学位論文要旨



No 116785
著者(漢字) 郭,定平
著者(英字)
著者(カナ) グオ,ディンピン
標題(和) 改革・開放期における上海の政治発展 : 地域開発と民主化
標題(洋)
報告番号 116785
報告番号 甲16785
学位授与日 2002.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(法学)
学位記番号 博法第166号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 蒲島,郁夫
 東京大学 教授 猪口,孝
 東京大学 教授 塩川,伸明
 東京大学 教授 田中,明彦
 東京大学 教授 大串,和雄
内容要旨 要旨を表示する

 1970年代末に始まった中国の改革・開放以降、特に1990年代に入ってから上海の経済が急速に発展するとともに、上海の政治も政府体制や政策決定過程、政治参加、政治意識などさまざまな面において大きく変わった。経済のみならず政治面においても上海の影響と役割がますます増大していくにもかかわらず、上海の政治発展に関する研究は非常に少ない。また、ここ数年の中国政治の研究においては、中国の政治体制を権威主義または中国版の「開発独裁」と位置付けることが一般的である。しかし、中国の政治発展と韓国など他の東アジア諸国における「開発独裁」とを比べれば、歴史的経験や代議機関の役割、中央と地方との関係、国際環境などの面において多くの相違点がある。更に、中国の漸進的な政治改革により共産党党内の上からの民主化と草の根レベルの下からの民主化などがすこしずつ進んでいることを考えれば、権威主義モデルだけでは中国の政治発展を説明することができなくなる。

 このような状況を踏まえて、本論文は、経済発展を伴う政治発展としての上海の例を具体的に検証した上で、上海の政治発展モデル及びその意義を探求することを目的とする。本論文は序章と第1-6章と終章合せて8章からなっており、その内容は以下の通りである。

 序章では、研究の起因、視点と方法が説明される。上海に注目した理由を経済の急速な発展、政治的影響力の増強、特殊な開放の歴史から分析した後、「双軌政治発展」という研究仮説を提示する。すなわち、改革・開放期の中国は経済発展を中核にして、権威主義体制を維持するとともに、政治発展に力を注ぎ、民主化を推進しているということである。改革・開放後の中国の政治は権威主義の温存と民主化の推進という二つの軌道で発展してきたと考えられ、筆者はこの政治発展を「双軌政治発展」と呼ぶ(以下、煩雑であるので、「」をとる)。中国では、地域の格差が非常に大きいため、この双軌政治発展はいつでもどこでも同じとは考えられない。地域開発を推進することによって生じたさまざまな問題を適切に処理し、中央の統一的指導と地方のイニシアティヴ、国民の政治参加と自由の拡大と政治安定の維持、経済の活性化とマクロ・コントロールなどの間にバランスが取れれば、双軌政治発展は花開くのである。

 第一章は、開発戦略と開発体制である。中国では、開発体制の最大の特徴は中央集権ではなく、地方分権である。地方分権によって地方政府のイニシアティヴが強化される。上海の開発戦略において最も重要なのは、建国後30年にわたって強化されてきた内向型・単一機能の上海から脱皮し、外向型・多機能の上海へと移行していくことである。この戦略の転換は1980年代初めから始まったが、1990年代の浦東開発・開放はそれを加速させたのである。上海の地域開発戦略の転換に伴って、市政府体制は一元的体制と政治運動型体制から多元的体制と発展志向型体制へと再建され、開発体制は次第に整備・強化された。浦東開発・開放を推し進めるために形成された浦東開発体制は、政府機能の転換や政府と企業の分離、政府のスリム化、政府の効率性などの面において確かにかなりの程度で成功を収めた。

 第二章は、政策決定過程である。改革・開放以来、市場化や分権化、多元化が進むことによって、中国の政策決定モデルは独裁的決定モデルから多元的決定モデルへと変わりつつある。上海の政策決定過程において、1980年代の「上海市青少年保護条例」の制定過程、1989年の『世界経済導報』の停刊事件と1990年代半ばごろの「上海市の再就職プロジェクト」の制定過程から見られるように、上海市共産党委員会、市政府と市人民代表大会三つのアクターは憲法や法律などに定められた政治的ルールを守りながら、上海の重大事項に関して各自の政策活動を行っている。政策決定のプロセスに民主的な要素が浸透し、決定に影響される関係部門や個人の意見表明が認められるようになった。その中で、特に注目すべきは、各級と各分野の専門家政策諮問グループが設けられ、専門家が上海市の政策決定過程に参加できるようになったことである。

 第三章は、幹部人事制度改革である。幹部の「四化(革命化、若年化、知識化、専門化)」を進め、国家公務員制度を実施するとともに、上海の幹部人事制度は大きな転換期を迎えた。その変化は少なくとも指導部の人事異動、国家公務員の確立と人材資源の開発という三つのレベルで見られる。改革期の上海指導部においては、テクノクラートが台頭しつつある。1980年代半ばごろから上海の党書記と市長を勤めた江沢民、朱鎔基、呉邦国、黄菊、徐匡迪はみな典型的なテクノクラートである。1993年8月に「国家公務員暫行条例」が公布され、11月に「国家公務員制度実施方案」が発布された後、上海市人事局が中心となって、上海の状況に合わせて国家公務員の採用や考課、辞職などに関する実施細則が定められた。それと同時に、機構改革に合わせて、国家幹部制度から国家公務員制度への移行が推し進められた。上海幹部人事制度の改革とりわけ公務員制度の導入で、上海市の公務員の教育水準が向上しつつある。また、各種の新しい人事政策の導入によって、大量の専門技術人員が登用され、上海の人材市場は活発になり、人材交流も年々増加している。優秀な人材を多く保有することは一貫して上海の経済・政治発展に有利な条件となっている。

 第四章は、社会変動と政治発展である。社会中間層と社会団体は、市民社会の重要な担い手であり、地域開発と民主化に大きな役割を果たしている。社会中間層の中では、特にホワイトカラーと私営企業家が注目に値する。改革・開放後、上海のホワイトカラーは急速に増加し、1990年代末にすでに在職者の40%余りを占めるようになった。アンケート調査によれば、1999年時点では、インテリゲンチア青年であれ、ホワイトカラー青年であれ、ブルーカラー青年であれ、いわゆる「中流意識」をもつのはいずれも九割を超え、ホワイトカラー青年グループがトップに立ち、95%となっている。また、各グループは改革・開放以来の政治発展を評価し、中国がますます民主的になっていくと信じている人は六割程度であった。1999年末には、上海の個体工商戸は18.8万に達し、私営企業は11万社近くにのぼった。それと同時に、私営企業の規模が拡大した。ここ数年、市場化改革が進むにつれ、私営経済は中国の社会主義市場経済におけるウェイトを増しており、私営企業家も存在感を次第に強めている。私営企業家は自分の経済力の増大とともに、政治参加に意欲を示し、いままでの社会的政治的地位に不満を抱き始め、自由への要求を強めているのである。1978年からは、改革・開放の進展とともに、社会団体の数が急速に増加し、1997年末まで、上海で登録されている社会団体の総数は3157個に達した。上海の団体政治には、コーポラティズムと共通の特徴があるが、上海の数多くの社会団体にはさまざまな相違点がある。自発的に下から作られ、政府にメンバーの要求を伝達したり、意見を反映させたりする団体があるし、また、上海の経済と社会が急速に発展するとともに、社会団体が次第に自分の資源基盤を作ったり自主的な業務活動を行ったりするようになっていくこともありうる。これらの相違点や進展を考えれば、上海の団体政治は、国家コーポラティズムから社会コーポラティズムへ徐々に移行していく可能性が高いと考えられる。

 第五章は、社区建設と基層民主である。上海の社区(地域社会)建設は、改革開放の進展によって生じてきた各種各様の社会問題を解決するために、1980年代半ばに提起され、1990年代に入ってから本格的に開始され、特に1996年から急ピッチで推し進められてきた。社区建設過程において、国家は、行政の力を通じて地域社会を統制するという従来の姿勢を変え、住民の自発的な相互協力と相互扶助の活動によって地域生活を円滑に行わせようとしている。従って、社区建設は市民参加の拡大と党・政府の指導の強化という二面的性格をもっている。この二面的性格は居民委員会の民主化改革に鮮明に現れている。居民委員会の民主化改革は、民主化といっても、居民の自発的な行動によるものではなく、共産党の指導の下で行われたのである。結果的には、居民委員会の民主化改革においてさまざまな実験が行われ、いくつかのモデルも出ている。

 第六章は、市民意識の伝統と甦生である。近代上海の特徴といえば、やはり租界が存在したことであろう。租界は帝国主義列強の侵略と略奪を象徴するとともに、腐敗し、停滞していた大清帝国に西洋の文明を伝播する窓口ともなった。租界の自治制度は、民主主義的観点からみれば多くの欠陥を抱えながらも、清朝の封建専制制度と比べてはるかに優れていることが明らかであり、上海の中国人市民に大きな衝撃を与え、上海人の市民意識を生み出した。上海人の市民意識の高まりにより、上海では市民運動が絶え間無く行われてきた。そのうち、注目すべきは地方自治運動と華人参政運動である。

 中華人民共和国の建国後、高度な集権体制の樹立と一連の政治運動によって、上海人の意識がある程度変化したことは当然のことであり、否定できないが、それまでに育まれた市民意識はすべて消滅したわけではない。その市民意識は建国後の政治運動の中で異端として現れ、歴史の底流となっていた。改革・開放政策が始まってから、市場経済化改革が進められるとともに、対外開放も拡大されつつある中、上海の市民意識は新たな歴史環境に恵まれて甦生し、上海の改革・開放の舞台に登場し、経済・政治発展の原動力となっている。近代上海で開花していた市民意識の中では、市民の自主意識、参政意識、自由意識、権利意識、公共意識などが政治発展にとって重要である。上海の政治制度や経済制度は基本的に全国の他の地方と同じ形となっているが、上海が急速な発展を成し遂げたのは市民意識の発達に負うところが多いと考えられる。

 第七章は、総括と展望である。自由選挙に基づく議会制の有無と複数政党間の競争の有無という、比較政治学の中で最も広く採用されている基準から判断すれば、上海の政治発展は明らかに民主主義体制への移行という段階にまだ至っていない。だが、改革・開放政策が実施されてから、上海は経済発展を進め、そのための開発体制を整えるとともに、政治発展にも力を注ぎ、民主化を推し進めてきたのである。また、経済の高度な成長と社会の急激な変化に伴って、民主化を求める声が高まっているし、民主化の推進役を担う社会政治勢力も強まっている。従って、上海の政治発展の中で、二つの傾向が見られる。一つは権威主義体制の温存であり、もう一つは民主化である。上海は双軌政治発展モデルを採った。即ち権威主義体制と社会主義民主の間にバランスを取りながら、改革・開放政策を進めてきたのである。上海は発展途上地域であり、民主化途上地域でもあると言って良いだろう。〓小平の強烈なプラグマティズムに基づいて進められてきた漸進主義的発展戦略はこの双軌政治発展を内包している。その漸進的な政治発展戦略に深刻な自己矛盾と非一貫性があると同様、双軌政治発展モデルも自己矛盾を内包している。

 しかし、そのモデルに矛盾があることは無視してはならない。これらの矛盾は一定の範囲で調整され、抑制されることができるかもしれないが、場合によっては激化されることもある。天安門事件のような端的な現れがあったし、政治腐敗の蔓延などの問題も日増しに深刻化している。また、経済発展につれて、新たな民主化勢力が成長していくと、政治体制が崩壊する恐れもある。そして、上海または上海のような先進地域では、さらなる民主化改革は緊急の課題として迫ってくる。政治腐敗などの問題を解決するためにも、共産党・政府の各級幹部のアカウンタビリティー(説明責任)を強化するためにも、より高いレベルでの直接選挙が求められている。だが、民主政治の伝統を欠き、かつ膨大な人口を有し、地域の巨大な格差などの問題を抱える中国では、民主政治の諸制度の蓄積はかなりの時間を要する。

審査要旨 要旨を表示する

 1970年代後半から1990年までの中国上海の経済発展は、著しいものがある。本論文は上海における高度経済成長が、上海の政治体制や政策決定過程、社会的組織や地域社会の発達、そして人々の政治参加の形態や政治意識にどのような影響を与えたのか、そのような観点から上海の政治発展を実証的に分析したものである。

 中国における上海の政治経済的影響がきわめて大きいのにも関わらず、上海の政治発展に関する研究は非常に少ない。近年の中国政治の研究において、中国の政治体制を「権威主義」または中国版の「開発独裁」と位置付けることが一般的であるが、それは他のアジア諸国における「開発独裁」と比較するとどのような特徴があるのか。歴史的経験や政治体制、中央と地方との関係、国際環境などの面において多くの相違点を持つ両者には大きな違いがあるのではないか。さらに、中国の漸進的な政治改革により共産党の上からの民主化と下からの民主化などが少しずつ進んでいることを考えれば、権威主義モデルでは中国の政治発展を十分に説明できないのではないのか。これらが著者の問題意識であり、また基本的仮説である。

 本論文の結論をあらかじめ述べると、改革・開放期の中国は、経済発展を中核にして、権威主義体制を維持するとともに、政治発展に力を注ぎ、民主化を推進しているということである。言い換えれば、改革・開放後の上海(中国)の政治は権威主義の温存と民主化の推進という二つの軌道で発展してきており、著者はこの政治発展のパターンを「双軌政治発展モデル」と呼んでいる。

 本論文は序章と第1-6章と終章合せて8章からなっており、内容は以下の通りである。序章では、まず問題意識、研究の視点と方法が説明され、著者が上海に注目した理由が述べられている。そこでは上海の重要性として、(1)経済の急速な発展、(2)政治的影響力の大きさ、(3)特殊な開放の歴史の3つが挙げられている。

 第1章は、開発戦略と開発体制である。著者によると、中国における開発体制の最大の特徴は中央集権ではなく、地方分権である。地方分権によって地方政府のイニシアティヴが発揮される。上海の開発戦略において最も重要なのは、建国後30年にわたって強化されてきた内向型・単一機能の上海から脱皮し、外向型・多機能の上海へと移行していくことである。この戦略の転換は1980年代初めから始まったが、1990年代の浦東開発・開放はそれをさらに加速させた。上海の地域開発戦略の転換に伴って、上海市の政府体制は一元的体制から多元的体制へと変わっていった。浦東開発・開放を推し進めるために形成された浦東開発体制は、政府機能の転換や政府と企業の分離、政府のスリム化、政府の効率性などの面においてかなりの程度で成功を収めたのである。

 第2章では上海の政策決定過程が扱われている。著者は中国の政策決定モデルは、改革・開放以来、市場化や分権化、多元化が進むことによって、独裁的決定モデルから多元的決定モデルへと次第に変わりつつあると論じる。本章で著者は政策決定過程の3つの事例、つまり、1980年代の「上海市青少年保護条例」の制定過程、1989年の『世界経済導報』の停刊事件、1990年代半ばの「上海市の再就職プロジェクト」の制定過程を分析し、以下のことを明らかにした。(1)上海市共産党委員会、上海市政府、上海市人民代表大会の3つのアクターは、憲法や法律などに定められた政治的ルールを守りながら、上海の重大事項に関して各自の政策活動を行っている。(2)政策決定のプロセスに民主的な要素が浸透し、決定に影響される関係部門や個人の意見表明が認められるようになった。(3)注目すべきは、各分野の専門家政策諮問グループが設けられ、専門家が上海市の政策決定過程に参加できるようになったことである。

 第3章は、上海における幹部人事制度の改革を扱った章である。上海の幹部人事制度は転換期を迎えつつあり、その変化は指導部の人事異動、国家公務員制度の確立、人材資源の開発という3つのレベルで見られる。改革期の上海指導部においては、テクノクラートが台頭した。1980年代に上海の党書記と市長を勤めた江沢民、朱鎔基、呉邦国、黄菊、徐匡迪はみな典型的なテクノクラートである。1993年8月に「国家公務員暫行条例」が公布され、11月に「国家公務員制度実施方案」が発布された後、上海の状況に合わせて国家公務員の採用、評価、辞職などに関する実施細則が定められた。それと同時に、国家幹部制度から国家公務員制度への移行が推し進められた。また、各種の新しい人事政策の導入によって、大量の専門技術人員が登用され、上海の人材市場は活発になり、人材交流も年々増加している。優秀な人材を多く保有することは一貫して上海の経済・政治発展に有利な条件となっている。

 第4章は、上海の社会変動と政治発展を扱っている。社会中間層と社会団体は、市民社会の重要な担い手であり、地域開発と民主化に大きな役割を果たしている。そのなかでも、ホワイトカラーと私営企業家が重要である。改革・開放後、上海のホワイトカラーは急速に増加し、1990年代末にすでに在職者の40%余りを占めるようになった。アンケート調査によれば、1999年時点では知識層の青年であれ、ホワイトカラー青年であれ、ブルーカラー青年であれ、いわゆる「中流意識」をもつのはいずれも9割を超えている。また、彼らは改革・開放以来の政治発展を評価し、その6割の人が中国はますます民主的になっていくと信じている。ここ数年の市場化政策により、私営経済は中国の社会主義市場経済におけるウェイトを増しており、私営企業家も存在感を次第に強めている。1999年末には、私営企業は11万社近くにのぼり、同時に、私営企業の規模も拡大した。私営企業家は経済力の増大とともに、政治参加に意欲を示し、自らの社会的政治的地位に不満を抱き、自由への要求を強めている。さらに、社会団体の数が急増し、1997年末まで、上海で登録されている団体の総数は3157団体に達した。上海の数多くの団体にはさまざまなパターンがある。自発的に下から作られ、政府にメンバーの要求を伝達したり、意見を反映させたりする団体があり、また、上海の経済と社会が急速に発展するとともに、社会団体自体が自主的な業務活動を行ったりするようになっていくこともある。これらの進展を考えれば、上海の「集団の政治」は、国家コーポラティズムから社会コーポラティズムへ徐々に移行していく可能性が高いと著者は展望する。

 第5章は、社区(地域社会)建設である。上海の社区建設は、改革開放の進展によって生じてきたさまざまな社会問題を解決するために、1980年代半ばに提起され、1990年代に入ってから本格的に推し進められてきた。社区建設過程において、国家は、行政の力を通じて地域社会を統制するという従来の姿勢を変え、住民の自発的な相互協力と相互扶助の活動によって地域生活を円滑に行わせようとしている。従って、社区建設は市民参加の拡大と党・政府の指導の強化という二面的性格をもっている。この二面的性格は居民委員会の民主化改革に鮮明に現れている。居民委員会の民主化改革は、民主化といっても、居民の自発的な行動によるものではなく、共産党の指導の下で行われたのである。結果的には、居民委員会の民主化改革においてさまざまな実験が行われ、いくつかのモデルも出ている。

 第6章は、市民意識の伝統と甦生を扱っている。近代上海の特徴といえば、租界が存在したことである。租界は帝国主義列強の侵略と略奪を象徴するとともに、腐敗し、停滞していた大清帝国に、西洋の文明を伝播する窓口ともなったと著者は評価する。租界の自治制度は、民主主義的観点からみれば多くの欠陥を抱えながらも、清朝の封建専制制度と比べてはるかに優れており、上海の中国人市民に大きな衝撃を与え、上海人の市民意識を生み出した。上海人の市民意識の高まりにより、上海では市民運動が絶え間無く行われてきた。そのうち、注目すべきは地方自治運動と華人参政運動である。中華人民共和国の建国後、高度な集権体制の樹立と一連の政治運動によって、上海人の意識がある程度変化したことは当然のことだが、それまでに育まれた市民意識はすべて消滅したわけではない。その市民意識は建国後の政治運動の中で異端として現れ、歴史の底流となっていた。改革・開放政策が始まってから、市場経済化改革が進められるとともに、対外開放も拡大される過程で、上海の市民意識は新たな歴史環境に恵まれて甦生し、上海の改革・開放の舞台に登場し、経済・政治発展の原動力となったと著者は論じている。近代上海で開花していた市民意識の中では、市民の自主意識、参政意識、自由意識、権利意識、公共意識などが政治発展にとって重要である。上海の政治制度や経済制度は基本的に全国の他の地方と同じ形となっているが、上海が他と比較して急速な発展を成し遂げたのは市民意識の発達に負うところが多いと著者は論じている。

 第7章において、論文の総括と展望が述べられる。自由選挙に基づく議会制と複数政党間の競争の有無という、比較政治学の中で最も広く採用されている基準から判断すれば、上海の政治発展は明らかに民主主義体制への移行という段階にまだ至っていない。だが、改革・開放政策が実施されてから、上海は経済発展を進め、そのための開発体制を整えるとともに、政治発展にも力を注ぎ、民主化を推し進めてきた。また、経済の高度な成長と社会の急激な変化に伴って、民主化を求める声が高まっているし、民主化の推進役を担う社会政治勢力も強まっている。従って、上海の政治発展の中で、二つの傾向が見られる。一つは権威主義体制の温存であり、もう一つは民主化である。以上のように上海の政治発展は双軌政治発展モデルで説明できる。権威主義体制と民主化の間にバランスを取りながら、改革・開放政策を進めてきたのである。上海は発展途上地域であり、民主化途上地域でもある。〓小平の強烈なプラグマティズムに基づいて進められてきた漸進主義的発展戦略に深刻な自己矛盾と非一貫性があると同様、双軌政治発展モデルも自己矛盾を内包している。これらの矛盾は一定の範囲で調整され、抑制されることができるかもしれないが、場合によっては激化されることもある。天安門事件のような端的な現れがあったし、政治腐敗の蔓延などの問題も日増しに深刻化している。また、経済発展につれて、新たな民主化勢力が成長していくと、政治体制が崩壊する恐れもある。そして、上海または上海のような先進地域では、さらなる民主化改革は緊急の課題として迫ってくる。政治腐敗などの問題を解決するためにも、共産党・政府の各級幹部のアカウンタビリティー(説明責任)を強化するためにも、より高いレベルでの直接選挙が求められている。だが、民主政治の伝統を欠き、かつ膨大な人口を有し、地域の巨大な格差などの問題を抱える中国では、民主政治の諸制度の蓄積はかなりの時間を要するのだ。

 以上が本論文の要旨であり、以下はその評価である。

(1)本論文の最大の長所は著者の体験(上海に生まれ育ち、そして復旦大学で政治学を教えるという体験)を最大限に活かし、上海の歴史を踏まえ、その政策決定過程、政治制度、社会集団の成立、そして市民意識の伝統と甦生、を詳細かつ生き生きと論じたことである。たとえば、上海における政策決定過程が、経済の市場化や政治の分権化が進むことによって、独裁的決定モデルから多元的決定モデルへと次第に変わりつつあることなど、著者の観察は説得力があり、政治学的にも興味深い。とりわけ、上海の政治発展については、その中国政治における重要性にも関わらず、それほど研究がされてこなかっただけに、本論文の貢献は大きい。

(2)本論文の第2の長所は、論文の構成の巧みさと日本語の分かりやすさにある。まず、仮説を提示し、その枠組みに沿って、各章で丁寧に上海の政治発展を考察していく手法は、政治学の知的伝統にのっとっている。また、終章で再び仮説に戻り、その妥当性と問題点を考察している。著者は、中国の政治発展が権威主義の温存と民主化の推進という自己矛盾を内包していること、そしてこれらの矛盾は一定の範囲で調整され、抑制されることができるかもしれないが、場合によっては激化されることもあるという。これらの指摘は中国政治の今後を考える上で、きわめて現実的な問題と可能性を提起している。

 郭定平氏は3年前に来日し、日本語能力がゼロの段階から、これほど平易でかつ滑らかな日本語で、内容豊富な博士論文をよく完成されたと思う。ただ、他方で本論文にもいくつかの弱点があることを指摘せざるをえない。

 まず第1に、論文の理論的側面に関するものである。著者は中国の政治変動を説明する際に、双軌政治発展という新しい概念を提唱しているものの、概念操作の厳密性に欠けるためにその有効性が減じられている。また、他説を批判する際に、それを充分に理解し、突き詰めて検討したのかどうかについて、疑問が残る箇所もある。そのために安易な批判という印象を与えている。中国から来て、短期間で多くの理論文献に取り組んだ努力と進歩は多とすべきであるが、それでも理論面で弱点を抱えていることは否めない。

 第2の弱点は意識調査データの扱い方である。意識調査自体が公刊された2次データであり、また分析の手法も初歩的でクロス表分析の域を超えていない。もっとも、それゆえに論文の分かりやすさに貢献しているともいえる。

 第3の弱点は事例の代表性の問題である。上海をケースにしているが、これをもとに中国の政治発展がどこまで的確に捉えられかという疑問である。上海がユニークな都市であるゆえに論文の内容は興味深いが、それを中国の政治発展に広げようとすると、代表性の問題が生じるのである。

 しかしながら、これらの弱点は本論文の価値を大きく損なうものではない。上海の政治発展に理論的な視点から大胆に切り込み、上海の政治発展を包括的に考察した本論文は、中国政治の理解に大きく貢献したものと認められる。従って本論文は博士(法学)の学位を授与するに相応しいものと評価できる。

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