学位論文要旨



No 116712
著者(漢字) 荒木,洋育
著者(英字)
著者(カナ) アラキ,ヨウイク
標題(和) リチャード1世・ジョン期イングランドの政治史的展開と領主層
標題(洋)
報告番号 116712
報告番号 甲16712
学位授与日 2001.12.10
学位種別 課程博士
学位種類 博士(文学)
学位記番号 博人社第343号
研究科 人文社会系研究科
専攻 欧米系文化研究専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 高山,博
 国立西洋美術館 館長 樺山,紘一
 東京大学 教授 佐藤,信
 東京大学 教授 相澤,隆
 岐阜聖徳学園大 教授 城戸,毅
内容要旨 要旨を表示する

 ノルマン・コンクエスト(1066)以降ヘンリー2世期(1154-89)までのイングランド史は、対外的には「アングロ=ノルマン王国」「アンジュー帝国」と研究史上呼称される、国王が大陸側にも所領を保有するなど、支配層の次元での大陸との密接な関係、また国内的には同時期の他の西欧地域と比較して集権性の強い行政府主導の統治体制によって特徴づけられる。リチャード1世(在位1189-99)、ジョン(在位1199-1216)期について従来の研究では、イングランド政治の面では、前代を引き継ぐ形で行政長官(chief justiciar)を中心とした行政府主導の統治体制が継続したと捉えられてきた。他方、ジョン治世初期(1204年)にイングランドはカペー朝フランスの軍事攻勢により大陸所領のほとんどを失うこととなるが、その要因について最近の研究では、イングランド財政の総量的分析に基づいて、イングランドがカペー朝に対して軍事財政上劣っていたためとしている。しかし、当時のイングランド行財政の、カペー朝含む他の西欧諸国と比較しての整備の度合いの高さと符合する説明はなされていないのが実状である。本論文では、イングランド領主層に着目してその政治や行財政面での動向を考察し、従来の研究を批判的に検討する形でリチャード・ジョン期の位置づけを改めて試みた。

 論文の第2部では、特にリチャード1世期を中心に、統治体制を分析した。まず行政長官職の性質を分析し、国王自身の意思の国内への伝達が困難な状況のもとで、彼が必ずしも自らの「代理」たる一人の人物に「行政長官」職の権威のみで行政を委任せず、複数の人間が共同で関わる形での国政運営も想定していたととれることを明らかにし、そのうえで行政長官・行政府主導の統治体制が引き継がれていたとする従来の見解への疑問を提示した。そのうえで、特にリチャードの治世前半には彼の方針から発する「集団統治」の形がとられ、その中で諸侯など臣民側の国政参加の動きもまたみられる状況を明らかにし、この時期が臣民側の国政参加の動きという13世紀以降のイングランド政治史の流れの一つの原点となった可能性を仮説として提示した。

 第3部では、第2部に従い、諸侯含む領主層の行財政面での動向をより実体的に捉えることとし、軍事財政に関わり領主層を負担者とする、軍役代納金(scutage)の徴収状況を様々な点から分析した。行政府側からの分析では、リチャード期には州長官(sheriff)を徴税官として起用するなどの施策は特に大陸所領防衛を目的とする課税には効果をあげていないこと、他方ジョン期には州長官政策はより効果的に行われ、彼らが関与する範囲については徴税の効果を挙げていることを明らかにした。反面、負担者たる領主層側からの分析では次のことが明らかとなった。イングランド領主層は、総体として、大陸所領防衛のための財政負担に対しては冷淡であり、担税意思は低く、行政府側の政策努力にもかかわらず納税の成績も挙がらなかった。また大陸との密接な関係を維持する中核となるべき、大陸・イングランド双方に所領を保有する領主に限っても、国王に対する財政負担には消極的で、特に大陸に基盤を持たず彼らの支持を必要としたジョンの治世にはパトロネジを得て負担を免れようとする傾向が強くなり、ジョンの軍事財政政策の遂行をむしろ妨げる結果につながったと考えられる。

 以上の検討に基づき、本論文では以下のように結論する。リチャード・ジョン期はイングランド政治の面では、従来の研究のように行政府主導の統治体制が維持された時期として単純には捉えられず、13世紀以降の臣民側が参加する統治体制の嚆矢が現れた時期として捉えることも可能である。また大陸所領の喪失の要因としては、従来の研究での見解に加えて、大陸に地盤を持たないジョンが王位を継承したこと、イングランド領主層が総体として大陸所領防衛のための財政負担に対し冷淡であったことを挙げることが、新たにできると思われる。

審査要旨 要旨を表示する

 イングランド史の中で、ノルマンディ公ウィリアムによる征服が行われた11世紀半ばからジョン治世の13世紀初頭までの時期は、大陸との関係がとりわけ密接な時期として位置づけられている。実際、ウィリアムによる征服以後、ノルマンディ公領とイングランド王国は一人の君主のもとに置かれることが多く、また、ノルマンディ出身の諸侯たちの多くが海峡をはさんだ両地域に所領を保有するようになっていた。さらに、アンジュー伯ヘンリ2世がイングランド王となった12世紀半ば以降は、大陸のノルマンディ、アンジュー、アキテーヌなどフランス王国のほぼ西半分がイングランド王の支配下に置かれ、広大な大陸の所領とイングランドとが一人の君主のもとに置かれた。多くの研究者たちは、この領域的広がりを「アンジュー帝国」と呼んでいる。この大陸所領の大半は、13世紀初頭のジョン治世にフランスのカペー朝王権に奪われ、イングランドの歴史は異なった段階に入ったとみなされている。

 さて、イングランド王がこの大陸所領の大半を喪失した要因として、かつてはジョン個人の資質の欠如が指摘されていたが、近年では、イングランドの財政上の問題が指摘されるようになってきた。しかし、この財政上の問題に関して、同時代の資料に基づいた検討が、十分になされているわけではない。このような研究状況を考慮して、本論文は、リチャードとジョンの治世の政治的動向、行政府の動きを年代記などの史料を用いて丹念に辿った後、同治世のイングランドの財政上の問題を諸侯と王権との関係に焦点を絞って検討している。より具体的には、軍役に際して諸侯に賦課される軍役代納金(scutage)の徴収状況を詳細に分析し、王権に対する諸侯層の対応を考察している。その結果、これまで知られていなかった以下の点が明らかとなった。リチャード一世期には、国王の身代金支払いのための課税に対して、諸侯たちは全体として協力的であり、徴収実績も高い。しかし、大陸所領戦役への軍事費提供を目的とした課税に対しては、あまり協力的ではなく、また、州長官を通じた徴収増加策も効を奏していない。ジョン治世には、大陸での戦役のための最初の賦課に関しては、徴収実績が高く、とりわけ州長官担当分に徴収成績がよい。しかし、その後毎年行われた賦課に関しては、州長官担当分を除いて、徴収成績は低下している。著者は、さらに、リチャードの治世には行政府が強力な指導性を発揮出来なかったのに対し、ジョン治世には州長官などを用いて、諸侯層を積極的に掌握しようとしていたと論じている。

 このように、本論文は、これまであまり明らかにされていなかったリチャード一世、ジョン治世のイングランド王国の統治と財政の実態を軍役代納金徴収に焦点を当てて明らかにしようとしたものである。不注意な表現や表記法、あるいは、概念規定が十分になされていないため理解が容易でない箇所はあるが、先行研究を踏まえた上で、年代記や証書など多くの一次資料に基づいてなされた議論は、十分満足できる水準に達しており、歴史研究者として今後の実り多き研究生活を予期させるものである。

 よって審査委員会は、本論文が博士(文学)の学位に値するとの結論に達した。

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