学位論文要旨



No 116755
著者(漢字) 勝田,俊輔
著者(英字)
著者(カナ) カツタ,シュンスケ
標題(和) 「ロッカイト運動」19世紀前半のマンスター農村における経済・騒擾・統治
標題(洋)
報告番号 116755
報告番号 甲16755
学位授与日 2002.03.11
学位種別 課程博士
学位種類 博士(文学)
学位記番号 博人社第348号
研究科 人文社会系研究科
専攻 欧米系文化研究専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 近藤,和彦
 東京大学 教授 木村,靖二
 東京大学 教授 深沢,克己
 東京大学 教授 草光,俊雄
 東京大学 教授 森,建資
内容要旨 要旨を表示する

 本論文は、三つの対象を扱う。第一は、19世紀前半のアイルランド農村の社会経済的な姿であり(第1章)、第二は、1820年代の前半にアイルランドの南部で発生した大規模な農村騒擾である「ロッカイト運動」であり(第2章)、第三は、19世紀初めの約30年間における、ブリテンによるアイルランド農村の統治の基本的なパターンである(第3章)。

 第1章の中心をなす議論は、19世紀前半のアイルランド農業は、全体として市場向け生産を拡大し、そのうちとくに穀作のしめる比重が増えたことが、大量の農村貧民を生み出し、同時に農村騒擾を頻発させることとなった、とするものである。

 第2章では、ロッカイト運動の具体的な様相を追う。この運動はアイルランド南西部のリムリック州に見られたいくつかの地域的な対立を発端としているが、その背後には、ダブリンの政治結社が地下組織を浸透させていた事実があった。そのため、ロッカイト運動は急速に各地に拡大し、活発な騒擾を引き起こす。最も激しい騒擾が発生したのは、リムリック州とコーク州であり、とくにコーク州においては、白昼に数千人の農民が軍隊と正面から交戦する事態が発生している。こうした動きが鎮圧された後にも、宣誓にもとづく秘密結社による地下組織を発達させ、前例のない激しさにおいて放火を頻発し、蜂起を実現するために集金して武器を製造していた。同時に、単なる農村騒擾とは異なり、社会変革を志向する政治観念をも持つにいたっていたのである。

 第3章では、ロッカイト運動に代表される、アイルランドの農村騒擾と、そして深刻化しつつあった農村の貧困に対する国家の対応を検討する。19世紀のアイルランドは連合王国の一部であったが、世紀最初の30年間に政権の座にあったトーリーの騒擾に対する基本的な姿勢は、力で鎮圧することにあった。このため、19世紀初めのアイルランドでは、警察の導入に示されるように、国家の強制力と監視は格段に強化されることとなる。この一方で、貧困に対しては、解決するための何ら実効ある措置は導入されなかった。それは、当時の支配的な思想であったポリティカル・エコノミーにおいて、貧富の差は根本的には解消され得ない、と考えられたからであると同時に、「過度の」貧困のもたらす害悪の解決は、モラルの領域に求められるべきである、と考えられたからである。

審査要旨 要旨を表示する

 この論文は19世紀前半のアイルランド農村における社会運動を対象として、豊富な史料に分け入り、独自の議論を展開した意欲的な論考である。アイルランド農村には騒擾の伝統が存続していたが、1801年の連合王国形成後、とりわけ1820年代に宗教性・政治性を色濃くおびたロッカイト運動が高揚した。本論文では、とくにアイルランド南西部マンスターに焦点を絞り、大量の史料を分析してその性格を論じ、同時にこの時代のアイルランド統治をになった政府のあり方を明らかにしようとする。

 序章は「問題設定・研究史・史料」と題され、農村騒擾およびホワイトボーイズムをめぐる研究史をふまえて、従来の社会経済還元論をこえるところに問題を設定する。史料はアイルランド、ロンドン、そして合衆国の諸機関を踏査したもので、量的に圧倒的であるが、また依拠する歴史的証言の信頼性についても慎重な留保が加えられる。第1章は「19世紀前半のアイルランド農村社会」と題され、この時代の農業、1820年代の経済危機と騒擾ないし社会運動の高揚との関連を慎重に考察する。第2章は「ロッカイトの乱」と題され、この論文のもっとも充実した本体をなすが、ロッカイトの言動の実際とその政治的・宗教的特徴、そして千年王国主義的期待と1790年代から連続する革命的要素を解析する。第3章「農村騒擾とアイルランド統治」は、ダブリンの総督府・主席政務官を介した統治・司法機構、そしてアイルランド問題の解決をめぐる政治経済学およびモラル改革にかかわる政策論議をあつかう。終章「結論と展望」では、18世紀史から19世紀史への長期的展望のなかで問題をとらえ直している。

 この論文の長所としては、膨大な史料の踏査、その史料群と取り組みつつ、自分の頭で考え、アイルランド史を再構築しようとする情熱、しかも独自の分析が農村の社会運動にとどまらず、統治者側の議論、この時代のトーリ党論にまで及んでいること、などが挙げられる。勝田の既発表の研究論文・ノートは少なくないが、本論文はそれらの集積ではなく、オリジナルで緊密な構成をとる一つの仕事として提出されている。欠点を挙げるなら、圧倒的な史料の重さに引きずられて、とりわけ第2章は長大で議論が見えにくくなっている。またホワイトボーイ、ロッカイト、リボンマン、ピーラといったアイルランド近代史特有の用語は、語源と用法を丁寧に説明しながら使うべきであろう。文体の生硬な箇所も無いではない。このように留保すべき点はいくつかあり、不満も残る。膨大な史料と格闘したことがそのまま論文に痕跡を残しているが、これは若さの証といえるかも知れない。とはいえ、本論文が着実にして野心的な探求により学界に貢献する画期的な仕事であることは明らかである。

 以上により、審査委員会は一致して、本論文が博士(文学)の学位に値するとの結論に達した。

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