No | 116752 | |
著者(漢字) | 長谷川,敦士 | |
著者(英字) | ||
著者(カナ) | ハセガワ,アツシ | |
標題(和) | 人工社会における流行の発生 | |
標題(洋) | The Emergence of Trends in a Society of Artificial Agents | |
報告番号 | 116752 | |
報告番号 | 甲16752 | |
学位授与日 | 2002.03.08 | |
学位種別 | 課程博士 | |
学位種類 | 博士(学術) | |
学位記番号 | 博総合第347号 | |
研究科 | ||
専攻 | ||
論文審査委員 | ||
内容要旨 | 近年,社会的に不況や個性の多様化が叫ばれているなか,それとは対照的に宇多田ヒカルのCDや「だんご3兄弟」などが,メガヒットと呼ばれる記録的な売れ行きを示している.こういった流行現象は,従来のマスメディアによる広告ではなく,ロコミと呼ばれる個人対個人の情報伝達によって発生している.ロコミによる流行の発生現象は,社会学の分野で強く注目されており,数多くの社会調査による研究も行われている.しかし,従来の統計的な調査による研究では,多様な個人の相互作用の結果である,ロコミによる流行の発生を研究するには限界が存在する. このような困難に対して現在,社会現象に対して人工社会研究と呼ばれる新しい研究アプローチが生まれている.人工社会研究は,社会における個々人を模したエージェントと呼ばれる意思決定主体プログラムに振舞いを既定するルールを与え,このエージェントをコンピュータプログラム上の環境のなかで各々独自に相互作用させ,その全体としての現象を観察するものである.ここで個々の相互作用において規定されていない現象が,系全体として新たに発生することを「創発(Emergence)」と呼ぶ. この人工社会研究によって,利己的な多数の主体による社会で発生する現象を構成論的に調べることができる.このため,ロコミによる流行の発生のような現象を調べるために,人工社会研究は有効である. 本論文では,流行現象を人工社会アプローチで解明するための試みとして,エージェントが物々交換を行う環境を構築した.そして,系においてエージェントが局所的な相互作用を行うことによって,どのように商品や情報が伝搬するかを調べた.系にはN種の商品とエージェントが存在し,エージェントはそれぞれ商品を生産,消費することができる.またエージェントは消費したいと考える商品を欲求し,またいずれの商品も保持することができる. この系において,エージェントが単純な物々交換を行った場合には,エージェント同士の欲求と保持とが一致せず,エージェントは交換を行うことは困難となる.そこで,エージェントに過去の交換活動において,他のエージェントが欲していた商品を人気が高い商品と考えて自分も受け入れるルールを導入する.この結果,エージェントは物々交換を行うことができるようになった. このとき,エージェント同士の情報伝達の能力として,エージェント同士の1体1のものと,マスメディアのように他の複数のエージェントへ同時に伝達するもの(ハブエージェント)とを定義した.この伝播方法を表1のように変えて実験を行い,エージェントの持つ相互作用の能力と,その能力が系へ及ぼす影響を調べた. モデル1においてエージェントの人気の評価は複数の商品へ分散して観察され,モデル2においてはエージェントの人気の評価は特定の1種類の商品へ集中する結果となった.図1に系の中でもっとも人気が高かった商品が,実際には何人のエージェントが最も人気が高いと考えていたかを示す. このモデル2における人気の評価の集中は,系において流行が発生したと考えることができる.またこのとき,系におけるエージェントの物々交換の成立数と,エージェントが欲求していた商品を消費できた量は,人気が集中したモデル2においてモデル1を下回るものとなった(図2). モデル1とモデル2のふるまいの違いを調べるために,エージェントの相互作用によってどのように情報が伝達されるかを分析した.この結果,系において一般的に複数のエージェントが特定の商品を欲求している場合,エージェントの人気の評価はそれらの商品へ集まりやすいことが示された.また,モデル1においては,複数の商品にエージェントの人気が分散する結果となった. モデル2の分析の結果,エージェント同士の人気の評価の伝達が,個々のエージェントが独自に評価を行う行為に比べて影響力が大きいことが示された.この結果,エージェント間の情報伝達によって,系の中での局所的な人気の評価が系全体に伝達され,単一の商品へエージェント全体の人気の評価が集中することが示された. モデル2において,系における商品の流行は次々と異なる商品を対象として移り変わる(図3).この現象は,以下の2つの要因が理由となっていることが示された.1)系においてはエージェントは欲求が解消されると,異なった商品を欲求する.2)各エージェントの人気の評価は正規化されており,これによって過去の人気の評価は圧縮される.これによって,エージェントの流行は変化していくが,系全体としてみた場合,交換の成立数,消費の回数はほぼ一定の水準をたもつ結果となった. モデル1とモデル2を比較するとき,モデル1においては複数の商品が交換の媒体として用いられることになる.これに対してモデル2においては,単一の商品が交換の媒体として用いられる.この結果モデル1はモデル2よりも円滑に物々交換活動が行われることになり,モデル1のほうが交換成立数及び消費回数においてモデル2を上回ることが示された. モデル3では,モデル1,モデル2の場合において1人のハブエージェントが存在する場合について実験を行った.この結果,モデル1にハブエージェントが存在する場合,複数の商品に人気が分散しながらも,各々の商品の人気はモデル1に比べて高くなった.またモデル2にハブエージェントが存在する場合,エージェントの人気の評価はより集中する結果となった.ここでモデル1にハブエージェントが存在する場合においても,エージェントの人気の評価が単一の商品へ集中しなかったのは,ハブエージェントの他のエージェントに及ぼす影響の割合によると考えられる.また,モデル3においてはモデル1,モデル2に比べて系における交換,消費の回数はそれぞれ減少した.これは,モデル1とモデル2の比較で示された系における交換の媒体の絶対量が原因であることが示された.ハブエージェントが複数存在する系についての研究は今後の課題である. 以上の議論から,エージェント間のロコミのような局所的相互作用から,系全体の流行現象が発生する現象についての説明がなされた.また,実際の流行現象の発生において,個々人の情報伝達がマスメディアのような一体多の情報伝達に比べて重要な役割を果たすことがあるという示唆が得られた. 表1 エージェントの情報伝達能力 図1 系において最も人気が高い商品を,最も人気が高いと考えているエージェントの数. 縦軸はエージェント数,横軸は系における交換活動の回数(ターン数)を示す.左がモデル1,右がモデル2の場合.それぞれエージェント数50,人気の閾値2.0. 図2 系全体での交換の成立数(TRADE)とエージェントが欲求する商品を消費できた回数(CONSUMPTION). 縦軸は交換,消費の回数,横軸は交換活動の回数(ターン数).左がモデル1,右がモデル2の場合.それぞれエージェント数50,人気の閾値2.0. 図3 商品毎のその商品を最も人気が高いと考えているエージェントの数(モデル2). 縦軸はエージェント数,横軸は系における交換活動の回数(ターン数),項目軸は商品の種類を示す.エージェント数50.人気の閾値2.0.ターン数200〜299. | |
審査要旨 | 昨今のインターネットの普及により,従来の個人間の情報伝達(ロコミ)の延長とも言えるPeer to Peer (P2P)技術によるコミュニケーション形態が普及してきている.P2P技術は電子オークションなどの商取引にも用いられるようになっており,マスメディアが存在しない状況に相当するP2P環境においても,ネット上の売買などで流行現象のような大局的な社会現象が発生するかどうかを検討することは,個人間の情報伝達の観点から興味深い.そこで本論文では,エージェントベースのコンピュータシミュレーションによって,インターネット上のP2P環境で取引が行われる人工社会モデルを構築し,個々のエージェントの行動や意思決定が系の全体的な現象に与える影響を分析した. 第一章では,本論文で取り扱うP2P,人工社会研究といった研究の背景に触れた上で,本論文の研究ターゲットを提示している. 第二章では,流行現象やP2P,人工社会に関する先行研究について述べた上で,シミュレーション実験によって明らかにすべき課題を明確にしている.特に,P2P環境での流行現象を考える上で,情報の伝達,コネクターの存在,「慣れ親しみ」の信頼の3つがキーとなることを述べている. 第三章では,本論文で解明する具体的な問題とその方法を示している.具体的には,安冨(2000)の物々交換活動モデルをもとに生産,消費,交換を行う基本経済活動モデル(人工社会モデル)を構築し,この系で1)情報伝達の有無,2)コネクターの存在,3)参加者が慣れ親しみの信頼に基づいた行動を行った場合,の各々が流行発生へ及ぼす影響について検証を行うという研究方針を提示している. 第四章では,実際にシミュレーション実験に使われたモデルの詳細を記述している.モデルは第三章の研究の方針に従って4つに分けて定義された.まず,基本モデル(モデル1)として,エージェントが物々交換を行う際に,単に欲する商品以外に,系の中で流行っていると自分が予想する商品も交換の対象とするような物々交換モデルを立てた.そしてこのモデル1に,第三章で述べた各要素を付加した3つのモデルを順次立てている.すなわち,系内の人気の予想評価に関する情報の伝達をエージェントが行うモデル(モデル2),この情報伝達を一度に大量のエージェントに対して行うコネクターを導入したモデル(モデル3),エージェント同士が「慣れ親しみ」の信頼によって結び付きを変えるようなモデル(モデル4)の3つである. 第五章では,モデル1のシミュレーション結果を示している.エージェントは人気の高い商品を交換媒体として物々交換を行うことが可能となったが,このとき系の中では複数の商品に人気が分散する状態が発生し,ある特定の商品への人気の集中,すなわち流行は見られなかった. 第六章では,モデル2のシミュレーション結果を示している.ここでは系の中で特定の商品にエージェントの人気が集中する現象の発生が報告されている.この人気の集中は社会学的な流行の特徴をある程度満たしており,この人工社会における流行だと解釈できる.すなわち,ロコミしか存在しないような系でも,流行のような社会的な現象が発生し得ることが示唆されている. 第七章では,モデル3のシミュレーション結果を示している.エージェントが情報伝達を行わないモデル1にコネクターを加えた場合,モデル2と同様な流行が見られることが示された.一方,エージェントが情報伝達を行うモデル2にコネクターを加えた場合,流行が発生するものの,発生から崩壊までの期間がモデル2よりも短くなることが示された.これは,実際の企業の広報戦略で商品価値や人気を持続させたい場合,コネクターに相当するマスメディアを用いた広告を意図的に行わないことに当たると考えられる.つまりロコミの情報伝達が十分に行われている場合,マスメディアによる情報伝播を用いないことで流行が持続し得ることが示唆されている. 第八章では,モデル4のシミュレーション結果を示している.ここでは,慣れ親しみの信頼によって取引を行う組み合わせが固定化し,系の中で流行が長期間維持されることが示された.この流行の持続期間の頻度分析を調べたところ,この頻度分布は−1のべき分布になっていた.つまり,過去の取引履歴を参照して相互作用を行うような系が,再帰的な構造を持つ系に特徴的な振舞いを示し,かつ,このような再帰的構造の出現に「慣れ親しみ」の信頼が関係していることが示された.さらに,多くのエージェントから信頼を受けるエージェントが自発的なコネクターの役目を担っていること,またモデル4の結果がオークションサイトにおける個人認証の有無による取引の増減と対比して議論できること,を示している. 第九章では,以上の結果について先行研究との比較を行い,特にモデル3およびモデル4の結果が,従来の人工社会研究や社会学研究で得られていない知見を提供するものであることを述べている.その上で,実際の社会現象を理解する上での示唆をまとめている.最後の第十章では結論を示している. 以上に記した通り,本論文は十分な独創性を有しており,既存の社会学や心理学の枠組だけでは把握しにくかった,流行というグローバルな社会現象と個人の意思決定や情報伝播との関連の理解に対して,人工社会アプローチが有効なことを示した点で,大きな貢献をするものと考えられる.特に,モデル4において,「慣れ親しみ」の信頼の導入による再帰構造の出現,コネクターの自発的な発生,および現実のP2P環境における現象との対比は,エコノ・フィジックスの観点からも興味深いデータを提供していると言える. したがって本論文が,人工社会研究において独創性を有し,大きな貢献をもたらすものであると判断し,博士(学術)の学位を授与するにふさわしいものと審査委員会は認定する. | |
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