学位論文要旨



No 116725
著者(漢字) 村田,貴志
著者(英字)
著者(カナ) ムラタ,タカシ
標題(和) 抗ジベレリンA4抗体の基質認識に関する分光学的解析
標題(洋)
報告番号 116725
報告番号 甲16725
学位授与日 2002.01.15
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第2341号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 山口,五十麿
 東京大学 教授 長澤,寛道
 東京大学 教授 山根,久和
 東京大学 助教授 若木,高善
 東京大学 助教授 鈴木,義人
内容要旨 要旨を表示する

 本研究は、多くの類縁体が存在するジベレリン(GAs)のうち、受容体に直接認識され、一連の生理作用の発現に関わる数少ない活性型GAsと、これを特異的に認識する抗ジベレリンA4(GA4)抗体4-B8(8)/E9の相互作用を分光学的に解析することを目的とした。

 イネ馬鹿苗病菌(Gibberella fujikuroi)の生産する病徴誘導物質として単離されたGAsは、高等植物に普遍的に存在し、様々な生理現象の調節に関わっていることが明らかにされ、植物ホルモンと見なされるようになった。GAsに関する多くの化学的研究から、今日までに120を超える同族体が天然物として単離され、その構造の多様性から構造活性相関にも興味が持たれた。現在ではGA1に代表される3β−水酸基、γ−ラクトン、6−カルボキシル基を有し、炭素数19のGA1/3/4/7が代表的な活性型GAsとして認知されている。他方、これら活性型GAsに必須な構造的要素を特異的に認識する抗体の調製とその応用が、幾つかのグループにより試みられており、筆者の研究室においても各種GAに対する抗体を調製し、RIA法やELISA法を用いた免疫学的手法への応用や、一本鎖抗体(scFv)遺伝子の植物への導入による植物の生長制御技術の開発など、分子生物学的手法を用いた応用が試みられている。

 これまで、GA1やGA4などを用いてGA受容体候補となるGA結合タンパク質の検索と精製が試みられてきたが、未だGA受容体の単離には至っていない。このため、抗体による植物ホルモンの認識は、タンパク質と低分子化合物との相互作用という観点から、植物ホルモンと受容体との相互作用に比擬される側面を有している。GA4を免疫原として調製した本抗体は、各種GAsに対する交差反応性から活性型GAsに必須とされる構造的要因であり、且つ受容体との結合に密接に関わっていると予想される3β−水酸基、6−カルボキシル基を明確に認識していると考えられている。また、本抗体のscFvの構築が試みられたが、抗原に対して結合活性を有したscFvは得られていないことから、この原因を追究し、改良の道を探る上からも、本抗体とGA4複合体のX線結晶解析を行うことは大変有意義である。このような観点から、本研究においては代表的な植物ホルモンであるGAsと、これを特異的に認識する抗体との相互作用を表面プラズモン共鳴(SPR)やNMR、X線結晶解析により解析した。

1.表面プラズモン共鳴法を用いた速度論的相互作用解析

 生体分子の相互作用を検出する方法の一つとして、SPR法が広く用いられるようになった。この方法は結合と解離についての速度論的な解析が行える利点を有する。あらかじめストレプトアビジンを固定したチップ上に、ビオチン標識したGA4誘導体を反応させてセンサー部位を調製した。この系に本抗体から調製したFab溶液を供し、その反応量を経時的に追跡した。Fabとビオチン標識GA4の相互作用について、1,000、500、250、125、62.5、31.25nMの6段階のFabの希釈系列を用いてKineticsの算出を行い、そのなかで特に信頼性の高いデータを採用し、

 結合速度定数Kass=5.4×104(1/Ms)

 解離速度定数Kdiss=3.4×10-3(1/s)

 解離定数KD=Kdiss/Kass=6.4×10-8(M)

がそれぞれ得られた。この結果はこれまでにRIA法を用いて得られているKD値とほぼ同様の値であった。

2.NMRを用いた相互作用解析

 抗体はFabフラグメントに消化された状態においてもその分子量は40,000を超え、抗体とハプテン抗原の相互作用を、NMRを用いた高次構造の解析を通して理解することは困難である。このような場合、一般に高分子に配位する低分子をプローブと見なし、プローブの化学シフトをはじめとする様々なパラメータを通して、相互作用を解析する手法が用いられている。そこで抗体に配位するGAをプローブと見なし、GAと抗体の相互作用を解析した。

 本抗体と結合した場合の、GA4のケミカルシフトの変化を検出することを目的に、13C標識酢酸をGAsの生産菌G.fujikuroiに取り込ませて13C標識GA4を調製し、これを用いてGA4-Fab並びに遊離GA4のHMQCスペクトルを測定した。Fabを加えた13C標識GA4のHMQCスペクトルでは、シグナルが全体的にブロード化していた。さらに、Fabを加えたスペクトルには抗体由来と思われるシグナルの他、GA4のシグナルと思われる新たなクロスピークが観測された。これらの帰属を行うことはできなかったが、この新たなクロスピークの出現から、本抗体とGA4は遅い交換過程にあると推測された。

 GA3は活性型GAsであるGA1/3/4/7のうち、本抗体に対して最も低い親和性を示すことがRIA法を用いた解析から明らかにされている。したがって、本抗体とGA3の交換は速い過程にあることが期待されることから、GA3を用いて、本抗体を加えた場合の1Hシグナルのケミカルシフトや緩和時間の変化から相互作用を解析した。抗体を加えた場合に緩和時間の減少率の大きい1Hは、基本的に抗体の認識に関わる部位であると考えられ、GA3の1Hについて、縦緩和時間(T1)と、横緩和時間に同義である回転座標系における縦緩和時間(T1ρ)を測定した。

 1mMのGA3に対して本抗体を0.025mM並びに0.05mM加えた1H-NMRスペクトルにおいて、期待されたケミカルシフトの変化は観測されなかったが、緩和時間において変化が観察された。T1は特に複雑な変化を示し、3α位と6位は加えた抗体濃度に対応してT1の減少が認められたが、そのほかの部位に関しては、T1の変化に基づいた相互作用部位の推定は困難であった。一方、T1ρは観測できたすべての1Hに関して減少が認められ、0.05mMの抗体濃度において、9位のT1ρが特に大きく減少した。このほか、12-axial位もT1ρがほぼ1/2になっていた。9位と12-axial位の1HはいずれもGA3骨格上のC環β面に配向しており、本抗体は少なくともC環β面を認識する可能性が高いことが示唆された。また同様に5位についてもT1ρの減少が他の1HのT1ρと比較して大きく、この部位の結合への関与も示唆された。しかしながら、本抗体との相互作用に必須の構造的要因と考えられているGAの3β−水酸基と6−カルボキシル基については、抗体との結合による影響が3α位や6位のT1ρには反映されなかった。

3.X線結晶解析による相互作用解析

 Fab-GA4複合体の結晶は、約8mg/mlのFab溶液(10mM Tris-HCl,pH7.0)にモル比換算で2倍量のGA4を加え、20%(v/v) glycerol、12%(w/v) polyethylene glycol(PEG)3350、0.06M Bis-Tris(pH6.5)をリザーバー溶液として、sitting drop蒸気拡散法を適用して得た。結晶の回折強度データは高エネルギー加速器研究機構の放射光施設で窒素気流下の低温条件で測定し、分解能2.7Aまでの反射データを収集した。構造決定は本抗体と同じクラスのマウスFab抗体のFv領域を、本抗体のFv領域と相同性の高いFv抗体anticancer antibody B1に置換したものをサーチモデルとして用い、分子置換法によって行った。結晶学的な精密化を行い、最後にGA4を構造モデル中にあてはめ、分解能2.8Aまでの反射に対して結晶学的R因子23.4%、Rfree因子29.6%まで精密化した。

 本抗体Fabフラグメントの構造は、すべての抗体に共通の構造として認められてるイムノグロブリンフォールドを有し、これを土台として抗原との結合に関与する軽鎖と重鎖の計6個の相補鎖決定領域(CDR)がループを形成していた。本抗体重鎖の第3の超可変領域(CDR-H3)は12残基から構成され、非常に特徴的なループ構造を形成していた。特にGlu95Hの主鎖アミノ基とThr100CHの主鎖カルボニル基間に認められた水素結合によって、この両残基間の8残基が円を描くような構造になっていた。一般にハプテン抗原は、抗体中央に位置するイムノグロブリンフォールドが形成するくぼみの中で結合するとされているが、本抗体においてはハプテン抗原であるGA4は3個の重鎖CDRsに取り囲まれ、軽鎖CDRsはGA4の認識に直接関わっていないことが明らかとなった。

 本抗体とGA4の相互作用について、GA4の3β−水酸基からGlu95Hの主鎖カルボニル基と、Ala33Hの主鎖アミノ基との間に2個の水素結合の形成が認められ、3β−水酸基が抗原認識の主要なターゲットであることが明らかにされた。一方、GA4の6−カルボキシル基とThr53Hの主鎖アミノ基の間に水素結合が形成されており、6−カルボキシル基と抗体の抗原結合部位は密に接触していた。GA4のC/D環の認識には4個の芳香族アミノ酸側鎖が関わり、特にPhe100BHの側鎖芳香環はGA4のC環β面に対してほぼ平行に接触した状態になっており、基質認識に重要であると考えられた。CDR-H3に属するTyr100AHとPhe100BHは互いに作用し合って抗原結合部位の底部を形成し、CDR-H2の2個の芳香族アミノ酸Tyr56H、Phe58Hとともに抗原結合部位に疎水的な領域を提供して、GA4のC/D環との結合にはたらいているものと考えられた。さらに、CDR-H3に属するLeu98HとLeu99Hは抗原結合部位の上部に位置し、蓋のような役割をしていることから、これも抗原に対する親和性の上昇に寄与すると考えられた。

4.まとめ

 上述のように、抗GA4抗体4-B8(8)/E9の基質認識の特異性を分光学的に解析した。このうち、NMR法を用いた解析により得られた緩和時間の変化が、これまで一般的に行われてきた交差反応の解析結果に対応して、相補的な役割を担えることを示した。一方、Fab-GA4複合体の結晶構造から、両者の相互作用を視覚的に理解することができた。これらの知見を基に今後、本抗体を母核にして、分子生物学的手法を用いて特定のGAを認識するscFvを構築してゆくことが可能になると考える。さらにscFv遺伝子を植物体内で発現させ、植物の生長制御やGAの機能解析に応用していく上で重要な情報を与えるものと期待する。

審査要旨 要旨を表示する

 本研究は、代表的な植物ホルモンであり、120種を超える同属体からなるジベレリン(GAs)のなかで、数少ない活性型の一つとされているジベレリンA4(GA4)と、これを特異的に認識する抗GA4抗体4-B8(8)/E9との相互作用を分光学的に解析したものであり、序章を含む4章と総括より構成されている。

 序章では、研究の背景、ならびに本研究の目的と意義について述べている。

 第1章では、GA4と抗体4-B8(8)/E9との結合に関して、BIAcoreを用いた速度論的な解析を行っている。センサー部分にGA4を固定する方法として、ビオチン標識GA4を用いている。すなわち、あらかじめストレプトアビジンをアミド結合によりセンサー表面に固定し、これにビオチン標識GA4を反応させて固定している。この系に抗体4-B8(8)/E9から調製したFabフラグメント溶液を供し、その反応量を経時的に追跡することにより、結合速度定数Kass=5.4×104(1/Ms)、解離速度定数Kdiss=3.4×10-3(1/s)、解離定数KD=6.4×10-8(M)をそれぞれ得た。この結果はRIA法を用いて得られているKD値とほぼ同様の値であり、この方法を用いて、抗体と抗原の親和性を短時間に求めることができることを示した。BIAcoreは、本質的にセンサー部分の質量の増減を感知する、表面プラズモン共鳴法を利用した解析法であることから、低分子化合物への応用には不向きであり、解析例も少ない。しかしながら、本研究において、低分子化合物であるGA4をセンサー部位に固定することにより、信頼性の高い相互作用解析を行うことに成功し、BIAcoreをハプテン抗体の特異性の解析法として利用できることを示した。

 第2章では、抗GA4抗体とGA4との相互作用をNMR法により解析するにあたり、低分子化合物と高分子タンパク質との相互作用という観点から、低分子プローブ法を利用し、様々なパラメータの変化を指標にGAsの相互作用部位の特定を試みている。特に相互作用解析に配位子であるGAに、GA4のアナログであり、抗体と結合したGAと遊離GAとの交換速度の大きいGA3を用いることにより、系内に過剰量加えたGA3との間で平均化された1H核緩和時間を求め、抗体無添加時の個々の1H核の緩和時間からの変化について検討を加え、相互作用部位を特定することを試み、回転座標系における縦緩和時間(T1ρ)が有効であることを示した。T1ρの減少率から9位と12-axial位が相互作用部位であることを示し、この2個の1HはいずれもGA3骨格上のC環β面に配向していることから、抗体4-B8(8)/E9は少なくともGAのC環β面を認識する可能性が高いことを示した。また、同様に5位についてもT1ρの減少率が他の1Hの値と比較して大きく、この部位の結合への関与をも示唆した。このことは、限られた種類のGAsを用いることしかできなかったイムノアッセイによる交差反応解析から明らかにできなかった情報であり、NMR法が抗体によるハプテンの認識部位について新たな情報をもたらし得ることを示した。

 第3章では、抗体4-B8(8)/E9 FabフラグメントとGA4複合体のX線結晶構造解析を行っている。複合体の結晶構造は分解能2.8Aまでの反射に対して結晶学的R因子23.4%、Rfree因子29.6%を得ている。一般にハプテン抗原は、抗体中央に位置するイムノグロブリンフォールドが形成するくぼみの中で認識され、軽鎖と重鎖の6個の相補鎖決定領域(CDR)が結合に関わるとされているが、本研究で用いた抗GA4抗体は、重鎖の3個のCDRsが抗原結合部位を形成し、軽鎖CDRsはGA4の認識に直接関わっていないというユニークなハプテン認識様式を持っていた。抗体4-B8(8)/E9のGA4の認識においては、GA4の3β−水酸基からGlu95Hの主鎖カルボニル基と、Ala33Hの主鎖アミノ基との間に形成された2個の水素結合と、またGA4の6−カルボキシル基とThr53Hの主鎖アミノ基の間に形成された水素結合が重要であることが明らかになった。またGA4のC/D環の認識には4個の芳香族アミノ酸側鎖が関わり、そのなかでも重鎖3番目のCDR(CDR-H3)に属するPhe100BHの側鎖芳香環は、GA4のC環β面に対してほぼ平行に接触した状態になっており、基質認識に特に重要であることを示した。CDR-H3に属するLeu98HとLeu99Hは抗原結合部位の上部に位置し、蓋のような役割をすることにより抗原に対する親和性の上昇に寄与していることを示唆した。

 総括では、本研究を要約して得られた研究成果をまとめている。

 以上、本研究は、抗GA4抗体4-B8(8)/E9の基質認識の特異性を、BIAcore、NMR、X線結晶解析を用いて分光学的に解析したものである。本研究により得られた知見は、抗体4-B8(8)/E9を母核にして、植物体内においてGAsの作用を人為的に抑制する手法の一つとして有効な、scFvを構築するための基礎的な知見を与えるものである。よって、審査委員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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