学位論文要旨



No 116764
著者(漢字) 三好,猛雄
著者(英字)
著者(カナ) ミヨシ,タカオ
標題(和) 東京都心部における揮発性有機化合物の大気中濃度変動の解析による発生源および放出量の推定
標題(洋)
報告番号 116764
報告番号 甲16764
学位授与日 2002.03.11
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第4086号
研究科 理学系研究科
専攻 化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 巻出,義紘
 東京大学 教授 梅澤,喜夫
 東京大学 教授 野津,憲治
 東京大学 教授 野崎,義行
 東京大学 助教授 松尾,基之
内容要旨 要旨を表示する

 人間活動に伴って放出される大気中微量気体成分による環境への影響が懸念されている。OHラジカルとの反応やオゾン生成など対流圏光化学で重要な働きをする炭化水素類、成層圏オゾン層破壊をもたらすハロカーボン類、さらに強力な地球温暖化ガスである代替フロン類などがあり、これら化合物の大気中での濃度変動や挙動が注目されている。本研究では、大気中微量気体成分(対象としたのは揮発性有機化合物)の放出が集中している都市部においてそれらの濃度変動の詳細な測定を行い、さらに得られたデータを解析した。

 東京は関東地方の中心に位置する世界でも最大の都市であり、かつあらゆる産業活動が行われ、人工化学物質のほとんどが平均して大量に放出されているという非常に特異的な地域である。本研究ではこの東京の中心部に位置する東京大学アイソトープ総合センター(東京都文京区弥生)において、大気試料を連続的に建物屋上(地上約19m)から実験室へ取り込み、1.5〜3時間ごとに揮発性有機化合物を低温濃縮後、GC-MS(ガスクロマトグラフ/質量分析計)により自動分析した。また、大気の滞留や拡散の状況を知るためにラドン濃度の連続測定を行い、建物屋上における気象要素(気温、湿度、気圧、風向、風速など)もあわせて測定した(気象庁による観測データも解析に用いた)。

 測定された大気中濃度のデータ(1998年12月25日15時から1999年4月1日21時にかけて、およそ100日間測定したもの)を種々のパラメーター(平日と日曜の平均濃度の比、大気中濃度の変動幅、バックグラウンド濃度(北海道において採取された北半球バックグラウンド大気試料を測定することにより得られる)との比較、日変動、風向による影響、降雨による影響)により解析した。このとき、極端に大気中濃度が高くなったものや、大気の混合による影響が大きく放出量が反映されない強風時(風速が4m/s以上)の測定値を除いた。また、大気中濃度に大きな差がみられた平日と日曜とを区別し、解析した26種類の化合物(ラドンを含む)について、主に発生源(用途)によって分類した。

 まず、化合物間における相関を調べたところ、溶剤として使用されているものや自動車の排ガスが主な発生源であるものは、化合物間での相関が高かった。逆に相関が低かったのが、濃度変動が極めて小さい四塩化炭素や天然に発生源をもつラドン、塩化メチル、臭化メチルなどで、フロン類はその中間であった(特定フロン類、代替フロン類とも)。各パラメーターによる解析を行った結果で、大気中濃度の変動幅(平日の測定値(平均値で規格化)の75%値と25%値の差)を調べたところ、この大きさにより化合物をほぼ5つのグループに分類することができた。大きいものから順に、溶剤として使用されている化合物、代替フロン類、自動車の排ガスとして放出される化合物、天然起源の化合物、モントリオール議定書により規制されている化合物となった。

 さらに、詳細に解析を行ったところ、放出量の多い化合物(溶剤として使用されている化合物、自動車の排ガスとして放出される化合物など)では、平日と日曜の平均濃度の比が大きい、大気中濃度の変動幅が大きい、バックグラウンド濃度との比が大きい、夕方に濃度が高くなる、発生源があると推定される方向からの風のとき濃度が高い、などといった特徴が共通してみられた。一方で、放出量の少ない化合物(特に、大気中寿命の長い特定フロン類など)は、平日と日曜の平均濃度の比が小さい、大気中濃度の変動幅が小さい、バックグラウンド濃度との比が小さい、日変動や風向による濃度変動がほとんどみられない、などの特徴があった。これらのことから、解析を行ったいずれのパラメーターも、東京における各化合物の放出の実態をかなり正確に反映していることがわかった。

 次に、東京における揮発性有機化合物の放出量の推定を行った(対象は21化合物)。平日の平均濃度からバックグラウンド濃度(ここでは、東京都心部における風速が6m/s以上の際の濃度の平均値をバックグラウンド濃度とした)を差し引いて、東京での各化合物の相対放出量を見積もった。その結果、トルエンをはじめ、炭化水素類の放出が非常に多いことがわかった。また、ジクロロメタンやトリクロロエチレンといった溶剤系の化合物もそれらに次いで多かった。一方で、代替フロン類のHCFC-142bや、モントリオール議定書により規制が行われている特定フロン類、四塩化炭素、および1,1,1-トリクロロエタンの放出量が少ないという結果が得られた。

 さらに、統計資料から得られるいくつかの化合物の放出量推定値を参考として、東京(あるいは首都圏)における実際の放出量(人口1人あたりのg/y)を見積もった。大気中濃度増加分から求められた各化合物の相対放出量をX軸(logスケール)に、各資料から見積もられた放出量をY軸(logスケール)にとって、それらの相関(傾き45°の直線)を図1に示す。種々の放出量推定値のうち、代替フロン類(特にHFC-134a)に関するものが最も実態を反映していると推定されたことから(領域IIの上限、やや太めの直線で示した部分;領域IIは、放出量として過大評価と考えられた各化合物の国内出荷量のうち、放出量推定値が最小になるものに対して引かれた直線(直線I)、および過小評価と考えられた事業所からの報告による放出量集計値のうち、放出量推定値が最大になるものに対して引かれた直線(直線III)にはさまれている)、その値を基準として各化合物の相対放出量を実際の放出量に換算した。求められた放出量は、溶剤として使用されている化合物や自動車の排ガスとして放出される化合物で人口1人あたり数百g/y、代替フロン類で数十g/y、モントリオール議定書によって規制され放出量が少なくなっている化合物で数g/y程度となった。

 日本におけるPRTR(Pollutant Release and Transfer Register)制度の実施により、将来的に事業所からのいくつかの化学物質の放出量の統計値が正確に把握されるようになれば、大気中濃度増加分から多くの物質の実際の放出量をさらに正確に推定できるようになると期待される。

 一方、東京における揮発性有機化合物の放出や大気の混合をダイナミックにとらえ、短時間濃度変動に基づいて、それぞれの化合物の相対放出量の推定を試みた。風がやみ、化合物の大気中濃度が急激に増加するケースを選び出し、そのときの急激な濃度増加の勾配(pptv/hour)が放出量に比例すると仮定した。選び出されたケースは2月1日12時から21時、3月1日15時から22時半の2つである。これらはいずれも平日であり、1日の中でも人間活動が活発でそれに伴う放出が多いのと同時に、風がやみ、太陽が沈んで、大気の混合がおさまってくるという時間帯(風が穏やかになった平日の午後)であった。さらに、あらゆる産業活動が行われ、人為起源物質のほとんどが平均して大量に放出されている関東地方の中心の東京という特異的な地域の、しかも中心部における測定であることが、本方法の適用を可能にすると考えた。

 得られた結果は、平日の平均濃度のバックグラウンド濃度からの増分を用いて推定された放出量ともかなりの類似性がみられ(図2)、本研究で試みた大気中微量気体成分の濃度が急激に増加する際の濃度勾配から放出量を推定する、という全く新たな方法が有用であることがわかった。このことは、短時間の測定でも条件を選べば、多数の化合物、あるいは大気中寿命の短い化合物でも放出量の推定が可能になることを示している。今後、どのようなケースが適しているのかを検討することにより(気象条件など)、さらに効率よく、正確に放出量を推定できるようになると期待される。

 地球規模においては、東京をはじめとする人口が集中する都市部で放出された化合物がバックグラウンド大気へと拡散している。したがって、本研究で得られたような知見は、地球全体における大気中微量気体成分の変動に関する前兆的な、あるいは予知的な情報を与えてくれる。特に長寿命のものについて、特定フロン類、四塩化炭素、1,1,1-トリクロロエタンなどは、東京都心部においても規制により放出量が非常に少なくなっており、今後、これらの大気中バックグラウンド濃度の増加は頭打ち、あるいは減少傾向となること、一方で、代替フロン類は活発に放出されており、引き続きバックグラウンド濃度が急速に増加していくことを示している。

 以上のように、都市部における大気中微量気体成分の継続した測定と、新しい系統的な解析法が、今後、各種化合物の放出量の推定に有用な手段となることを明らかにした。

図1.東京都心部における各化合物の平日の大気中濃度から推定された相対放出量と、各種の統計資料から見積もられた放出量との相関

(□:代替フロン類および溶剤として使用されているハロカーボン類の国内出荷量、●:国内出荷量およびAFEASによる販売・放出量比の見積もりから求められた代替フロン類の大気中への放出量推定値、▽:事業所からの報告による各化合物の放出量集計値)

図2.短時間濃度変動および大気中濃度(平日の平均濃度)それぞれから求められた各化合物の東京における相対放出量(質量で示したもの;HFC-134aの放出量を1として規格化)の相関

審査要旨 要旨を表示する

 人間活動に伴って放出される大気中微量気体成分による環境への影響が懸念されている。対流圏光化学で重要な働きをする炭化水素類、成層圏オゾン層破壊をもたらすハロカーボン類、さらに強力な地球温暖化ガスである代替フロン類などがあり、これら化合物の大気中での濃度変動や挙動が注目されている。本研究では、これら揮発性有機化合物の放出が集中している都市部、とくに東京の中心部において、それらの大気中濃度変動の詳細な測定を行い、得られたデータを解析して都市部における放出源と大気中での挙動を明らかにするとともに、各化合物の放出量を推定した。

 本論文は全7章からなり、第1章の序論では、研究の背景、世界や日本での現状、本研究の目的などが記述されている。

 第2章では大気中微量気体成分の連続測定法について記述されている。東京は関東地方の中心に位置する世界でも最大の都市であり、かつあらゆる産業活動が行われ、人工化学物質のほとんどが平均して大量に放出されているという非常に特異的な地域であることから、本研究ではこの東京の中心部で高台に位置する東京大学アイソトープ総合センター(東京都文京区弥生)建物屋上から、連続的に大気試料を実験室へ取り込み、1.5〜3時間ごとに揮発性有機化合物を低温濃縮後、GC-MS(ガスクロマトグラフ/質量分析計)により自動分析した。また、大気の滞留や拡散の状況を知るためにラドン濃度を連続測定し、建物屋上における気象要素(気温、湿度、気圧、風向、風速など)もあわせて測定した。気象庁による気象観測データも解析に併用した。

 第3章では東京都心部における大気中微量気体成分の濃度変動について解析した。約100日間連続測定された大気中濃度のデータを種々のパラメーター(平日と日曜の平均濃度の比、大気中濃度の変動幅、バックグラウンド濃度との比較、日変動、風向による影響、降雨による影響)に関して解析した。このとき、極端に大気中濃度が高くなったものや、大気の混合による影響が大きく放出量が反映されない強風時の測定値を除くなど、気象条件等によるデータの選別を行った。また、大気中濃度に大きな差がみられた平日と日曜とを区別し、解析した26種類の化合物について、主に発生源(用途)によって分類した。全化合物間における相関では、溶剤として使用されているものや自動車の排ガスが主な発生源であるもので相関が高かった。各パラメーターによる解析を行った結果で、大気中濃度の変動幅(平均値で規格化した平日の測定値の75%値と25%値の差)により化合物が5つのグループに分類された(大きいものから順に、溶剤として使用されている化合物、代替フロン類、自動車の排ガスとして放出される化合物、天然起源の化合物、モントリオール議定書により規制されている化合物であった)。このように、大気中濃度の変動幅が放出量を反映する結果となったことの確認は初めてである。その他の解析を行ったいずれのパラメーターも、東京における各化合物の放出の実態をかなり正確に反映していることがわかった。

 第4章では東京における21種類の揮発性有機化合物の実際の放出量の推定を行った。まず平日の平均濃度からバックグラウンド濃度を差し引いて得られる濃度増加分から東京での各化合物の相対放出量を見積もった。ついで、各種統計資料(国内出荷量、大型事業所からの放出量報告集計値ほか)から得られるいくつかの化合物の放出量推定値を参考として、東京(あるいは首都圏)における全化合物の実際の放出量(人口1人あたりのg/年)を見積もった。各資料から見積もられた種々の放出量推定値に基づいて絞った。近年になって利用・放出が始まり、かつ最近の放出量が多い代替フロン類に関する放出量統計値が最も実態を反映していると考えられ、最終的に、HFC-134aの放出推定量を基準として各化合物の相対放出量を実際の放出量に換算した。溶剤として使用されている化合物や自動車の排ガスとして放出される化合物で数百g/年、代替フロン類で数十g/年、モントリオール議定書によって規制され放出量が少なくなっている化合物で数g/年程度であった。今後、各事業所に課せられる化学物質の放出量の報告の信頼性が向上すれば、多くの物質の実際の放出量をさらに正確に推定できるようになると期待される。

 第5章では、揮発性有機化合物の放出や大気の混合をダイナミックにとらえ、短時間の濃度変動の解析に基づいて、それぞれの化合物の相対放出量を推定する新しい方法を提案している。風が止み、化合物の大気中濃度が急激に増加する平日の午後のケースを選び出し、そのときの急激な濃度増加の勾配が人間活動に伴う放出量に比例すると仮定した(大気中での拡散・混合等の影響は全化合物に共通でキャンセルされる)。あらゆる産業活動が行われ、人為起源物質のほとんどが平均して大量に放出されている関東地方の中心の東京という特異的な地域の、しかも中心部における測定であることが、本方法の適用を可能にした。得られた結果は、平日の平均濃度のバックグラウンド濃度からの増分を用いて推定された放出量ともかなりの類似性がみられ、この全く新たな方法が有用であることがわかった。このことは、短時間の測定でも条件を選べば、多数の化合物、あるいは大気中寿命の短い化合物でも放出量の推定が可能になることを示している。

 第6章では、大気中微量気体成分の挙動を支配する大気の滞留・拡散状態を知るために同時に測定したラドンの大気中濃度の変動について解析している。

 第7章の結びでは、以上の内容をまとめている。人口が集中する都市部で放出された化合物が地球全体へと拡散しており、近年それらの関係が注目されている。本研究で得られたような知見は、地球全体における大気中微量気体成分の変動に関する前兆的な、あるいは予知的な情報を与えている。

 以上のように、都市部における大気中微量気体成分の継続した測定と、新しい系統的な解析法が、今後、各種化合物の放出量の推定に有用な手段となることを明らかにした。

 なおすでに第3章および第4章の内容が、それぞれ指導教官の巻出義紘との共著論文として印刷公表されているが、論文提出者が主体となって観測・解析を行ったものであり、論文提出者の寄与が十分であると判断される。その他の章に関しても同様である。

 したがって、博士(理学)の学位を授与できると認める。

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