学位論文要旨



No 116786
著者(漢字) 徐,炳学
著者(英字)
著者(カナ) ソ,ビョンハク
標題(和) 韓国の金融発展におけるインフォーマルセクター(私金融市場)の役割と変化に関する研究
標題(洋)
報告番号 116786
報告番号 甲16786
学位授与日 2002.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(経済学)
学位記番号 博経第152号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 伊藤,正直
 東京大学 教授 石見,徹
 東京大学 教授 末廣,昭
 東京大学 教授 福田,慎一
 東京大学 教授 橘川,武郎
内容要旨 要旨を表示する

 1960年代以降、韓国政府は経済開発のため金融部門に対する統制を強化してきた。政府は産業政策を円滑に遂行できるように金融機関を規制し、企業の金融支援の手段として金融機関を利用した。金融業が政府の企業支援体制として育成されたということは、企業に必要な資金を供給しただけではなく、企業の損失まで吸収するよう強制されてきたことを意味する。このような1960年代、1970年代の金融政策は企業の資金調達を容易にして、金融費用も大幅に軽減させた。特に金融部門が企業の投資におけるバックになったことは、積極的な投資を可能にした。支払保証という形態で政府と銀行が企業の投資リスクを共に負担する体制は、当時の経済発展に大いに貢献したと言える。

 しかし、このような金融体制は大きな副作用を招いた。政府の支援する輸出産業や重化学産業は、資金調達が容易にできたが、個人や中小企業の資金需要はほとんど無視されてきた。このことは、私金融市場の形成と拡大の直接な原因になっている。韓国金融市場の特徴の一つは、普通の一般金融市場と共に「私金融市場」と呼ばれている非公式・非組織的な金融市場が存在することである。韓国の私金融市場は、金融部門におけるインフォーマル・セクターでありながら、韓国経済に様々な影響を与え、今日に至っている。私金融市場は、概念的には「公式の金融機関を通じない金融取引が行われる金融市場」という意味を持っている。1950年代の朝鮮戦争以降、個人に対する資金供給をしてきた私金融市場は、1960年代以降、経済成長とともに急速に成長した。この時期、中小企業の資金調達はほとんど私金融市場を通じて行なわれた。手形割引という手段は、私金融市場の典型的な金融サービスであった。個人も金融機関からの借入が不可能な状態で、私金融市場に頼るしかなかった。この私金融市場はクンソンという資金供給者によって成立しており、その莫大な資金規模を背景に金融市場に様々な影響を与えた。

 政府の統制により韓国の金融部門は正常な成長はできなかった。金融部門は独自の論理より政府の産業政策によって左右されるようになり、審査能力や商品開発が遅れるようになる結果となった。金利から銀行内部の経営と人事までが、政府の意図で動いた。また、このような政府の統制は各種の規制を量産したので、金融業は完全な規制産業になってしまったのである。金融自由化の問題が本格的に議論されたのは、1980年代のことである。まず規制と政府の関与を無くしていく観点から金融機関の民営化が進められた。市中銀行の政府保有株式が売却され、1983年には銀行の民営化が終わった。銀行業への新規参入も容易になり、1980年代以降は新しい銀行の設立が続き、競争構造に変わっていった。銀行以外の金融機関の発展もこの時期から本格化された。投資信託会社、投資金融会社、証券会社の量的な増加と業務領域の拡大によって、金融機関全体における比重が急激に増大した。1980年代からの金融産業に対する政策変換は、その以降の金融発展に決定的な影響を与えたと言える。政府からの関与が完全になくなったのではないが、少なくとも金融産業が独自の論理で成り立つようになり、特に相互競争体制になったのが重要な変化であろう。

 韓国の経済発展と共に成長してきた私金融市場には、様々な問題も存在した。高率の金利による借り手の過度な負担、私金融市場の所得に対しては課税ができないという租税上の問題などが、私金融市場の問題として指摘されてきたのである。特に私金融市場関連の金融事件は、社会的に大きな問題となった。私金融市場に対し、政府は1970年代から制度化政策を行なってきた。私金融市場の資金を一般金融市場に移動させ、正式な金融機関を通じた資金配分に転換しようとしたのである。しかし政府の政策はあまり効果がなかった。政府の制度化政策にも関わらず、私金融市場の規模は拡大していき、大量の資金が私金融市場で運用されたのである。1972年の8.3措置は、私金融市場を一時期的に萎縮させたが、その間中小企業は資金難に苦しんだ。しかし、一年後に私金融市場は復活し、また成長をし続けた。1982年の7.3措置は金融実名制度を実施するという措置であったが、金融市場への副作用を恐れ、実施までは至らずに、法案だけを作成することに止まった。いずれの政策も、私金融市場を直接的に根絶させないまま、失敗に終わった。1993年の金融実名制度の実施は、私金融市場に対する政策の中で、一番包括的で根本的な制度であった。特に、金融所得総合課税は画期的な変化をもたらした。しかし、結果は大量の資金の海外流出と未曾有の通貨危機であった。私金融市場のクンソンは私金融市場での資金運用を減らし、運用資金を海外に移したのである。1996年から始まる金融所得総合課税に備えて本格的な海外への資金移動が行なわれた。結局、1972年から1993年までの30年にかけて、10年を周期に3回あった政府の政策は成果なしに終わった。かえって、大きな副作用を生み出し、不完全な金融市場を混乱させる結果となった。

 実際、韓国経済の私金融市場に対する依存を減らしたのは、制度化政策ではなく、金融機関の発展と自由化の進展による韓国金融の発展そのものである。金融機関の増加と多様化は、私金融市場の資金を預金として吸収し、与信能力を増加させた。また金融自由化による金融機関の裁量権の増加で競争が促進され、個人・中小企業に対する貸出にも積極的になった。この結果、私金融市場と一般金融市場は互いに補完的機能を果たす部分が増え、私金融市場も独自の領域を発展させるようになった。結局、インフォーマルセクターのフォーマル化はフォーマルセクターの正常化によって進められたと言えよう。金融の未発達の下で生じた私金融市場を、政府の政策でなくそうという発想は、最初から間違っていたと言える。政府=LEADER,銀行=AGENT,企業=FOLLOWERという政府統制の経済環境の中で、金融は政府の政策移行手段に過ぎなかった。このように金融機関が金融の役割を果たせないという金融環境で、私金融市場が資金需要に応じて資金を供給する、という本来の金融の役割を担当してきたのである。実質的な必要性の上に成立した市場であったからこそ政府の制度化政策にも関わらず、何十年間存続してきたのである。高いリスクを背負って、信用度の低い中小企業に対して融資することは、一般金融機関にはなかなかできないことである。このように金融機関が避けてきた業務を私金融市場が自己責任で担当してきたのである。このような性格の資金を安全な海外の金融機関に追い出すような制度が望ましいとは言えない。特に、世界各国が海外からの資本の誘致に積極的に取り込む中で、国内の資本を海外に流出させるような制度は再考の余地がある。私金融市場は1990年代後半からはベンチャー・キャピタルとしての機能を果たして、ベンチャー企業の発展に大いに寄与した。数多くのベンチャー企業が私金融市場の資金で成功し、KOSDAQ市場の活性化にもつながった。私金融市場のハイリスク・ハイリターンの投資方法は、時代の変化を先取りしていたとも言えよう。韓国の私金融市場は1950年代の「闇ドル商」から1990年代のベンチャー・キャピタルに至るまで、時代の資金需要に合わせて発展してきたのである。私金融市場には優秀な金融専門家が多く、一般金融機関に勝る審査能力や投資力を備えている。現在ではさらに、一般金融機関出身の人材が続々と私金融市場に参加し、市場は活発化している。

 私金融市場の資金は重要な国内資本である。ただ無くそうとする制度は、国内資本の海外移動のような副作用を生み出す結果になる。韓国は何千億ドルの外債で経済を運用している経済体制なのである。国内貯蓄がまだ不足している状況で、いつでも外貨危機が起る可能性がある。その反面、私金融市場には莫大な資金が運用されている。このような現実を無視するような政策は、国内資本の効率的な利用を妨げていると言える。政府は私金融市場を一つの資金市場として、その役割と機能を認め、金融実名制度やそれに伴う金融総合課税を再検討すべきであろう。

 私金融市場は資金供給だけではなく、資金運用の場でもあった。金融機関が整備されていなかった1970年代、多くの個人は私金融市場で余剰資金を運用した。運用主体も幅広く、主婦からクンソンに至るまで、様々な階層の人々が私金融市場を資金運用の場として利用した。1980年代からの金融機関の増加と金融商品の多様化によって多くの個人は私金融市場から離れ、資金運用を金融機関にシフトした。この結果、私金融市場の資金供給者はクンソンを始めとする大型銭主中心の構造に変わって行き、私金融市場の金融サービスの専門化も進むようになった。クンソンの資金動員力から見て、私金融市場はまだ企業の資金調達に必要な市場であった。個人向けの様々な貸出金融サービスも増えたが、企業向けの手形割引が依然として大きな割合を占めていることは、私金融市場の企業に対する資金供給の役割が続いていることを示している。個人向けの貸出も多様化されてきた。自動車担保貸出やクレジットカード貸出など、従来の貸出形態とは違う新しい形態の金融サービスが登場し、個人の資金ニーズに対応している。韓国の金融機関が個人向けの貸出を本格的に始めたのは最近のことで、それまでは私金融市場だけがその役割を担ってきた。このように私金融市場は韓国の金融市場において疎外された中小企業や個人の資金需要に対して、資金供給の役割を50年近く果たしてきた。私金融市場を単なるインフォーマル・セクターとして見るには、その規模や実際の役割は大きい。また、この私金融市場は韓国の金融発展、特に証券市場発展に大きな影響を与えた。政府が育成させようと努力してもなかなか活性化されなかった証券市場を活性化させたのは私金融市場の資金であった。クンソンによる大規模な投資と高収益の成功は、証券市場を新しい投資手段として認識させたのである。個人投資家が増えて、私金融市場の資金は証券市場の重要な資金源となった。

 1990年代末、場外株式市場を活性化させたのも私金融市場であった。私金融市場は未公開株式の仲介や情報提供などを通じて、未公開株式に対する投資を活発にして第3市場という言葉まで流行させた。今やこの業務は私金融市場において重要な業務になっている。以上で見るように、私金融市場は政府統制で停滞していた金融機関の代わりに、時代のニーズと環境に合わせ、韓国の金融市場を先導してきたと評価できる。このような私金融市場の展開は金融市場そのものの展開とも言えるほど、金融市場論理を基に動いている。これは私金融市場が一般金融市場と比べ、制度化された法律や規制がないだけで、本来の金融の機能は果たしていることを意味している。つまり、一般金融市場と私金融市場との違いは法律と規制の有無だけである。さらに、私金融市場は無課税の市場で新規参入と退出に規制がまったくない。それにすべての責任が自己責任である。このような原理が、1990年代以降にも私金融市場が存続する大きな理由になると思われる。1990年以来の韓国金融の変化というのを一言でいえば、政府の統制をなくし、諸規制を緩和して金融機能を市場の論理に任す方向に進められた。ある意味では、韓国の金融変化は私金融市場の本質的な部分を一般金融市場に取り入れる過程であったとも言える。

審査要旨 要旨を表示する

1.徐炳学氏の博士学位請求論文「韓国の金融発展におけるインフォーマル・セクター(私金融市場)の役割と変化に関する研究」は、1960年代から現在まで韓国金融市場において大きな役割を占めてきた「私金融市場」の機能と構造を、歴史実証的に解明しようとするものである。開発金融におけるインフォーマル・セクターの重要性については、これまでアジア、アフリカ、ラテンアメリカ各国経済の研究においてつとに指摘されてきたが、本論文は、これらの先行研究と問題関心を一部共有しつつ、むしろ1970年代以降現在にいたる韓国私金融市場の役割の大きさを検出しようとしたところに特徴がある。

 韓国の私金融市場は、1960年代末から70年代初頭、狭義の推計で銀行貸出の30〜60%、広義の推計では銀行貸出に匹敵する規模に達していたという(p.40)。にもかかわらず、この私金融市場に関して、これまで本格的分析は皆無といっていい状況にあった。インフォーマル・セクターという性格上、正確な統計がないため経済学的分析になじみにくいだけでなく、私金融市場の構成者が情報のディスクローズを忌避してきたことがその背景にあった。こうした限界を克服するため、本論文では、一方で、フォーマル・セクターである韓国金融市場の検討を通じて私金融市場形成の要因を検出するとともに、政府の対私金融市場政策を制度化政策と「金融実名制度」の2点から分析し、他方でこれと関連させつつ、私金融市場の機能と構造を、私金融業者を対象とする「徹底した聞きとり調査」(p.5)から明らかにしようとした。そして、この面で本論文は注目に値すべき分析結果をあげており、従来ブラック・ボックスにあった私金融市場および私金融業者の全体像をはじめて具体的に提示し、その機能と構造を明らかにしている。

 本論文の構成は、次のとおりである。

 序論

 第1章 韓国の経済開発と金融

 第2章 私金融市場に対する韓国政府の政策

 第3章 韓国の金融発展と私金融市場との関係

 第4章 私金融市場の構造と機能

 第5章 通貨危機以降の私金融市場の変貌と展望

 結論

 以下、各章の内容を、若干のコメントも含め、要約・紹介する。

2.序論では、本論文の課題、研究方法、構成が概括的に示される。ここでは、1970年代以降、政府により繰り返し私金融市場に対する規制・抑制政策がとられたにもかかわらず、「私金融市場自体は政府の政策に対し、新しい形態に変化しながら適応していった」点の解明こそが核心的課題であることが主張されている。この課題の設定に基づいて、第1章では、第2次大戦後から1980年代始め頃までの韓国の金融発展が概観される。軍事政権成立の1960年代前半に、金融機関国有化というかたちでの金融統制が開始され、「ガイドライン」方式を通じた信用割当、資金配分が実施されたこと、しかしながら、この信用割当政策は、銀行側が「『ガイドライン』と指示を回避するか無視して資金を流用」(p.35)し、あるいは「借入者が銀行与信のかなりの部分を政府の指定された用途以外に利用してきた」(同上)ため必ずしも有効に働かず、それを補完するものとして「私金融市場」が登場したというのが本章の主要なロジックである。しかし、この点の論証は弱く、政府の金融統制がいかなるメカニズムを通じて私金融市場形成につながっていったのかは、論理的にも実証的にも十分には解明されていない。続いて、1950年代末から1970年代にかけての私金融市場が、「(1)個人信用市場、(2)契市場、(3)手形割引市場、(4)貸出仲介人市場、(5)私設金融市場」(pp.41-42)の5つから構成され、一方で旧来の慣行に依拠しつつ、他方で、投資金融会社やブローカー業務等を媒介に銀行や大企業と、情報提供・相互資金融通・短期資金運用先などにより連関をもっていたことが明らかにされる。

 第2章では、私金融市場に対する政府の統制・抑制政策が、1970年代の「私金融の陽性化政策」(p.57)と、1990年代初頭の金融実名制度導入を中心に検討されている。すなわち、1972年の8・3大統領緊急命令により企業統制、金融統制が強化され、それまでの「私金融市場における私債を無効化」する、相互信用金庫法・短期金融業法施行など私金融を制度化する措置がとられたこと、この措置は82年の7・3措置を経て、93年8月の金融実名制度実施につながったことが実証的に分析され、金融実名制度の実施が、国内貯蓄率の低下と資金の海外逃避を引き起こしたとしている。金融実名制度実施に至る韓国国内での論点を丹念に追い、そのそれぞれについて評価を加えるなど、本章の分析の大枠は説得的であるが、貯蓄率の低下、資金の海外逃避の分析はなお表層にとどまっており、より立ち入った検討がなされていれば、本章の説得力はさらに増したと考えられる。

 第3章では、韓国における民間金融機関の形成・発展と私金融市場との機能的連関が、歴史的に検討されている。1970年代に非銀行金融機関の発展がみられ、これと政府の資本市場育成策がリンクしたこと、80年代には、銀行の民営化と規制緩和により、新しい金融商品が次々に登場したことが強調され、これに対して、私金融市場が、「資金運用手段の多様化」→「私金融市場での資産運用の減少」・「私金融市場の業務の多様化」という2経路の影響を受けたとしている。とくに、1980年代からの私金融業者による株式投資については、私金融業者の代表であるクンソンに対するヒアリングも含めた検討がなされ、80年代には株式市場と私金融市場は相互補完的な拡大過程を辿ったこと、90年代には株式市場の成熟により私金融市場の役割が低下したことが主張されている。

3.以上の分析を受けて、第4章では、私金融市場そのものの分析が行われる。本論文の中心部分をなしているのが本章であり、従来まったく不明であった私金融市場の構造や機能、貸し手(私金融業者)と借り手の実態分析が、全体的かつ実証的に明らかにされている。まず、私金融市場における金融サービスについて、(1)信用貸出、(2)手形割引、(3)不動産担保貸出、(4)家計小切手割引、(5)当座小切手割引、(6)専貰(せんせい)契約書貸出、(7)クレジットカード貸出、(8)自動車担保貸出、(9)マンション分譲契約書・分譲申請預金担保貸出、(10)残高貸出の10種類が検出され。そのそれぞれの運用メカニズムが具体的に明らかにされる。ついで、一般金融市場と私金融市場とのそれぞれの関係が、一般金融市場の制度的特徴(例えば、法律によりサービス産業の多くは与信禁止事業体に指定され、一般金融市場から資金調達が不可能であるといった点、p.142)と関連させて検討され、金融サービスのいくつかは相互補完的な機能をもち、いくつかは代替的・競争的な機能をもっていたことが明らかにされ、さらに、この相互補完的機能のうち、情報生産と中小企業金融について私金融市場の果たしてきた役割が具体的事例に基づいて紹介されている。

 続いて、私金融市場の構成者である借り手と貸し手が分析される。「与信禁止事業体」に指定されているサービス関連企業、信用力の不足する中小・零細企業・個人が、どの程度私金融市場に依存しているかが推計され、私金融市場利用の中小企業は、90年時点でも30%弱に達していること、規模が零細になるほど利用率が高いことが検出されている(pp.140-44)。貸し手の側の分析は、銭主の代表である「クンソン」と、仲介業者である「私債業者」へのヒアリング調査によってなされ、その経営行動の実態が具体的に検証されている。大型銭主である「クンソン」の資金規模は数10億ウォンから100億ウォンに達し、仲介業者は、これらの「銭主との長期間の取引」を行い、「分野別にかなり分業化されている」(pp.152-3)というのがここでの結論である。本章の最後では、90年代における私金融市場規模についての既存推計が検討され、いずれも過小推計であるとして、1994年時点での規模27兆ウォン、M2(133兆ウォン)の21%を新たな推計値として提示している。

 第5章では、1997年の韓国通貨・金融危機以降の私金融市場の変化が、いくつかの側面に限定して摘出されている。韓国通貨・金融危機を契機に金融機関の変革が起こり、これに伴って私金融業者の構成変化が生じていること、私金融市場における金融サービスも手形割引の激減という内容変化が起きていること、市場金利の下落により資金運用環境が悪化したこと、他方ベンチャー・キャピタルの出現により新たな運用対象が生じ、私金融業者のファイナンス会社設立など新しい動きが出ていることなどが新しい特徴点として指摘されている。

 最後の結論部分では、1960年代以来の政府の金融統制政策、80年代からの金融自由化が改めて確認された上で、政府の私金融市場政策が総括され、著者による私金融市場に対する評価が与えられている。「1972年から1993年までの30年かけて、10年を周期に3回あった政府の政策は成果なしに終わった。かえって、大きな副作用を生み出し、不完全な金融市場を混乱させる結果となった」(p.190)、「政府が支援する産業のみが金融機関からの融資を受ける環境では、他産業の資金需要は金融機関以外のところで資金を求めるしかない」(p.192)、「政府の統制による金融産業の硬直性は、金融機関の競争力を低下させ…銀行の審査能力、金融商品の開発力が遅れ」(p.192)た、「私金融市場は政府統制で停滞していた金融機関の代わりに時代のニーズと環境に合わせ、韓国の金融市場を先導してきた」というのが、本論文の結論である。また、今後の課題として、インフォーマル・セクターの国際比較により同セクター一般に適用できるよう論理を拡張すること、経済制度・社会制度がインフォーマル・セクターに与える影響のパターン化を行うことをあげている。

4.以上に要約したように、本論文は、これまでほとんど実態が不明であった韓国私金融市場と私金融業者の機能、私金融市場の構造、金融市場全体のなかでの位置を、インタビューなどの手法を活用しつつ、実証的に明らかにしようとしたものということができる。以下、評価と問題点についてまとめて述べる。

 評価すべき第1の点は、研究史上の空白に挑戦し、重要なファクツ・ファインディングスを行ったことである。韓国金融市場については、これまで開発金融ないし開発独裁との関連から、銀行部門の国有化といった制度的特徴や融資規制などの信用割当、外資導入と資本移動規制などに着目した分析が行われてきた。しかし、本論文が対象とした私金融市場については、しばしばその重要性が指摘され、金融実名制度など政府の政策課題となりながらも、その実態については完全なブラック・ボックスといってよい状況に置かれていた。本論文は、日本においてはいうまでもなく、本国においてもこれまでなされてこなかった韓国私金融市場の構造と機能に初めて切りこんだパイオニア・ワークといってよい。

 第2は、こうした私金融市場の歴史的展開を、インフォーマル・セクターとしての特性から公式の資料やデータが残りにくいという限界を強く認識し、その限界を突破するために、インタビューや推計などの手法を活用しながら、時系列的に捉えていることである。この結果、1960年代から現状までの私金融市場の推移は立体的に明らかにされた。

 第3に、私金融市場の実体的機能について、政府の産業政策、資金配分政策、金融統制政策との関連を一貫して重視していることである。開発途上国ないし経済発展の初期段階においては、市場の分析のみでは割りきれない部分がきわめて大きいことは、これまで一般に指摘されてきた。本論文は、政府の政策との関連を重視しつつ、従来の見解とは異なって、政府と私金融市場との対抗関係、私金融市場の自律性を検出し、私金融市場の韓国経済発展に対する積極的役割を強調するという新しい見方を打ち出している。

 とはいえ、本論文に問題点がないわけではない。その第1は、韓国私金融市場像を提示する本論文の叙述方法に関する問題である。私金融市場というインフォーマル・セクターを分析する場合、資料やデータの制約があることはいうまでもない。だが、そうであるからこそ、分析の理論的ベースをどこに置くのかは一層大きな問題となる。本論文は、この点に関する明示的な追求が弱い。例えば、IMFや世銀、OECDなどのアジア金融市場分析においては、市場の効率性や構成主体の行動の合理性などが前提となって、どこに非効率・非合理な部分が存在するのかの検出が焦点となっている。こうした見方を批判する側も、制度・社会・歴史などの制約要因を明示的に提示したうえで、構造や機能の分析を行うという手順がとられている。しかし、本論文では、この手続きが必ずしも充分になされておらず、そのためインフォーマル・セクターの生成・展開・成熟の論理を提示するのに成功していない。見方をかえれば、演繹的にではなく帰納的に歴史や現状に接近するという方法がとられているといってもよいが、このため「通説」的見方に対する批判は、充分な論証なくやや飛躍したかたちで提示されるという結果に陥っている。

 第2は、インタビューやデータ処理に関する問題である。本論文においては、数多くのインタビューがなされ、第一次資料の収集が行われている。それ自体としてはきわめて貴重な作業であるが、それを論証の素材とする場合の手続きがややルーズになされているため、せっかくのインタビュー、収集資料の価値が低められている。私金融市場の資金量、期間、コスト、リスクすべてについて、もう少し丁寧な分析と手続きが行われていれば、本論文の意義は一層高まったと考えられる。しかし、そのためには、貸し手だけでなく借り手側の個別データの収集と分析を行い、それを上述のデータ・資料と突き合わせることが必要と考えられ、今後の課題ともいえる。

 第3は、韓国経済像、韓国金融市場像との関係である。本論文のように私金融市場の積極的役割を強調するならば、韓国経済発展のどの段階で、どの部分に私金融市場が積極的役割を果たしたのか、あるいは韓国経済構造にどのような特質を私金融市場が付与したのか、という論点が、当然登場してくるはずである。しかし、本論文では、政府の役割を重視しているにもかかわらず、単線的な経済成長のなかで私金融市場の機能変化がとらえられている。本論文の問題意識は、こうした単線的経済成長論を批判するものと想定されるだけに、今後こうした問題に関する氏の積極的発言を期待したい。

5.以上のような問題点を残すとはいえ、これらは氏が今後取り組んで行くべき課題と考えられる。本論文により、韓国の「私金融市場」の機能と構造に関する実証水準は大きく引き上げられた。本論文は、今後の韓国金融市場分析における重要な参考文献となるだけでなく、開発金融におけるインフォーマル・セクターの分析にとっても一つの参照基準となるであろう。以上により、審査員は全員一致で本論文を経済学博士の学位を授与するにふさわしい水準にあると認定した。

 審査委員 伊藤 正直(主査)

 石見 徹

 末広 昭

 橘川 武郎

 福田 慎一

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