学位論文要旨



No 116779
著者(漢字) 林,泉忠
著者(英字)
著者(カナ) リム,チュアンティオン
標題(和) 「辺境東アジア」における民族と国家 : 帰属変更と住民アイデンティティをめぐる沖縄・台湾・香港の比較研究
標題(洋)
報告番号 116779
報告番号 甲16779
学位授与日 2002.03.18
学位種別 課程博士
学位種類 博士(法学)
学位記番号 博法第165号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 田中,明彦
 東京大学 教授 渡辺,浩
 東京大学 教授 藤原,帰一
 東京大学 助教授 高見澤,磨
 東京大学 教授 若林,正丈
 立教大学 教授 高原,明生
内容要旨 要旨を表示する

 本論の主旨を一語で言えば、筆者が概念化している「辺境東アジア」地域における民族と国家の視点から、「帰属変更」と住民のアイデンティティの関係に焦点を当て、沖縄、台湾、香港を実証の対象とする比較研究である。

 まず、本論の動機から説明しておく。20世紀の第二次世界大戦以降の国内政治と国際政治における最も重要な課題と言える民族と国家の関係は、ポスト冷戦における民族問題の噴出にもたらされている既存国家の枠組ないし世界システムの動揺によって、一層注目を集めている。冷戦終結の波を平静に受けているように見られる1990年代以降の東アジアにおいても、民族と国家をめぐるアイデンティティの問題が顕在化しつつある。

 本論において取り上げる分析の対象は、前近代ないし近代において東アジアの国家・地域観念である伝統的中心・辺境=華夷秩序の中で、「辺境」と位置付けられてきた沖縄・台湾・香港である。この三つの地域は、共に「辺境」という地域的性格・地位で類似性を有しているにとどまらず、近代以来、二度ないし三度とその主権もしくは政治的帰属が変更されたり、異民族の植民地的支配を受けたりした経験をもつことで共通している。さらに、このような近現代における主権・帰属の変更が行われて以来、この三つの地域は、共にその主権国・宗主国との関係でアイデンティティをめぐる問題を抱えてきている。本研究で概念化しているこの「辺境東アジア」地域の今日に起きているアイデンティティの危機は、概して、中国に対抗する台湾ナショナリズムの高揚、返還後の香港における文化的帰属意識と政治的帰属意識との矛盾、日本本土に対する「沖縄人意識」の顕在化、である。このような、三地域の政治的自立への傾斜を含意する「脱『辺境』化」現象と言うべく、沖縄、台湾、香港という「辺境東アジア」地域におけるアイデンティティの顕在化問題は、実際、依然として東アジアの「中心」と見なされる「中国」と「日本」という主権国家の枠組みを動揺させている。無論、中国や日本は東アジアの超大国である以上、その国家システムの動揺は、この地域の秩序や国際システムにも影響を及ぼすことになる。

 このような問題意識をもつ本研究では、民族と国家をめぐって、「辺境東アジア」土着アイデンティティの生成、顕在化、政治化と「帰属変更」との関係を命題として取り上げる。そこで、最も重要なキーワードとしての「帰属変更」は、単なる主権国家間のフォーマルな領土移譲・併合作業を意味するにとどまらず、その領土と共に帰属を変更された住民の長期的に抱えざるを得ない、政治・経済・文化などの領域から、民族・国家をめぐるアイデンティティの問題まで広く及んでいる。本論は、とりわけ近代以降における「帰属変更」を極めて複雑な構造的問題として考えている。従って、この命題に関わる「辺境」、「東アジア」、「中心<−>辺境」、「外国」・「異民族支配」、「祖国復帰」、「ポスト返還」なども本論のキーワードになる。

 本研究の目的は、「辺境東アジア」地域住民の民族と国家をめぐるアイデンティティ問題の構造解明にとどまらない。この研究を通して、「辺境」問題を抱えている近現代東アジアの国家システムおよびそれに相関する観念の構造解明にヒントを与え、今日東アジアが直面している課題を提出し、21世紀に対応できる安定した国家システムの構築およびそれに必要な新たな国家観念の形成の努力を促進できればと期待している。また、民族と国家を視点とする東アジアの比較研究に位置付ける本研究を通して、エスニシティやナショナリズムを含む民族・国家研究の理論的構築、さらに進行中の世界規模の民族紛争の解決や21世紀における新しい世界秩序の構築に少しでも貢献できればと考えている。

 さて、以上の目的をもつ本研究の方法上の基本的姿勢は、ケース・スタディーの比較研究である。具体的に、(1)ケース・スタディーの比較、(2)「三元比較」、(3)「類似したケースの比較」、(4)「垂直比較」、という比較法を用いる。

 次に、本論の構成は、まず第1部を「本研究の視角と枠組み」とし、論文全体の性格を規定するものを提示する。そのうち、第1章は、研究テーマを決定する動機、問題意識を明示した上で、論文の基本的分析枠組みを作業仮説、研究対象、分析方法によって説明を行う。そして、第2章は、本研究の注目するアイデンティティの生成・活性化の要因、「辺境」アイデンティティの特徴について、先行の理論研究を批判的に整理する。続いて、第2部以降の実証研究の予備作業として、「辺境東アジア」の歴史的位置付け、そしてそれぞれが経験してきた近代における「帰属変更」の政治過程と住民との関係を概説する。以上によって、論文の基本的方向を固める。

 第2部から第4部までは、実証研究として「帰属変更の遺産」という視点から、沖縄、台湾、香港のアイデンティティ問題のあり方や性格を検証する。まず、第2部は、沖縄ナショナリズムの史的展開を考察する。そのうち、第3章は、沖縄ナショナリズムの起点を先行研究の乏しい「琉球抗日復国運動」に求め、「琉球併合」によって、琉球が初めて「帰属変更」に直面する際のアイデンティティをめぐる琉球エリート・一般住民の動きに重点を置く。第4章では、1945年の終戦に伴う沖縄の二度目の「帰属変更」によって、浮上していた沖縄諸政党の独立論の実像に迫る。また、政治性をもった「沖縄人」アイデンティティの性格をめぐって、「凧型ナショナリズム」概念の可能性を提出する。そして、第5章は、沖縄の第三次「帰属変更」である1972年の「祖国復帰」実現まで、戦後沖縄住民の「祖国復帰」・「反復帰」をめぐる複雑なアイデンティティ構造の解明を追求すると同時に、沖縄アイデンティティの反覆特徴を指摘呈示する。

 第3部は、台湾の事例研究である。まず、第6章は政治的視点から、第7章は文化的視点から、1945年に「祖国」に戻った後の台湾住民アイデンティティの形成や変遷を検討する。エスニック政策としての蒋経国の「『本土化』政策」の初解明を通じて、戦後最大のエスニック問題である「省籍矛盾」との関係やその後高揚していく台湾ナショナリズムとの接点を明らかにすることを、第6章において試みる。第7章は、「外来政権」である国民党の政治権力の消長を背景とした、台湾戦後文化史の主な流れを、「新中国文化」から「新台湾文化」への転轍として把握し、「中国人」と「台湾人」それぞれの構築上の性格を吟味するものである。また、「アイデンティティは植付きうるか、自己決定しうるか」という設問に対して肯定的回答を提出する。

 続いて第4部では、香港を第3の事例研究とする。まず第8章では、アイデンティティ形成の不可欠な基盤である域内の一体化からなる地域共同体としての「香港共同体」の確立過程を考察した上で、創造性・想像性濃厚な新生アイデンティティとしての「香港人」意識の生成要因と特徴を探求する。最後に、「返還問題」で顕在化した「香港人」アイデンティティの基本的性格を「準ナショナリズム」と規定する。そして、第9章においては、返還後に起きた「終審権論争」を取り上げて、この事件でクローズアップされた「一国」と「二制度」の攻防戦の分析を通して、香港住民アイデンティティの政治的地図を規定する境界線を明確にする。

 各章のケース・スタディーで明らかになったそれぞれの重要なポイントは、以上の構成紹介の中にすでに含まれている。次に、本論全体の結論を、「仮説への回答」、「アイデンティティ理論への対応」に分類し整理する。

 まず、「仮説への回答」である。本研究が得た主な結果は、第1章に提示している諸仮説に一致しているので、それらを次の二つのレベルで概括する。

 すなわち、本論の構造的仮説である、今日の「辺境東アジア」に起きているアイデンティティの政治化・顕在化を内包する「脱『辺境』化」現象は、「前近代」と「近代」の衝突によって構造的に産出されたものである。まず、前近代の「中心<−>辺境」関係は、「近代」の到来で、「中心」側と「辺境」側のそれぞれの変化を含む異変が起きてきている。とりわけ、「中心」は国民国家の論理から政治的にも文化的にも、「辺境」の「中心」への忠誠心を強く要求する一方、「辺境」側は逆に「近代」の基本的イデオロギーであるリベラリズムに便乗し、自らの「特殊性」を強調し「中心」からの離脱を要求する、という両側の「近代」における変化は重要な要因となった。また、この「構造に関する仮説」は、以下に述べる「プロセスに関する仮説」が成立すれば、自然に成立するものでもある。

 本研究で重点的に立証しようとしているのは、プロセスに関する仮説であるが、「帰属変更」と「辺境東アジア」地域のアイデンティティ問題とは極めて密接な関係にあり、そして、この密接関係とは、「辺境東アジア」のアイデンティティ問題の「元凶」は、「中心」同志の力関係の帰結である「帰属変更」というものだった、という因果関係である。「元凶」の「帰属変更」は複雑性を有する構造的問題であるため、この「因果関係説」の妥当性は、本研究で立証された次の4点にも支えられている。すなわち、(1)「住民不在」の「返還」過程は、「辺境東アジア」アイデンティティ問題の原点、(2)「返還」後の差別政策は、その後「辺境」アイデンティティ顕在化・政治化の要因、(3)植民地支配と複数の「帰属変更」経験も、「辺境」アイデンティティ不安定化の要因、(4)三地域のアイデンティティ顕在化・政治化程度の相違を左右する他の諸変数は、住民の「帰属変更」への意向、「母国」との関係、そして「返還」のパターンの相異、という三つのカテゴリーに集約することができる。

 さて、本論の「辺境東アジア」地域の実証研究から、アイデンティティ理論の三つの論争に焦点を当て、本研究から得た知見を結果のみ挙げておく。まず、アイデンティティの生成・活性化に関連するものであるが、(1)社会の普遍的共同体意識としてのアイデンティティは、歴史的連続性を有するものか、それとも近代的産物か、という命題に対して、本論を通し、後者が妥当であると見られる、(2)アイデンティティの生成は原初的絆によるものか、または「我々」と「彼ら」との接触で生まれたものか、という理論的「対立」に関しては、本研究から、両者は必ずしも矛盾していおらず、両立可能という結果が出た、(3)アイデンティティの活性化は社会変動の産物か、利益守護の道具か、という「相反説」も、実に矛盾なく「辺境東アジア」の土着帰属意識の表出を説明できる。

 次に、アイデンティティの本質について、(1)それは、可変なものか、それとも不変なものかという問いに対して、「可変」と本研究から明晰な答えが出る、(2)エスニック・アイデンティティとナショナル・アイデンティティを含む帰属意識は、実在した共同体の意識か、それとも「想像の共同体」意識については、本論から必ずしも明快な回答を出せていない。しかし、実在的なものかどうかは別として、アイデンティティは、想像したりする過程を経て生成され、強化されたものであることは、本研究も同意する、(3)アイデンティティは自然の所産か、創造されたものかに対し、本論の研究から、近代におけるアイデンティティは、自然に形成されたというよりも、人為的に構築された側面が濃厚である、ということが明らかになった。

 最後に、本論の結論として、「辺境」地域のアイデンティティ問題の沈静化を握る鍵は、前近代の「中心」をベースに成立した「近代国家」の論理が、どのように「辺境」地域の主張やマイノリティの利益との矛盾を最大限に低減し、両者のバランスをうまく取れるかにほかならないと指摘している。更に、21世紀への展望に関連し、「前近代」も「近代」も、「中心」や「大国」の論理で形成されてきた「上から」の国家システムや世界システムをより安定にするためには、「ポスト近代」に入ろうとする現在において、「辺境」や地方からなる地域秩序をベースにした「下から」の国家システムや世界システムの構築理念を一層再考する価値があるのではないかと提唱している。

審査要旨 要旨を表示する

 本論文「『辺境東アジア』における民族と国家〜帰属変更と住民アイデンティティをめぐる沖縄・台湾・香港の比較研究〜」は、東アジアにおける伝統的秩序(華夷秩序)において「辺境」とみなされてきた沖縄・台湾・香港の三つの地域に着目し、それぞれが近代にはいり二度ないし三度経験した政治的帰属の変更が、住民のアイデンティティにどのような影響を与えたかを比較分析しようとする論文である。今日、沖縄、台湾、香港においては、それぞれ相当異なる政治状況の中で、「沖縄人意識」、「台湾人意識」、そして「香港人意識」が顕在化している。沖縄における本土との関係、台湾における大陸との関係、香港における一国二制の運用の問題など、それぞれの地域において、これらの住民アイデンティティと国家の関係は、まさにそれぞれの政治の主要なテーマである。著者は、これまで比較の対象としてまとめて扱われることのほとんどなかったこの三つの地域が、実は、伝統的東アジアにおいて「辺境」とみなされてきたという特徴を共有しているのみならず、近代にはいって以来、住民の意思とほとんどかかわりなくその政治的帰属を二度ないし三度にわたって変更させられてきたという特徴も共有すると指摘する。このような伝統的「辺境性」と「帰属変更」を正面からとりあげることによってのみ、この三つの地域の住民アイデンティティも、アイデンティティをめぐる政治の構造とプロセスも明らかにされうるのだというのが著者が本論文で展開する主張である。

 本論文は、九つの章と結論から構成されており、九章にわたる本論は、問題意識と理論的検討の二つの章からなる第一部、沖縄についての三つの事例をとりあげた第二部(全三章)、台湾についての二つの事例をとりあげた第三部(全二章)、そして香港についての二つの事例をとりあげた第四部(全二章)から構成される。

 第一部「本論の視角と枠組」は、第一章「序論」と第二章「民族・国家と『辺境東アジア』」の二つの章から構成されている。第一章では、本論文をつらぬく全体的な仮説が提示される。その仮説の第一は、著者が「構造に関する仮説」と称するもので、おおまかにいえば、地域住民のアイデンティティの形成と活性化は、東アジア地域における「前近代」と「近代」の衝突の産物であるというものである。近代化によって主権国家内の均質化が進行するという見方とは異なり、これら三つの地域ではかえって、住民アイデンティティが活性化する(著者の言葉では、「脱辺境化」する)という「近代化の逆説」が起こるというのである。第二の仮説は、著者が「プロセスに関する仮説」と称しているもので、これもおおまかにいえば、二度以上にわたる「住民不在」の「不本意な」帰属変更がこれらの地域住民のアイデンティティ混乱と「辺境アイデンティティの形成」と「政治化」の原因であるというものである。

 第二章は、この第一章で提示した仮説の背景としての文化的・政治的アイデンティティの生成・政治化に関する先行研究、さらに「辺境」一般におけるアイデンティティの問題についての先行研究の整理し、そして、以下本論のケーススタディの背景となる伝統的東アジアにおける「辺境」の特徴を歴史的に概説している。特に、第三節において、伝統的東アジア世界の特徴を図式的に示すとともに、沖縄、台湾、香港がその中でいかなる地位を占めていたかが略述され、近代の到来とともに、それぞれにいかなる帰属変更が加えられたかが記述される。香港の割譲、琉球の日本への併合、台湾の日本への割譲、沖縄のアメリカによる統治、台湾の「光復」(祖国復帰)、沖縄返還、香港返還である。

 第二部「『帰属変更』の遺産としての沖縄ナショナリズム」は、沖縄に関する三つの事例研究から構成される。第三章「沖縄ナショナリズムの起点としての琉球抗日復国運動(1875-95)」は、1879年の日本による「琉球処分」前後から日清戦争終焉にかけて行われた日本統治への反対・抵抗運動の実態を解明し、この運動が「琉球アイデンティティ」に与えた意味を考察しようとするものである。本章は、琉球抗日復国運動が、これまでの先行研究が示す以上の広がりと抵抗の強さをもっていたことを論述しており、この運動に現れたような「琉球アイデンティティ」こそが、日本との一体化の中においてもなお第二次世界大戦後に継続する沖縄住民のアイデンティティの葛藤の基盤をなしていると論じる。

 第四章「戦後初期沖縄諸政党の独立論」は、第二次世界大戦直後の沖縄においてみられた独立を求める動きを、諸政党の綱領や政治家の演説の中から抽出しようとした試みである。アメリカ占領期の沖縄においては「祖国復帰運動」が大きな動きとなっていったが、本章は、それ以前の段階において、沖縄にかなり強い独立志向の動きが存在したということを論証しようとする。しかし、この独立志向の動きは、1949年以降急速に勢力を弱めざるを得なかった。著者は、この運動の失敗の背景には、国際情勢の変化とともに、この運動が最終的に、明白な民族アイデンティティの形成に失敗したことが大きいと論じる。

 第五章「『祖国復帰』と『反復帰』−−沖縄アイデンティティの十字路」は、前二章においてもみられた沖縄におけるアイデンティティの動揺が、沖縄返還に至る過程でどのような姿をとったかを、「祖国復帰運動」とこれに反対する「反復帰運動」の展開を通じて検討するものである。著者は「復帰運動」にみられる「日本人アイデンティティ」の創造過程に着目するとともに、「反復帰運動」とこれまでみられた沖縄アイデンティティに継続する独立論の関係を政治諸勢力ごとに検討する。「反復帰運動」は、結局大衆的支持を集めることができず今日に至るが、その背景には、戦前日本による「集合的記憶」の植え付けの成功があり、独立論者たちが「沖縄ナショナリズム」の確立に成功しなかったことがあると著者は結論する。

 第三部「『帰属変更』の遺産としての台湾エスノポリティクス」は、台湾に関する二つの事例研究から構成される。第六章「『省籍矛盾』と蒋経国の『「本土化」政策』」は、台湾にとって二度目の「帰属変更」である中華民国の台湾接収以後最大のエスニック問題となった「省籍矛盾」問題の構造と、これの解消をめざした蒋経国の「本土化政策」の展開過程を実証的に分析するものである。「省籍矛盾」とは、1947年の「二・二八事件」以後外来政権である国民党政権の長期化に伴って広く定着していった「本省人」への差別の構造であった。台湾における民主化にともないこの「省籍矛盾」は今や解消されたといえるが、著者によれば、この「省籍矛盾」解消のためのプロセスとしての「本土化政策」は、権威主義体制のもとにあった蒋経国時代にすでに開始されていた。本章は、この主張を裏打ちする実証分析であり、その背景をなす要因分析である。

 第七章『「新中国文化」から「新台湾文化」への転轍の政治的文脈』は、第2次世界大戦後の台湾における文化に注目することによって、台湾における「中国人アイデンティティ」の問題と「台湾人アイデンティティ」の問題に迫ろうとする分析である。本章で、著者は、まず国民党が台湾において新たな中国人意識を生み出そうとして行った「『祖国化』文化運動」に着目し、これが日本の行った「皇民化政策」と相似した形態をとったものであったことを論証し、そこで北京語に基づきつつも大陸とは異なる「新中国文化」の創造がおこなわれたと論じる。しかし、民主化過程で登場した李登輝政権は、「全住民『本土化』政策」とでもいうべき文化政策を展開してきたと論じる。その過程で、新たな歴史教科書『認識台湾』の使用や台湾語の復権が行われ、「新台湾文化」とも呼びうるものが形成され、「台湾人アイデンティティ」の基礎になりつつあると著者は論じる。

 第四部「『帰属変更』の遺産としての香港アイデンティティ問題」も、二つの事例研究から構成されている。第八章「戦後における『香港共同体』の確立と『香港人』の想像・創造」は、「香港人」というアイデンティティがおおむね第二次世界大戦後にはじめて形成されたことに着目した分析を行っている。それまでの流動的な人口動態が、戦後になってある程度固定化してきたことを背景に、イギリスが植民地統治体制を整備していったことに「香港共同体」の成立の要因があると分析し、ここに「ソフトウェア」としての独自性のある「香港文化」が創出され、「香港人アイデンティティ」が形成されたのだと論じる。この「香港人アイデンティティ」形成のプロセスは、イギリスからの返還が決まって加速したというのが本章の主張で、その結果、香港に「準ナショナリズム」とも呼べる可能性が生まれていると著者は論じている。

 第九章「『一国』VS『二制度』の力学と香港住民アイデンティティ」は、「終審権論争」という返還後における政治プロセスの中から香港人アイデンティティの帰趨を論じたものである。「終審権論争」とは、大陸生まれの子供の「香港居住権」をめぐる裁判をきっかけに起こった論争であり、香港終審裁と中国全国人民代表大会の間での香港基本法の解釈権をめぐる争いであった。香港終審裁の権限を強く解釈した終審裁の判決に対して、中国がこれを批判したことによって、論争がおき、結局は中国全人代の解釈権の優位があるということで決着した論争である。本章は、この政治過程のなかで、香港においてリベラリズム対リアリズムの対立、「中国人」アイデンティティ対「香港人」アイデンティティの対立という二つの軸が登場してきたことを論じる。しかし、論争は「一国優先論」で決着し、今後「中国人」アイデンティティに向けた圧力は強まるであろうと著者は結論するが、それにもかかわらず、二つのアイデンティティの葛藤は容易には解消しないとも論じる。

 最終章「結論 本研究の発見と再出発」において、著者は、以上の七つの事例研究から得られた知見をもとに、第一部で提起した仮説への著者なりの回答をあたえ、一般的なアイデンティティ論についての展望を論じている。

 「構造に関する仮説」についてみると著者は以下のように結論する。すなわち、「近代」の到来は、「中心」側と「辺境」側にそれぞれ異なる変化を生み出した。「中心」は、国民国家の論理から政治的にも文化的にも「辺境」の忠誠心を強く要求するのに対して、「辺境」側は逆に「近代」の基本的イデオロギーであるリベラリズムに則り、自らの「特殊性」を強調し「中心」からの離脱を要求する。これが、東アジア地域の伝統的「辺境」におこったアイデンティティ問題の構造を規定していると著者は言うのである。

 これに加え、著者は「プロセスに関する仮説」に関して、以下の四点が実証されたと論じている。(1)「住民不在」の「返還」過程は、「辺境東アジア」アイデンティティ問題の原点である。(2)「返還後」の差別政策は、その後「辺境」アイデンティティ顕在化・政治化の要因である。(3)植民地支配と複数の「帰属変更」経験も、「辺境」アイデンティティ不安定化の要因である。(4)三地域のアイデンティティ顕在化・政治化の程度に相違をもたらす諸変数は、住民の「帰属変更」への意向、「母国」との関係、「返還」のパターンの相違である。

 さらに一般的なアイデンティティ論に関連して、著者は、本論文の事例研究によって、アイデンティティ形成が近代の産物であること、人為的に構築されうる可変的なものであることなどが例証されているとも付け加え論文をとじている。

 以上が本論文の要約である。以下に評価を述べる。

 まず本論文には以下の長所があると認められる。第一に、これまで個別的にのみ分析されることの多かった沖縄、台湾、香港の三地域を、伝統的東アジアにおける「辺境」であり、住民の意思に関係のない「帰属変更」を経験した地域であるという共通性に着目し、比較分析をおこなった着眼的の鋭さが指摘できる。沖縄を日本史の一部としてしか取り扱わず、香港や台湾を中国史の一部としてしか取り扱わないような一国主義的方法の優越が近代の特徴であったとすれば、本論文は、まさにそのような「近代」の呪縛を乗り越える試みである。前近代から近代への移行過程において比較可能な地域として沖縄、台湾、香港の三地域が存在したのだという主張は、東アジア研究の学問動向に大きな影響を与えうる重要な指摘である。

 第二の長所は、この三つの地域の政治過程において最も重要な側面が住民のアイデンティティであると指摘し、この変動を解釈するために、著者なりの理論仮説を提示しようとしたことである。やや荒削りのところがあるが、近代のもたらす圧力が前近代の「中心」と「辺境」に相反する影響を与え、これが「辺境」におけるアイデンティティを不安定化させるという仮説は、たしかに沖縄、台湾、香港に関していえば、説得力をもっている面がある。仮説構築に対するこのような態度のため、事例研究も単なる歴史叙述以上の意味を持ちえている。世界各地における、同様の事例研究を促す効果も持ちうる貢献であろう。

 本論文第三の長所は、多様な側面と異なる時期にわたる事例研究である。沖縄、台湾、香港のすべての地域の言語に精通している著者は、すべての事例研究において一次資料と直接の面接調査を行うなどして、新たな事実の発掘と解釈に努めている。各章の事例研究をそれぞれの分野の他の個別研究と比較したとき、著者の研究が最新・最善の研究とは言い得ないにしても、一人の研究者にして本論文に収められた七つの事例研究を行うことは容易に行いうることではない。第六章で展開された蒋経国時代の「本土化」政策の実証は、著者によって初めてなされた分析である。沖縄をめぐる事例研究などその他の事例研究においても、乏しい資料を精力的に収集した努力は評価されるべきであろう。

 このような長所を持つ論文であるが、短所もまた指摘せざるをえない。第一に、沖縄、台湾、香港の三つの地域を同時にとりあげた功績は評価してもしすぎることはないが、この三地域を比較するための理論枠組みは、依然として未完成と言わざるをえないことである。「近代」、「前近代」、「中心」、「周辺」などといった主要概念についての規定は、十全であるとはいえない。著者が「プロセスに関する仮説」と呼ぶものについても、それらが同義反復でないとする根拠が十分示されているとは言い難い。

 第二の短所は、事例研究選択の根拠とこれらと理論枠組みの接合の仕方が十分説得的であるとは言い難い面があることである。三地域について、それも異なる時期に関する実証分析を一次資料に基づき行うことが大変に困難な作業であることは前述の通りであり賞賛に値することであるが、それにしても、なぜそれぞれの実証分析が行われたのかについての理論的説明は十分ではない。したがって、これらの実証分析の組み合わせから論理的に理論仮説のどの部分への回答がいかなる形で与えられているのかが、鮮明な形では浮かび上がってこないのである。

 第三に、本論文の論述の仕方にも短所が見られる。やや日本語としての表現に問題があり理解しにくい部分が存在する。また、著者は、本論文のアイデンティティ問題については科学的態度を一貫してとろうとする姿勢を保持しているが、論述のそこここには、ある種の心情が吐露されてしまう部分が存在している。伝統的辺境の人々が、自らの意思と関係なく帰属を変更させられた、これがさまざまな政治的問題を生み出している、このような理不尽さへの怒りを香港人である著者も共有しているのであろう。この当然といえば当然の心情は、しかしながら、本論文の説得力という面からするとやはり短所といわざるをえない。

 しかしながら、以上のような短所にもかかわらず、これらは、本論文の価値を大きく損なうものではない。沖縄、台湾、香港という三つの地域の共通性に着目し、それぞれの住民アイデンティティに影響を与えた歴史を理論的に正面からとりあげた本論文は、今後の東アジア研究さらにはアイデンティティ問題の研究に貢献するところが大きい。したがって、本論文は、博士(法学)の学位を授与されるにふさわしいものと認められる。

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