学位論文要旨



No 116737
著者(漢字) 葉,信明
著者(英字)
著者(カナ) ヨウ,シンメイ
標題(和) 日本周辺海域における深海性底生魚類の群集構造、深度分帯および生物地理と環境要因との関連
標題(洋) Community structure, faunal zonation and biogeography of the deep-sea demersal fishes around Japan, and their relationships with environmental parameters
報告番号 116737
報告番号 甲16737
学位授与日 2002.02.18
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第4078号
研究科 理学系研究科
専攻 生物科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 太田,秀
 東京大学 教授 武田,正倫
 東京大学 教授 西田,睦
 東京大学 教授 西田,周平
 東京大学 助教授 小島,茂明
内容要旨 要旨を表示する

 地球の表面には4つの大きな環境勾配が存在する。1番大きな環境勾配は赤道地域の熱帯から極地の寒帯までの気候帯による勾配、2番目は潮間帯から海溝や大洋底までの深度による環境勾配、3番目は河口での淡水と海水混合域の塩分の変化による環境勾配、4番目は山岳の高度の上昇に伴う環境勾配である。地球表面の3分の2は大陸棚より深い地球上最大の深海生態系で、主に深度の変化に伴う環境勾配がある。水深の変化に伴う生物の傾向として種構成、種の多様性および現存量の変化がある。種の多様性は分類群によって2000mあるいは3000mでピークに達し、現存量は水深と共に指数関数的に減少する事が知られている。水深に伴う種構成の変化は深度分帯と呼ばれ、この要因を明らかにすることは深海生態学上最も困難で理解しにくいテーマのひとつである。また、このような環境勾配に伴う生物の種構成の変化を明らかにするのは群集生態学の主なテーマのひとつである。群集生態学のアプローチ方法としてobservational approachがあり、本研究では、深度に伴う群集構成の変化の記述以外に、群集構成の変化と環境要因との関連を検討してexperimental approachに利用できる仮説や予測を立てることを最終目標とした。

 対象生物として深海性底生魚類を選択した。深海性底生魚類は生物量、食物連鎖での地位およびほかの生物の群集構造に与える影響の3つの点で深海生態系において重要な役割を担う。生物量に関しては、地球上の多くの生物起源の炭素は海の食物連鎖系に含まれている。そのなかで、深海は地球最大の生態系である。深海生態系は主に底生と中層の2つの生態系に分けられ、生物量に関しては底生生物の生物量が中層生物の生物量よりも高い事が知られている。また、底生メガベントスの25〜70%が底生魚類の生物量であり、底生魚類以外の無脊椎メガベントスの生物量はマクロベントスやメイオベントスの生物量と同じレベルであり、ほとんどの生物量は底生魚類にある。次に食物網の中で底生魚類は高次捕食者として、中層生物を捕食したり、あるいは水平方向に移動したりしてエネルギーをほかの場所へ運ぶ役割をする。最後の重要な役割として底生魚類は捕食活動によって深海生物群集に攪乱を起こし、生物多様性を高める役割がある。

 本論文は2部の構成である。第1部は、本研究の最も基礎となる部分で群集構造の研究に必要な4つのサンプル性質−均一性、適切性、客観性と標準化および効率性についてトロールの深海性底生魚類と十脚甲殻類サンプルで検討した。また、最後に深海カメラとの採集の効率性を比較した。第2部は本研究の主なテーマで、第1部で得られたサンプルの信頼度を基準として、1)日本周辺にある北西太平洋海盆、四国海盆および日本海の大陸棚から大洋底、海溝に至るまでの深海性底生魚類の深度分帯を明らかにすること。2)深海性底生魚類群集の水平的関係、つまり生物地理区を明らかにすること。3)深海性底生魚類の群集構造を決定する環境要因を示唆することを目的とした。

 第1部第1章ではまず深海生物調査によく利用されてきたいくつかのデザインのビームトロール、およびその曳網方法による採集効率とサンプルの代表性を検定した。遠州灘沖の上部大陸斜面上の水深480mに定点を設け、2mのアガシー型ビームトロールと3m ORE型ビームトロールを異なる曳網速度で作業した時の深海性底生魚類および十脚甲殻類の採集効率を比較した。3m ORE型ビームトロールを1.5ノット、0.8ノットおよび2mアガシー型ビームトロールを1.5ノットで曳網し、分散分析、多重比較、クラスター解析および序列化で採集されたサンプル間の違いを比較した。最小有効サンプルサイズはランダマイゼーションで決定した。深海性底生魚類では、曳網速度よりも異なるタイプのビームトロールのほうがサンプルに与える影響が大きい。十脚甲殻類では、異なる曳網速度及び2種類のトロールで採集されたサンプル間に有意差は見られなかった。3m ORE型ビームトロールは曳網速度を1ノット以上にすると深海性底生魚類および十脚甲殻類も適切に採集できることが明らかになった。3m ORE型ビームトロールを1.5ノットで曳網して得られたサンプルは分散がもっとも少なく、群集構造の研究にもっとも適していた。深海性底生魚類では1回の曳網あるいは52個体以上のサンプルで群集の研究に適するサンプルが得られる。十脚甲殻類では、2回の曳網あるいは54個体以上のサンプルが必要であるが7回以上の曳網あるいは189個体以上のサンプルが望ましいことが明らかになった。

 第1部第2章では、過去20年間論議されてきたトロールと映像装置による比較調査でみられる深海性底生魚類の個体数密度(あるいは単位面積あたりの重量)の矛盾について検討した。映像装置による個体数密度(あるいは単位面積あたりの重量)の推定値はトロールによる推定値の3から10倍高い。この矛盾点は主に遊泳能力の高い深海性底生魚類あるいはエビ類のトロールによる採集効率が低いことが原因だと考えられていた。そのためトロールによる推定値は過小評価であると思われていた。近年Priede et al. (1991)によるベイトトラップを使った深海性底生魚類の個体数密度の推定値は北東大西洋および北東太平洋でおこなったトロールの推定値とよく一致し、個体数密度の推定値に新たな矛盾が生まれた。この章では映像装置とトロールの個体数密度の推定値が異なることを今までとは異なる観点で解釈した。2タイプのビームトロールから得られたデータとOhta (1983)の映像装置のデータを使いこの概念を説明した。この矛盾は映像装置が個体数密度を過大評価することに起因し、特に深海生物のように個体数密度が低いところでは調査面積が小さいほうの装置によって過大評価することがわかった。結論として、個体数密度あるいは単位面積あたりの重量を推定するときには調査対象群集内の各種の密度および異なるギアによる調査面積の差を考慮に入れる必要がある。そうでなければ同じ調査面積の装置同士で比較する必要があり、標準化を得ても解消されない。

 第2部の第3、4、5章では異なる海域における深海性底生魚類の群集構造が深度ともにいかに変化するか、また群集構造の変化と環境要因の関連性を多変量解析で分析した。生物データは、主に今まで海洋研究所で蓄積されたサンプルを用い、不足した海域や水深のサンプルを追加した。水温や塩分などの海洋観測データは日本海洋データセンターから得た。深度分帯や生物地理区はクラスター解析で類似度指数0.15を基準として各群集を分けた。類似度指数はサンプルサイズや多様性に影響されにくいMorisita-Horn indexでnon-combinatorial methodを使って連結した。群集組成が環境勾配に沿って変化する様子をdetrended correspondence analysisで解析し、どの環境要因が群集の変動パターンと一致するかはrandomization typeのspearman rhoの相関係数で関連付けた。

 三陸沖の大陸棚縁から海溝底まで深海性底生魚類のクラスター解析から、6深度分帯があることを示した。群集構造変化は深度のほかに温度や塩分と相関が高く、温度と塩分で異なる群集を分けることができた。温度と塩分は水塊分類の重要な指標である。すなわち、深海性底生魚類の群集構造は水塊と高い相関を示すことがわかった。また、深度分帯の境界は、三陸沖の水塊構造の境界ともよく一致する。三陸沖の深度分帯は1000m以浅では、北米東海岸の深度分帯とよく一致し、1000m以深では、北米西海岸とよく一致することがわかった。これは1000m以浅では北米東海岸に黒潮と同じく西岸海流のフロリダ海流が似たような水塊構造を形成し、北米西海岸では同じ起源の深海底層流があるため三陸沖の深度分帯とよく一致するためであり、水塊が深海底生魚類の群集構造を決定する重要な要素であることが示唆された。

 東海沖の大陸棚斜面における深海性底生魚類の群集構造の深度に伴う変化と環境要因との関連性を多変量解析で分析した。東海沖の大陸棚斜面では4深度分帯があった。この4深度分帯は三陸沖とは類似性がほとんどないが、同海盆内では高い類似性があった。また、分類群が異なると深度分帯がことなることを示した。

 日本海では深度に伴う深海性底生魚類の群集構造変化はなかった。日本海において深海性底生魚類の個体数密度は500m以深ではほとんど変化がなく、東海沖と同じであった。ところが多様性指数は東海沖より低く、深度に伴って急激に減少した。この減少はサンプルサイズの減少によるのではなく、日本海で種数が急激に減少することが原因であった。日本海の水深200mでの種多様性は東海沖の水深3000mでの種多様性より低い。多変量解析結果および近接海域との比較から日本海は非常に均一な群集構造を持っていた。また、日本海では1775m以深で深海性底生魚類が存在する証拠はなかった。

 深海性底生魚類の深度分帯を扱った研究は多いが深度分帯の水平的変化を扱った研究はまだ少ない。Menzies et al. (1973)以来の概念として、深度分帯は大陸棚斜面に沿ったリボン状の構造であると思われていた。第6章では日本周辺海域の深海性底生魚類の深度分帯および水平的変化を総合して考察した。その結果から、1)深海性底生魚類の群集は水塊構造と相関が高い、2)場所によって深度分帯の深さは変化した、3)大陸棚に近い深度分帯では季節ごとに境界が変化したことが提示された。すなわち、深度分帯の境界は線や面的概念ではなく、水塊構造のように動的な境界であり、深度分帯の幅も場所によって変化するという深度分帯概念の改良を提案した。

 以上の研究を通し、日本周辺海域の深海性底生魚類の群集構成と分布パターンを統計的に明示し、群集構成の変化に関連する環境要因として水塊構造との相関が予想以上に高いことも見つけた。この基礎的成果をふまえ、今後の深海性底生魚類の生態学的研究は底生魚類が深海生態系にいかなる役割を果たすかという実験検証的な問題に集中できるようになろう。

審査要旨 要旨を表示する

 北西太平洋に位置する日本の周辺海域は緯度的にも数千キロのスパンをもち、親潮、黒潮およびその混合域をもつことで浅海性海洋生物の分布パターン研究のよきモデルである。さらに、テクトニックにも海溝や背弧縁辺海、海嶺系をもち、大陸棚縁から大陸斜面、海溝軸を経て大洋底に至る大きな水深範囲と、多様な海洋環境を擁することで、深海性底生生物群集の深度的、地理学的分布と群集構造規定要因研究の恰好のモデルとなる。本研究は、一般に深海性メガベントスのなかで最大の生物量を占める底生性魚類群集を対象に、最も実用的な採集具であるビームトロールと現代的な統計法を駆使して深度分帯、生物地理および環境要因との関連を、2部構成延べ6章で述べている。

 第I部は本論文の基礎をなすサンプルの代表性を論じている。第1章でまず深海生物群集調査に頻用される2種のビームトロールとその曳網方法による採集効率とサンプルの客観性・代表性を実証に基づいて検定した。遠州灘沖大陸斜面上の定点で、異なるデザインの採集器具を異なる曳網速度で操業した時の深海底生魚類および十脚甲殻類の採集効率を比較した。分散分析、多重比較、クラスター解析、序列化等でサンプル間の違いを検定し、最小有効サンプルサイズをランダマイゼーションで決定した。その結果、3m間口のORE型ビームトロールの1.5ノット30分曳が1サンプリングユニットとして有効であることを明らかにした。第2章では、ビームトロールと写真映像による個体密度評価の矛盾を論議した。個体数密度の低い深海底生性魚類の密度や群集組成評価を目的とする場合は調査面積が重要であり、過去の写真による密度評価法はこの条件を充足し難いことを指摘した。

 本論である第II部は、深度勾配と緯度勾配にそって日本周辺の深海底生性魚類群集の分布を現代的な統計法で総観し、分布と群集構造の規定要因を探っている。研究所に蓄積するサンプルおよびその後の追加サンプルはこの基準を満たすもののみを選びサンプルの質を標準化した。第3、4、5章では三陸沖太平洋岸、四国海盆および日本海という異なる海域における深海性底生魚類の群集構造が深度ともにいかに変化するかを記述し、群集構造の変化と環境要因の関連性を多変量解析で分析している。

 三陸沖の大陸棚縁から海溝底まで深海底生魚類の多変量解析から6深度分帯の存在を示した。また、群集構造変化は深度のほかに水塊と高い相関を示した。東海沖を主とした四国海盆の多変量解析では水深2700mまでについて三陸沖とは群集組成を異にする4深度分帯の存在と、やはり深度・水塊構造との強い相関を示した。地形学上閉鎖的で固有の水塊をもつ日本海では前2海域とは対照的な様子が見られた。浅部では種数と多様性指数が深度に伴って急激に減少するが、その後深度に伴う群集構造や個体密度はほとんど変化しない。日本海に侵入できる種類は浅い海峡を通り抜け、しかも一般的な深海より低温な環境で成長できる少数の種類から構成され、深部では均一な水塊に対応した単純な群集組成をもっていた。また、現在のところ日本海海盆の1775m以深に底生魚類が存在する証拠はない。

 底生魚類の深度分帯の水平的変化を扱った研究は世界的に稀である。第6章では日本周辺海域の底生魚類群集の深度分帯およびその水平的変化を総合して考察した。その結果は、深度分帯の境界はかつて想定されていた線や面的概念ではなく、水塊構造のように動的な境界であり、その幅も海域や季節によって変化することを示唆し、深度分帯概念の改変を提案している。

 大陸棚縁から海溝底、大洋底と背弧海盆までという水深および海底地形学的なスペクトラムの広さ、かつて報告の希薄であった西部北太平洋の亜寒帯−温帯−亜熱帯域の2千kmにわたる水平地理学的スパン、厳密に標準化した高品質のサンプルセットといずれの面でも世界最大級のデータセットを用いた研究を通し、日本周辺海域の深海性底生魚類の巨視的な群集構成と分布パターンを現代的な統計的取扱いに基づいて総観し、貴重なベースラインスタディを提供した功績は大である。具体的な種個体群の生態学や生物学的側面からの裏付けの余地を含みながらも、群集構造変化を規定する環境要因として水塊構造との相関が予想以上に高いことを指摘した。さらに、いわゆる深海底生性魚類の昼夜移動を示唆したり、分子遺伝学的研究等の別アプローチからの研究課題を提供するなど興味ある将来の問題の核を内包していることからも高く評価できる。

 なお、本論文第I部および第II部はいずれも太田 秀との共同研究であるが、論文提出者が主体となって分析および検証を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

 したがって、博士(理学)の学位を授与できると認める。

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