学位論文要旨



No 116759
著者(漢字) 難波,俊雄
著者(英字)
著者(カナ) ナンバ,トシオ
標題(和) 双極子磁石とX線検出器を利用した天体からのアクシオン探索実験
標題(洋) Experimental search for celestial axions utilizing a dipole magnet and X-ray detectors
報告番号 116759
報告番号 甲16759
学位授与日 2002.03.11
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第4081号
研究科 理学系研究科
専攻 物理学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 満田,和久
 東京大学 教授 初田,哲男
 東京大学 教授 福島,正己
 東京大学 助教授 手嶋,政廣
 東京大学 助教授 金行,健治
内容要旨 要旨を表示する

 アクシオンは、量子色力学における「強いCP問題」を解決するために考え出された「アクシオン模型」に付随して生じる擬南部ゴールドストンボソンである。アクシオンの存在が予言されて以来、さまざまな実験が行われてきたがいまだに発見されていない。そのため、アクシオンが仮に存在しても、その物質との相互作用は非常に弱いと考えられるようになった。そして、地上でアクシオンを生成し検出する実験方法ではアクシオンの存在を確認することは非常に困難だと考えられている。

 アクシオンの結合は非常に弱いが、光子や核子と結合を持つ。また、アクシオンの模型によってはレプトンとも結合を持つ。このため、高エネルギー天体現象は非常に良いアクシオンの放出源になると考えられている。例えば、太陽から放出されるアクシオンの地上における流束は、〓程度になると考えられている。ここで、gaγγはアクシオンと光子との結合定数である。また、その平均エネルギーは太陽の核の温度を反映して4keV程度である。

 われわれは、太陽からのアクシオンを検出する目的で「アクシオンヘリオスコープ」と呼ばれる検出器を開発し、これまでにアクシオンと光子との相互作用に対して制限をつけてきた。しかしながら、アクシオンを放出している天体は太陽だけではない。例えば、中性子星などのコンパクト天体は太陽光度の103-4倍程度のアクシオンを放出している可能性がある。本論文は、このアクシオンヘリオスコープを「アクシオンテレスコープ」として使用し、太陽以外の天体を観測した結果について述べたものである。アクシオンテレスコープの写真を図1に掲載する。

 アクシオンを検出するために、われわれの検出器はアクシオンと光子との結合を利用する。具体的には、アクシオンの進行方向に垂直に磁場をかける事により逆プリマコフ効果(図2)を生じさせ、アクシオンをそれと同じエネルギーのX線に変換する。そして、生じたX線を検出する事によりアクシオンの存在を確認する。したがって、アクシオンテレスコープは大きく分けて三つの部分から成る。

・4T×2mの超伝導磁石

 この磁石はGifford-McMahon冷凍機2台によって直冷されており、液体ヘリウムなどの冷媒は一切必要としない。また、永久電流スイッチを操作することにより、励磁後は電流ケーブルを外して使用することができる。この磁石の開口部がアクシオンの変換領域になっており、そのサイズは92×20×2300mm3である。

・架台

 アクシオンを変換するための磁場は、アクシオンの進行方向に対して垂直な成分しか有効ではない。このため、われわれは2mの磁石とX線検出器の入った主筒を天体の方向に向けなくてはならない。われわれの検出器では、コンピューター制御の2台のACサーボモーターによって主筒を水平方向にはほぼ360°、上下方向には±28°の範囲で動かす事ができる。

・X線検出器

 X線検出器には、11×11×t0.5mm3のサイズのシリコンのPINフォトダイオードを16枚組み合わせたものを用いている。この検出器は、天然の放射性元素からのバックグラウンドを抑えるために素材を選び、10cmの厚さの鉛の遮蔽の中に入っている。また、振動によるノイズを防止するために固定/データ取得方法にも工夫がされている。

 このアクシオンテレスコープを用いて、われわれはほぼ20日間にわたり天体からのアクシオン観測を行った。観測は次の2種類に大別される。

1.天球面のスキャン

テレスコープを真南に固定し、天球の動きにまかせてスキャンを行った。この測定では、天球上の各点での測定の積分時間は約60秒となる。そして、10日間にわたり1日に一度テレスコープの仰角を変化させることにより、天球上の約10%の領域を観測した。

2.天体追尾測定

銀河中心、さそり座X-1、帆座X-1およびかに星雲に対して各2日間の追尾測定を行った。測定に際しては、約6時間または12時間ごとに追尾測定とバックグラウンド測定を交互に行い、それぞれの差をとった。測定対象を追尾したため、この測定の積分時間は非常に長く、58000秒から80000秒程度である。

また、観測中はほぼ5日に1度X線検出器の安定性を試験している。

 これらの測定の結果、アクシオンの飛来を確認できる信号は見つからなかった。しかしながら、この測定によって天体から飛来するアクシオンの地上での流束に対して制限をつけることができる。

 まず、1.の天球面のスキャンに対しては、観測されたイベントがすべてアクシオンによるものであると仮定し、解析を行った。その結果、質量が0.03eVよりも軽いアクシオンに対してその地上での流束は4-20keVの範囲で〓以下であるという制限が得られた(95%C.L.)。なお、この制限が得られた銀河座標での領域を図3に示しておく。

 一方、2.の天体追尾測定によって、スキャンよりも2桁ほど良い制限を対象天体からのアクシオン流束に対してつける事ができた。また、追尾対象のうち、帆座X-1とかに星雲に対しては中性子星の核からの制動放射を、さそり座X-1に対しては降着円盤からの黒体輻射を仮定する事により、それらの天体のアクシオン光度に対して制限をつける事ができた。制限されたアクシオン光度領域を図4に示す。ここで、L〓は太陽光度であり、L〓=3.85×1033erg/sである。

 残念ながら、このような莫大なアクシオン光度を予言している天体およびアクシオンの模型は存在しない。したがって、この測定ではアクシオンの性質に対して制限をつけることはできない。

 しかしながら、この測定は各天体からのアクシオン放射に対するほぼ唯一の直接的な検証である。今まで天体からのアクシオン放射に対する実験的制限は、中性子星の表面温度からアクシオン放出による冷却を見積もったり、星間磁場によって変換されたX/γ線の検出によるもののみであった。これらの制限のうち、前者は中性子星の個性や中性子星の内部モデルに非常に依存し、また、観測例も少ない。一方、後者は変換に長い距離を必要とするため、質量が10-9eV以下の非常に軽いアクシオンに対してしか制限を与えることができない。以上のような理由で、われわれの実験は各天体からのアクシオン放射に対して直接的制限を与えた最初の実験であると言える。また、スキャン測定においては、全天の10%もの領域に対して制限を与えているため、今後何らかの天体モデルが提案される際に重要な拘束条件となりうる。

図1:アクシオンテレスコープ

図2:アクシオンを光子に変換

図3:天球面スキャンによって制限をつけられた領域。

色の付いた部分が制限された領域である。

図4:さそり座X-1(Sco)、帆座X-1(Vela)及びかに星雲(Crab)のアクシオン光度に対する制限。

(横軸はアクシオンの質量。各天体に対して線の上側を制限)

審査要旨 要旨を表示する

アクシオンは量子色力学における強いCP問題を解決するために提唱された「アクシオン模型」に附随して生じる擬南部ゴールドストーンボゾンである。これまでの実験ではアクシオンは発見されいない。このことからアクシオンは存在したとしても相互作用は非常に弱いと考えられている。しかし、アクシオンは弱いとはいえ光子や核子、あるいはモデルによってはレプトンともとの結合を持つ。このため、高温高密度の天体現象からは強いアクシオンの放射が期待できる。これまで、天体からのアクシオン放射を検出する試みは、最も近傍のアクシオン天体候補である太陽についてのみ行われてきた。本学位論文は、"アクシオン望遠鏡"によって太陽以外の天体からのアクシオン放射を検出しようという史上初めての試みである。

論文は12章からなり、第1章は問題定義、第2章からから第4章は、それぞれ、アクシオンモデルと質量/相互作用パラメータへの制限についのレビュー、天体からのアクシオン放射の予測、その観測の現状が述べられている。第5章で本論文で用いられたアクシオン望遠鏡の検出原理と検出感度が議論され、続く第6章から第8章においてアクシオン望遠鏡の詳細が述べられている。

アクシオン望遠鏡はアクシオンをプリマコフ過程によってX線光子に変換する超伝導電磁石とその冷却系、変換されたX線を検出するシリコンPIN X線検出器、望遠鏡を天体に向ける方向制御系からなる。論文提出者は、研究グループの一人としてこの望遠鏡システムの構築を行ったが、特に、X線検出器部分は論文提出者が主体となって開発を行った部分で特に大きな寄与がある。本章ではX線検出器の設計、検出効率や有効面積などの校正実験について詳しく述べられている。また、本論文の観測ではアクシオン望遠鏡は約20日間にわたって連続運転されいるが、これを実現するためには機械式冷凍機による超伝導電磁石の冷却が必要であった。論文提出者は、機械式冷凍機が発生する機械的な振動の影響をX線検出器が受けないようにするために、機械的取り付け方法とデータ処理に特別な工夫を行っている。第7章では、そのX線検出器の、観測期間中のX線応答と検出効率のモニターの方法とその結果得られたと安定性について詳しい議論を行っている。第8章は、アクシオン望遠鏡のバックグラウンドのカウントレートの見積もりと、その起源について、実験的な検証と議論を行っている。バックグラウンドのカウントレートを見積もるための最良の実験データは超伝導電磁石の磁場を0にしたデータである。しかし、このような実験パラメータの変化によりバックグラウンドの計数率も変化する可能性を否定することができない。そこで、以下の、観測結果の解釈においては磁場0のデータに基づくバックグラウンド差し引きを行った場合と、これを行わず全体をアクシオン放射強度の上限とする二通りの結果を示している。

観測は約20日間にわったて連続的に行われた。第9章では、この間に行われた全天の約10%の領域をカバーするスキャン観測と、銀河中心方向、さそり座X-1、帆座X-1、かに星雲方向のポインティング観測とその結果について詳細が述べられている。第10章では、観測結果からアクシオン放射の上限を求め、その結果に基づいた議論を行っている。

第11章は、以上の結果から将来への展望を議論し、第12章で全体のまとめを行っている。

本論文で得られたアクシオン放射強度の上限値は、標準的なアクシオンの相互作用定数を仮定して得られる各天体からのアクシオン放射強度の予想値にくらべると残念ながら何桁も高い。しかし、本論文の結果は、史上初めてアクシオン放射強度の上限を観測的に与え、それが標準的なアクシオンモデルと矛盾しないことを示している。本望遠鏡で観測できるような予想もしない明るいアクシオン天体が存在しなかったことは残念ではあるが、将来の新しい観測的天文学、すなわちアクシオン天文学可能性への第一歩として、本論文は十分に意義の大きなものである。

以上の理由から、本研究内容とその結果は博士(理学)の学位に相応しいものである。

なお、本論文の研究は、蓑輪真、井上慶純、森山茂栄、高須ゆう子、堀内貴史、山本明との共同研究であるが、論文提出者は実験装置の重要部分の開発を担当し、また本論文の主題となった観測を主体となって遂行し、解析および議論を行った。したがって論文提出者の寄与が十分であると判断する。

したがって、本論文提出者に博士(理学)の学位を授与できると認める。

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