学位論文要旨



No 116738
著者(漢字) 矢澤,知行
著者(英字)
著者(カナ) ヤザワ,トモユキ
標題(和) モンゴル時代の兵站政策に関する研究 : 大元ウルスを中心として
標題(洋)
報告番号 116738
報告番号 甲16738
学位授与日 2002.02.20
学位種別 課程博士
学位種類 博士(文学)
学位記番号 博人社第345号
研究科 人文社会系研究科
専攻 アジア文化研究専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 小松,久男
 東京大学 教授 岸本,美緒
 東京大学 教授 蔀,勇造
 大阪国際大学 教授 松田,孝一
 大阪外国語大学 助教授 堤,一昭
内容要旨 要旨を表示する

 「モンゴル時代の兵站政策に関する研究 −大元ウルスを中心として−」矢澤 知行

 中央ユーラシアに興り,史上空前絶後の領域を確保して,遊牧騎馬民族国家の頂点の地位を占めたモンゴル・ウルス。その世界史的な意義はきわめて大きい。本稿では,モンゴルに発現した"ウルス"の特質の解明を大きなテーマとして掲げ,大元ウルスを中心として,フレグ・ウルスも視野に入れつつ,兵站政策という切り口からこのテーマを論じた。

 まず,モンゴル・ウルスと直接間接にかかわる歴史上の諸国家について,その軍制や兵站政策の変遷を概観し,そこにみられる普遍性や特殊性を素描することから始めた。それにより,大元ウルスが登場する以前の歴史において,遊牧民,農耕民,商業民らが持つさまざまな政治や社会の要素は複雑に絡み合いながら展開してきた点などを指摘した。

 次に,『元朝秘史』および『集史』に散見されるモンゴル時代初期のイェケ・モンゴル・ウルスにおける兵站陣営アウルクについて考察し,アウルクが時代の経過とともに規模を拡大させ,内部の組織化を進めたことや,輜重陣営としてだけでなく,「家族に付随する集団」という意味で認識されるケースがでてきたことなどを解明した。

 さらに,アウルクが,漢地において兵站組織=奥魯に,さらに兵站制度=奥魯制に展開していく過程とその背景にある諸事実との関連をを描き出した。アウルクは,モンゴル軍のみならず漢軍にも適用され,軍戸制や社制とも連動しながら漢地の人民を総動員する役割を果たし,その結果,南宋の攻略はようやく実現するに至った。

 平宋後,大量に吸収した新附軍人をいかに配置するかという問題が顕在化した。そこで積極的に施行されたのが屯田制であった。大元ウルスの屯田制は,中国歴朝と比較して大規模かつ広範囲に施行されたといわれるが,統計をまじえて考察した結果,初期の対南宋戦のための軍屯よりも,平宋後に新附軍人を配置した社会政策的な意味を持つ屯田のほうが主であることを確認した。また,大元ウルスにおいて最大の規模を誇った河南江北行省所轄の屯田と,侍衛親軍に属する枢密院所轄の屯田について,それぞれの実態を精査し,軍民異属の原則が厳格に適用されていたことなどを明らかにした。なお,奥魯制と屯田制がどのように連繋しながら機能したのかという点についても,河南江北の諸軍団を例にとって考察し,モンゴル政権が南宋作戦から平宋にかけて,奥魯と屯田による二つの兵站政策を状況に応じて使い分けながら中国支配の基盤を形成したことを指摘した。

 また,大元ウルスにおけるこれらの兵站政策が,フレグ・ウルスの場合と比較してどのような性格を持っていたかを検証し,両者の農耕地域における兵站政策が共通している面の少なくないことを指摘した。

 最後に,大元ウルスの軍人の社会的位置づけをさまざまな角度から検証した上で,当時の軍制の特質である軍民異属の制に関して,中国やユーラシア諸国家との比較の視点から論じ,それは従来の兵民分離の政策を戸や人身のレヴェルまで徹底させて軍人の供給とその兵站基盤を確保する合理的な施策であったことを明らかにした。

審査要旨 要旨を表示する

 矢澤知行氏の論文「モンゴル時代の兵站政策に関する研究−大元ウルスを中心として」は、中央ユーラシアに巨大な帝国を築いたモンゴル・ウルスの特質を解明するために、この帝国を支えた軍事力の問題、とりわけその兵站政策を大元ウルスを事例として総合的に検証することを目的としている。論文は、問題の所在を示し、研究史の整理と史料の提示を行う序論、モンゴル以前の中華諸王朝および西アジアのイスラーム諸王朝における兵站政策を通観する第1章、モンゴル初期の兵站(アウルク)を確認する第2章に続き、大元ウルスにおける兵站政策の展開を南宋攻略の過程に即して実証的に検討し、かつ兵站の問題を軍戸制や社制、屯田、軍民異属の制度などの社会経済システムとの関連において幅広く検討した第3−6章の本論部分、大元ウルスと西アジアに成立したフレグ・ウルスとの兵站政策の比較を行う第7章、そして大元ウルスの軍人を中心に今後の研究の見通しを示した第8章、以上のあわせて9章から構成されている。

 大元ウルス、いわゆる元朝の軍事制度については、これまで数多くの研究が、『元史』や『元典章』『通制条格』などの漢文史料とラシードゥッディーンの『集史』などのペルシア語史料に基づいて積み重ねられてきた。しかし、これらの研究の多くは、アウルク、奥魯、屯田、社制、軍戸制などの個別のテーマの中に閉ざされる傾向が強かった。これにたいして、本論文は、本来遊牧のモンゴルが中華の定住民地域を征服、統合してゆく過程で兵站のシステムをどのように編成していったのか、という動態的な観点から、先行研究を批判的に読み直し、前述の問題を総合的にとらえようとした労作である。とくに、奥魯制の展開を歴史的にあとづけたことや、クビライによる河南江北の大規模な屯田政策は対南宋戦の軍糧補給のみならず、旧南宋軍や流民にたいする社会救済的な役割も担ったことを明らかにした点は、高く評価される。また、大元ウルスの兵站政策を歴代の中華王朝のそれとの比較で考察しようとする姿勢や、西アジアのフレグ・ウルスのイクター制度との比較を試みている点は、著者の幅広い問題関心を示すとともに、今後の研究の展開を大いに期待させるものである。

 一方、本論文の中で提示された漢文およびペルシア語史料の読みや表記については少なからず誤りが認められる。これらは行論を妨げるものではないが、すみやかな修正が求められる。また、より緻密な分析や合理的な解釈が求められる箇所も散見される。しかし、本論文は、その総合性と開拓性において従来の研究水準を明らかに超えるものであり、博士(文学)の学位を授与するに十分値する博士論文であると判断する。

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