学位論文要旨



No 116782
著者(漢字) 林,慶花
著者(英字)
著者(カナ) イム,キョンファ
標題(和) 万葉集研究 : 和歌と律令国家
標題(洋)
報告番号 116782
報告番号 甲16782
学位授与日 2002.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(文学)
学位記番号 博人社第352号
研究科 人文社会系研究科
専攻 日本文化研究専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 多田,一臣
 東京大学 教授 長島,弘明
 東京大学 助教授 月本,雅幸
 東京大学 助教授 渡部,泰明
 成蹊大学文学部 教授 鈴木,日出男
内容要旨 要旨を表示する

 本論文は、古代律令国家における人民支配の装置として和歌がどのように機能していたかという問題意識に基づき、主として『万葉集』に見られる防人歌の表現内容の分析を通して検証しようとする試みである。

 『万葉集』は、七世紀中葉から八世紀にかけて主に中央貴族によって詠まれた歌を収めた歌集であり、その意味では、貴族的文化を象徴する『古今集』以降の勅撰和歌集の先蹤をなすものと捉えることができる。だが、その一方で、『万葉集』に限っては、その内部に中央貴族以外の下層民(庶民)による歌をも少なからず含んでいるという、基本的には後代の勅撰集に継承されることのなかった特異性を持つ。そして、このような特異性は最近まで和歌がまだ歌謡(もしくは民謡)の世界を完全に振り払う前の草創期のカオスを伝えているものと理解されていたように思われる。だが、『万葉集』の伝える庶民の作がはたして彼らの生活感情が素直に反映された歌謡であったかについては早くから異議が唱えられてきた。第一、それらのほとんどが定型和歌であるという事実は庶民の作が歌謡そのものではないことを端的に示すものといえる。そこに庶民の歌の蒐集にかかわった、定型和歌の担い手である中央貴族たちの関与する状況が生じたことは否定しえないのではないか。『万葉集』に庶民の作がことさらに収められていることの意味が再考されなければならない所以である。

 その意味で、庶民の作の広範な現出を『万葉集』を生み出した時代の歴史的特殊性から説明した品田悦一氏の見解は注目すべきである。氏は、中央集権的な古代律令国家は地方支配の装置として都と諸国を放射状に結ぶ交通網を実体として持ちつつ、それに支えられながら中央主導による在地との「交通」を展開したが、『万葉集』に見られる庶民の作はそのような「交通」の所産であり、中央集権的体制の解体後は再び和歌の流通が貴族社会に局限されていったと説いた。氏の見解は『万葉集』に固有な現象を歴史的特質に即して捉えようとした先駆的ものとして研究史的意義が大きい。ただし、氏が中央による地方支配の一環としての地方文化掌握を、「交通」の機能を中心に据えて捉えていることに異論はないが、「交通」の媒体となった和歌そのものに対する機能的な把握がやや不充分であったように思われる。というのも、和歌に対する一定の政治・社会的機能が期待されなければ、それが「交通」の道具になることはなかったと考えられるからである。

 この点にかかわって想起されるのは、その効用性を存在意義の中心において説いている『毛詩』大序に代表される古代中国の詩観である。大序の内容を簡単にまとめると、(1)詩は内面の発露であるため、為政者は民の詩から民情を読み取ることで政治を正し、(2)逆に為政者は詩を正すことで民の内面に作用を及ぼし道徳を正すということである。(1)については、『礼記』王制なども周代に各地から詩が集められたことを伝えており、儒教を国教化し郡県化を強めていった漢武帝は周代にならい民間の詩を採集するために楽府を設けたという。即ち、「采詩」とは儒教的政治理念と強く結び付いた観念であり、律令官人たちによる地方の歌の蒐集という実践もこうした古代中国の詩観の理念に支えられたものといえよう。(2)の機能については、後代の勅撰集と区別される『万葉集』のもう一つの特異性として中央貴族たちの作に庶民を取り上げた歌が少なからず存在することからも具体的に確認することができる。先ず、その例を表で示しておく。

右の表からは、律令官人でもあった彼らが中央の官僚や地方官としての公務の遂行中に出会った庶民やその生活から取材して作歌していることがわかる。用例歌のほとんどは国家による公務にかかわった庶民や下級役人を取り上げたものである。律令官人たちは「戸令」国守巡行条に定められた「凡国守毎レ年一巡二行属郡一。(a)観二風俗一。問二百年一。録二囚徒一。理二冤枉一。詳察二政刑得失一。(b)知百姓所二患苦一。(c)敦喩二五教一。勧二務農功一。部内有下好学。篤道。孝悌。忠信。清白。異行。発二聞於郷閭一者上。挙而進之。……」を義務として負っていたが、〓〜〓から窺える庶民層に対する律令官人たちの関心は、(a)「観風俗」の責務に深くかかわっているといえよう。細かく見ると、〓は、基本的に(b)「知百姓所患苦」に依拠した作歌であり、〓は(c)「敦喩五教」に基づいた、(2)の機能の直接な応用例とすることができよう。律令官人たちのこうした作歌活動の基盤には、『史記』以下の中国正史の良吏(循吏)伝などに見られる部下・百姓を顧み教化に努める良吏像も参考されたことが考えられる。もっとも、〓〜〓のそれぞれを地方官の義務条項に当てはめるのが本稿の趣旨ではない。むしろ重要なのは、律令官人たちが人民統御という公務を行うのみならず、その延長上にそれにかかわらせて和歌を作ったことである。それは、『万葉集』の時代に古代中国の政教主義的詩観に基づいた機能(政治・社会的な有用性、ないしは功利性)が和歌に期待される時代思潮があったことを示すものではないか。支配の装置として和歌が論じられうる理由がここにある。そして、〓〜〓のような律令官人たちの管轄下の人民への関心と見合うようにして『万葉集』における庶民の作の量的豊饒という文学史的特質が保障されたと考えられる。

 ところで、『万葉集』が庶民の作と伝える例のほとんどは一般の庶民ではなく地方(辺境の)民の歌である。特に、巻一四の東歌と巻二〇の防人歌は東国方言的要素を多分に含んでいる。このような蒐集範囲の偏りについて、品田氏は中国の華夷観念を継受して「小帝国」を志向した古代の統一的専制王権が風変わりな歌を『万葉集』に取り込むことで世界中の人々の心と生活を掌握しているということを、歌によって示す点にあったと説いた。ただし、庶民の作の蒐集という試みは、『万葉集』の編者による理念的な位置づけからのみならず、和歌を自らの文化価値として自覚的に捉えていた中央貴族たちの、世界の人々をすぐれた中央文化の水準に同化させようとする意識に支えられた実体を持つものであった点からも強調されなければならないのではないか。即ち、庶民の作とされる例がその異質性において意味付けられるのと同時に、中央歌との歌型、表現様式、発想などの同質性が付与されている点についても、中国の詩観、特に(2)の機能、つまり詩をもって人民を徳化するという観念を背景に持つ律令官人たちの、和歌の世界における実践をも読み取るべきである。そして、庶民の作の間に見られる同質性の偏差も、中国的詩観の二つの機能、即ち庶民の歌謡を尊重しようとする姿勢につながりやすい(1)と庶民の歌謡に働きかけようとする(2)の磁場を内部に抱え込んだ律令官人たちの、歌の蒐集にあたる多様な姿勢に起因するものと解されよう。そうだとすると、中央貴族たちは自らの文化価値を象徴する和歌による人民支配をめざしており、それが地方支配とも密接に関わっているところに彼らの世界観が反映されていたことになる。第一章、第二章、第四章は、こうした律令官人たちの世界観(ないしは詩観)に注目しつつ、彼らの庶民の作へのかかわりの様相を巻二〇の防人歌や他の庶民作を具体的な対象として跡付けようとするものである。第三章では、律令官人たちの歌に具体的に切り取られている彼らの世界観について論じる。

 最後に、本論文が庶民の作の大半を占める東歌についてはほとんど触れずに分析の照準を主に巻二〇の防人歌群に当てたことについて付言しておきたい。東歌は、宮廷古歌の類聚歌巻とされる巻一三と対応する枠組みを見せており、宮廷歌集の秩序下に位置づけようとする編纂意識の見て取れる作者未詳歌巻である。その蒐集目的に関しては、早くから賀茂真淵『歌意考』が『毛詩』国風にならい、天皇に民の心を知らせるために集められたと説いた。だが、巻二〇の防人歌とは一定の同質性を持ちながらも、蒐集の主体や作歌の主体の不透明性、成立過程の複雑さゆえに、律令官人のかかわり方を論じるにはなお先決されるべき問題が少なからず残されている。その点、蒐集の過程が相対的にわかりやすい巻二〇の防人歌を明らかにすることで逆に東歌の究明への手掛かりが見えてくる側面があろう。東歌についての具体的な検討は今後の研究課題とし、第四章として本論文中に位置づけていきたい。ただし、庶民の歌の蒐集にあたった律令官人のかかわり方はそれぞれ異なり、個々に対する詳細な検討が欠かせないが、それらは『万葉集』の文学史的な特質を見据えた上で方向付けられるべきことをとりあえず確認しておく。

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は、古代律令国家における地方支配の装置として和歌がどのように機能していたかという問題を、主として『万葉集』の防人歌の表現内容の分析を通じて明らかにしようと試みた論である。問題意識の鮮明に現れた、構成・内容ともにすぐれた論である。全体は四章からなる。「第一章 防人歌考察の視点」は、従来の防人歌研究史の整理を通じて、本論文の位置を確認したもの。序論にあたる。「第二章 防人歌の性格」は、本論文の中心であり、さまざまな視点から防人歌の特質に迫ろうとしたもの。防人歌詠出の場について、従来の認定基準がいかに曖昧であったかを鋭く批判し、さらに難波津が第二の出発地として大きな意味をもっていたことを実証する。さらに「父・母」との関係を歌う防人歌の背後に、儒教的な「孝」の倫理を教導しようとする大伴家持の意図が存在したことを指摘し、その上で常陸・下野両国の防人歌の採録状況を分析、そのマスラヲ意識がそこに大きく影を及ぼしていることを明らかにする。一部図式的な把握が見られるとはいえ、今後の防人歌研究に大きな一石を投ずる意味を持つ指摘といえる。マスラヲの語義を徹底的に追及した「補論」も、これを私情に対立する概念を示す言葉として把握したところに斬新さを持つ。「第三章 律令官人の歌からの視点」は、「藤原宮役民作歌」などの精緻な表現分析によって、「民」を歌うことが律令国家への讃美の意味を生み出していくその機制を明らかにし、さらに家持が防人歌に接する中で、自身の歌をどのように作り上げていったのかを考察する。いずれも卓論といえる。「第四章 古代和歌史の「民」の歌」は、第三章の展開であり、『日本書紀』の童謡(わざうた)や、『万葉集』の芸能者の歌謡である「乞食者詠」を考察したもの。とくに前者は、宮古島のアヤゴと『三国遺事』の童謡との比較を含み、広い視野のもとに『日本書紀』の童謡が取り上げられている。今後の研究に益するところの多い論である。

 本論文は、律令官人の側からの視点を意識的に優先させており、ために一首一首の歌の読みにややふくらみを欠くような嫌いもないわけではない。しかしながら、本論文が、とくに本論文の基盤となった6編の既発表論文を通じて、近年停滞気味である防人歌研究に大きな刺激を与え、新たな段階にそれを進めたことは間違いないところであり、その点はきわめて高く評価しうる。よって、審査委員会は本論文が博士(文学)の学位に値するとの結論に達した。

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