学位論文要旨



No 116708
著者(漢字) 瀬尾,麻理
著者(英字)
著者(カナ) セオ,マリ
標題(和) ホルモン/自己抗体/増殖因子による甲状腺細胞増殖のメカニズムその機序の基礎的検討新しいバセドウ病病勢判定法開発への応用
標題(洋)
報告番号 116708
報告番号 甲16708
学位授与日 2001.11.21
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第1867号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 山本,一彦
 東京大学 教授 名川,弘一
 東京大学 助教授 三村,芳和
 東京大学 講師 福本,誠二
 東京大学 講師 吉栖,正生
内容要旨 要旨を表示する

バセドウ病病態生理の理解の現況とその問題点

 バセドウ病は臓器特異的自己免疫疾患に属し、TSH受容体抗体が甲状腺機能亢進症と甲状腺腫を惹起すると考えられている。その最重要かつほぼ唯一の細胞内シグナルはcAMP-PKA系であり、cAMP産生を介して病態が形成されると信じられてきたが、確証は得られていない。

 従来のTSH受容体抗体測定法のうちTSH受容体への結合阻害率を指標とする方法(TBII=TSH binding inhibitory immunoglobulins)は簡便ながら病勢を良く反映し臨床上重用されている。しかし単独では診断や寛解判定の指標とはなり得ず、病勢を反映しない例が散見される。

 そこでTSH受容体抗体の生物活性を評価する方法として、cAMP産生を指標とする甲状腺刺激型抗体(TSAb=Thyroid-stimulating antibodies)測定系が開発された。しかしその有用性はTBIIに劣り、TSAbは甲状腺腫の大きさやTBII値と相関しないことがわかってきた。また、特発性粘液水腫の原因と考えられている刺激阻害型抗体(TSBAb=Thyroid-stimulation blocking antibodies)がTSHによるcAMP産生の抑制率を指標として測定可能となったが、未治療バセドウ病患者においてもしばしば陽性となることが判明した。これらのことからcAMP産生を指標とする方法ではバセドウ病を評価できない可能性が示唆された。

 より正確なバセドウ病病勢判定の指標として、患者IgGの有する増殖刺激能に着目した。バセドウ病寛解の臨床指標として甲状腺腫の縮小が有用であるからである。増殖刺激能を指標とする新しいTSH受容体抗体測定法を開発し、有用性を確認後、患者IgGによる増殖刺激経路を解明することにより、なぜ患者IgGの有する増殖刺激能がcAMP産生能より病勢を反映するのかという疑問の解決を試みる事を研究目的とした。

甲状腺細胞増殖を指標とするバセドウ病病勢測定系(GSAb)の確立

 バセドウ病患者IgGが甲状腺細胞増殖刺激能を有することは20年ほど前から知られていたが、測定方法が煩雑で精度にも問題があり臨床応用には至らなかった。そこで本研究においては簡易細胞数測定法(MTT法)を利用し、患者IgGの有する増殖刺激能を簡便に算出することによる病勢測定法(Growth-Stimulating Antibodies=GSAb)を確立した(FRTL/MTT法)。具体的には精製した患者IgGをFRTL-5細胞に添加し、3日間培養後の細胞数変化をMTT法にて計測しTSH当量に換算してGSAbとした。その有用性をTBII/TSAbなどと比較し検討した。

 活動性バセドウ病ではGSAbが高く、対照群では有意に低値であった。典型例のみならず、TSAb/TBIIが低値の活動性例でGSAbは高値で、TSAb/TBIIが高値の非活動性例(euthyroid Graves')でGSAbは低値を示した。GSAbはTSAbやTBIIよりも臨床病勢や甲状腺腫の大きさと良く相関した。血中サイログロブリン(Tg)濃度は抗Tg抗体非存在下にてバセドウ病病勢を反映する事が知られ、抗Tg抗体強陽性者はTg値が正確に測定できないため除外したところ、GSAbと血中Tg濃度や患者IgGに刺激・分泌される培養液中Tg濃度との間に、良い相関が得られた。

 GSAbは非常に簡便な測定系ながら、TSAb・TBII・Tg以上にバセドウ病の診断・寛解判定に有用である可能性が考えられた。このことから本症の病態がcAMP刺激よりも増殖刺激により強く関連した機構で形成されている可能性を考えた。

バセドウ病患者IgGが活性化するFRTL-5細胞増殖刺激経路の解析

 増殖刺激がバセドウ病病態形成・維持に重要であると考えられるため、患者IgGによる増殖促進機構を理解する目的で患者IgGやTSHの増殖刺激経路をcAMPアナログやPKA阻害薬を利用し、同法(FRTL/MTT法)にて増殖刺激活性(Growth-stimulation activity=GSA)を測定し解析した。

 cAMPアナログは単独でTSH同様、濃度依存性にFRTL-5細胞の増殖を刺激したが、高濃度で投与してもTSHによる最大増殖刺激には至らなかった。cAMPアナログとTSHとをそれぞれ最大増殖刺激が得られる量にて同時に添加するとTSH単独時と同程度であり、TSHがcAMP依存性経路のみならずcAMP非依存性経路を利用して増殖刺激を伝達する可能性が示唆された。PKA阻害薬はTSHの増殖刺激を濃度依存性に抑制したが、完全な抑制はできないことからもその可能性が考えられた。

 バセドウ病患者IgGについてはcAMPアナログと同時にそれぞれ最大増殖刺激が得られる濃度で添加すると更なる増殖が認められること、及びPKA阻害薬がIgGの増殖刺激を全く抑制しないことから、cAMP依存性経路よりはむしろcAMP非依存性経路が増殖刺激に重要である可能性が示唆された。

各種モノクローナル抗体が示す増殖刺激活性〜cAMP産生能と増殖刺激能の比較〜

 近年、京都大学の赤水らはバセドウ病患者由来モノクローナル抗体の単離・樹立に成功し、TBII陽性クローンとTSAb陽性クローンは別のリンパ球から産生される別種の抗体であり、両方の活性を同時に有する抗体は存在しないこと、及びTBII陽性クローンの多くはTSHのcAMP産生を抑制するTSBAb活性を持っていることを報告した。このことからcAMP非依存性経路を介して増殖を刺激するIgGの主体がこれらのTSBAb陽性クローンである可能性を考え、バセドウ病患者由来モノクローナルTSBAb(296-1/291-11)・TSAb(B6B7/101-2)の増殖刺激活性を同法(FRTL/MTT法)にて測定し確認した。

 TSBAbクローンは濃度依存性にFRTL-5細胞の増殖を刺激し、その5μg/mlの活性は0.05TSH当量に達した。なお、TSAbクローンも増殖刺激活性を有したが効果発現には30μg/ml以上を要した。一方、特発性粘液水腫患者由来TSBAbクローン(32A-5)は単独で増殖刺激活性をもたず、TSH存在下でその増殖刺激を抑制した。

 バセドウ病患者由来TSBAbクローンはTSAbクローンより強い増殖刺激活性を有していることから、cAMP産生能は欠くものの増殖刺激活性を有し、バセドウ病の形成・維持に関与している可能性が考えられた。また、このTSBAbクローンは粘液水腫患者由来の所謂『真の阻害型抗体』とは別個であり、増殖刺激活性の有無でGSAb(Growth-stimulating antibodies)とGSBAb(Growth-stimulation blocking antibodies)に区別できると思われた。

バセドウ病の新しい病因モデル〜各モノクローナル抗体の役割〜

 以上より、cAMP-PKA系がTSH/TSH受容体抗体の最重要かつほぼ唯一のシグナルである、という従来のバセドウ病学のセントラルドグマが必ずしも真ではないとする仮説、すなわちTSAbクローンだけではなく増殖刺激活性をもつTSBAbクローンも、cAMP非依存性経路を刺激して病態形成に関与しているという可能性を考えるに至った。(図参照)

 この病因モデルにより以下の疑問点が説明可能となる。(1)TSBAbクローンはTSAbクローンより強い増殖刺激活性を有していること。(2)バセドウ病患者血中ポリクローナルIgGの増殖刺激活性がPKA阻害薬で抑制されず、cAMPアナログ添加が増殖刺激に相加効果をもたらすことから、患者IgGによる増殖刺激は主にcAMP非依存性経路を利用していると想定されること。(3)TBIIはTSAbよりバセドウ病の臨床マーカーとして有用であり、GSAbはこれらよりも良い指標である可能性が考えられること。(4)モノクローナル抗体レベルでTBII活性をもつ抗体の多くがTSBAb陽性であること。(5)TSAbクローンから作成されたバセドウ病の動物モデルでホルモン過剰産生はみられるのに甲状腺腫は認められないこと。(6)TSH受容体を免疫したバセドウ病の動物モデルで甲状腺腫が形成され血中TSBAb活性が陽性になること。(7)TSAb値は甲状腺サイズと全く相関しないこと。(8)一般にcAMPは多くの細胞系で増殖抑制因子として働くこと。(9)TSAb値とTBII値が相関しないこと。(10)TSAbやTBIIが陰性の活動性バセドウ病患者が10%程度存在すること。(11)比較的多くの活動性バセドウ病患者において病初期からTSBAb活性が陽性であること。(1)から(3)までは自己実験データによるもので、(4)から(11)までは従来の報告または一般に認知されていることである。

 本研究において、患者IgGの有する増殖刺激活性を指標とする新しいバセドウ病病勢判定法を開発し、その有用性からバセドウ病の病態がcAMP刺激よりも増殖刺激により強く依存した機構で形成されているという可能性を考えた。患者IgGによる甲状腺細胞増殖刺激経路の解明を試みた結果、cAMP非依存性経路が重要であったことから、その主体がTSBAbクローンであるという独自の発想を持った。赤水らが作成した種々のモノクローナル抗体の供与を受け、増殖刺激活性を測定することによりその発想の正当性を確認できた。今後更に、この病因モデルの正当性を明確にしていきたい。

我々の作業仮説

審査要旨 要旨を表示する

 本研究は、cAMP-PKA系がTSHの最重要かつほぼ唯一のシグナルであるという概念に基づき開発された既存のTSH受容体抗体測定法に問題点があることから、より良くバセドウ病病勢を反映する系として患者IgGの有する甲状腺細胞増殖刺激活性を指標とするTSH受容体抗体測定法(Growth-stimulating activity of antibodies=GSAb)を確立し、更にGSAbがバセドウ病病勢を非常に良く反映することから、本症の病態がcAMP刺激よりも増殖刺激に強く関連した機構で形成されている可能性を考え、バセドウ病患者IgGによる甲状腺細胞増殖刺激経路の解明を試みたもので、下記の結果を得ている。

1.バセドウ病患者のGSAbは病勢を反映し高値であり、対照群では有意に低値であった。典型例のみならず、TSH受容体結合能を指標とするTSH受容体抗体(=TBII)やcAMP産生能を指標とする刺激型抗体(=TSAb)が陰性の活動性例にてGSAbは高値であり、逆にTBII/TSAb高値の非活動性例にてGSAbは低値であり、非典型例においても正確に病勢を反映することが示された。またGSAbは抗サイログロブリン(=Tg)抗体強陽性例の除外により血中Tg濃度や患者IgGにより刺激・分泌される培養液中Tg濃度と良く相関することから、病勢判定法として優れていることが示された。

2.TSHと比較した場合のcAMPアナログの増殖刺激作用やPKA阻害薬によるTSHの増殖刺激抑制作用は完全ではないことから、TSHはcAMP依存性経路のみならずcAMP非依存性経路をも利用して増殖刺激を伝達する可能性が示され、一方、バセドウ病患者IgGはcAMPアナログとの相加作用が認められ、PKA阻害薬によるIgGの増殖刺激抑制作用が認められないことから、主にcAMP非依存性経路を増殖刺激に利用している可能性が示された。

3.cAMP非依存性経路を利用して細胞増殖を刺激するIgGの主体がcAMP産生能を欠くTSBAbクローンである可能性を考え、種々のモノクローナル抗体の増殖刺激活性を測定した結果、バセドウ病患者由来TSBAbクローンはTSAbクローンより強い増殖刺激活性を持つことが示された。一方、特発性粘液水腫由来TSBAbクローンは増殖刺激活性をもたず、TSHの増殖刺激を抑制する活性を認めた。このことからGSAbはTSBAb活性すなわちTSHによるcAMP産生を抑制する活性を有しているという面では特発性粘液水腫患者由来の所謂『真の阻害型抗体』と区別できないが、増殖刺激活性の有無により増殖刺激型抗体(=GSAb)と増殖刺激阻害型抗体(GSBAb=Growth-stimulation blocking antibody)に区別可能であり、全く別種のものである可能性が考えられた。

 以上、本論文は患者IgGの増殖刺激経路として主にcAMP非依存性経路が利用されており、それを刺激するIgGの主体がcAMP-PKA系を刺激するTSAbクローンではなく、刺激阻害型抗体であると考えられていたTSBAbクローンのうちの一部であるという独自の発想の正当性を種々のモノクローナル抗体の増殖刺激活性を測定することにより明らかにした。本研究は増殖刺激活性をもつTSBAbクローンがcAMP非依存性経路を刺激してバセドウ病の病態形成に関与しているという新しいバセドウ病病因論を提言するものであり、バセドウ病の病因の解明に重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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