学位論文要旨



No 116735
著者(漢字) 王,琄嬋
著者(英字)
著者(カナ) オウ,ヘンセン
標題(和) 寄主樹木の生物季節がモミジニタイケアブラムシの生態に与える影響
標題(洋) Effects of the host tree (Acer amoenum) phenology on the ecology of the maple aphid (Periphyllus californiensis)
報告番号 116735
報告番号 甲16735
学位授与日 2002.02.04
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第2342号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 古田,公人
 東京大学 教授 田付,貞洋
 東京大学 教授 鈴木,和夫
 東京大学 助教授 福田,健二
 東京大学 助教授 久保田,耕平
内容要旨 要旨を表示する

 モミジニタイケアブラムシ(Periphyllus californiensis)は1年を通してカエデ樹上に生活する。孵化は早春に始り、春と秋には単為生殖で数世代を経過するが、夏は越夏型1齢幼虫(夏型幼虫ともいう)の状態で5か月以上にわたって発育を停止して過す。晩秋、紅葉が終わる時期に有性世代が出現して卵が産下され、卵越冬する。こうした生活史上の特性を反映し、本種は春と秋の二山型の発生を示す。越冬卵から孵化したもの(幹母)と夏型幼虫が発育したものとは無翅胎生雌虫であるが、それらから生まれた個体からは有翅胎生雌虫が出現し、樹間を分散する。

 春、本種が主として寄生する樹上の部位は、最初は膨らみ始めた芽であるが、芽が開いて新梢が出現し、葉が展開するに伴い、伸長中の新梢の先端と展開中の新葉、花序へと変化する。また、早く芽を吹く日陰のカエデ樹上のモミジニタイケアブラムシは、遅れて芽を吹く日向のカエデ樹上のものよりも早期に増殖を開始する。同じように、秋には早く紅葉する日向のカエデ樹上のモミジニタイケアブラムシは、遅く紅葉する日陰の樹上のものよりも早期に増殖を開始する。このような、寄生の対象となる樹木個体あるいは部位の時間的変化は、寄主の生物季節の推移とそれに附随して変化する栄養条件の変化によって支配されていると考えられる。しかし、それがどのような機構によるものなのかは明らかではなかった。本研究はモミジニタイケアブラムシの卵の休眠と孵化を中心に、モミジニタイケアブラムシの生物季節が決定される機構を解析し、カエデの生物季節とそれに伴って変化する栄養条件がアブラムシの孵化後の発育、繁殖に与える影響を明らかにし、個体群動態における役割を考察したものである。

 研究は主として東京都西東京市に位置する東京大学附属演習林田無試験地の林内にある3本のオオモミジ成木、日当たりのよい苑地の4本のオオモミジ成木、日向と日陰のオオモミジの稚樹、ならびにそれらの樹上のモミジニタイケアブラムシを対象におこなった。

 研究にあたっては最初に卵期の生態を調査した。その結果、卵は内因性休眠をもち、休眠が終わるためには少なくとも35ないし41日間、低温にさらされる必要があることがわかった。また、卵の発育零点は4.58℃で、孵化に必要な積算温量は94.48日度であることが判明した。

 野外での孵化時期はきわめて不揃いで、1か月あるいはそれ以上にわたって続くことが観察されるが、多くの幼虫は芽が開く前に孵化する。また、幼虫は日当たり条件下よりも日陰で若干早く孵化するが、このことは卵が産下される時期と産下された直後の環境条件によって決まることが明らかになった。アブラムシの孵化とカエデの開芽の時期のずれの程度は場所と年によって異なり、両者の同調の程度は日向よりも日陰で、また調査した2年間では2000年よりも1999年の方が高かった。

 孵化と開芽の時期の同調がモミジニタイケアブラムシの発育と繁殖に与える影響を明らかにするため、日向と日陰の稚樹の50%開芽日とアブラムシの孵化日との関係をもとに、発育と繁殖を比較した。幹母1齢虫は11℃、16時間日長で水だけを与えれば1か月以上生存することができるが、幹母1齢虫の発育所要日数と死亡率は孵化と開芽の時期のずれが大きくなるにつれて増加した。しかし、2齢以後の発育所要日数、成虫サイズ、繁殖ポテンシャル、また幹母から生まれた仔世代の発育と繁殖には幹母の孵化と開芽の時期のずれの影響はみられなかった。

 2齢以後の幹母の発育と繁殖には食物、温度、寄主樹木の開芽の影響が認められた。幹母は日向でも日陰でも50%開芽日よりも平均6日はやく2齢になった。2齢以降のアブラムシの発育所要日数は積算温量によって決まっているが、開芽と2齢になる日との間の期間が短い場合は、幹母が発育を完了するために必要な温量は小さくなる。それに加え、開芽後の10日間に積算される温量が小さく、かつ幹母の仔虫が成虫となって羽化する時期と開芽が同調すれば、仔世代の繁殖力が高められる。こうしたことから、幹母の仔虫が成虫となって羽化する時期と開芽の同調は栄養価の高い食物の存在を意味すると考えられた。

 アブラムシの相対成長率は開芽期にもっとも高く、幹母の最大相対成長率は19℃、16時間日長で観察され、1日あたり体重1mgあたり0.442±0.029mg、次世代の仔虫は同じ条件下で0.706±0.087mgであった。気温は栄養を摂取できる期間に影響を与えることが明らかになった。気温が11℃から19℃に高まると、幹母の最大相対成長率の50%が実現される期間は29.0±8.22日から17.0±2.74日に短縮し、次世代仔虫では25.2±4.50日から12.4±3.58日になった。野外の日々の気温の変動はアブラムシの成長と栄養摂取可能期間を年ごとに異なったものとすると考えられる。

 以上のことから、幹母は飢餓に耐える能力をもつが、翅がなくて樹間の移動ができないため、開芽前あるいは芽が膨らみはじめる前に孵化することによってもっとも好適な食物の獲得が可能となることが判明した。概して開芽の時期の早い樹上では孵化との同調の程度が高く、したがってこうした樹上のアブラムシは高い生存率を持ち、繁殖力の高い仔虫を産み出すといえる。

 野外の成木上では、長枝を発生させる割合の高い枝に(開芽時に)飛来してくる有翅虫の個体数は、長枝の割合の低い枝よりも多く、有翅虫が産下する仔虫の密度は高くなる傾向がある。花序は窒素含有率が高く、アブラムシにとって葉よりも栄養条件が好適であり、花序から栄養を摂取した幼虫は葉から摂取したものよりも成虫時の体重は2.28倍大きく、産下した夏型幼虫数は2.71倍も多かった。花序のある新梢の葉は花序を人為的に除去した新梢の葉よりも栄養価が低い。また、栄養価の高い花序を多くつける木の葉は栄養価の低い花序をつける木よりも低い傾向があった。しかし、花序および葉について、日向と日陰の成木間の窒素含有率を比較した結果では、明らかな差は認められなかった。

 気温は寄主樹木の生物季節とアブラムシの発育と繁殖にも影響する。また、開芽の生物季節は好適な良質の食物を供給する期間だけではなく、幹母の生存率、幹母の子孫の世代の成長と繁殖に影響し、その年の最大発生量を決定する。本論文はこれまで寄主植物の生物季節との関連性に関する研究例が少なかった樹木寄生性アブラムシについて、寄主樹木の生物季節、食物条件、およびそれらを支配する要因としての気温がモミジニタイケアブラムシの発育と繁殖に重要な影響を与え、したがって個体群動態にも重要であることを明らかにしたものである。

審査要旨 要旨を表示する

 モミジニタイケアブラムシ(Periphyllus californiensis)は1年を通してカエデ樹上で生活する。孵化は早春まだ芽が膨らまない内から始り、春と秋には単為生殖で数世代を経過するが、夏は越夏型1齢幼虫(夏型幼虫ともいう)の状態で5か月以上にわたって発育を停止して過す。晩秋、紅葉が終わる時期に有性世代が出現して卵を産下し、卵で越冬する。越冬卵から孵化したもの(幹母)と夏型幼虫が発育したものとは無翅胎生雌虫であるが、それらから生まれた個体からは有翅胎生雌虫が出現する。

 春、本種が主として寄生する樹上の部位は、膨らみ始めた芽、伸長中の新梢の先端、展開中の新葉、花序であり、早く芽を吹く日陰のカエデ樹上のアブラムシは、遅れて芽を吹く日向のカエデ樹上のものよりも早期に増殖を開始する。同じように、秋には早く紅葉する日向のカエデ樹上のアブラムシは、遅く紅葉する日陰の樹上のものよりも早期に増殖を開始する。

 本研究は(1)モミジニタイケアブラムシの卵の休眠と孵化を中心にモミジニタイケアブラムシの生物季節が決定される機構を飼育実験によって解析し、(2)アブラムシの孵化とカエデの開芽の時期の同調がアブラムシの孵化後の発育、繁殖に与える影響を野外実験で明らかにし、(3)個体群動態における光、温度環境条件と生物季節の役割を考察したものである。研究は主として、東京都西東京市に位置する東京大学附属演習林田無試験地のオオモミジ成木および稚樹、ならびにそれらの樹上のモミジニタイケアブラムシを対象におこなった。

 卵期の生態については、休眠が終わるためには少なくとも35ないし41日間、低温にさらされる必要があることがわかった。また、卵の発育零点は4.58℃で、孵化に必要な積算温量は94.48日度である。野外での孵化時期はきわめて不揃いで、1か月あるいはそれ以上にわたり、また幼虫は日当たり条件下よりも日陰で若干早く孵化するが、これらのことは卵が産下される時期とその時の環境条件によって決まっていることが明らかになった。

 アブラムシの孵化とカエデの開芽の時期の同調の程度は場所と年によって異なり、同調の程度は日向よりも日陰で高かった。孵化と開芽の時期の同調がモミジニタイケアブラムシの発育と繁殖に与える影響を明らかにするため、日向と日陰の稚樹の50%開芽日とアブラムシの孵化日との関係をもとに、発育と繁殖を比較した。幹母1齢虫の発育所要日数と死亡率は孵化と開芽の時期のずれが大きくなるにつれて増加した。しかし、2齢以後の発育所要日数、成虫サイズ、繁殖ポテンシャル、また幹母から生まれた仔世代の発育と繁殖には幹母の孵化と開芽の時期のずれの影響はみられなかった。

 2齢以後の幹母の発育と繁殖には食物、温度、寄主(宿主)樹木の開芽の影響が認められた。幹母は日向でも日陰でも50%開芽日よりも平均6日はやく2齢になった。2齢以降のアブラムシの発育所要日数は積算温量によって決まるが、開芽と2齢になる日との間の間隔が短い場合は、幹母が発育を完了するために必要な温量は小さくなる。それに加え、開芽後の10日間に積算される温量が小さく、かつ幹母の仔虫が成虫となって羽化する時期と開芽が同調すれば、仔世代の繁殖力が高められた。

 アブラムシの相対成長率は開芽期にもっとも高く、幹母の最大相対成長率は19℃(16時間日長)で観察された値で、1日あたり体重1mgあたり自然対数に変換した値で0.442±0.029mg、次世代の仔虫は同じ条件下で0.706±0.087mgであった。気温が11℃から19℃に高まると、幹母の最大相対成長率の50%が実現される期間は29.0±8.22日から17.0±2.74日に短縮し、次世代仔虫では25.2±4.50日から12.4±3.58日になった。野外の日々の気温の変動はアブラムシの成長を年ごとに異なったものとすると考えられる。

 以上のことから、幹母は開芽前あるいは芽が膨らみはじめる前に孵化することによってもっとも好適な食物の獲得が可能となることが判明した。

 花序は窒素含有率が高く、アブラムシにとって葉よりも栄養条件が好適であり、花序から栄養を摂取した幼虫は葉から摂取したものよりも成虫時の体重は2.28倍大きく、産下した夏型幼虫数は2.71倍も多かった。しかし、花序のある新梢の葉は花序を人為的に除去した新梢の葉よりも栄養価が低い。また、栄養価の高い花序を多くつける木の葉は栄養価の低い花序をつける木よりも低い傾向があった。本種の発育と増殖にとって花序は重要な食物源である。

 以上、本論文は芽の伸長に先立って孵化するアブラムシについて、食物条件、寄主(宿主)樹木の生物季節、およびそれらを支配する要因としての気温が発育と繁殖に重要な影響を与え、したがって個体群動態にも重要であることを明らかにしたものである。学術上、応用上貢献するところが少なくない。よって、審査委員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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