学位論文要旨



No 116754
著者(漢字) 鄭,恵仲
著者(英字)
著者(カナ) チョン,ヘジュン
標題(和) 清末における山西票号の投資活動に関する研究
標題(洋)
報告番号 116754
報告番号 甲16754
学位授与日 2002.03.11
学位種別 課程博士
学位種類 博士(文学)
学位記番号 博人社第347号
研究科 人文社会系研究科
専攻 アジア文化研究専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 濱下,武志
 東京大学 教授 岸本,美緒
 東京大学 助教授 黒田,明伸
 東京大学 教授 並木,頼寿
 東京大学 助教授 安富,歩
内容要旨 要旨を表示する

 本稿は、商人と国家・流通・伝統商人の経営に関する問題に焦点を当て、山西票号という中国清末の送金ネットワークの投資活動に関する研究である。

 第1章は、山西票号の発展の過程及び山西票号に関する従来の研究に関して時代順に従って検討した。た。研究動向の最も大きな特徴とは、1990年以後の歴史研究の多様化により票号の研究でも商品流通における役割が強調されたということであるだろう。

 第2章は、山西票号と山西商人及び清朝政府の関係に対して検討し、以下の二つの点を明らかにした。

 第一は、山西票号の活動の特徴は、山西商人としての役割を果したことであった。伝統商人の代表として山西票号は、最初の段階から山西商人のネットワークに基づき、為替送金のネットワークを拡大することができた。この過程は伝統商人が清末時期にどのように変化していくことを説明する山西商人の最大の特徴である。

 第2は、清朝の同治・光緒年間における為替禁止論議を通して、票号が清朝との関係を説明した。山西票号に関する従来の研究で、山西票号が清朝のために行った公金送金の取扱いとそれに関する清朝政府との関係のみが評価され、山西票号が清朝政府の公金送金機関であるというイメージが強かった。しかし、清朝政府との関係が単なる公金の為替送金機関としての関係だけではなく、清朝政府と常に官吏等と葛藤関係にあった事を考察した。

 そのために清朝政府からの為替送金をめぐる官吏等の意見を通して、公金の為替送金量から把握する山西票号と清朝との関係のみならず、清朝政府の複雑な貨幣問題を中心として清朝と山西票号の関係を説明した。

 商業決済のために山西票号の為替送金は、1840年の後半からは社会的に公認され、また1862年には清朝政府の公金を票号が為替送金で担当するようになる。京・協餉から洋務運動資金の送金に至るまでの山西票号の業務発展が、実際、清朝政府財政上の困難な問題を解決した。社会経済的には金融問題、つまり為替送金の問題は、特に複雑な単位で計算されていた中国の地域間の複雑な問題を簡単に解決することによって、外国から輸で計算されていた中国の地域間の複雑な問題を簡単に解決することによって、外国から輸入された品物、また国内から輸出される商品の決済によりいっそう便宜がはかれた。しかし、清朝政府の官吏は、このような輸出入の事を考えずに、実銀の数が少ないという観点で、山西票号為替送金に対して反対する為替禁止論を出している。1860年代以後、40年官にわたり票号の為替に対する政府の論争が続き、山西票号の為替禁止措置が実施されるようになるが、実際には票号が政府の送金担当を続けた。

 山西票号をめぐる清政府官吏らの葛藤は、山西票号の活動期の全般において常に潜んでいた問題であり、今までの研究のように山西票号は清朝の密着関係ではなかったといえよう。

 第3章では、山西票号の商品流通上の役割を解明する手係として、大豆をめぐる中国国内・国外流通の問題をとりあげ、各地域における流通・決済・金融の問題を探り、票号との関わりについて考察した。

 大豆貿易が盛んになった時期は、1895年の日清戦争後、日本の大豆需要が存在したからであった。この時期は、山西票号の発展からみても、国内における為替量が盛期を迎える時期でもあり、山西票号は営口においては大豆貿易に従事する商業に対する投資活動を行った。また厦門などでは山西票号資本が直接に流通過程で活動するようになった。

 しかし、20世紀初頭は、票号は新式銀行の活動などで、複雑な問題に直面する段階であり、各地域の経済が困難な状況であった。1905年以後になると票号の組織とその営業の範囲が縮小され、天津のような票号の発達地域においても、票号の役割は為替取組みにおいて縮小していた。金融経済の問題だけではなく、経済その商品に関する危機も伴って、票号の活動は一層衰退の道をたどるようになる。

 このような地域的な差は、票号の支店経営の変化ばかりでなく、各地域社会の変化も伴い、地域金融が変化していくことを意味する。つまり、票号の活動及び金融機構の役割が、最初の段階では、商品流通をリードしたのに反して、その金融機構が地域社会に深くかかわりをもつことにより、地域金融機構は、各地域の特色により変わって行くことになった。

 第4章では、山西票号のなかで票号営業を最初にはじめた日昇昌票号を中心として、経営問題に関して考察した。資料として東京大学東洋文化研究所に保管されている日昇昌票号の1905・6年の広東・桂林・重慶などの総結帳分析から次のように説明することができる。

 支店システムには支店によってやや違う経営方式をみせている。上海支店のような巨大金融地域は山西票号と個人の関係より銭荘・外国銀行と取引が多く、漢口・重慶のような集散地は商人との取引が目立つ。しかし、個人はより広い範囲の支店において票号と関係することになる。支店における為替送金は、当該地域の商品流通を表しながら、遠距離より近距離の経営を中心として活動する為替送金、また、政府・個人の為替送金のような遠距離送金と区分できる。商品流通が多かった揚子江流域において、漢口・長沙・重慶支店と、背後地としての西安・沙市を含み、商品流通に果すより活発な役割によって近距離取引が多くなった。

 同じ流通関係は、広東・梧州・桂林支店の関係にも見られる。支店経営は、支店の相互関係が重要な営業でありながらも、広東の特殊な位置から最も遠距離取引が多かった地域があるように 支店経営は各々の地域の商品流通において他地域との関係を持っている。

 以上の山西票号の活動は官と商の重層性と地域経済の重層性を表す。山西票号は立替などで清朝の窮乏財政を埋めたことから、清朝政府の利益と一致するところがあった。しかし、清朝は絶えず幣制問題の解決を求め、中央銀行などの政策を立てる際には、商人である票号との利益は相反する関係となった。

 このような立場から取られた清朝政府の措置から、山西票号は営業の中心を政府に置くことには不安なところがあった。一方では、営業の面で政府の資金を強く求めながら、他方では商業活動、投資活動による利益を求めることが最も重要なことであった。清朝と票号のこのような重層的な関係により、清朝政府と票号と関係が一つに規定されたり、また票号の商業部分においては商業企業として把握されたりもするようになった。

 官と商の重層的な関係は空間的にも広がり、地域経済における官・商の関係及び地域経済の流動性とからみあい、より複雑なかたちをみせるのである。地方レベルにおいては、政府間においても中央財政と地方財政は、経済的に省別の分立傾向が強くなる政治的な動き、経済的には輸出入商品の増加による都市経済の成長で、地域経済はより膨大なものとなった。

 清末経済社会における官・商の重層性は、特に自営業が国営企業よりその比率が大幅に増加する今の中国社会にも似て、次第に時代に重要な問題となってきた。国家のレベルでも、各省から経済的な自治や権利を求められることになり、そのなかで各々省の経済差をどのように調節するかがなによりも重要な課題となった。そのなかで、商人の動きは利益のみを求めるが、現在の中国でもみられるように、商人の富あるいは省レベルの富を如何にして中央財政に入れるかをめぐって、関連する中央国家・地方財政・商人の葛藤は絶えず続けられた。商人には利益創出のための自己変身が常に求められるものであって、経済の流れに敏感に適応することが求められる。山西商人が山西票号として活動したことは、このように伝統商人が道光年間における経済環境に敏感に適応して成功した事例である。

審査要旨 要旨を表示する

 本稿は、20世紀前後における山西商人の投資活動に関する研究であり、なかでも山西票号という金融機関による全国規模の送金ネットワークを追跡するために、膨大な経営帳簿の整理・分析に本格的に取り組んだ力作である。山西商人は、明代には華北地方を中心に活躍し、清代には皇商として呼ばれるほど清政府と深い関わりをもつようになった。また清末には山西商人の活動は、山西票号として、商品流通のネットワーク、官金の為替送金のネットワークを形成して、近代中国の経済社会の中で重要な役割を果たしてきたことを明らかにした。そして、このような金融仲介機関の役割から、その後の中国における銀行成立の特徴を展望する。具体的事例として、票号業務を創業した日昇昌票号の帳簿を分析し、日昇昌票号はもと山西省平遙県の西裕成顔料店であるが、重慶からの顔料材料である銅録購入のために、多くの現金を漢口経由で運んだことを明らかにし、商人・地域市場・金融業相互間の関係を明らかにした。今後の課題として、帳簿分析を通した経営分析が、地域間決済関係を論ずるのに十分であるか、また、他の票号との取引関係のなかの地域別の分業や相互依存関係はどのようなものか、などの点が存在する。しかし、このテーマは、新たな資料の発掘の下に、稿を改めて検討すべきであり、本論文において明らかにされた山西票号の投資・経営に関する議論をいささかもそこなうものではないと考える。本委員会は、上記のような画期的な成果をあげていることに鑑み、本論文が博士(文学)の学位に十分に相当するものであると判断する。

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