学位論文要旨



No 116731
著者(漢字) 八十島,光子
著者(英字)
著者(カナ) ヤソシマ,ミツコ
標題(和) 環境微量重金属に対する生物指標としての陸棲貝類:蓄積と存在状態に関する研究
標題(洋) Terrestrial Snails as a Bioindicator of Trace Heavy Metals in the Environment: Investigation on Their Accumulation and States of Existence
報告番号 116731
報告番号 甲16731
学位授与日 2002.01.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博総合第336号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 高野,穆一郎
 東京大学 助教授 松尾,基之
 東京大学 助教授 嶋田,正和
 東京大学 助教授 伊藤,元己
 東京大学 教授 古米,弘明
内容要旨 要旨を表示する

 軟体動物,とりわけ貝類は環境指標として注目されており,特に,その重金属を蓄積しやすいという特徴により,海洋における重金属汚染の生物指標対象として研究が多数進められている.これらについては,海洋中の重金属の102から103倍ものオーダーでその体内に重金属を蓄積するという報告もある.陸棲の貝類も,食物連鎖を介して重金属の環境中の輸送に関与しているという報告もあるが,これらの研究は機器分析の検出限界が高くなるという理由で軟体部を対象としたものがほとんどである.

 しかし,マイマイなどの貝類を利用することの利点とは,その生物が死去した後も環境中にその殻が痕跡として残ることであり,殻に着目した研究は世界的にもほとんど例がない.陸棲貝類については,似通った大きさの個体同士であれば異なる環境より採取したものを比較が可能であるという報告もあるが,環境変化,気候,そして個体差を考えると疑わしい点が多くあった.したがって,本研究においてはオナジマイマイという日本全国に分布し飼育が比較的しやすい陸棲貝類を飼育実験により環境をコントロールすることによって,オナジマイマイへの重金属の取りこみについて研究を行った.

 オナジマイマイ(成貝)は,東京都目黒区駒場にて採取した.稚貝が1000匹以上になった時点で無作為に40匹づつで構成される10グループを作った.個体同士の影響を取り除くためにマイマイは一匹づつプラスチック容器中で飼育された.各グループにはそれぞれ異なる濃度の目的元素が含まれた餌を随時与えられた.各餌中の重金属濃度は次の通りである:0ppm,Cu(2ppm,4ppm,8ppm),Zn(2ppm,4ppm,8ppm),Cd(0.4ppm,2ppm,4ppm).餌はキャットフード(市販)と炭酸カルシウムを主成分とし,目的の濃度となるような硝酸塩重金属溶液を加え,寒天で固めたものを与えた.飼育実験期間はちょうど稚貝から成貝になる12週間と定めて行った.

 飼育実験後,各個体の体重を量り,殻,外套膜,肝膵臓,その他の4部に解剖し,真空乾燥処理の後,乾燥重量を測定した.殻は蒸留水で洗浄後乾燥し,めのう乳鉢で粉末状にした.粉末試料は清浄なテフロン容器,高純度試薬を用いた湿式分解の後,誘導結合プラズマ質量分析(ICP-MS : Hewlett-Packard HP4500)法により元素分析を行った.

 元素分析の結果,軟体部における重金属の濃度は,肝膵臓においてZn>Cu>Cd,外套膜においてCu>Zn>Cd,その他においてはCu>Zn>Cdであった.また,各元素ともに相対的に肝膵臓において最も元素の取りこみが高く,特にZnに関してはCuの約2倍,Cdの約4.5倍であった。殻から肝膵臓への重金属濃度比は,Cuで3.0×10-3,Cdで1.6×10-3,Znで3.4×10-4殻と与えた餌中の元素濃度間においては,Cuで相関がみられた(p<0.05).しかし,CdではCd 2ppm以上の餌を与えたマイマイの殻中のCdに増加がみられなかった.これは,Cdの毒性に起因するものであると考える.Znについては,餌とマイマイ各部位間において相関がみられなかった.しかし,Znの取りこみが他元素に比べて多い事実は,二枚貝であるMytilus galloprovincialisの軟体部,殻ともにPuenteらによって指摘されている.すなわち,殻は重金属の排出の場とも成り得るが,体内を通って殻へ移行してくるのは非常に少ない割合と言えよう.

 また,本研究の顕著な発見としては,与えた餌中の重金属濃度が高くなるほどマイマイの体重が減少し,逆に殻と外套膜の重さが増加,肝膵臓やその他の部位が減少する、という点である.これはCuとCdにおいては明らかであった.特に,Cuはコントロールと最も濃度の高い餌を与えたマイマイグループ間では,30%の減少であった(有意差p<0.05).すなわち,この結果より異なる環境によるマイマイの体重と年齢がかならずしも一致しないということが明らかとなった.また,これにより環境による成長速度のばらつきも示唆される.Cdに関してはCd 4ppmを与えたマイマイの体重が急に減少する傾向が見られたが,この現象はGomotによっても報告されているがCdの毒性と深く関与していると思われる.

 そこで,異なる環境から採取する個体差を簡単な数式のみでどう修正するかと考えた.Watsonらは,殻中の重金属濃度を殻の重量で標準化をしている.しかし,上記のようにマイマイの全重量差が最も有効であることからも全重量を含め標準化をする必要性は明白である.その式とは,殻中重金属濃度に殻重量を掛けてマイマイ全重量で割るという至って簡単な方法である.CdについてはCd 4ppmのプロットを除いたものについても導入したところ,Cu,CdともにWatsonの結果よりも相関が改良された(Table1).

 すなわち,オナジマイマイに重金属が特に肝膵臓に蓄積され,また各元素ともに殻へも取りこまれ得る,そして餌中の重金属濃度と殻中の重金属濃度が良い相関となることが明らかとなった.しかし,与えた重金属含有の餌によってマイマイの成長率に有意差がみられることから,異なる環境から採取する試料を比較する際には細心な注意が必要であることが本研究により明らかとなった.この点は,前述で提案した数式により改善され,十分に実用可能である.オナジマイマイを環境指標として応用しようとした例は世界でも全く無いに等しい。しかし,本研究により,異なる環境でもマイマイの殻重量及び全重量を用いて標準化すれば,その殻中の重金属濃度より環境中の濃度を推定することが可能となることが明らかとされた.

Table 1. Correlation coefficient between metal content in shells and metal added in diet (*=results eliminating the 4ppm diet group)

審査要旨 要旨を表示する

 重金属元素は微量ながらも地球表層の様々な環境に遍く存在し、地殻、海洋についてはそれは自然存在度として知られている。全ての生命はこの存在度を生命維持の基盤として進化、発展してきたと考えられる。産業革命以来、人間の生産力の肥大化が重金属のみならず、自然には存在しない物質までも地球表層に撒き散らす結果となり、予測できない種々の反作用、つまり環境問題となって人間の生活に跳ね返ってきている。様々の事例では環境汚染が人間に及ぶ前に連鎖の下位に位置する生物にまず異常が生じ、次第に上位に影響が及ぶ構図が浮かび上がっている。したがって環境問題の顕在化を予防する観点からは、食物連鎖の下位に位置する、すなわち汚染環境に直接生活の基盤を持つ生物を対象として異常をモニターするのが、環境問題の発生を未然に防止する上で効果的なアプローチと言えよう。

 本論文はこの観点から陸棲貝類に焦点を当て、陸上環境における重金属汚染の生物指標としての有効性を、貝の飼育実験と自然環境内にある貝について比較検討したものである。その内容は4つの章にまとめられている。第1章は本研究の目的を簡潔に示し、これに関した先行研究の到達点と問題点をまとめ、なぜ陸棲貝類が重金属汚染に関する環境問題の研究上、有望な研究対象であるかということ、およびこの研究全体の行くべき方向を明示している。また研究対象とした陸棲貝類の分類と、研究の焦点のひとつである石灰殻の形成過程に関する知見をまとめ、後の議論の基礎としている。

 第2章では室内飼育実験によって得られた知見をまとめている。陸棲貝類の安定した飼育は必ずしも容易ではなく、普遍的な飼育方法は存在しない。論文提出者はまず飼育方法の検討を行い、Bradybaena similaris、すなわちオナジマイマイが本研究に適していることを見出した。この陸棲貝はほぼ日本全体に分布しており、合成飼料による飼育にもよく適応する利点がある。合成飼料に0〜8ppmレベルの3種の重金属イオン、Cu,Zn,Cd,を混入し、稚貝から12週間この飼料によって飼育し体重を測定したのち解剖し、軟体部を肝膵臓、外套膜、その他の部分に分割、また石灰殻部分を切り離して、それぞれについて重金属濃度を測定した。その結果、Cuでは4ppm,Cdでは2ppmまでは飼料とマイマイの殻部分の金属濃度は互いに比例関係にあるが、Znでは明確な関係が認められない事が示された。またppmレベルであってもこれらの重金属はオナジマイマイの成長にストレスとなり、体重減少をもたらす事が明らかにされた。この減少は軟体部の縮小に起因し、石灰殻はむしろその重量が増加する傾向を示した。従来、陸棲貝類を生物モニターとして使用する場合、貝の年齢による変動を補正する必要があることが指摘されていたが、年齢推定の基礎とされた石灰殻の重さが加齢以外の要因によって、増減ことが明らかとなった。これらの事実を踏まえ、学位申請者は個体の全体重をパラメーターとして用いる補正法を提案し、実試料で有効性を確認した。

 第3章はオナジマイマイに取り込まれた重金属の存在状態に関する結果のまとめである。非破壊法による目的元素の存在状態の情報を得ることがこの種の研究で最善とされるが、学位申請者は最近さまざまな分野で重金属の存在状態研究に用いられてきたX線吸収微細構造(XAFS)法を飼育したオナジマイマイに適用し、Cu, Znについて考察した。軟体部においてはこれらの金属は体内の有機配位子と結合していると予想される。XAFS法では金属周りの元素間の電子情報が得られる。したがって結合に関与する有機物を特定できないまでもその有機配位子がS, O, Nのいずれを介してCu, Znと結合しているか、もしこれらのいずれとも結合しているのであればそれらの割合はどのくらいかを推定できる。これはXAFSのみでは不可能で、部分最小二乗法(PLS)を適用して初めて可能となった。Cuについての結果は、肝膵臓では80%がSと20%がOと結合した状態にあること、外套膜部やその他の部分では両者がほぼ等分に結合している事を示した。石灰殻ではほぼ全て酸素配位である事が明らかにされた。これらの情報は乾燥試料について得られたが、生の試料では存在状態が異なる可能性がある。解剖後の湿潤試料を用いて同様の分析を行った結果、肝膵臓、石灰殻では乾燥試料と同じ分布であったが、外套膜部およびその他の部位のCuは80%以上S配位である事がわかった。そして肝膵臓ではCuはメタルチオネインの形でS配位であるが、他の軟体部ではより動きやすい形のCu錯体が共存しており、さらに石灰殻では約50%のCuは有機物と結合している事が明らかとなった。ZnについてはXAFSスペクトルの質が詳しい解析に耐えなかったためCuほど明瞭な結論を引き出すにいたらなかったが、Cuとほぼ同じ存在状態にあると推定された。

 第4章はさまざまな野外環境に生息する陸棲貝類とその周りの食性植物および土壌中の重金属の相互関係を調査解析し、室内実験で得られた知見と総合して、オナジマイマイを生物指標として使う場合の指針を決定した。終章は研究全体のまとめと今後の展望を述べている。

 陸上環境の重金属汚染はフォールアウト、土壌等を直接モニターすることによって行われる場合が多い。これらの汚染は食物連鎖における生物濃縮により連鎖の頂点にある人間に大きな影響を与える。従来はほ乳類を対象として重金属汚染をモニターしていたが、汚染が見いだされるときには環境汚染が深く進行しているのである。この研究は食物連鎖の下位に位置するマイマイに焦点を当て、人工重金属汚染に対するこの動物のレスポンスと、従来の全金属分析による解析では不可能であった生身のマイマイ体内における重金属の存在状態をはじめて実験的に決定した。さらに実環境下にあるマイマイの環境へのレスポンスを調べ、結果を総合してどの重金属がこの動物を用いた場合モニタリングに有効であるかを初めて示した。これらの結果は生物による環境モニタリング研究への大きな貢献である。よって、本論文は博士(学術)の学位論文としてふさわしいものであると審査委員会は認め、合格と判定する。

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