学位論文要旨



No 116768
著者(漢字) 森山,学
著者(英字)
著者(カナ) モリヤマ,マナブ
標題(和) ル・コルビュジェとその協働者ピエール・ウィンターの生と身体と建築 : 身体文化の視点から
標題(洋)
報告番号 116768
報告番号 甲16768
学位授与日 2002.03.14
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第5101号
研究科 工学系研究科
専攻 建築学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 加藤,道夫
 東京大学 教授 安藤,忠雄
 東京大学 教授 鈴木,博之
 東京大学 教授 伊藤,毅
 東京大学 助教授 藤井,恵介
内容要旨 要旨を表示する

 近代、「スポート」等の「身体文化」が興隆し、一方で病気からの回復ではなく健康へと邁進し続ける新しい「健康」観が芽生えた。これにより身体文化でもって近代的健康を追求する態度が現れる。この態度は建築にも反映されて然るべきである。本研究はル・コルビュジエと彼の協働者であった医師ピエール・ウィンターをこの視点から明かにする。

 二人の協働時期はほぼ三分できる。ル・コルビュジエが編集しウィンターが寄稿した「レスプリ・ヌーヴォー」誌(1920-25)の時期、二人が共同編集した「プラン」誌(1931-32)、「プレリュード」紙(1933-38)の時期、ル・コルビュジエが主宰しウィンターが幹部を務めたASCORALの活動時期(1942-44)である。本論文はウィンターの他界する1952年までを研究対象とし上記の区分に従って構成した。

 第一の時期、身体文化が浸透し、住宅にも吊り輪やパンチング・ボール等が設置されその近代的精神が喚起された。「レスプリ・ヌーヴォー」誌もスポーツ欄でオートレースを多く扱う等近代的心性を満足させた。

 その中にあってウィンターが当誌に書いたスポートの論文では、スポートを健康を希求する手段と位置付けスペクテイター・スポーツを否定した。またその健康を、前述した近代的健康という意味で「広義の健康」と再定義した。この健康の為にはスポートによって身体を生理学的に把握する必要がある。医師は排除され、スポートによって自らの身体を自ら管理する。この身体を「新身体」と呼んだ。これは「レスプリ・ヌーヴォー=新精神」誌の活動を補足する概念として用いられ、新身体においてこそ新精神は成立し新精神との総合を果たすとされた。彼にとってル・コルビュジエこそがその総合を果たした理想的近代人であり、スポートによって再構築される健康のユートピアを設計しえる建築家であった。

 ル・コルビュジエも身体文化の重要性を認め、建築がその要求に応える必要を主張する。1921年6月に発表した論文で、住居内の最も広い部屋の一つを洗面所とし、そこに日光浴用テラスに通じるガラス壁、入浴設備、ジムナスティークの諸道具を設けるよう訴えた。衛生と共に健康を目的とするもう一つの手法または衛生に付随する手法として身体文化は捉えられた。身体文化の重要性を自覚しつつ、自律した活動とは認めてなかったと言える。

 この論文のわずか後、大きな「スポート室」をもつ住居を計画した【図1】。その名称を住居内で獲得した身体文化は近代生活に確立されるべき自律した活動として認められた。その場所は1921年同様、屋内の私的空間という性格をもち、彼が身体文化に孤独な鍛錬を要求している事が分かる。

 1925年を境に彼は住居の身体文化を屋上等の屋外に設け始める【図2】。彼の身体は直接に太陽を浴びて運動できるようになる。これらは同時期の「フランス・リトミック・身体教育学校 プレイエル・ホール」計画(二人が経営上協力した学校)等の公共建築【図3】と共に、1930年代以降の都市屋上における成熟した身体文化の活用法【図4】を結果的に準備した。

 都市計画の方では住居での孤独な鍛錬の限界性を指摘する。そしてジムナスティークの指導員の下で毎日、共同で身体文化を行う為、都市に「住居の足下のスポート」を提供した。これにより身体文化から定義される身体は、孤独な鍛練と集団的活動の二重性を被る。

 第二の時期、ウィンターは前時期に簡単に触れた「呼吸」を「生きる事、それは呼吸する事」と述べ、理論の骨格を形成する重要な概念とした。身体は呼吸等の「生理学的リズム」により、自然界の「宇宙のリズム(=自然法)」との調和を果たす一機構となる。この調和は呼吸によって具体的に身体内部と自然を酸素と栄養の循環によって結びつける。前時期に「人間ストップウォッチ」と喩えた人間−機械の考えが深化したのだ。

 彼は生の鍵である呼吸に関し、呼吸する事を学ぶ事、呼吸に相応しい環境を構築する事という二課題を提示した。前者はスポートによって達成するとされるが、それにより身体文化は呼吸を通じ身体と自然法を調和づける働きをもつ。

 後者は清浄な充分な量の空気の確保と呼吸を学ぶ為のスポートの場の構築によって達成する。この空気は、身体が呼吸を通じて自然法との調和を果たす為にも自然状態でなければならない。彼はル・コルビュジエの都市を絶賛するが、唯一「正確な呼吸」だけは批判した。人工的に室内の空気環境を調整するそれは彼の呼吸の概念とは相容れないものだった。一方、スポートの場はル・コルビュジエの主張「住居の足下のスポート」に則って要求される。

 このように身体文化は前時期同様、都市と生活を決定する。だがこの時期は身体文化から遡及される呼吸こそが決定するのであり、更に遡って「自然法が諸プランを強制する」のだ。

 ただし呼吸は学ばれなければならず、その為前時期の自己管理される身体は医師により監督される身体となり、彼の提案する都市には至る所に無料診療所が配置された。

 彼はこのような都市や社会の建設に、自然法に通じた専門家、スポーツマン、医師、生物学者を要請する。またル・コルビュジエを「チャンピオン」、「生物学者」と形容し、理想の建築家として最高の評価を与えた。実際、ル・コルビュジエが建設し自ら住んだ集合住宅【図5】に彼も入居した。そこはジャン・ブーアン競技場等多くの身体文化施設に隣接し、二人の理想の居住環境であった。

 ウィンターが前時期の自らの科学的制御への傾倒を自制したのに対し、逆にル・コルビュジエはテイラー化によって労働を4時間まで短縮するよう要求する。人間はその獲得した余暇時間に人間−機械、生理学的に分解されて理解された諸器官の集合体、を修理する。この活動に充てられる住居の足下は、モスクワ郊外に計画された「緑の都市」に感化され「緑の都市」に見立てられる。

 一方で彼は「生」や自然を絶えず生、成熟、死へと流転し、死をも包含した、死を覚悟した存在と捉えていた。前時期には病気さえ認めず、健康へと邁進する近代人を描いた彼だが、生の繊細さを確信した。彼にとって人間と自然法はウィンターのように呼吸によってではなくこの生の深みにおいて通底する。人間−機械というモデルはその上で、健康を模索する為に提示されたものなのだ。

 この生理学的に分解された身体の特質から、ウィンター同様に医師の監視が必要とされる。各人に必要なスポーツを医師が処方するのだ。ル・コルビュジエがウィンターの主唱した近代医学の方向性を信用していた証拠とも考えられる。前時期に二重性を帯びた彼の身体は集団的枠組へと傾斜していくようだが、集団への参加が個人を「精神的自由」に導く事、その二重性は互いに補完的である事が表明される。

 また「生の鍵は肺である」と述べているように彼もまた呼吸を生に密接に関係するものと捉えた。それでも「正確な呼吸」を提案した。都市計画家として生の深みから計画を作成しつつ、建築家としては都市の「悪魔の空気」を拒絶、たとえ人工的に供給しようとも清浄な空気を与える方を選んだ。彼が唱えた理想の創造者はウィンターのように自然との調和の方法を把握しただけの専門家でなく、更にそれを実行する技術者でもあった。また彼がこれを提案できたのは、ウィンターのように自然法と人間を調和させるものとして具体的な呼吸の働きに着目しなかった為だと言えよう。

 第三の時期、ウィンターはASCORALの第4部会「健康」を取り仕切った。当部会の成果を執筆した彼の原稿が出版されていればこの頃の彼の思想をより知りえただろうが、それが叶わない為ここではル・コルビュジエを含む4人の論文で構成される『建築と都市計画』(1942)を参照する。本書で彼はこれまでの自分の理論の礎石であった「生理学」を「粗雑な」と形容し、人間の物理的身体を超え「人間存在の全体」、「不可分に一体となっている身体と魂の複合体」を扱う「生物学」に着眼し、生理学を脱却する。この全体としての人間の身体はまた「見かけ上のみ宇宙から分離されたひとかけら」でもある。自然法との調和を図られる生理学的身体ではなく、既に宇宙そのものなのである。

 また「生物学者」を「あらゆる事に先立ってその結果を《人間の奉仕の為に》注ぐ事を願う人」と定義し、建築家がこうした生物学者の立場に回帰する事を訴える。そのモデルはやはりル・コルビュジエである。彼はその内容が時代を経て変化しても、生涯にわたりル・コルビュジエを理想の創造者として称え続けた。

 ル・コルビュジエはこの時期、ウィンター独自の語彙「太陽エネルギーの変圧器」を活用したり文章を引用する等、彼からの影響を公にする。

 またウィンター同様「生物学」という語彙も多用する。それは生の内部から外部へ向かって発展し全体が調和している事を指す。

 その「生」とは生から死へと至る有限性を自覚した存在であり、また生の過ぎゆく時間とは日常的なものである。そこで彼は、日常的な生活の繰り返しの場である住居にあらためて着目する。

 屋上や足下等に提案され続けた身体文化の場は「住まいの延長」と呼ばれる。諸器官から身体へ、住居へ、住まいの延長へと、生物学的発展の中に位置付けられ、生の場そのものの住居を生物学的に補足する。だから身体文化は日常的に過ぎていき死へと至る生の活動そのものとなる。

 また住居内にも身体文化の場が復活する。それは寝室の空いた余白であり、身体の為の特別な空間ではない【図6】。身体文化は「目が覚めた時」に日常的に行れる。

 こうして身体文化は毎日繰り返される日常的時間の経過を構成し、生そのものの行為となった。それは二人が唱えてきた健康の為の毎日の身体文化という理想の到達したかたちと言える。

図1(左)「イムーブル・ヴィラ」計画(1922)/(右)レスプリ・ヌーヴォー館(1925)

図2(左)「メイエ夫人邸」第二案(1926)/(右)「シュタイン=ド=モンズィ邸」第一案(1926)

図3(左)カルディネ競技場計画(1926)/(右)フランス・リトミック・身体教育学校プレイエル・ホール計画(1928)

図4(左)「輝く都市」計画(1933)/(右)マルセイユのユニテ・ダビタシオン(1952)

図5ナンジェセール=エ=コリ通りのイムーブル(1933)

図6論文「住まい」に掲載された夫婦用住居の寝室(所収;「人間と建築」誌,1945.1)

審査要旨 要旨を表示する

 近代の建築・都市を考えるにあたって,スポートを含む衛生概念の重要性は指摘されるが,その理念が個々の建築家においてどのように理解され,どのように実現されるかを詳細に検討することなしに衛生概念を一般化することは,短絡的な手法論に陥ることになる.その意味で,20世紀を代表する建築家の一人であるル・コルビュジエの考え方を明らかにすることは重要であるといえよう.

 本論文は,スポートを包摂する身体文化の観点から,20世紀を代表する建築家ル・コルビュジエと医師ピエール・ウィンターとの協働関係を読み解くことで,こうした問題に答えるとともに,従来のル・コルビュジエの建築理解に新たな地平をもたらそうとしたものである.

 これまでの先行研究では,ウィンターによるル・コルビュジエの都市計画への影響としてスポートへの配慮があげられるもののその詳細には触れられてこなかった.本論文では,ウィンターやル・コルビュジエ自身の公刊された論考に加えて,ル・コルビュジエ財団に残された書簡等の史料を分析することでその詳細な内容と協働関係の実態を詳らかにすることに成功している.

 本論文は,序章,本論3章と結論から構成される.

 序章は起論にあたるもので,「衛生」という近代のパラダイムに密接に関連するものとして「スポート」を挙げ,それが身体文化という上位の概念で位置づけられるべきであるとしている.

 本論では,ル・コルビュジエとウィンターの協働関係を3つの次期にわけて分析を行っている.

 第1章では,ル・コルビュジエが編集し,ウィンターが寄稿した雑誌「レスプリ・ヌーヴォー」誌の時期,1920年代における両者の考え方と協働関係を,主として「レスプリ・ヌーヴォー」誌における身体文化を題材とする19編の記事から分析している.そこでは,ウィンターの主張する「新身体」の内容が明らかにされ,それが雑誌名「新精神」を補完するものであると位置づけている.特に,近代的健康を獲得するための生活制御の方法に見られるテーラー主義的考え方が人間=機械論に基づくという指摘は,後の「自然法との調和」とは一線を画するという意味で重要なものといえる.さらに,ル・コルビュジエが近代的健康を獲得するための手段として「スポート」をどのように建築,都市に取り込もうとしたかに関して具体的実例を挙げて論証している.具体的には,この時期,ル・コルビュジエは,建築に「スポート」専用の空間を取り込み,「スポート」のための時間を積極的に割り当てようとしたことが示されている.

 第2章では,二人が共同編集した「プラン」誌とプレリュード紙の時期,具体的には1930年代における両者の考え方,及び協働関係を分析している.その結果,この時期の「呼吸」をキーワードとする両者の考え方を明らかにしている.ただし,ル・コルビュジエによる「正確な呼吸」については,ウィンターが批判的であったことを指摘している.ウィンターが「自然法との調和」を重視したのに対し,ル・コルビュジエは現実的な対処法を示したという指摘は,医師と建築家という両者の立場の違いを浮き彫りにしている.

 第3章では,ル・コルビュジエが主宰し,ウィンターが幹部を務めたASCORALの時代,具体的には1940年代における両者の考え方と協働関係を分析している.その結果,ウィンターの身体文化に関する考え方が「自然法との調和」からさらに一般化し,物理的な身体を超えて全体としての生を問題とするようになったこと,それが「生物学」というキーワードにこめられたことを示した.ル・コルビュジエについては,この時期はじめてウィンターに言及することが明らかにされ,ウィンターの「生物学」が彼の同時期の建築・都市の考え方にも通底するものであることを論証している.一方で,レスプリ・ヌーヴォー時代に専用スペースとして拡大されていったスポートスペースが,この時期,寝室の一角に回収されてしまうという事実の指摘は興味深い.このことは,機能と部屋との対応が機能と空間の対応へと一般化される論理的帰結であると考えられ,身体文化の観点から近代建築の特性を浮き彫りにするものといえる.

 結論では,これまでの議論を整理するとともに,古代における身体文化との関係や現代の建築への影響について言及している.

 以上,本論文は,ル・コルビュジエとウィンターの協働関係を身体文化の視点から1次史料に基づいて再考察することで,ル・コルビュジエ解釈に新たな断面を提供するだけでなく,近代建築を再考する新たな視点を提供する貴重なものといえる.

 よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる.

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