学位論文要旨



No 116781
著者(漢字) 大久保,街亜
著者(英字)
著者(カナ) オオクボ,マチア
標題(和) 空間関係の視覚情報処理とその脳内機構
標題(洋)
報告番号 116781
報告番号 甲16781
学位授与日 2002.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(心理学)
学位記番号 博人社第351号
研究科 人文社会系研究科
専攻 基礎文化研究専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 高野,陽太郎
 東京大学 教授 立花,政夫
 東京大学 教授 佐藤,隆夫
 東京大学 教授 横澤,一彦
 上智大学文学部 教授 道又,爾
内容要旨 要旨を表示する

 視知覚は,反射光や放射光から物体や出来事に関する情報を抽出し,それらに関する知識を獲得するプロセスである これまでに光情報の抽出,あるいは,獲得された知識それぞれに焦点をあてた研究は数多く行われてきた.しかし,それぞれの過程が視知覚という一連の情報処理のなかでどのように関わるかほとんど検討されてこなかった.本論文は,外界の物理情報から,視覚的な知識が獲得される情報処理の流れを解明するものである.視覚的な知識に関わる情報として,コーディネイト空間関係に焦点を当てた.コーディネイト空間関係とは,対象間の位置関係を数量座標の上で詳細に記述するものである(例:2cm離れている).この情報は,物体の認識,空間の認識の基礎となるものだと多くの研究者は考えている.本研究では5つの実験から,コーディネイト空間関係が,明暗の単純な繰り返しである空間周波数からどのようにして実現されるか検討した.また,2つの実験から,コーディネイト空間関係処理に関わる脳内領域を調べた.

 実験1-3では,コーディネイト空間関係が右半球で優位に処理されることを利用した.これらの実験では低空間周波数の除去により,コーディネイト空間関係処理の右半球優位が消失することが示された.これは,コーディネイト空間関係処理の右半球優位が低空間周波数の処理に依存することを示すものである.この結果は「粗い符号化機構」を想定することにより整合的に説明された.粗い符号化とは,コンピュータシミュレーションの分野で発展した概念で,低空間周波数情報のような低い空間解像度の情報を組み合わせることにより,高い空間解像度の空間記述を実現するものである.コーディネイト空間関係は,位置関係を詳細な数量座標で記述するものなので,粗い符号化によって空間解像度の高い詳細な位置情報を実現していると考えられた.

 実験4,5では,実験1-3で明らかになったコーディネイト空間関係と低空間周波数の関係が,心的イメージに対する空間関係処理にも適用できるか検討した.低空間周波数処理機構の生理学的実体である大細胞経路を抑制すると,実際に視覚像を見ているときと同様,対象をイメージしているときにもコーディネイト空間関係処理が阻害された.この結果から,実験1-3で明らかになったコーディネイト空間関係と低空間周波数の関係が,心的イメージに対する場合にも適用できることが示された.心的イメージは内的に保存された知識から生成される視覚表現である.このような知識への依存度が大きい処理が.外界の物理的な情報である空間周波数の処理に依存することがわかった.

 実験6,7では,fMRIを使いイメージと知覚のコーディネイト空間関係処理に関わる脳内領域を調べた.議論の余地はあるが,右の頭頂領域が重要な役割を果たしていること示唆され,しかもイメージと知覚のときに関与する領域は重なった.これらの結果は,コーディネイト空間関係処理の脳内機構に示唆を与えるとともに,実験4,5で示されたイメージと知覚の共通性を裏付けるものであった.

 全体的考察では,これらの結果を統合的に説明する情報処理モデルを提案した.モデルでは,コーディネイト空間関係処理が,低空間周波数を利用した粗い符号化に依存することを示した.また,モデルで提案された情報処理は,心的イメージのような知識から表現される視覚表現にも適用されることが示された.

 本論文では,空間関係と空間周波数の処理に存在する因果関係が実証され,それを整合的に説明するモデルが提案された.この研究により,異なる文脈で議論がなされてきた空間関係と空間周波数が結び付けられ,初期から高次へ連なる情報処理の流れが解明された.すなわち,本研究により,空間周波数という外界の物理的な情報を,空間関係という知識に関わる情報へ変換する過程が明らかになった.

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は、視知覚と視覚的イメージの共通性を検討したものである。より具体的には、空間関係の処理プロセスに注目し、その特性が視知覚と視覚的イメージの間で共通しているかどうかを実験的に検討した。

 本論文が焦点をあてた空間関係は、「コーディネイト空間関係」と呼ばれるものである。コーディネイト空間関係とは、対象間の位置関係に関する数量的記述である(例:「2cm離れている」)。このコーディネイト空間関係の処理は、脳の右半球の方が左半球よりも優れていることが知られている。

 一方、物体認識の基礎となる空間周波数に関する研究では、低空間周波数の処理は右半球が、高空間周波数の処理は左半球がそれぞれ優れていることが知られている。一般に、高空間周波数は高解像度を可能にするので、この知見は、「コーディネイト空間関係の処理は右半球の方が優れている」という上記の知見とは矛盾するように見える。

 ここで、本論文の著者は、計算機シミュレーションの分野で提唱された「粗い符号化」という概念に注目し、この矛盾を解消する仮説を提案した。粗い符号化とは、低い解像度の情報を組み合わせることによって、非常に高い解像度を得ることを可能にするプロセスである。脳の右半球がこの粗い符号化をおこなっているとすれば、右半球が持つ低空間周波数の優れた処理能力がコーディネイト空間関係の優れた処理を可能にしていると考えることができ、矛盾は解消される。

 実験1、2、3では、低空間周波数の除去によって、コーディネイト空間関係の処理における右半球の優位が消失した。これは、右半球の優位が低空間周波数の処理に依存することを示しており、上記の仮説を支持するものである。

 実験4、5では、低空間周波数処理機構の実体である大細胞経路を抑制すると、視知覚においても視覚的イメージにおいても、コーディネイト空間関係の処理が阻害された。これは、粗い符号化が、視知覚と同様、イメージにおいても行われていることを示している。

 実験6、7では、fMRIを使用して、コーディネイト空間関係の処理に関わる脳内領域を調べたところ、右の頭頂領域が活性化するという、上記の仮説と矛盾しない結果が得られた。この点は、イメージと知覚の双方に共通していた。

 本論文は、独創的な仮説を立てた上で、それを緻密な実験によって実証したものである。高度な知識と研究技法によって、視知覚とイメージの共通性に関する最先端の知見を提供した本研究は、その意義を高く評価することができる。fMRIを用いた研究には、もう一段の洗練が望まれるものの、審査委員会としては、本論文が博士(心理学)に相応しい論文であるという判断を下した。

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