No | 116719 | |
著者(漢字) | 蕨,薫 | |
著者(英字) | ||
著者(カナ) | ワラビ,カオル | |
標題(和) | 海洋無脊椎動物からのテロメラーゼ阻害物質に関する研究 | |
標題(洋) | Studies on Telomerase Inhibitors from Marine Invertebrates | |
報告番号 | 116719 | |
報告番号 | 甲16719 | |
学位授与日 | 2001.12.18 | |
学位種別 | 課程博士 | |
学位種類 | 博士(農学) | |
学位記番号 | 博農第2340号 | |
研究科 | ||
専攻 | ||
論文審査委員 | ||
内容要旨 | ヒト細胞において、そのDNA末端は、TTAGGGの繰り返し配列からなるDNAで構成されている。このようなDNA末端構造はテロメアと呼ばれ、その長さが染色体の安定性の維持や細胞寿命の規定において重要な役割を果たす。すなわち、テロメアがある程度短くなると、細胞はもはや分裂しない細胞老化という状態に陥り、最終的に細胞死に至る。 テロメラーゼは、テロメア配列に対する鋳型RNAをもつ逆転写酵素である。この酵素は、DNA末端にテロメア配列を付加し、テロメア長を維持する働きをする。ほとんどの正常細胞においてテロメラーゼの発現が抑制されおり、その寿命が有限であるのに対し、がん化した体細胞あるいは不死化した体細胞ではテロメラーゼが発現し、テロメア長を一定に保つのでこれらの細胞は無限に細胞分裂することができる。従って、これらの細胞にテロメラーゼ阻害剤を作用させると、その細胞分裂回数は有限となり、結果的に細胞死に誘導することができると推察される。さらにテロメラーゼがほとんどの正常細胞で発現していない一方、ほとんどのがん細胞に発現していることから、テロメラーゼ阻害剤は選択的抗がん剤となることに期待される。 現在、さまざまなテロメラーゼ阻害剤が発見されているが、陸上微生物由来の阻害剤の報告例はあるものの、天然物由来の阻害剤はまだ少ない。そこで、本研究では、日本産海洋無脊椎動物を対象にテロメラーゼ阻害活性を調べるとともに、有望な活性を示した2種の海綿から活性物質の単離と構造決定を試みた。その概要は以下の通りである。 1.スクリーニング 太平洋沿岸で採取された海洋無脊椎動物897検体を有機溶媒で抽出し、その抽出物を溶媒分画により、クロロホルム可溶画分、ブタノール可溶画分、水可溶画分に分けた。脂溶性画分は50μg/mLで、水溶性画分は200μg/mLでテロメラーゼ阻害活性試験を行った。その結果、海綿抽出液の脂溶性画分の0.65%および水溶性画分の1.8%が活性を示した一方、ホヤ類抽出液の脂溶性画分の1.8%は活性を示したものの、水溶性画分は活性を示さなかった。また、ソフトコーラルとコケムシ類の抽出液は、いずれの画分も活性を示さなかった。活性の発現頻度と強度から海綿が最も有望なテロメラーゼ阻害物質探索源であることが判明した。次に、選択的な阻害活性を示した海洋無脊椎動物のうち、2種類の海綿、Axinella infundibulaとDyctyodendrilla verongiformisからテロメラーゼ阻害物質の単離と構造解析を試みた。 2.長崎県長島産海綿Dyctyodendrilla verongiformisからのdendrine A-Eの単離と構造決定 長崎県天草諸島の長島で採取した海綿Dyctyodendrilla verongiformis(湿重量80g)をメタノールで抽出後、クロロホルムと水とで二層分配し、水層をさらにブタノールで抽出した。ブタノール層を、活性を指標にODSフラッシュクロマトグラフィーおよびゲルろ過で分画後、逆相HPLCで精製してdendrine A(12.8mg), B(0.9mg), C(4.6mg), D(1.1mg), E(2.7mg)、および、既知化合物の化合物1(26.3mg)と化合物2(1.1mg)とをそれぞれ単離した。 Dendrine Aの分子式を質量分析データとNMRデータとからC43H33N2O11SNaと決定した。IRスペクトルは水酸基、アミノ基、およびエステル結合の存在を示唆した。また、328nmに強いUV吸収を示したことから、dendrine Aは長く伸びた共役系を有することが示唆された。これらのデータに加え、二次元NMRデータを詳細に解析した結果、その構造を下に示す構造を推定した。さらに、dendrine Aの空気酸化により化合物2が生成することから、これらの化合物が同一の炭素骨格を有することが判明した。なお、不斉中心が1つあるにもかかわらず、dendrine AはCD不活性だったので、逆相chiral HPLCで分析したところ、面積比が1:1の2つのピークを与え、しかもそれぞれのピークが互いに逆のCotton効果を示したことから、dendrine Aはラセミ体であることが判明した。Dendrine B,C,D,およびEの構造はdendrine Aと同様に、質量分析および各種分光学的手法を用いて推定した。さらに、dendrine B,C,D,Eならびに化合物2を酸加水分解すると、いずれも共通の反応生成物3を与えたことから、これらの化合物が共通の炭素骨格を有することが明らかとなった。 Dendrine A-Eと化合物1および2は、いずれも50μg/mLでテロメラーゼ活性を100%阻害した。 3.式根島産海綿Axinella infundibulaからのaxinelloside Aの単離と構造決定 伊豆諸島の式根島で採取した海綿Axinella infundibula(湿重量3.9kg)をメタノール、エタノール、およびアセトンで順次抽出した。抽出物を合一し、水とエーテルで分配した。エーテル層をさらに,90%メタノールとヘキサンとで分配した。活性が認められたヘキサン層をODSフラッシュクロマトグラフィー、次いでシリカゲルクロマトグラフィーで分画後、逆相HPLCで精製して、axinelloside Aを27.3mg得た。 まず、ESI-MSデータとNMRデータとから、axinelloside Aは分子量約4100の糖脂質であることが示唆された。そこで、NMR分析および糖のalditol acetate分析を行ったところ、axinelloside Aにはarabinose、fucose,galactose、およびscyllo-inositolが1:4:4:1の割合で含まれることがわかった。また、arabinose、fucose、およびgalactoseの絶対立体化学は、それぞれD、LおよびDであった。 一方、NMR分析の結果、axinelloside Aにはα,β−不飽和カルボン酸とβ−ヒドロキシカルボン酸とが、3:1の割合で存在することがわかった。そこで、axinelloside Aのアルカリ加水分解物からα,β−不飽和カルボン酸を単離し、FABMSおよびNMRで分析した結果、このカルボン酸は、2-hexadecenoic acidであることがわかった。一方、axinelloside Aの酸加水分解物をヘキサンと水とで二層分配した後、ヘキサン層のカルボン酸をTMS-diazomethaneで処理し、メチルエステル体とした後、シリカゲルクロマトグラフィーで精製し、β−ヒドロキシカルボン酸メチルエステルを得た。これをFABMSとNMRとで分析した結果、methyl 3-hydroxyoctadecanoateであることが明らかとなった。さらに、β位の絶対立体化学は改良Mosher法からRと決定した。 NMRデータからgalactose, fucose, arabinose, scyllo-inositol, α, β−不飽和カルボン酸およびβ−ヒドロキシカルボン酸の存在比は、4:4:1:1:3:1であると判明した。HMBCデータとNOESYデータとを解析した結果、下に示すような部分構造を推定するに至った。なお、糖およびβ−ヒドロキシカルボン酸中の水酸基の数は重水素化シフト実験の結果より推定した。 Axinelloside AのESI-TOFMS(陰イオンモード)スペクトルの分子イオン領域には80違いのピークが多数観測された。この性状は、axinelloside Aに多数の硫酸基が存在することを示唆した。31P NMRスペクトルにおいてシグナルが観測されなかったことからリン酸エステルは含まれていないと結論できたが、酸加水分解物の陰イオン交換HPLC分析においては、硫酸イオンが検出された。その結果は、硫酸基が概ね22個存在することを示唆しており、現在、正確な数の算出法を検討中である。 テロメラーゼ阻害活性試験において、axinelloside Aは、2μg/mLでテロメラーゼ活性を100%阻害した。 テロメラーゼ阻害活性を指標に海洋無脊椎動物の抽出物のスクリーニングをした結果、海綿がもっとも有望な探索源であることを見出すとともに、有望な活性を示した2種類の海綿Dyctyodendrilla verongiformisおよびAxinella infundibulaから、合計6種の新規テロメラーゼ阻害物質を単離し、各種分光学的手法および化学的手法を用いてその化学構造を推定した。D. verongiformisから単離された一連のアルカロイドは、共通の骨格3を有するが、側鎖に多様性がみられる。生合成的には3つのチロシンと1つのトリプトファンとの縮合により3が生成し、ついで側鎖が形成される経路が考えられる。一方で、3,4-ジヒドロフェニルアラニンを原料として生合成されたと考えられる類縁天然有機化合物がDidemnum属のホヤなどから発見されており、双方の生合成的関連について興味がもたれる。A. infundibulaから単離された糖脂質は、分子量の非常に大きい化合物で、このような糖脂質は海洋天然物として初めての例である。NMRシグナルがブロードなために、炭素間の結合情報を提供するHMBCスペクトルを得ることが困難であること、多くの硫酸基をもつためにマススペクトルでイオンピークを観測し難いこと、といった構造解析に不利な条件が重なっているために、構造決定は困難を極めた。本化合物には、細菌から単離されたlipid Aや多数の硫酸基で修飾されているヘパリン分子との類似が見られ、生体内でのその役割に興味がもたれる。 | |
審査要旨 | テロメラーゼは、DNA末端にテロメア配列を付加し、テロメア長を維持する働きをする。ほとんどの正常細胞においてテロメラーゼの発現が抑制されおり、その寿命が有限であるのに対し、がん化した体細胞あるいは不死化した体細胞ではテロメラーゼが発現し、テロメア長を一定に保つのでこれらの細胞は無限に細胞分裂することができる。従って、テロメラーゼ阻害剤は選択的抗がん剤となることが期待される。現在、さまざまなテロメラーゼ阻害剤が発見されているが、陸上微生物由来の阻害剤の報告例はあるものの、天然物由来の阻害剤はまだ少ない。そこで、本研究では、日本産海洋無脊椎動物を対象にテロメラーゼ阻害活性を調べるとともに、有望な活性を示した2種の海綿から活性物質の単離と構造決定を試みた。その概要は以下の通りである。 先ず、太平洋沿岸で採集した海洋無脊椎動物897検体から調製した脂溶性および水溶性抽出物についてテロメラーゼ阻害活性を調べたところ、海綿が活性の発現頻度と強度から最も有望なテロメラーゼ阻害物質探索源であることが判明した。次に、有望な活性を示した下記の2種海綿からテロメラーゼ阻害物質の単離と構造解析を試みた。 長崎県長島産海綿Dyctyodendrilla verongiformisからのdendrine A-Eの単離と構造決定 長崎県天草諸島の長島で採集したD. verongiformisをメタノールで抽出後、溶媒分画および各種クロマトグラフィーで精製したところ、dendrine A〜Eと命名した新規活性物質を単離することができた。 Dendrine Aの構造を、2次元NMRを中心とする機器分析により下図に示す多環性アルカロイドと決定した。なお、この化合物はラセミ体であることがキラルHPLC分析等から判明した。同様に、dendrine B,C,D,およびEの構造も決定できた。Dendrine A〜Eは、いずれも50μg/mLでテロメラーゼ活性を100%阻害した。 式根島産海綿Axinella infundibulaからのaxinelloside Aの単離と構造決定 伊豆諸島の式根島で採集したA. infundibulaを溶媒抽出後、溶媒分画、ODSフラッシュおよびシリカゲルクロマトグラフィー、逆相HPLCで順次精製して、axinelloside Aと命名した活性物質を単離した。 ESI-MSおよびNMRデータとから、axinelloside Aは分子量約4100の糖脂質であるとが示唆され、NMRおよびGLC分析から、D-arabinose、L-fucose、D-galactose、およびscyllo-inositolが1:4:4:1の割合で含まれることがわかった。一方、NMR解析からα,β−不飽和カルボン酸およびβ−ヒドロキシカルボン酸が、3:1の割合で含まれることが推定されたので、アルカリおよび酸加水分解によりこれらのカルボン酸を単離したところ、2-hexadecenoic acidおよび3(R)-hydroxyoctadecanoic acidが得られた。また、NMRを詳細に解析した結果、galactose、fucose、arabinose、scyllo-inositol、α,β−不飽和カルボン酸およびβ−ヒドロキシカルボン酸の存在比は、4:4:1:1:3:1であると判明した。さらに、HMBCおよびNOESYデータの解析から、下に示すような部分構造を推定することができた。 なお、ESI-TOFMSスペクトルからaxinelloside Aに多数の硫酸基が存在することが示唆され、酸加水分解物の陰イオン交換HPLC分析の結果、硫酸基が概ね22残基存在することが推定された。Axinelloside Aは、2μg/mLでテロメラーゼ活性を100%阻害した。 以上、本研究は海洋無脊椎動物を対象にテロメラーゼ阻害活性調べて海綿が最も有望な阻害物質の探索源であることを見出すとともに、有望な活性を示した2種類の海綿Dyctyodendrilla verongiformisおよびAxinella infundibulaから、合計6種の新規テロメラーゼ阻害物質を単離し、各種分光学的手法および化学的手法を用いてその化学構造を推定しもので、学術上、応用上寄与するところは大きい。よって審査委員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。 | |
UTokyo Repositoryリンク |