学位論文要旨



No 116709
著者(漢字) 石井,秀樹
著者(英字)
著者(カナ) イシイ,ヒデキ
標題(和) 大腸癌肝転移形成時における癌細胞と宿主との相互作用
標題(洋)
報告番号 116709
報告番号 甲16709
学位授与日 2001.11.21
学位種別 課程博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 博薬第972号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 入村,達郎
 東京大学 教授 久保,健雄
 東京大学 教授 堅田,利明
 東京大学 助教授 鈴木,洋史
 東京大学 講師 東,伸昭
内容要旨 要旨を表示する

[はじめに]

 癌転移の成立は、1889年にPagetが提唱したseed and soil説にあるように、癌細胞の有する性質と転移先の臓器環境との両方により決定されると考えられている。このような癌細胞と宿主との相互作用を理解することは、副作用の少ない新しいタイプの抗癌剤としての転移治療薬を開発するためにも必須である。しかし、相互作用の実体は明らかでないため解析が困難であった。私はこのような状況に鑑み、免疫系の細胞の寄与も考慮しうるという意味で、同種同系癌細胞による大腸癌肝転移モデルを用いて、転移形成に最も影響の大きい宿主側の細胞を見出し、その相互作用に関与する分子を明らかにすることを目的とした。C57BL/6マウスと同系の大腸癌細胞株colon 38を用いて以下の実験を行った。(1)肝に到達した癌細胞が転移形成に至る過程をステップに分けて細胞組織学的に観察する。(2)腫瘍組織内に見出された宿主細胞が転移形成にどのように関与するかを査定する。(3)これらの細胞の相互作用をin vitroで解析するモデルを開発する。(4)これらのモデルを用いて関与する因子を同定する。

[方法と結果]

1.微小転移の形成と転移腫瘍の形成

1-1.colon 38細胞の脾臓内投与による肝臓での初期分布

 血行性転移する癌細胞の初期分布を観察するためPKH 26で蛍光標識したcolon 38細胞を同系マウスの肺臓内に投与し、5分後、24時間後に生体微弱蛍光顕微鏡を用いて肝臓でのcolon 38細胞の分布を観察した。5分後には、colon 38細胞は門脈内に留まっていたが、24時間後には類洞内に移動している細胞が観察された(Fig. 1)。この結果から、一度癌細胞は門脈内に留まり、何らかの要因で類洞内に移動すると考えられた。

1-2.colon 38細胞の肝転移形成過程での宿主の応答

 転移巣の形成とその際の宿主の応答を経時的に観察した。2×106個のcolon 38細胞を脾臓内投与4分後に脾臓を摘出した。1週間または4週間後に肝臓を摘出して凍結切片を作製し、宿主の応答を観察するためTable 1に示す抗体を用いて免疫組織化学染色を行った。また、AZAN染色により結合組織を同定した。1週間後の肝臓では直径約1mmの微小転移が存在し、染色の結果、Table 1に示すような3パターンが観察された。(Fig.2A)。この結果から、ごく初期の段階でマクロファージと繊維芽細胞の集積が起こり、その後に、結合組織形成、血管新生が起きると考えられた。また、癌細胞と宿主の細胞は個々に互いに隣接していることも明らかとなった。これに対し、4週間後では直径約3mm以上の転移巣が形成された。全ての転移巣がAZAN染色陽性であった。また、上記したほとんどの宿主の細胞は、結合組織中に癌細胞とは分離して存在していた(Fig. 2B)。この結果から、転移巣が形成されていく過程で組織の再構築が起こっていることが示唆された。

2.宿主細胞の肝転移腫瘍の確立過程における重要性

 マクロファージや血管内皮細胞などの宿主細胞に影響を与える薬剤を投与し、colon 38細胞による転移巣の形成に対する影響を検討した。マクロファージ除去作用を有するdichloromethylene diphosphateのliposome封入剤(DMDP-liposome)とマクロファージ賦活化作用のあるOK-432はcolon 38細胞脾臓内投与2日前から、血管新生阻害剤であるTNP-470は10日後から4週間後の肝臓摘出までそれぞれ投与した。4週間後のcolon 38細胞の肝転移結節を計測し、さらに、1-2と同様に免疫組織化学染色を行った。肝転移結節数はOK-432では約40%、TNP-470投与では約30%に減少し、DMDP-liposome投与では約150%に増加した.薬剤投与群、非投与群で組織の状態に明確な違いは認められなかった.以上より、薬剤投与により転移結節数は変化するが、形成された結節における組織形成はその影響を受けないことが示唆された。

3.癌細胞と宿主の細胞との相互作用のin vitroでの解析

3-1.colon 38細胞のgreen fluorescent protein(GFP)トランスフェクタントの作製

 colon 38細胞の転移形成過程を長期間に渡って観察する目的で、colon 38細胞にGFPを発現させた。colon 38細胞にp-EGFPベクターをトランスフェクトしてクローンを得た。さらにこのク口ーン中のGFP高発現細胞をセルソーターにて分取した。得られたトランスフェクタント細胞は、脾臓内投与により肝転移巣が形成された。しかし、肝転移巣の凍結切片を蛍光顕微鏡で観察したところ、GFPによる蛍光は検出できず、in vivoでの長期の観察には適さないことがわかった。このGFPトランスフェクタント細胞は、以下に述べるようにin vitroで複数の細胞を共培養する際に細胞を識別する目的で利用した。

3-2.腫瘍組織再構築のin vitroモデルの作成とこれに関与する因子の検討

 腫瘍肝転移形成後期においてcolon 38細胞と宿主の細胞が分離するメカニズムを検討するため、in vitroモデルの作成を試みた。colon 38細胞とそのGFPトランスフェクタントとの共培養では,両細胞は個々の細胞が混在して存在していた.それに対し、colon 38細胞のGFPトランスフェクタントと同系マウス由来の繊維芽細胞株NIH3T3を共培養すると、コンフルエントになっても両細胞は個々の細胞としては混在することはなくコロニーを形成して分離して存在していた(Fig.3)。これは4週間後の肝転移巣の形態と類似しており、組織の再構築に関与する因子を同定するためのモデルとして利用できると考えられた。

3-3.colon 38細胞と肝類洞内皮(HSE)細胞との相互作用

 肝臓特異的血管内皮細胞であり類洞を形成するHSE細胞の単離法を確立し、colon 38細胞との相互作用を検討した。その結果、HSE細胞の培養上清がcolon 38細胞の運動性と増殖性を有意に促進することが判明した(Fig.4)。この結果から、肝転移のごく初期の段階でHSE細胞の産生する液性因子が、colon 38細胞を類洞内に引き寄せ、さらに肝臓での増殖を促進する可能性が示された。

[まとめと考察]

癌の治療が困難なのは、癌が診断されたときに既に微小転移巣が形成されていることが多いためである。従って、癌細胞が原発部位を離れて遠隔部位に到達し微小転移巣を形成するまでの過程を阻害することによっては、治療効果は期待できず、むしろ微小転移形成以降の過程の阻害が重要であると考えられる。今回、私はcolon 38細胞が肝臓に定着して微小転移巣から大きな転移巣が形成される過程において、癌細胞と宿主のマクロファージ、繊維芽細胞、血管内皮細胞が個々に互いに隣接して存在している状態から、ほとんどの宿主の細胞が結合組織中に存在し、癌細胞とは分離している状態になるという興味深い知見を見出した。ここでは、癌細胞と宿主の細胞との間で組織の再構築が起きていると考えられ、両者の間に何らかの相互作用があることが強く示唆された。今回、in vitroのモデルを作製したが、この相互作用に関与する分子の同定には至っていない。今後このモデルの解析を進めることにより、腫瘍組織再構築の分子機構を明らかにしていきたいと考えている。

Fig.1生体微弱蛍光顕微鏡で解析したcolon 38細胞の脾臓内投与後の肝臓での分布

Table.1 免疫組織染色に用いた抗体とcolon 38細胞脾臓内投与1週間後の肝転移巣の染色パターン

Fig.2 colon 38細胞の脾臓内投与肝転移巣の免疫組織染色

用いた抗体は、a : CD31、b : F4/80、c : LOM-14、d : ER-TR7、e : normal rat IgG、fはAZAN染色。矢印は陽性細胞を示す。A.脾臓内投与1週間後の肝転移巣の一例(点線内は転移巣)20μm B.脾臓内投与4週間後の肝転移巣(点線内は腫瘍内の結合組織)40μm

Fig. 3 colon 38-GFP transfectantとNIH3T3細胞またはcolon 38細胞との共培養

Fig. 4 HSE細胞培養上清のcolon 38細胞の増殖性と運動性に対する影響

審査要旨 要旨を表示する

癌が転移するかどうかは、癌細胞と転移先の臓器環境との両方の性質に基づいて、それらの相互作用により決定されると考えられる。この相互作用の分子機構を理解することは、副作用の少ない新しい抗癌剤としての転移治療薬を開発するために必須である。また癌転移が臓器に特異的に起こり、その特異性は癌細胞が流入する確率とは明らかに異なっていることから、生物学的に解明されていないメカニズムが、転移形成には重要であることが従来から指摘されていた。しかし、相互作用の担い手である宿主側の細胞、相互作用の仲立ちをする分子などの実体が明らかでないため解析が困難であった。本論文では、同種同系癌細胞による大腸癌の肝転移モデルを用いて、転移形成に影響の大きい宿主側の細胞を見出し、その相互作用に関与する分子を明らかにすることが目標とされた。具体的には、全体が三つの部分からなり、それぞれ、(1)肝に到達した癌細胞が転移形成に至る過程をステップに分けて細胞組織学的に観察する、(2)腫瘍組織内に見出された宿主細胞が転移形成にどのように関与するかを査定する、(3)これらの細胞の相互作用をin vitroで解析するモデルを開発し、このモデルを用いて関与する因子を同定する、という研究を行なった結果が述べられている。

第一部(第2章)では、微小転移の形成と転移腫瘍の形成が経時的に観察された。血行性転移するcplon 38細胞の初期分布を明らかにするため、この細胞を蛍光標識して同系マウスの脾臓内に投与し、生体微弱蛍光顕微鏡を用いて肝臓での分布を観察した。5分後には、colon 38細胞は門脈内に留まっていたが、24時間後には類洞内に移動している細胞が観察された。この結果から、癌細胞は一時的には門脈内に留まり、何らかの要因で類洞内に移動する事が示された。次に、colon 38細胞によって肝転移が形成する過程での、宿主細胞の分布の変化を経時的に観察した結果が述べられている。方法としてはcolon 38細胞を脾臓内投与し、1週間及び4週間後に肝臓を摘出して凍結切片を作製し、宿主の応答を観察するため種々の宿主細胞のマーカーを病理組織学的に検出した。1週間後の肝臓では直径約1mmの微小転移が存在し、この段階でマクロファージと繊維芽細胞の集積が起こり、その後に、結合組織形成、血管新生が起きる事が示された。この段階では癌細胞と宿主の細胞は個々に互いに隣接しているが、4週間後では直径約3mm以上の転移巣が形成され、上記したほとんどの宿主の細胞は、結合組織中に癌細胞とは分離して分布していた。すなわち、微小転移から転移巣が形成されていく過程で組織の再構築が起こっていることが示された。

第二部(第3章)では、宿主細胞の肝転移腫瘍の確立過程における重要性を実験的に示そうとした結果が述べられている。方法としては、マクロファージや血管内皮細胞などの宿主細胞に影響を与える薬剤を投与し、colon 38細胞による転移巣の形成に対する影響を検討した。マクロファージ除去作用を有するdichloromethylene diphosphateのliposome封入剤(DMDP-liposome)とマクロファージ賦活化作用のあるOK-432はcolon 38細胞脾臓内移植前から、血管新生阻害物質であるTNP-470は移植後から肝臓摘出時までそれぞれ投与した。4週間後のcolon 38細胞の肝転移結節を計測し、さらに、免疫組織化学的な染色を行った。肝転移結節数はOK-432では約40%、TNP-470投与では約30%に減少し、DMDP-liposome投与では約150%に増加した。投与群と非投与群で組織の状態に明確な違いは認められなかったので、腫瘍細胞の初期分布や増殖時における腫瘍組織の構成ではなく、転移結節が形成するか否かが薬物によって影響を受けることが示された。

第三部(第4章)では、癌細胞と宿主の細胞との相互作用の実験的な解析結果が述べられている。腫瘍肝転移形成後期においてin vivoでcolon 38細胞と宿主の細胞が分離するメカニズムを検討するため、in vitroモデルの作成を試みた。colon 38細胞とその緑色蛍光蛋白(GFP)遺伝子導入細胞とを共培養すると、個々の細胞が混在して観察されたが、colon 38細胞のGFP遺伝子導入細胞と同系マウス由来の繊維芽細胞株NIH3T3を共培養すると、コンフルエント時にも両細胞は個々の細胞としては混在することはなくコロニーを形成して分離していた。これらの状態はcolon 38細胞を脾注した4週間後の肝転移巣の形態と類似しており、組織の再構築に関与する因子を同定するためのモデルとして利用できると考えられた。一方、colon 38細胞と肝類洞内皮(HSE)細胞との相互作用に関しては、液成因子の関与を追求した。肝臓特異的血管内皮細胞であり類洞を形成するHSE細胞の単離法を確立し、colon 38細胞との相互作用をin vitroで検討した。その結果、HSE細胞の培養上清がcolon 38細胞の運動性と増殖性を有意に促進することが判明した。癌細胞が肝臓に到達した後、24時間以内にHSE細胞の産生する液性因子が、colon 38細胞を類洞内に引き寄せ、肝臓での増殖を促進する可能性が示された。

癌の治療が困難なのは、癌が診断されたときに既に微小転移巣が形成されていることが多いためである。癌細胞が原発部位を離れて遠隔部位に到達し微小転移巣を形成するまでの過程を阻害することによっては、治療効果は期待できず、むしろ微小転移形成以降の過程の阻害が重要である。学位申請者は、colon 38細胞が肝臓に着床し、微小転移巣を形成し、さらには大きな転移巣を形成する過程を、形態学的に詳細に観察した。癌細胞と宿主のマクロファージ、繊維芽細胞、血管内皮細胞が個々に互いに隣接して存在している状態から、ほとんどの宿主の細胞が結合組織中に存在し、癌細胞とは分離している状態になる、という興味深い知見を得た。この間に、癌細胞と宿主の細胞との間で組織の再構築が起きていると考えられ、両者の間に何らかの相互作用があることが強く示唆された。この相互作用に関与する分子の同定には至らなかったが、これを解析するための細胞相互作用の変化を再現するin vitroのモデルの作製に成功した。以上の研究成果は、消化器癌の肝転移のメカニズムを明らかにする上で重要な、実験病理学的な基礎を築き上げたものである。癌転移研究を中心とする腫瘍学に資するところが大きいことは、言うまでもない。よって、本研究を行った石井秀樹は博士(薬学)の学位を得るにふさわしいと判断した。

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