BFSDへのGABAB受容体の役割について検討した。GABAB受容体によるシナプス抑制はBicucullineの還流前後で変化がなかった。すなわちBFSDの成因にはGABAB受容体の活性の増強などの関与は否定された。

 4.Bicuculline還流により1st EPSPそのものには変化は認められなかったが、引き続くslow componentが出現した。BFSDとslow componentの因果関係について検討した。MEDを用いて、単独でslow componentだけを入力させ、50ミリ秒後にEPSPを生じさせ、2発連続刺激した2nd EPSPと比較した。両者とも同様に抑制されていた事から、slow componentはBFSDの成因に関与すると示唆された。

 5.slow componentへのNMDA受容体活性の関与を検討した。D-AP5環流後、slow componentが部分的に減少したが、同時にBFSDも幾分減少した。D-AP5は1st EPSPに直接関与しないためBFSDの緩和はslow componentが減弱した結果に基づくものと示唆される。

 6.以上の結果より錐体細胞間のNMDA受容体の活性は内側膝状体からの興奮性入力を抑制する可能性があることが示唆された。

 以上、本論文はラット大脳皮質聴覚野II/III層錐体細胞間におけるNMDA受容体活性は音声情報と思われる内側膝状体からの興奮性入力を抑制する役割があることを示唆した。これは大脳皮質での音声情報処理の解明に重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するとものと考えられる。

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