学位論文要旨



No 116761
著者(漢字) 巻内,慎一郎
著者(英字)
著者(カナ) マキウチ,シンイチロウ
標題(和) 高銀緯領域における拡散[CII]輝線放射の研究
標題(洋) Diffuse [CII] Line Emission from High-Latitude Region
報告番号 116761
報告番号 甲16761
学位授与日 2002.03.11
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第4083号
研究科 理学系研究科
専攻 天文学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 尾中,敬
 東京大学 教授 村上,浩
 東京大学 教授 山下,卓也
 国立天文台 教授 長谷川,哲夫
 名古屋大学 教授 芝井,広
内容要旨 要旨を表示する

 IRTS(Infrared Telescope in Space)は日本では初めての、また世界では三番目の赤外線天文観測用の軌道上冷却望遠鏡である。IRTSはSFU(Space Flyer Unit)衛星に搭載され、1995年3月にHII型ロケット3号機を用いて打ち上げられた。IRTSの主鏡は口径が15cmと小さなものであったが、望遠鏡および観測装置全体を液体ヘリウムで冷却し、装置自身からの熱放射を十分に抑えることによって、天体からの非常に弱い拡散放射を測定することができた。IRTSの観測期間は約一ヶ月間で、液体ヘリウムがすべて消失するまでの間に全天の約7%の領域をサーベイ観測した。

 IRTSには4つの観測装置が搭載されており、このうちのひとつである遠赤外線分光装置FILM(Far-Infrared Line Mapper)は星間塵から放射される遠赤外線連続波などと同時に、星間ガス中に存在する一階電離炭素イオンの微細構造線である[CII]158μm輝線放射の観測を行った。[CII]輝線は一般的な星間ガスの冷却に重要な役割を果たしていると考えられている。しかし遠赤外線の観測は地球大気の影響(吸収および大気からの放射)によって地上からは行えず、宇宙空間あるいは大気の影響が少ない高々度から行うことが必要とされる。このため、[CII]輝線の観測はこれまで十分とは言えず、とくに高銀緯の微弱な成分についての情報は乏しい。近年、気球搭載望遠鏡などを用いた観測によって銀河面に沿った[CII]輝線放射分布が詳しく調べられたが、残存する大気の影響や非冷却の観測器自身による放射などのため、高銀緯領域の観測は行われなかった。一方、ロケットや衛星(COBE)による観測では高銀緯領域からの[CII]輝線放射を観測することに成功しているが、前者の観測できた領域は大変小さく、また後者の観測は解像度が大変悪い(φ7°)ものであった。IRTS/FILMは高銀緯を含む比較的広い領域を8′×13′のビームサイズで精度よく観測することに成功した。

 本研究ではIRTSが観測した領域の内、銀緯が最大で|b|=60°付近の高銀緯領域を含む、銀緯l=50°とl=230°付近で銀河面を通過する大円に沿った領域について[CII]輝線分布の解析を行った。

 銀径l=50°付近の銀河面には従来の気球などによる観測などからも知られていたように大規模星生成領域W51をはじめとした数多くの天体が[CII]輝線で観測された。IRTSの観測はこれに加えて、気球では観測できなかった銀緯数度以上の領域で高銀緯へのびる成分の存在を精度よく捕らえた。この成分は銀河面に分布の中心を持ち、銀緯とともに急速に減少する。FWHMは2.6度であった。銀河面に点在する個別の天体に対して、この成分は一様な分布をしており、l=50°の観測領域は我々から見て銀河系の渦状腕のひとつ(Sgr-arm)の折線方向に当たるため銀径方向に急激な強度変化があることが予想されたが、実際の分布にその様な明らかな強度変化は見られなかった。これはこの成分が銀河ディスク全体に付随した普遍的な拡散成分であることを示唆するものであると考えられる。またIRTS/FILMの観測結果は、銀河面の[CII]放射には光解離領域(Photodissociation regions)が重要な役割を果たしているとする、これまでの気球を用いた観測などから示唆されていた結果と一致していた。

 観測領域に制限はあったが、IRTS/FILMの観測によって銀緯が±60°までの[CII]輝線放射の銀緯分布を得ることができた。銀緯60度近くの高銀緯においても2×10-7〜1.5×10-6(erg cm-2 s-1 sr-1)の範囲の強度を持つ[CII]輝線放射が観測された。我々はこの[CII]輝線放射の銀緯分布を星間塵から放射されている遠赤外線(FIR)連続波の分布、および中性水素(HI)ガスの柱密度分布と比較した(図1)。その結果これまでにも知られているように、これらの間には一定の相関があり、高銀緯領域に分布するフィラメント状の構造を持ったシラス成分による構造などが共通して見られた。ところが、銀河面から高銀緯領域までにわたる銀緯分布全体のスケールで比較すると、[CII]分布、FIR分布、およびHI柱密度分布の間にはそれぞれ異なった銀緯依存性があることが分かった。この差異はとくにIRTSの観測領域のうち反銀河中心方向で顕著であった。高銀緯領域では[CII]輝線放射強度は中性水素ガスと比較して増大しており、中性ガスに付随しない[CII]放射成分の存在が増大していることを示していると考えられる。また同時に高銀緯方向でFIR連続波強度が中性水素ガスに対して増加しており、これは中性水素原子の存在量に対して水素イオンや水素分子の存在が相対的に大きくなっているためであると思われる。しかしCO輝線の観測などから高銀緯に存在する分子雲はあまり多くないと考えられることから、高銀緯のFIR/HI比の増大はほとんど水素イオン(電離ガス成分)の寄与の増大によるものであると考えられる。高銀緯領域において、低密度(n〜0.3cm-3)で高温(T〜8000K)の電離ガス(WIM; Warm Ionized Medium)が存在することは従来からよく知られており、Hα再結合線が全天の広い範囲から観測されていることや電離ガスから放射される[SII] 6716A, [NII] 6583A, [OIII] 5007Aなどの観測から、最近ではWIMは高銀緯領域に存在する星間ガスの中でもっとも主要な成分のひとつであると考えられている。上記の各銀緯分布間に見られる差異から、高銀緯領域に分布する拡散[CII]放射成分は主に電離ガス(WIM)から放射されているものと考えられる。

 さらに、IRTS/FILMによって得られた[CII]輝線放射データから、その放射強度の銀緯分布が銀河面の北側(b>0°)と南側(b<0°)で系統的に異なっていることが分かった。同じ銀緯|b|にある[CII]輝線放射強度を銀河面の南北間で比較すると、系統的に南側のほうが北側より大きい。銀河中心からの距離に依存した銀河構造の影響が少ないと思われる反銀河中心方向(銀河系外域側)の[CII]輝線の南北間強度比I(b<0°)/I(b>0°)の値は平均1.8であった(図2)。この南北間の差は[CII]輝線を放射しているガスの分布が我々の太陽系の位置に対して南側に片寄っていることを示しているものと考えられる。ところで銀河系内に存在する恒星や星間塵、また星間ガスなどの銀河スケールでの分布の研究からこれまでにも、太陽の位置が銀河面から外れており、太陽は銀河面の北側に位置すると言われている。銀河面からの距離はまだ確かではないが、北側0〜40pcの範囲にあると推定されている。今回観測された高銀緯の[CII]輝線を放射している星間ガスが、太陽系近傍の局所的なものか一般的な銀河ディスクに付随するものであるかどうかは、IRTSの観測領域が限られていることなどからはっきりと分からない。しかし[CII]強度に見られる系統的な南北間の差異は、このような太陽位置の銀河面からのズレに起因していると考えることができる。もし[CII]輝線を放射しているガスの分布が分かれば、観測結果からそのズレの大きさを見積もることができる。実際にはまだ[CII]輝線放射ガスの分布は明らかではないが、密度が銀河面を中心にしたexponential分布の電離ガス(WIM)を仮定すると、I(b<0°)/I(b>0°)=1.8からガス分布のスケールハイトに対して約17%の距離だけ太陽の位置が銀河面(もしくはガス分布の中心)の北側にあると推定できる。この結果は従来の研究から得られている結果ともおおよそ一致するものである。

図1.[CII]輝線、HI柱密度、およびFIR(140μm)連続波の銀緯分布。

横軸はsin|b|(bは銀緯)。左側の列(a), (c), (e)は銀河中心方向、右側の列(b), (d), (f)は反銀河中心方向の銀緯分布。各図中の右下がりの直線は、それぞれの星間物質分布が銀河面に対して平行平板状になっている場合に予想される傾きを示し、直線の右端の切片は分布の厚みを表す。

図2.[CII]輝線強度における南北間の比の銀緯分布I(b<0°)/I(b>0°)。

銀河系外域側(Outer region)では、比は銀緯によらず系統的に1より大きく、平均の値は約1.8(図中の水平線)。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は、1995年に打ち上げられた日本初の赤外線衛星望遠鏡IRTSに搭載された遠赤外線分光装置FILMのデータを解析し、高銀緯領域の星間空間からの炭素イオンの158ミクロン禁制線が主に電離ガスから放射されていることを明確にしたものである。また銀河面の北側と南側での強度の差から、太陽系が銀河面より約20pc程度北側に位置していることを導いている。

第1章は、まず星間ガスの性質について、これまで行われてきた研究が簡潔にまとめられている。この中で星間吸収の影響の少ない遠赤外域の禁制線を用いる観測が、種々の星間ガスの特徴を研究する点で有利であることが示されている。特に炭素イオンの158ミクロン輝線は遠赤外禁制線の中でも強度が強く、これまで多くの観測がなされてきたが、イオン化エネルギーが、水素のイオン化エネルギーよりも低いため、光解離領域を含む中性領域及び電離領域の双方から放射され、その起源については、充分に理解されていない。この論文では、これまで困難であった高銀緯領域の炭素イオン輝線の空間分布を、高感度のIRTS/FILMの観測から明らかにし、この起源を探るとともに、高銀緯の星間ガスの性質を解明することを目的としている。

第2章では、本論文で解析したFILMの観測とそのデータ解析について詳しく記述されている。まずIRTS及びFILMの装置と観測の記述があり、実際のデータの整約の方法が記されている。IRTS/FILMは従来の観測より高い空間分解能(約10′)、高間度で炭素イオン158ミクロン輝線を全天の約7%の領域にわたり観測した装置である。本観測で用いられたstressed Ge : Gaの検出器は、衛星観測では宇宙線の影響が大きいことが知られている。実際FILMの観測においても、宇宙線により感度が著しく変化する現象が見られる。ここでは、較正用光源を用いて感度変化を補正する方法が詳細に説明され、不定性の大きいデータを慎重に除去している。さらに観測から158ミクロンの輝線の強度を導く方法が記述され、最終的に得られた結果を、これまでのCOBE/FIRAS及び気球観測と比較している。この比較からFILMの結果はCOBE/FIRASの約半分程度の強度を示すことがわかる。このように絶対較正には不定性が大きいため、以下の議論は相対的な強度変化に重点をおいて進められる。

第3章でまず銀河面の観測結果についての議論が行われる。高密度の電離領域、分子雲に伴った158ミクロン輝線と共に、銀河面全体に広がるディスク成分があることが示される。この成分は、分子雲の分布より銀緯方向に広がっているが、中性水素ガスより狭い範囲に分布し、遠赤外線強度の分布とよい相関を持つことが示される。このことから、銀河面に広がる炭素イオンの輝線は、主に広がった光解離領域から生じていると結論される。

第4章は、高銀緯領域の炭素イオン158ミクロン輝線の空間分布からその起源を探る本論文の中心をなす章である。まず観測領域を、銀河面の北・南・銀河中心方向・反対方向の4つのセクションに分け、それぞれの銀緯分布を吟味する。明らかに南銀緯の方向が北銀緯より強度が大きい非対称性が見られる。これについては次章で議論される。低銀緯(銀緯10度以下)では平行平面モデルから予想される強度分布に従うが、これより高銀緯では大きな超過成分があることが示される。

次に高銀緯での分布が、遠赤外線強度、中性水素の分布と比較される。158ミクロン輝線分布は、中性水素強度と明らかに異なり、輝線が中性領域以外から生じていることが示唆される。さらに158ミクロン輝線と遠赤外線強度の比が、銀緯とともに増加する傾向があることを初めて示される。これまでのCOBE/FIRASの観測は反対の傾向を示唆していた。COBE/FIRASの視野は7度で、FILMの40倍以上あり、両者の直接の比較は難しいが、IRTS/FILMがはるかに高い空間分解能・感度で高銀緯領域を詳細に観測していることから、今回の結果の信頼性は高いと考えられる。高銀緯領域では、密度の高い中性ガス雲の存在量が減少し、低密度の電離ガスが増加することが予想される。本論文の観測結果から、高銀緯の炭素イオン輝線は、従来考えられていた中性ガスからではなく、低密度の電離ガスから生じていることが初めて明確に示された。

第5章は、銀河面の北・南での158ミクロン輝線強度の非対称性を議論している。南側の強度は北側の約1.8倍ある。ここで、非対称は太陽系が銀河面より北側に位置していることが原因であるとし、層状の分布を仮定して、銀河面からの距離を約20pcと見積もっている。この値は、星、分子雲などの観測から推定される値0-40pcと矛盾のない範囲にあり、遠赤外輝線の強度分布からも、非対称性が確認される。

第6章には、本論文の結論がまとめられている。

以上のように、本論文は、IRTS/FILMによる高感度の観測データを用いて、炭素イオン158ミクロン輝線の空間分布を詳細に調べた研究である。特に高銀緯での158ミクロン輝線を初めて精度良く、高い空間分解能で検出し、その起源が電離ガスであることを明らかにした点は画期的な結果である。この他、銀河面での広がったディスク成分の存在を明らかにし、光解離領域が主な源であることを示し、また銀河面の南北の非対称性から、太陽系が銀河面より約20pc北に位置することを明らかにしている。

なお第3章は、芝井広・奥田治之・中川貴雄・松原英雄・廣本宣久・奥村健市氏との、また第4章、5章は、芝井広・奥田治之・中川貴雄・松原英雄・廣本宣久・奥村健市・土井靖生氏との共同研究であるが、論文提出者が主体となり、データ整約・解析・議論を行っており、論文提出者の寄与が充分であると判断する。よって、博士(理学)の学位を授与できるものと認める。

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