学位論文要旨



No 116760
著者(漢字) 川野元,聡
著者(英字)
著者(カナ) カワノモト,サトシ
標題(和) 星間物質中のリチウム同位体比を使った銀河進化の観測的研究
標題(洋) An observational study of the Galactic chemical evolution with lithium isotopic ratio in the interstellar medium
報告番号 116760
報告番号 甲16760
学位授与日 2002.03.11
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第4082号
研究科 理学系研究科
専攻 天文学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 尾中,敬
 東京大学 教授 野本,憲一
 東京大学 教授 柴橋,博資
 東京大学 助教授 田中,培生
 国立天文台 教授 家,正則
内容要旨 要旨を表示する

ビッグバン宇宙論によると,重水素(2D)・ヘリウム3(3He)・ヘリウム4(4He)・リチウム7(7Li)といった軽元素は,ある程度の量が宇宙初期の元素合成で作られたと考えられている.そして,理論計算からは,軽元素の生成量は宇宙の密度パラメータΩb(またはバリオン−フォトン比η)の関数として与えられる.それゆえ,観測から宇宙初期の軽元素の組成を決めることができれば,宇宙論と宇宙の密度パラメータに対して強い制限をかけられる.

 近年までは,観測される軽元素の組成はある一つの密度パラメータで無矛盾に説明できていた(Smith et al., 1993).しかし最近の観測,特に銀河間ガスの観測からは,これまでより低い重水素組成が得られている(Burles & Tytler 1998a, 1998b, Kirkman et al. 2000, O'Meara et al. 2001).この低い重水素組成から決まる宇宙の密度は,これまでに得られていた他の軽元素組成から求めた密度とかなり違っており,特にリチウムから求められた宇宙密度とは観測の誤差範囲内で共通部分を持たない.従来のリチウムの初期組成は,金属量の少ない種族IIの恒星のうち,有効温度が5600K以上の星の表面組成から決められている.このリチウム組成が重水素組成の新しい観測と矛盾しないためには,リチウム組成の観測値が真の初期組成の十分の一に減少しているという仮定が必要になる.このような大きな減少は,観測的にも理論的にも説明が困難であり,今までの方法とは独立にリチウム組成を決める方法が求められている.

 ところで,リチウムの安定同位体には質量数6と7の二種類がある.ビッグバン元素合成で作られるのはほとんどが質量数7のリチウムであり,質量数6のリチウムはわずかしか合成されない.現在観測される質量数6のリチウムは,大部分が銀河進化の過程で星間物質と宇宙線との核反応で作られたと考えられている.もちろん星間物質中では質量数7のリチウムも作られるのだが,リチウムの同位体の組成比は時間とともに変化していくと考えられる.銀河の化学進化の度合によって組成比が変化するので,もし銀河系内で銀河中心からの距離によって化学進化の進み方が違うなら,リチウムの組成比を様々な場所で測定すれば,理論の助けを借りるにせよ,元素組成の時間変化やその初期値を再現することが可能であると考えられる.ここにリチウム同位体比の観測の意義がある.

 さらに,リチウム同位体比の観測には,電離状態などの影響を避けられるという利点がある.一般に電離度の不定性による誤差が元素組成の決定にはつきものだが,同位体比を使うことで電離等の効果を相殺することができる.

 これまでにリチウム同位体比の観測はいくつかなされているが(Ferlet & Dennefeld 1984; Lemoine et al. 1993, 1995; Meyer et al. 1993; and Knauth et al. 2000),いずれも太陽近傍の観測である.そこで今回,観測の範囲を延ばすべく,距離1kpcかそれ以上と考えられる(Humphreys, 1978)χ2-Ori, HD169454, HD250290の3星を背景光源としてリチウム同位体比の観測を行なった.そしてその結果からリチウムの初期組成を推定した.

観測とデータ整約・データ解析について

今回使ったリチウムの吸収線は,7Liでは波長6707.761Aと6707.912Aの2本,6Liでは7Liに対して0.160Aだけ長波長側にずれた2本,といったとても近接した線である.また,過去の観測から,星間物質によるリチウムの吸収は等価幅で数mAと非常に弱いことが予想され,観測には高波長分解能と高S/N比が不可欠である.速度成分の解析のために,リチウムとは別にカリウムの吸収線も観測した.カリウムの吸収線はダブレットではあるがその間隔は十分に広く,速度成分を分解するのに都合が良い.

 以下に大まかな観測諸元をまとめる.

対象名  光度  積分時間(s) 波長分解能 S/N比 χ2-Ori 4.65 156600 〜 40000 〜2000 HD169454 6.65 4560 〜100000 〜1800 HD250290 7.41 6300 〜100000 〜1500

χ2-Oriは岡山天体物理観測所で,HD169454とHD250290はすばる望遠鏡で,それぞれ観測された.

 データの整約はIRAF(Image Reduction and Analysis Facility)を使い,標準的なエシェル分光データ整約手順に則って進めた.

 1次元化したデータに対して,Simulated Annealing法(SA法)で吸収線のフィットを行なった.SA法はある汎関数で定められるパラメータ空間内の曲面上で,最小値を探す際に用いられる一般的な手法であり,局所的最小値に落ち込みにくいという特徴を持つ.解析時にはまずカリウムの吸収線を使って速度成分を分離し,必要に応じてその速度を拘束条件としてリチウムの吸収線のフィットを行ない,最終的なリチウム同位体比を決定した.その結果はχ2-Oriでは3.1+2.2-1.0, HD169454では7.85+1.84-1.29, HD250290では6.5±2であった.

結果とその解釈・まとめ

得られた結果を銀河中心からの距離とともにまとめる.

対象名  銀河中心からの距離(kpc) 7Li/6Li比 χ2-Ori 10.0 3.1+2.2-1.0 HD169454 6.8 7.85+1.84-1.29 HD250290 10.3 6.5±2

吸収を起こしている星間雲までの距離は不明だが,太陽系からの距離が1kpcをこえるような背景星をつかったこの種の観測は今回が初めてである.

 また,今回の結果と過去の観測とを使って,銀河進化モデル計算により宇宙初期のリチウム組成を求めた.リチウムの起源としては次に挙げる,(1)ビッグバン元素合成,(2)宇宙線と星間物質との核反応,(3)タイプII超新星,(4)AGB星,(5)新星,の5種類を採り入れている.さまざまな初期パラメータについてモデル計算を行ない,観測値を最も良く説明する初期値を探した。宇宙年齢から考えられる銀河ディスクの年齢を11Gyrとすると,その結果は12+log(Li/H)〜2.2が最も確からしい値となった.

 今回の結果は,リチウム同位体比の観測が,宇宙初期のリチウム組成を求めるための有力な手法となり得ることを示すものである.宇宙初期のリチウム組成は,宇宙の密度パラメータΩbを強く拘束するものであるため,今回の結果は宇宙モデルの決定にも寄与するものである.

審査要旨 要旨を表示する

本論文は、銀河系星間空間中の7Liと6Liの同位体比の銀河中心からの距離による大局的な分布を観測的に初めて明らかにし、銀河化学進化モデルとの比較から、宇宙初期の元素合成で作られた7Liの上限値を従来にない新しい方法で求め、宇宙の密度パラメータへの制限を明らかにした研究である。

第1章は、宇宙初期の元素合成で作られた軽元素、特に重水素量、あるいは宇宙背景放射光の揺らぎの観測と7Liのこれまでの観測結果がまとめられ、これらの量が同じ密度パラメータで説明できないという問題点が示されている。従来、宇宙初期の7Liの量は、金属量の少ない種族IIの恒星のスペクトル観測から推定されてきた。しかし、恒星内部での対流の影響の評価が難しく、上記の問題を検討するために独立な方法で7Liの量を求める必要性を指摘し、この論文で用いた銀河系内の星間空間中の6Liとの比から求める方法が簡潔に説明されている。星間空間中の6Liは大部分が銀河宇宙線により生じている。一方、7Liは宇宙初期に作られたものと、宇宙線によるもの、恒星内部で合成されたものがあり、6Liとの比は、銀河化学進化により変化する。このため、銀河系内の7Li/6Liの大局的分布を観測的に決めれば、銀河内で生成された7Liを化学進化モデルと比較することにより推定し、宇宙初期の7Liの量が見積もれる。同位体比を用いることにより、Liの電離状態あるいはダストへの取り込みなどの不定性を取り除くことができる点が、この方法の有利な点である。太陽近傍の7Li/6Liの観測は従来にも行われていたが、局所的な星生成活動の影響等の評価が難しい。本論文では、銀河中心からの同位体比の大局的な分布を初めて観測的に明らかにし、化学進化モデルとの比較を行うことを目的としている。

第2章では、本研究の解析に用いられた観測の説明とそのデータ整約についての詳細な記述がなされている。観測は岡山天文台の1.8m望遠鏡のクーデ分光器と、すばる望遠鏡の高分散分光器を用いて行った。対象となった星は、銀河中心からの距離が6.8kpc, 10kpc, 10.3kpcの3つで、これらの星を背景光として670nm付近のLiの吸収線から星間空間中の6Li, 7Liの量を求める。観測された星の分布は、これまでの観測に比べ銀河中心からの距離の範囲は10倍以上に広げられた。星間中のLiの量は極めて微量で、吸収量は吸収線の中心でも1-3%にすぎない。しかも、Liの吸収線には0.015nmの微細構造があり、また2つの同位体の吸収線はわずか0.016nmしか分離しない。このため、7Li/6Liの観測には、100000を超える波長分解能と、1000を超える信号/雑音比が要求される。

第3章では、得られた吸収スペクトルから6Li, 7Liの量を求める方法が詳細に説明されている。上記のように微量の吸収量を決定するため、連続光レベルの決定、視線速度の推定などを精密に行う必要がある。視線速度は、同じ星について観測したKIの400nmあるいは770nmの吸収線に基づいて見積もられている。これらのエラーを充分に考慮して、吸収量の評価を慎重に行い、7Li/6Li比を上記の3つの星の方向の星間ガスについて求めた。銀河中心の距離6.8kpcから10.3kpcの間で7Li/6Liはほぼ8から6の範囲に入り、距離が大きくなるに従い、やや減少傾向であることが本研究で観測的に初めて示された。

第4章では、3章の結果を銀河化学進化のモデルと比較し、宇宙初期の7Liの量の推定を行う本論文の中心をなす章である。まず、化学進化モデルを用いて、いくつかの7Liの宇宙初期量に対する銀河系内の7Li/6Liの動径方向の分布の予想が示される。7Liの初期値が大きい場合は、銀河中心から離れるに従って7Li/6Liが増加する傾向が予測されるのに対し、小さい場合は減少することが期待される。これは、銀河の外層部では化学進化による7Liへの寄与が小さく、宇宙線により生成された7Liと6Liと初期の7Liの量の影響が強く現れるためである。本論文では、銀河系の年齢、恒星内部で合成された量の寄与の不定性も考慮し、観測値から得られる宇宙初期7Li量の上限を求め、水素に対して8×10-8という値を得た。これから、宇宙の密度パラメータの上限値としてΩb<0.03が得られた。これまでの密度パラメータを制限している観測との比較を行い、この値が、恒星の吸収線から得られた初期7Liの量とは異なり、観測から推定されている重水素の宇宙初期の量、あるいは宇宙背景放射光の揺らぎの測定から推測される密度パラメータと、つじつまの合う範囲に入ることが初めて示された。

第5章では、本論の結論がまとめられている。

本論文は、7Li/6Liの銀河内空間分布から初期7Liを求めるという新しい手法を用いて、宇宙の密度パラメータを制限する重要な観測量の1つである7Liの初期量の上限値を初めて求めた、画期的な研究である。これまでの太陽近傍に限られた7Li/6Liの観測では、局所的な星生成活動の影響等の評価を充分に行うことが困難であったが、本論文の手法により初めて銀河系内の大局的な分布を明らかにし、銀河化学進化モデルとの比較を可能とした。本論文は、微量な吸収量を検出するという困難な観測を実現し、十分に詳細かつ慎重な解析を行い、今後より広い銀河内の領域についての観測を行うことにより、さらに精度良く7Liの初期値を決定する可能性を明確に示した。

なお、本論文は梶野敏貴、鈴木 健氏との共同研究であるが、論文提出者が主体となり、観測・解析、モデルとの比較を行っており、論文提出者の寄与が充分であると判断する。よって、博士(理学)の学位を授与できるものと認める。

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