学位論文要旨



No 116740
著者(漢字) 田中,慶太
著者(英字)
著者(カナ) タナカ,ケイタ
標題(和) 光重合性組織表面被覆ゲルの胸部大動脈手術における応用に関する研究
標題(洋)
報告番号 116740
報告番号 甲16740
学位授与日 2002.02.20
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第1874号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 重松,宏
 東京大学 助教授 森田,明夫
 東京大学 講師 柴田,政廣
 東京大学 講師 宮田,哲郎
 東京大学 講師 吉村,浩太郎
内容要旨 要旨を表示する

(緒言)心臓血管外科手術成績は近年安定してきたが,胸部大動脈手術,とりわけ急性大動脈解離の手術成績はいまだ不良である.内膜亀裂部を含む大動脈を切除し人工血管に置換することを基本術式とするが,吻合すべき大動脈断端壁は非常に脆弱であり針穴から容易に出血し,また解離腔への血流が残存する.このため術中および術直後には出血の制御が困難となり易く,遠隔期には残存解離腔の瘤化の問題を残すことになる.断端を補強する手段について工夫がなされてきた.最近は,生体接着剤であるGRF glueを使用して解離した大動脈壁を接着,補強する方法が汎用されている.しかし,この接着剤は重合剤としてformalinを用いるため,その組織毒性が問題となることと,完全に乾燥した組織上ではないとその効果が減弱するという欠点がある.そこで,新しく開発された光重合性組織表面被覆ゲル(photopolymerized synthetic hydrogel sealant, PSHS;商品名AdvaSeal)に着目した.呼吸器外科領域におけるair leakageの防止を目的として開発されたPSHSは,生体適合性のある物質のみで構成されており,かつ湿潤な組織上でも使用可能であるとされている.本研究は,PSHSが血管外科領域に使用可能であるか,胸部大動脈手術に応用可能であるかを検討すべく,1.GRF glueと比較した接着力あるいは止血力,2.急性大動脈解離モデルによる解離腔血栓化の能力,3.血管に使用した場合の安全性,を明らかにすることを目的とする.(対象と方法)1.基礎的動物実験iイヌ総頚動脈を用いた,PSHSとGRF glueの止血効果の検討,およびイヌ腹部大動脈を用いた人工血管吻合部へのPSHS適用の安全性についての検討.雑種成犬6頭を使用した.頚部正中切開にて両側総頚動脈を露出.左総頚動脈を3cmのgraftとして採取.右総頚動脈を切断してgraftをinterposeした.一時遮断を解除してoozing typeの出血があることを確認した上で,再遮断し吻合部の止血に3頭はPSHSを,残り3頭にはGRF glueを使用して止血状態を観察した.次に後腹膜アプローチにて腎動脈下腹部大動脈を露出し,大動脈を切断して2頭ずつ3種類の人工血管(GELSOFT, Hemashield, Gore-Tex)をinterposeした.一時遮断を解除してoozing typeの出血があることを確認した上で,再遮断し吻合部の止血にPSHSを使用して止血状態を観察した.6頭とも術後1ヶ月に,頚部の血管造影を行った後犠牲死させ,右総頚動脈および腎動脈下腹部大動脈を標本として摘出し組織学的検討を行った.iiイヌ急性大動脈解離モデルを用いた,PSHSによる解離腔断端形成の効果の検討.雑種成犬15頭を使用した.一時バイパス下に胸部下行大動脈にBlantonの方法(Surgery 1959; 45:81-90)によりre-entryを有する急性大動脈解離モデルを作成した.モデル作成にあたり,左大腿動脈圧と術中超音波検査を用いた.15頭のモデルを3群に分けた.すなわち,A:未治療群(n=5)は,何ら治療せずに閉創した.止血状態の観察はモデル作成直後の状態で行った.B:PSHS治療群(n=7)は,モデル作成後大動脈を再開放し,断端をPSHSで接着,補強して閉鎖し直し,止血状態を観察した.C:縫合治療群(n=3)は,モデル作成後大動脈を再開放し,断端を縫合し閉鎖し直し,止血状態を観察した.15頭とも術後2週間目に犠牲死させ,下行大動脈を標本として採取し組織学的検討を行った.なおB群のうち3頭では両側の腎臓も摘出し,塞栓症がないか否かも検討した.iiiイヌ大動脈解離モデルPSHS治療群の慢性期の検討.雑種成犬8頭を用いて,第ii項のB群と同様の処置を行い生存させた.3, 6, 9, 12ヶ月後に各2頭を犠牲死させ,下行大動脈を標本として採取し組織学的検討を行った.2.臨床応用 基礎的動物実験の結果を踏まえ,東京大学大学院医学系研究科医学部倫理審査委員会の承認を得た上で,PSHSを臨床応用した.1999年1月29日から1999年3月31日に,東京大学医学部心臓外科にて施行した待期的胸部大動脈人工血管置換術例9例を対象とした.PSHS使用に起因すると考えられる合併症の有無を血液検査より検討した.PSHSは各吻合部の止血を目的に使用した.(結果)1.基礎的動物実験i-1.PSHS群,GRF glue群とも,追加縫合や圧迫止血を要さず全例塗布後完全に止血された.血管造影では,PSHS群の3頭6吻合部に狭窄を認めなかったが,GRF glue群では,1頭で完全閉塞し残り4吻合部に狭窄を認めた.PSHS群では血管内腔に異常所見を認めなかったが,GRF glue群では3吻合部に血栓の付着を認め塗布部の内膜面は黒褐色に変色していた.PSHS群では中膜が良く保たれていたが,GRF glue群は中膜弾性繊維の断裂や平低化を認めた.i-2.Gore-Tex群は塗布後でもoozing typeの出血があり数分間の圧迫止血を要したが,GELSOFT, Hemashield両群は完全に止血された.いずれも吻合部に血栓の付着,色調の変化を認めなかった.人工血管の繊維には著明な変化なく,組織学的な特記事項はなかった.ii.A群では全例2〜3針の追加縫合を要する噴出性出血を認めた.B群では1例にoozing typeの出血を認めたが他は完全に止血された.C群では全例漏出性出血を認め2〜3針の追加縫合を要した.A群では解離腔が全例で開存していた.B群では解離腔はentryからre-entryまで完全に血栓閉塞していた.C群でも解離腔は血栓閉塞していたが,内腔と解離腔に交通があったと思われる血栓による連続性があった.A群の解離腔内には血栓を認めず,過形成性新生内膜で覆われていた.B群の中膜は良く保たれていた.壊死,感染,巨細胞浸潤を認めなかった.B群の腎臓に塞栓症による梗塞を認めなかった.iii.12ヶ月後においてもPSHSは残存していた.解離腔内の血栓はいずれも繊維化が進行し,解離腔が狭小となり薄くなっていた.2.臨床応用吻合終了後血流再開前にPSHSを塗布したが,各吻合に対し,3〜4回のlight照射を要した.入院死亡が1例で,右室梗塞によるLOS, MOFであった.他8例について,術後の血液検査からみた炎症反応,腎機能,肝機能について,PSHSに起因すると考えられる異常を認めなかった.(考察)本研究で使用した大動脈解離モデルは,基礎疾患を有さない点,著しい瘤化をきたさない点,あるいは外膜破裂がほとんどみられない点で,臨床的な大動脈解離とは異なるが,血行動態的には臨床例に充分近似し得るモデルである.生体接着剤の具備すべき条件はいくつかあるが,照らし合わせると,現在汎用されているGRF glue, Fibrin glueは決して満足できるものではない.本研究の動物実験で得られた結果から,GRF glueは血管中膜弾性繊維に影響を与えるため,血管の弾性が失われ吻合部の狭窄ないし閉塞をきたすものと考えられる.Formalinの毒性であると思われる.PSHSにはこのような作用はなかった.止血効果についてもGRF glueと比較して充分であった.解離腔の血栓閉塞は解離の自然治癒過程であると考えられるが,大動脈解離モデルによる解離腔閉鎖効果についてもPSHSは充分であった.単純に断端を縫合閉鎖した群も解離腔は血栓閉塞していたが,内腔と解離腔に血栓による連続性を認め,臨床で用いるような太い糸で縫合した場合針穴からの血流が多くなり解離腔が開存していた可能性があると推察できる.慢性期の観察においても大動脈解離の治癒過程を阻害していなかった.PSHSも異物である以上フラグメント化したPSHSによる塞栓症を惹起する可能性は否定できないが,本研究では腎臓に梗塞を認めなかった.臨床応用では,PSHSに起因すると思われる血液検査上の異常を認めなかった.(結語)PSHSは心臓血管外科領域において充分に臨床応用可能であると思われる.今後研究を進めることにより,胸部大動脈手術,特に急性大動脈解離の手術成績向上に寄与し得るものと考える.

審査要旨 要旨を表示する

 本研究は,新しい生体接着剤である光重合性組織表面被覆ゲル(PSHS)の血管外科領域での有用性を示し,特に胸部大動脈手術に応用すべく,イヌ大動脈と総頚動脈を使用した動物実験,および臨床応用を行い,下記の結果を得ている.

1.PSHSと,現在大動脈手術において汎用されているGRF glueを用いて,イヌ総頚動脈吻合部の止血力を比較し,血管造影と組織学的検討を行った.その結果,PSHSはGRF glueと同等以上の止血力を示した.GRF glue使用群は血管中膜の弾性繊維の断裂あるいは平低化をきたしたが,PSHS群にはそのような変化を認めなかった.GRF glue群では,1頭で完全閉塞をきたし残り4吻合部すべてに狭窄を認めたのに対し,PSHS群にはまったく吻合部狭窄を認めなかった.この血管造影上の所見は,PSHSおよびGRF glueの血管中膜に及ぼす影響から説明しうると考えられた.すなわち,PSHSはGRF glueと比較して血管中膜に対して安全性が高いことが示された.

2.イヌ腹部大動脈に3種の人工血管(GELSOFT, Hemashield, Gore-Tex)を移植して,各吻合部の止血を目的として,PSHSを使用した.その結果,Gore-Tex群では若干止血力が弱い傾向が認められたものの,組織学的検討から,各人工血管の繊維に著明な変化を認めず,人工血管との吻合部にも使用可能であることが示された.

3.イヌ急性大動脈解離モデルに対する解離腔段端形成に,PSHSを使用した場合の効果について慢性実験を行った.未治療群では解離腔が開存したままであったのに対して,PSHS群では全例血栓閉塞していた.また,段端を縫合補強した群も血栓閉塞していたが,内腔と解離腔の間に交通があったと推測される血栓による連続性があった.以上より,PSHSが段端形成効果に優れていることが示された.

4.待期的胸部大動脈人工血管置換術9例に対し臨床応用を行った.術後PSHS使用に起因すると思われる血液検査上の異常を認めなかった.

以上,本論文はPSHSの止血効果,安全性が優れていることを明らかにした.本研究は胸部大動脈手術の成績向上に寄与するものと考えられ,学位の授与に値するものと考えられる.

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